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硫黄島国策に翻弄された130年

2020年02月20日 21時20分26秒 | 社会・文化・政治・経済

商品説明

小笠原群島の南方に位置する硫黄島は、日本帝国の膨張により入植が進むが、やがて戦火に巻き込まれ、戦後は島民の住めぬ地となった。時の国策のしわ寄せを受けた島をアジア太平洋の近現代史に位置づけ、描きだす。【「TRC MARC」の商品解説】

小笠原諸島の南端に位置する硫黄列島。このエリアには複雑な日本近代史が刻み込まれている。南方地域への進出を鼓吹する言説(南進論)の盛り上がりにより、農業入植地となり、日米の戦いでは凄惨な戦場となった。その後は軍事基地として利用され、島民たちは島で暮らせない状況が続いている。その知られざる軌跡を位置づける試み。【商品解説】

南進の流れの中で入植が進んだ島は、戦火に巻き込まれ、戦後は島民の住めぬ地となった——。【本の内容】

 

著者紹介

石原俊

略歴
〈石原俊〉1974年京都市生まれ。京都大学大学院文学研究科(社会学専修)博士後期課程修了。博士(文学)。明治学院大学社会学部教授。「近代日本と小笠原諸島」で第7回日本社会学会奨励賞受賞。

最初に
確認事項を先に述べておきます。
本書76ページに次のような記述があります。

1944年6月15・16日
米軍艦載機による硫黄島空襲があり
小笠原兵団長(109師団長)として
赴任したばかりの
栗林忠道中将(1891-1945)が
民間人の本土への「引揚」について
「阿南惟幾」陸軍大臣に
具申しその返電が来た‥云々
という内容です(本書 p.76)。

しかるに私の理解では
この時点で陸軍大臣はまだ
東條英機(1884-1948)が
(首相・内相・参謀総長などのポストとともに)
兼任していたのではないかと思います。
阿南惟幾(1887-1945)はこのとき
第2方面軍司令官(階級は大将)でした。
この翌月の1944年7月サイパンが陥落すると
東條英機内閣は総辞職し小磯内閣での陸軍大臣は杉山元(1880-1945)が再登板します。
最初の就任は1937年でした(林銑十郎内閣 → 第一次近衛内閣)。 
支那事変勃発時の陸軍大臣として(支那事変は日中戦争の当時の呼称)
「支那は2カ月で片付きます」(ひと月説もあり)と上奏していたので
日米開戦直前、参謀総長になっていた杉山は昭和天皇から「太平洋は支那よりずっと広いぞ!」と厳しくお叱りを受け頭を垂れて絶句し返す言葉がなかったという有名なエピソードがあります。
(例えば児島襄『児島襄戦史著作集volⅢ 天皇③』
文藝春秋 1979 p.63)
杉山再登板のあとの陸軍大臣は
①阿南惟幾(鈴木貫太郎内閣)
②東久邇宮稔彦王(東久邇宮内閣で総理が兼任)
③下村定(東久邇宮内閣 → 幣原内閣)となり陸軍省廃止となって終わります。
果たして1944年6月15・16日当時阿南惟幾は東條英機に代わって陸軍大臣代行のようなことをしていたのでしょうか?
ご専門の方にご教示いただけますと幸いです。

では次に硫黄島と私の関わりについて述べます。
要点は
1)『数学セミナー』
2)『硫黄島からの手紙』の2つです。
以下で詳しく説明します。

1)私は十代のころ雑誌『数学セミナー』(日本評論社)で「硫黄島の激戦」という記事を読みました。
佐藤總夫(さとう・ふさお)(1931ー2002) による「微分方程式で解析する」
(1977年5月-1981年4月)という連載のうちの一回です。

内容は
「ランチェスターの法則」
(Lanchester's Laws) を用いて第二次世界大戦における硫黄島の戦闘
(1945年2月19日-3月26日)を数学的に(量的に)解析したものです。

タテ軸に戦闘員数(単位は人)をとりヨコ軸に日数(単位は日)をとり「ランチェスターの2次法則」
(Lanchester's Square Law) から導いた微分方程式による理論値のグラフと米国海兵隊司令部発表による実測値のグラフがみごとに重なることが示されています。
つまり言い換えますと硫黄島の戦闘においては「ランチェスターの2次法則」が成立する
ことが示されています。

さらに[日本軍が米軍に与える損害率]を[米軍が日本軍に与える損害率]で割った数値を
[交換比]と呼びますが硫黄島の戦闘における交換比=5.132という結果が導かれています。
交換比の定義を考えますと「日本軍が米軍よりも5倍効率よく相手に損害を与えた」ことを意味します。
しかし日本軍の戦闘員数がほぼゼロになったとき米軍の戦闘員数は5万人以上ありましたから戦闘に勝利したのは米軍です。
戦闘に勝利することの定義は損害の大きさでもなく損害を与える効率のよさでもなく「敵が全滅したとき(降伏したとき)生き残っている方が勝ち」だからです。

ちなみに「硫黄島の激戦」の記事はマサチューセッツ工科大学のJ.H.エンゲル(J.H.Engel)の論文"A Verification of Lanchester's Law"
(Operations Research,vol.2,1954)に基づいたものです。
また佐藤總夫による連載は後に単行本となりました。
具体例が豊富な名著です。
『自然の数理と社会の数理 Ⅰ』(日本評論社 1984)
『自然の数理と社会の数理 Ⅱ』(日本評論社 1987)
をお読みになっていただけると幸いです。
「硫黄島の激戦」は「Ⅰ」の「第10話」です。

ちなみに「ランチェスターの法則」で知られるフレデリック・ランチェスター
(Frederick Lanchester)(1868-1946)は英国の自動車・航空工学のエンジニアです。
"Aircraft in Warfare"
--The Dawn of the Fourth Arm--(1916)
において、現在ランチェスターの1次法則(Lanchester's Linear Law)
ランチェスターの2次法則(Lachester's Square Law)と呼ばれている法則を提唱しました。
同時にこの本はOR(オペレーションズ・リサーチ)の始まりとみなすことも可能です。

2)上記のように若かりしころ私は数学という分野から「硫黄島の激戦」を知りました。

大人になってから
クリント・イーストウッド監督
(Clint Eastwood)(1930-)による
映画『硫黄島からの手紙』(2006)
(Letters from Iwo Jima) が封切られると劇場で5回観ました。
そのあとDVDも購入しました。
結果としてトータルで何十回も見ました。
もともと歴史に興味がありましたし「交換比=5.132」
が何を意味するのがイメージとして知りたかったからです。

『硫黄島からの手紙』は本書を読んだ今となってはbest とは申せないかもしれませんが
pretty good な映画だと思いました。
いくつか理由を挙げますと
・「変な発音の変な日本人」に象徴されるステレオタイプな日本人は登場しない。
・日本人将兵にも(日本映画と言っていいくらい)人格が与えられている。
・帝国陸軍と帝国海軍の葛藤(仲の悪さ)
(相互情報の不交換)を正確に描いている。
実は陸軍と海軍・海兵隊の仲の悪さは日本だけでなく米軍にも潜在的にありました。
・憲兵隊に象徴される統制主義・管理主義の一端を描いている。
あくまで私見ですがこの映画で描かれた憲兵隊とは民家のゴミ箱まであさって調べた
憲兵隊重視の東條英機(1884-1948)の象徴ではないかと思われます。
・陸軍にも海軍にも国粋主義の傾向があり
ファナティックな言動
(端的に言えば「自決」)も描いている。
・大本営が硫黄島を「捨て石」にしたことが描かれている。
暗に大本営を批判している?とも言えます。
・例えば "Pearl Harbor" (2001)
に登場するような、欧米人の誤解に基づいた荒唐無稽で・漫画的な日本人将兵は描かれていない。
(あくまで個人の感想ですが"Pearl Harbor" に評価を与えるならばどう見ても bad な映画です)
・本書にも言及があります通り短いシーンではありますが硫黄島の集落や住人を初めて映像で描いた。
例えば
ィ)日の丸の小旗を振る婦人たち
ロ)一膳めし屋のような木造住宅の食堂
ハ)ひとりで遊ぶ着物姿の子どもなどです。

しかし基本的には小笠原兵団長(109師団長)であった
栗林忠道中将(戦死後大将に昇進)が主人公であり
米国やカナダで駐在武官を勤めた知米派の知将として描かれています。
確かに陸軍幼年学校出身でみずからを「カデット」と呼び思考が硬直していた東條英機に比べると旧制長野中学から陸士(陸軍士官学校)に進んだ栗林忠道には作詞や絵画の才能があったと言えましょう。
あえて例えるならば「日本におけるロンメル将軍」のような描きかたをしています。
つまり個人的にはリベラルな思想の持ち主だが「軍人としての義務を果たすこと」を優先し
「祖国の捨て石」となって死んだ英雄として描かれています。
そしてそれは日本でも米国でもドイツでもソ連でも職業軍人に共通する価値観であるのは間違いありません。
しかし本書はそれよりもさらに一歩歴史に踏み込んで論じています(あとで具体的に述べます)。

脇を固める一人が「バロン西」こと西竹一(1902-1945)です。
1932年のLAオリンピックの馬術で「ウラヌス」に騎乗し優勝しました。

さて以上のように『数学セミナー』と『硫黄島からの手紙』を主体として硫黄島に関する知識を成していた私ですが本書を読んで実は知らなかったことが多々あり初めて知る事実に驚かされました。

①硫黄列島
‥そもそも硫黄島とは北硫黄島・中硫黄島・南硫黄島の3島から成る硫黄列島であり
通常「硫黄島」と呼んでいるのは中硫黄島のことです。
東京都小笠原村に属しています。
現在は自衛隊の基地がありますが民間人(もと島民)は墳墓の地になんぴとたりとも戻ることができていません。

②「いおうとう」
‥2007年以降「いおうとう」が正式な呼称となりました。
「いおうじま」と発音しますと鹿児島県にある三島村の真ん中の島硫黄島(いおうじま)を指します。
「鹿ヶ谷の山荘」で
平清盛(1118-1181)打倒の謀議をした
俊寛僧都が流された島「鬼界ヶ島」の候補の一つです。
一方米軍は歴史的に
"Iwo-Jima Island" と呼んできたのでIwo-Jima" の方が通りがよいようです。
(富士山を「マウント・フジヤマ」と呼ぶが如しです)
本や映画やドキュメンタリーの題名として使われたこともあり特に戦闘に参加した元兵士やその家族・遺族にとっては Iwo-Jima なのでしょう。
なお『硫黄島からの手紙』が作られた2006年はまだ「いおうじま」と呼称しておりましたので
映画の中では「いおうじま」の栗林中将麾下の小笠原兵団の兵隊さんたちにラジオで子どもたちの激励の歌が届けられるシーンがあります。
「いおうじま」と呼んでいます。
最後の切り込みの直前くらいです。

③戦前・戦中の硫黄島
‥米軍が侵攻して来るまで硫黄島には住民が住んでいました。
「硫黄島拓殖製糖会社」がサトウキビ・コカ・レモングラスなどのプランテーションをやっており
その小作人に人たちが住んでいました。
中でもコカが主力生産物でした。
コカはコカインの原料です。

コカインは19世紀末ごろ局所麻酔として使われ始めました。
ウィーン総合病院のカール・コラーという眼科医が1884年9月11日コカインによる局所麻酔だけで白内障の手術を成功させたのは有名です。
カール・コラーにコカインを勧めたのは若き日のフロイト(1856-1939)でした。
コカインを医療に用いることで一攫千金を夢見ていました。
と言うのもフロイトは婚約していましたが貧乏を理由に結婚を許してもらえなかったからです。
薬局から大量のコカインを買い求めモルヒネ中毒の友人にすすめたところモルヒネ中毒の治療には一定程度奏功しましたが友人はコカイン中毒になり死んでしまいました。
カール・コラーに先を越されたフロイトはコカイン療法をあきらめ
精神分析に転じて後に大成功します。
春秋の筆法をもってすればコカインが精神分析を作ったことになります。

もっともその後リドカインやプロカインのようなすぐれた局所麻酔薬が開発され現在に至るまで使われています。
逆にコカインが局所麻酔に使われることはほとんどなくなり現在、日本では「麻薬及び向精神薬取締法」で「麻薬」に指定され、取り締まられています。
本書によりますと硫黄島のコカの生産量は台湾全体のコカに生産量に匹敵しその面積の差を考慮すると硫黄島のコカの生産量が飛び抜けて多かったことがわかります。
コカの葉は5つの製薬会社が買い上げ精製してコカインとなりインドの闇市場で売られたり
1940年代にはナチス・ドイツに輸出されました。
詳細は本書 pp.24-25をお読みいただけると幸いです。

いずれにせよ戦前・戦中の硫黄島におけるプランテーションはきわめて特異的で会社が警察組織を肩代わりしていたり島内でのみ流通する独自金券があったりしたようです。
小作人たちは朝だけお米を食べて昼・夜はサツマイモやトビウオ・サメの干物などを食べていました。

でも総体として「暮らしはいい所だった」と回想しています。

なにしろ本土(内地)に比べると暖かい(暑い)し毒蛇もいなくて快適だったと言えます。
こうした戦前・戦中の硫黄島の生活はまさに初めて知る話であり
たいへん具体的に生き生きと記述されています。

④強制疎開
‥映画『硫黄島からの手紙』では硫黄島の住民の子どもの姿を見た
栗林忠道が我が子の姿とダブらせ人道主義的観点から硫黄島の住民を「本土に戻すことにしましょう」と決断するシーンがあります。
本書によりますとこの時点で島民の方々には50年以上の生活の歴史がありましたので
「本土に戻す」という映画上の表現は正しくなくて実態としては国家による
「強制疎開」であり戦後に至るまで長い間強制疎開された島民の方々は事実上の「難民」としてたいへんな苦労をし辛酸を嘗めたことが記載されています。
硫黄島版「ディアスポラ」と申せましょう。
一家心中・自殺が少なくなかったそうです。
戦中・戦後の東京都などの行政の不作為・怠慢・非情が記述されています。

⑤軍務徴用
‥上述のように、島民の生活を奪う
「強制疎開」がありましたが
逆に
16歳から59歳の健康な男性は
強制疎開から除外されて
軍務に徴用されました。
103人の島民が
海軍二〇四設営隊や
陸軍硫黄島臨時野戦貨物廠の
軍属として地上戦に動員されました。
本書によりますと
このうち米軍の捕虜となり
地上戦後も生き残った人は
わずか10人でした。
硫黄島民の戦没者数については
93名とする資料と
82名とする資料が存在します。
その齟齬について本書では
硫黄島産業株式会社による
「偽徴用」の問題があり
その数をカウントするかしないかで
生じたようです。詳細は
本書 pp.113-115で
ご確認いただけますと幸いです。

⑥地上戦と住民
‥私たちは
沖縄において多数の住民を巻き込んだ
大規模な地上戦が行われたことを
よく知っています。例えば
「ひめゆり部隊」の話は
映画化されるなどして有名です。
本書を読みまして
硫黄島におきましても
規模は違うかもしれませんが
住民を巻き込んだ地上戦が展開されていた
ことを初めて知りました。
言い換えますと
軍属として動員された島民を含む
地上戦が展開されていたことになります。
不勉強にして私は
これまでこのことを意識したことが
ありませんでした。
本書においてはさらに思考を進め
例えば
・多数の住民を死に至らしめたマニラにおける日米市街戦
・ほぼすべての島民を巻き込んで行われたグアム島の戦闘などに言及されています。
私はサイパン島のスーイサイドクリフやバンザイクリフに思いをいたすと同時にアジア太平洋の全域にわたって「地上戦」と現地の住民の人たちの関係を考え直すきっかけとして硫黄島の地上戦における島民の存在と経験を意識する必要があると思いました。

⑦もしもクリント・イーストウッド監督が
本書を読んでいたならば‥『硫黄島からの手紙』はまた違った内容になっていたかもしれません。
おそらくいっそう深化した作品になっていたことでしょう。
もちろん時間をさかのぼるのことは不可能ですからそれはありえないことです。
従来のステレオタイプの戦争映画と比較いたしますと『硫黄島からの手紙』は pretty good でしたが本書を読むと better → best に向かってまだまだ多くの「歴史的視点」が存在することを理解できました。
やはり映画という媒体と一般向けとはいえ研究書という媒体では深化の度合いが違うのかもしれません。
いずれにせよ圧倒的に多くの方々にとって本書は「目から鱗が落ちる」内容であると考えております。

歴史に興味がある方
映画に興味がある方
映画『硫黄島からの手紙』を見た方ランチェスターの2次法則に関心がある方に本書をお勧めしたいと思います。


映画「黒い司法 」 0%からの奇跡

2020年02月20日 20時48分31秒 | 社会・文化・政治・経済

2020年2月17日更新

そこでは“黒人であること”が罪になる――この事実と戦い続ける男がいる
“無実の死刑囚”と“立証不可能な裁判に挑む弁護士”が起こす奇跡の実話
この英雄を知ることは── あなたの人生を、180度変える!

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“黒人であること自体が、罪になる”。2月28日に公開を迎える映画「黒い司法 0%からの奇跡」は、そんな“いともたやすく差別が行われた信じがたい事実”を題材としている。

物語の主役は、有力な証拠もないのに死刑囚にされた黒人と、彼を救うため戦い続けた黒人弁護士。怒りすら覚えるような冤罪事件が背景にあるが、物語には重苦しい絶望を振り払う逆転劇が備わっており、見るや爽快な希望の灯が胸にともる。これは“0%”を覆した不撓不屈の男たちによる、奇跡の実話である。


【予告編】ただ、慈悲を―― 心揺さぶる奇跡の実話

 

1988年のアラバマ州 ある黒人男性が正当な理由なく“死刑囚”に
仕立て上げられる… 繰り返す、これは“現在へ続く実話”である

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近年、“黒人の不当逮捕”を描く作品が多く製作されている。例えば映画「ストレイト・アウタ・コンプトン」「ビールストリートの恋人たち」や、Netflixドラマ「ボクらを見る目」がそうだ。世界的に広く問題視されるこのモチーフは、現代社会を語るうえで避けては通れない。

本作は、まさにそんな“黒人の不当逮捕”から始まる。林業に従事する黒人ウォルターは検問で止められ、保安官との世間話の後、全く身に覚えがない“18歳の少女を惨殺した罪”で逮捕される。そして、まるでベルトコンベアに乗せられたように、いとも簡単に死刑囚に仕立て上げられてしまうのだ。

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逮捕に確たる証拠はまるで存在せず、警察が語った根拠は、要約してみれば「こいつが黒人だから怪しい」というものだった。以下は、本作で描かれる“事実”の一部である。

・黒人である それだけで警官から要注意の対象に・証拠の捏造は当たり前 そもそも逮捕に証拠は不要・目撃情報の捏造も朝メシ前 嘘の証言を強要される場合も・証言を断ると凶悪犯と同じ刑務所に送られ、死刑をちらつかせられる・現在もアメリカでは、冤罪の可能性のある死刑囚の10人に1人しか釈放されていない

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横暴を通り越し、鬼畜の所業とさえ思える非道ぶり。そして「現在も冤罪の可能性のある死刑囚の10人に1人しか釈放されていない」という文言は、この事件は“過去のもの”ではなく、負の遺産は現在にも脈々と受け継がれている、という事実を端的に示す。

観客はウォルターに感情移入し、怒りに打ち震えながら拳を握りしめるはずだ。裁判で無罪を勝ち取ることは、国選弁護人には不可能、0%だ。どうか神様、助けてほしい――。そんな願いは“ある英雄”の登場によって叶えられ、物語は筆舌に尽くしがたい高揚感がみなぎる“大逆転劇”へと発展していく。

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主人公は、マイケル・B・ジョーダン扮する“実在の英雄”
利益はない ただ過酷 それでも、死刑囚を救うため奔走する理由とは――

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英雄の名は、ブライアン・スティーブンソン。実在する黒人弁護士で、現在も冤罪の死刑囚を救うため東奔西走している。ここでは、彼がいかに優れた人物であるか、そして彼の物語をいかに優れたキャスト・スタッフ陣が紡いだのかを紹介していこう。


・冤罪の死刑囚のため立ち上がる、実在の弁護士B・スティーブンソン

ハーバード・ロースクール出身のブライアンは、金儲けには脇目も振らず、冤罪と思われる死刑囚たちの元へ足繁く通った。やがて彼は、基本的人権の保障に取り組む非営利団体“EJI”を立ち上げ、数多くの“無実の死刑囚”を救うようになる。その過程で、ウォルターと出会った。

利益はまるでない。警察からの妨害工作も苛烈で、命の危険を感じることもある。それでもブライアンが、ウォルターのために著しく不利な裁判に挑み続ける理由は、果たして何なのか?

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その答えはぜひとも本編から確かめてもらいたい(作品のテーマがまるごと凝縮されているからだ)。が、ブライアン本人が語る信念を、ヒントとしてここに記しておく。

「人はみな、失敗するものであり、誰もが神の愛や贖罪を必要としている。(中略)慈悲というのは、そういうことを理解することから生まれる。(中略)慈悲というのは、それを当然もらうべき人々に与えるのではなく、もらう資格がないような人々にも与えるものだという概念を伝えたかった。公正であることこそが慈悲なんだ」

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・主演は今最も注目のスター

ブライアンに扮したのは、「ブラックパンサー」「クリード チャンプを継ぐ男」などのマイケル・B・ジョーダン。彼が体現したブライアンを見ていると、15世紀の宗教家トマス・ア・ケンピスの言葉が思い浮かぶ。

「愛は何をもいとわない。どんな困難もものともせず、己の力以上のことに挑み、決して諦めることをしない。この世の全ては当たり前であり、不可能はないと、信じているから」

どんなときも希望を捨てず、あくまでも正攻法で苦境を打破しようとするブライアンを、“内なる闘志”をにじませながら誠実に演じている。

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・共演にはJ・フォックス、B・ラーソンら超実力派 監督は“挑み続ける俊英”

無実の死刑囚・ウォルター役には、類まれな存在感で作品に重厚感と意外性をもたらすジェイミー・フォックス。今回のフォックス、注目はその表情だ。顔の筋肉をミリ単位の精度で操ることで、言葉を発さずとも心情の機微を伝えている。

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そして「ルーム」「キャプテン・マーベル」などの好演が記憶に新しいブリー・ラーソンが、ブライアンの同僚エバ役に。“ともに立ち上がり、支えた最初の白人”であり、物語における“黒人と白人の境界”をつなぐ重要人物である。余談だが、アメコミファンは「キルモンガー(ジョーダン)とキャプテン・マーベル(ラーソン)が死刑囚を助けている!」という楽しみ方もできる。

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メガホンをとったのは、デスティン・ダニエル・クレットン監督。常に“負の構造”のなかに生きる個人を描き続け、世界的な評価を獲得してきた俊英だ。ちなみにラーソンとは、彼女の出世作「ショート・ターム」「ガラスの城の約束」に続く3度目のタッグとなっている。


【感謝】この映画体験に「ありがとう」と言いたい――!
逆転の高揚感、真心への感動…鑑賞料1900円以上の価値

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見ればどんな感情が得られるのか? ここでは映画.com編集部員によるレビューを綴っていく。

映画評論家・荻昌弘氏(故人)は、かつて「ロッキー」を語る上で、こんな大名言を放っている。「これは人生、するか、しないかというその分かれ道で、『する』のほうを選んだ勇気ある人々の物語です」。本作もまた、「する」を選んだ人々の苦闘と逆転の物語である。

ブライアンらを襲う逆境はとことん過酷で、警察や検察の腐敗ぶりには、見ていて怒りで腸が煮えくり返る。しかし絶望が濃いほど、希望は輝きを増す。ブライアンの熱意は周囲の“無慈悲な人々”を突き動かし、困難は次々と打ち破られ、最後には立ち上がって拍手したくなるような爽快なシークエンスが映し出される。

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見る間中、「こんな思いにさせてくれて、ありがとう」という感謝が、心からどっとあふれ出てきた。鑑賞料1900円は開始20分くらいで回収することができ、その後は人生を180度変えてくれるような、とびっきりの時間を堪能することができるのだ。

本作にノックアウトされた者は、もちろん世界中にいる。辛口で知られる映画批評サイト「Rotten tomatoes」では99%ポップコーン(観客の99%が高評価/1月10日時点)という異次元の数字を叩き出し、さらにバラク・オバマ前大統領は「2019年のベスト映画リスト」に選出した。多様性における重大なパラダイムシフトを経験する現代の私たちが、絶対に見逃してはならない一作である。

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解説

冤罪の死刑囚たちのために奮闘する弁護士ブライアン・スティーブンソンの実話を、「クリード チャンプを継ぐ男」「ブラックパンサー」のマイケル・B・ジョーダン主演で映画化したヒューマンドラマ。黒人への差別が根強い1980年代の米アラバマ州。犯してもいない罪で死刑宣告された黒人の被告人ウォルターを助けるため、新人弁護士のブライアンが立ち上がるが、仕組まれた証言や白人の陪審員たち、証人や弁護士たちへの脅迫など、数々の困難に直面する。監督は「ショート・ターム」「ガラスの城の約束」のデスティン・ダニエル・クレットン。主人公の弁護士ブライアンをジョーダンが演じるほか、ブライアンが救おうとする被告人ウォルター役をオスカー俳優のジェイミー・フォックス、ブライアンとともに法律事務所で働くエバ役を、クレットン監督とは3度目のタッグとなるブリー・ラーソンが担当した。

2020年製作/137分/G/アメリカ
原題:Just Mercy
配給:ワーナー・ブラザース映画

特集


ソクラテスの弁明

2020年02月20日 19時54分16秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

プラトン (著), 久保 勉 (翻訳)

内容(「BOOK」データベースより)

自己の所信を力強く表明する法廷のソクラテスを描いた「ソクラテスの弁明」、不正な死刑の宣告を受けた後、国法を守って平静に死を迎えようとするソクラテスと、脱獄を勧める老友クリトンとの対話よりなる「クリトン」。ともにプラトン(前427‐347年)初期の作であるが、芸術的にも完璧に近い筆致をもって師ソクラテスの偉大な姿を我々に伝えている。

 

ソクラテスは、公式には、次のような理由で、アテネの政府から、死刑を言い渡されたことになっている。
弟子プラトンは病気で、師の最後に立ちあえなかった。
臨終に居合わせた弟子のバイドンが、その様子をエケラテスという者に語った。
プラトンはエケクラテスから又聞きし、文章につづった。
それによると、ソクラテス弟子たち10人ほどが獄舎にかけつけた。
牢では刑務委員がソクラテスの足枷を外し、今日が刑の執行日である、と告げていた。
委員の他にアテナイ人が何人か見守っていた。
委員は牢内に入ってよいと許可してくれた。
そこにはソクラテスと、子を抱いた妻のクサンチッペがいた。

クランチッペが泣きながら、夫に言った。
「この人たちとあなたが話しあうのも、今日が最後なのですね」
「だれか妻を家に連れていってくれないか」ソクラテスが頼んだ。
ソクラテスの竹馬の友で親友のクリトンが、召使いに命じて妻を送らせた。
クエアンチッぺは一日中、夫をどなりつけている。
悪妻として弟子たちの間で有名だった。
ソクラテスには著書がない。
教えは全て弟子たちが記憶を文章にした。

弟子「ソクラテスは、国家の認める神々を信奉せず、かつまた新しい神格を輸入して罪科を犯している。また青年を腐敗せしめ罪科を犯している。」
 ところが、クセノフォンの「ソクラテスの思い出」によると、実際は次のよう理由らしい。すなわち、市井で若者たちをつかまえては議論をふっかけるソクラテスには、沢山の弟子がいた。ソクラテスは、いかなる意味でも、国家転覆を説いた訳ではない。むしろ、自制と節制と勇気を説いたのである。
 そのような多数の弟子の中に、クリティアスとアルキビアテスがいた。クリティアスとアルキビアテスは、ソクラテスとともにあるときは、師匠の教えを守り、節度ある暮らしをしていた。
そんなとき、クリティアスは、エウチュデモスという美貌の青年を誘惑した。その様が、あまりに下品だったので、ソクラテスは、クリティアスを非難した。
ソクラテスは、歯に衣を着せないタイプだったので、クリティアスは豚が石に顔を擦るように、エウチュデモスにすりよる、という言い方をした。これが大層、クリティアスを怒らせてしまった。
 ところが、ソクラテスにとって運が悪いことに、クリティアスは、カリクレスとともに、三十執政の一人となって、実権を握った。
そうして、ソクラテスに対して復讐の念に燃え、法律の中に、「言葉の技術を教うるを禁ず。」という一項を入れた。
これはあまりに曖昧な構成要件で、いかなる学者にも適用可能なものである。
 実際、この条項を適用して、カリクレスたちは、人品卑しからぬ多くのアテナイ市民を死刑にした。
そこで、ソクラテスは沈黙を保てばいいものを、「牛飼いが、自分が牛の頭数を減少させて、その質を低下させたとして、それで下手な牛飼いであると認めないとしたら奇妙な話であるが、もし国家の指導者が、自国の臣民の数を減少させて、それを恥ともなんとも思わず、自分が低劣な指導者であると認めないとしたら、いよいよ奇妙な話である。」と言ってしまったものだから、三十執政に喧嘩を売ることになってしまった。
 果たして、ソクラテスは、三十執政に呼び出されて、尋問を受ける。
そこでいろいろとやりとりがあったが、もうソクラテス死刑の結論は出ていたというべきである。
 このあたりの背景説明は、プラトンの「ソクラテスの弁明」にあっただろうか。
ここまで詳しく説明がなかったような気がしたので、クセノフォンから補足してみた。
そうして、プラトンの「パイドン」にあるように、ソクラテスは逃亡のチャンスもあったのだが、毒人参の杯をあおって、従容と死の途についた。
 現代において、ソクラテスのように毒舌を弄する者は多数いる。
、アテネでも、ソクラテスを「うざいおっさん」だと思うものは多数いただろう。しかし、彼のように勇気を出して批判することは実に難しく、こうして、後世に至るまで偉大な哲学者として、記憶されることになった。

 

口語体の本でしたので、声に出して読んでみました。
ソクラテスがアテナイ人に話しかけるように、問いかけるように。
いくつか気付いたことがあります。

・問いかける技術・説得する技術がすごい
哲学はかじってもいないので、この文章の内包するありがたい内容はわからないのですが、
ソクラテスの問いかけ方など秀逸だなぁ~と思いました。
あるいはこのような討論技術がこの時代に確立していたことに驚きです。
やはり古きに学べはあてはまりますよね。

・善きことをした結果
ソクラテスがすごいというのは以前から耳にしていたのですが、どうすごいか知りませんでした。
この本を読んでもそのすごさは判らなかったのですが、正しさを追求していくことのすごさ?は
感じました。でも、知らないことを知っているが故に賢い、という理屈は分からなくはないのですが
それって、社会が発展していく上でどう必要なの?と思いました。

まぁでも、身近にこんなに正しさを追及する人がいたらすごい嫌になるのはわからなくはない。
後、ソクラテスが話した政治家や芸術家との論争を全部記録して欲しかったなと思います。

 

確かにこの世に生を受けることができたのは国の制度のおかげであることは分かります。そこから教育を受けることができたことも成長できたことも国のおかげだと思います。ただだからと言って国の全てが正しくそれに従わなければならないというのは納得できません。ソクラテスが祖国を愛していたのは、それは個人の自由だと思います。愛していればこそ祖国の法に従った。けれど愛する国だからこそ完璧なのでしょうか?いつも正しいのでしょうか?もしそうであればその国はなぜ戦争をするのでしょうか?国の法や判断に全て従うというのは国が完璧であるという前提に基づいているように思いました。個人的には国は完璧ではないと思います。一個人によって変わってしまうようならそんな国はすぐにでも滅んでしまうという文もありました。現実一個人の働きによって国は変わり、滅んだケースもあると思います。従ってそうした不完全な国の判断に全て従わなければならないというのは納得できません。国が判断したのだから戦争も正しいと?絶対に受け入れてはいけない考えではないでしょうか?戦争を正当化することはできないでしょう。あるいは不完全だとしても国の庇護を受けて生を受けることができただからやはり国に従うべきだという理屈でしょうか?不完全ということは国もまた間違いを犯すこともあるということになると思います。やはり国の判断に納得できなければそれを主張し、貫いてもいいと思います。ソクラテスは納得したから死を受け入れたわけですが…少なくとも私は彼の意見には納得できないと思いました。

 

本書は、プラトンの有名な著書「ソクラテスの弁明」、「クリトン」と、同じくソクラテスの弟子であるクセノポンが描く「ソクラテスの弁明」を参考資料として掲載。3作品とも、それぞれの全訳・訳注・解題の構成でできている。

クセノポンの作品を掲載することで、「プラトンとは別の視点からもソクラテスを眺めることができるようになり、いわば立体的で人間的なソクラテス像が見えてくる」という訳者の意図による。

プラトンの「ソクラテスの弁明」は、「若者を堕落させ、また国家が崇めるところの神を崇めずに別の新奇な神格を崇めることによって不正を犯している」として訴えられたソクラテスが、法廷で行なう弁明を記録する形になっている。

起訴内容に対する本人からの反論の後、有罪か無罪かを決める一回目の投票が行われ、僅差で有罪となり、次に量刑のための二回目の投票が行われ死刑が確定するという流れ。裁判の過程で行われる被告人弁論が「ソクラテスの弁明」であり、その中に有名な「無知の知」などのエピソードが記されている。

「クリトン」は、脱獄を進めるために面会に来た友人クリトンとソクラテスとの、牢獄の中での会話を描く。しようと思えばできる脱獄をせず刑に服するソクラテスの思考・心情を描く。

ソクラテスは弁明の冒頭で、「空中の事柄に思索を巡らす者であるとともに地下の事柄全般を探求しつくし、さらには劣った議論を優勢にする者」と噂されていることで「神々を崇めもしない」とみなされる空気が市民の間にできていることは、この裁判の真の告発者であるアニュトス一派以上に恐ろしい、と語る。

相手が空気では裁判の場に引き出すことも反駁することもできず、「止むを得ずだれも答える者のいない状態で、ひたすら影と戦うようにして弁明しなければならない」からだという。(古代ギリシャの時代でも『「空気」の研究』(山本七平、文春文庫)の中で語られる裁判と同じことがあるのだと、妙なところで感心)

「空中の事柄 ・・・・・ 地下の事柄全般を探求する」とは、ミレトスのタレスに始まる自然哲学のことを指す。自然哲学をする者は、一般的に無神論者とみなされており、ギリシャ神話の世界である当時のアテナイでは異端とみられた。

また「劣った議論を優勢にする者」とは、事柄の真偽・善悪よりも議論に勝つことだけを目的とする弁論術を操るソフィストを指し、その危険性が懸念されていた。

真の告発者であるアニュトスは、ペロポネソス戦争敗戦後、恐怖政治でアテネを支配する独裁政権(三十人革命委員)を倒した民主派の有力者である。

アテネを裏切り敗戦の一因を作ったアルキビアデスや、独裁政権の中心人物であったクリティアスなどが弟子であったことから、危険人物を教育する反民主派の黒幕としてソクラテスのことを見る向きもあったようであり、さらに無神論者やソフィストと見られる空気もある中での弁明、という背景を知って読むと、哲学書には全く縁のない自分でも読み通せる。

本書については、「ギリシア人の物語 2 民主制の成熟と崩壊」(塩野七生著、新潮社)を読む中で登場する人間としてのソクラテスに興味を持ち手に取った次第。

「ソクラテスの弁明」の全訳は85頁、「クリトン」の全訳は39頁と分量は少ない。平易な言葉で記載されており、難しい哲学書というイメージではなく、裁判における被告側の口頭陳述という感じである。「英雄伝 2」(プルタルコス著、京都大学学術出版社)の「アルキビアデス」にもソクラテスが登場するので、合わせてお薦めする。

 

形式性を重んずる態度は倫理的であり、普遍性を要求するものだ。それは、恣意的である感情を超越するものであり、一方、突き進めば、観念論に通じ、空理空論や神秘主義へと至る。
ソクラテスの最後は生・性と対立する点で、民衆からの感情的な反発を得るだろう、それは今日の人々からをも反発を招くと思われる。それは、クリトン篇において、ソクラテスよりもクリトンに共感することからも明らかだろう。
ここで、ベンサム以降の現世的功利主義と鋭く対立する。その実感的な差異を考究することが、現在の倫理・政治・経済・社会・法において、重要であるようにおもう。

 

 

 


スウェーデン専門家「WHOが新型コロナウイルスの感染力を過小評価」

2020年02月20日 15時13分13秒 | 医科・歯科・介護
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スウェーデンの研究者は、世界保健機関(WHO)が新型コロナウイルス(COVID-19)の感染力を過小評価していると指摘した。

WHOは、新型コロナウイルスによる肺炎の基本再生産数R0(1人の患者が何人に感染させるかを示す数値)について、1.4~2.5人と推測している。

これに対して、スウェーデンのウメオ大学(Umeå University)のヨアキム・ロックロフ(Joacim Rocklöv)教授らは、最近発表された新型コロナウイルスに関する研究報告書12本を精査したところ、同ウイルスのR0平均値は3.28人で、中間値が2.79人と算出した。WHOの数値より高い。

同教授は2月17日、米科学ニュースサイト「Sci-news.com」の取材に対して、「研究は、現在新型コロナウイルスの感染がなぜこれほど深刻なのかと説明できた」と述べた。

ロックロフ教授と同僚の研究者が共同執筆した論文は2月14日、英オックスフォード大学出版局の「ジャーナル・オブ・トラベル・メディスン(Journal of Travel Medicine)」に掲載された。

12本の研究論文の大半は中国および湖北省武漢市の専門家や医師による研究で、残りの一部が海外研究者の研究調査だという。

ロックロフ教授によると、12本の研究論文の中に感染拡大の初期に行われた研究がある。初期の研究から得た新型肺炎のR0数値は低かった。時間の推移に連れ、R0数値が2人から3人までの間に上昇した。「R0数値が6.47人や6.49人と示す論文もある」と述べた。

教授は、新型コロナウイルスの感染力はSARS(重症急性呼吸器症候群)より強いと指摘した。

(翻訳編集・張哲)

 


神戸大教授がクルーズ船内の感染対策を動画で批判

2020年02月20日 15時06分43秒 | 医科・歯科・介護

危険の区分「不十分」

<time class="post_time" datetime="2020-02-19T16:56">2020.2.19 </time>
 
新型肺炎の集団感染が起こっているクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」に乗船した神戸大医学部の岩田健太郎教授(感染症内科)が、船内の感染対策が不十分だと動画投稿サイト「ユーチューブ」で問題提起し、反響を呼んでいる。
この中で岩田氏は、船内では安全なゾーンと危険なゾーンの区分ができていないと指摘。
「感染がどんどん起きていても、それに全く気付かなければ対応すらできない」などと厳しく批判した。
岩田氏は災害派遣医療チームの一員として乗船したという。動画は18日に投稿され、19日午後4時の時点で約77万回再生されている。

日本で隔離のクルーズ船、ウイルスを培養したようなもの

2020年02月20日 15時04分02秒 | 社会・文化・政治・経済

乗客らを一律にクルーズ船内に隔離することには意味がない。

19 Feb 2020

【東京】異例にも2週間にわたりクルーズ船を隔離する日本の試みは19日、終了する。これを受け、多くの科学者が実験は失敗だったと指摘している。

船は、中国発の新型ウイルスの蔓延を食い止める隔離施設となるどころか、逆に培養したようなものだ、というのだ。

中国中央部で昨年末に確認されたこのウイルスには、以来数万人が感染し、死者は1,800人を超えている。

18日現在で、隔離状態の乗客乗員3,711名のうち542人が、COVID-19と名づけられたこの新型ウイルスに感染していることが確認されている。

これは中国以外では感染者数の最も多い場所となる。また、クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号は、ウイルスが中国外にスムーズに拡散した唯一の事例と保健当局にみられている。

そこで疑問が生じる。なぜそんなことが起きたのか。

隔離には意味があったと日本政府は繰り返し抗弁している。が、専門家の中には緻密な対応とはとうてい言えないのでは、とする者もいる。

検疫の手続きに抜かりがあった可能性もある。これは、船内の検査に立ち会った日本の保健当局者も3人感染しているからだ。

「病気の蔓延がよりスムーズである環境もときにはある」と、WHO(世界保健機関)で健康危機対応プログラムを統括するマイケル・ライアン博士は語る。特にクルーズ船は、ときとして蔓延が加速化する場所として知られている、とも博士は語る。

「船の上で起こった不幸な出来事だ。われわれとしては、乗客らを引き取っている日本当局および政府が適切な治療を引き続きおこなえるものと信じている」

18日、日本の加藤勝信厚生労働大臣は会見で次のように語った。船内に残された乗客全員の検体採取は済んでおり、ウイルス検査が陰性となった者について、14日間の検疫期間が予定どおり終了する19日から下船が開始される。

「みなさんができるだけ早い帰宅を望んでいることから、われわれとしても全員のスムーズな帰宅を支援していきたい」と加藤氏は語った。

関わる人数が多いため、下船が完了するのは21日までかかる見通し。

キングス・カレッジ・ロンドンで疫病流行について研究するナタリー・マクダーモット博士は語る。「検疫が機能しなかったのは明白で、いまやこの船自体が感染源となっている」

ウイルス拡散の正確な機序は不明、と博士はする。専門家の間では、せきやくしゃみといった飛沫感染によって拡散するものとみられているが、感染経路にはなお別のルートもある可能性はある。

博士は語る。「船内の検疫措置はどう実施されたのか、空気濾過はどのようなものだったか、船室間の接続はどうだったか、廃棄物はどう処分されたか、これらは把握しておきたい」

「まだ知られていない感染パターンも考えられる」とする博士は、環境へのウイルス拡散の可能性を指摘。さらに、ウイルス汚染された器物表面との接触を断つため全船を「徹底清掃」することが重要だとしている。

今回の新型ウイルスとも関連のあるSARSが2002年から03年にかけて集団発生した際には、香港の集合住宅の下水施設不備から300人以上が感染している。ダイヤモンド・プリンセス号でも同様の問題があった可能性があるとマクダーモット博士は指摘する。

「検疫が適切なら機能しないはずがない」と博士。

クルーズ船にはノロウイルスの集団発生のような事例が起きることもしばしばだ。船内のような密集空間、また免疫系の弱っている老齢の乗客の間ではこうしたウイルスは急速に拡散する。が、博士によると、船全体を隔離状態に置くといった事例はきわめてまれだろう、とのことだ。

「感染者を48時間無症状が確認されるまで個室隔離するといったことはありうる。が、全乗客となると話は別だ」と博士。

ダイヤモンド・プリンセス号の乗客の中には同船を「海上監獄」と称した者もいる。が、マスクをつけながらデッキを散歩することは毎日許可されていたし、他者と距離を置くようにも指示されていた。

「考えられているほど乗客同士は隔離されていなかったのでは、と思っている」と、英イースト・アングリア大学の内科学教授ポール・ハンター博士は語る。ウイルス拡散が続く原因はコンプライアンスに問題があるからでは、と同博士は指摘する。

「船内環境で検疫を実施するのは困難だ。また、絶対に、行動の制約を受けたくないなどと言い出す者が乗客の中から現れたに決まっている」と博士は語る。乗客の検疫が陸上でおこなわれていれば、スペースにゆとりがあるため感染対策もうまくいったかもしれない、ともする。が、いずれにしろ3,700人も隔離するとなれば実行には多大の困難をともなうことも認めている。

隔離してもウイルスの蔓延を食い止められなかったことは「たいへん残念」と博士は言う。また、帰国する乗客の中には母国へ戻れば今度は二度目の隔離期間に入る者もおり、同情を禁じえない、とも語る。

博士は言う。「ウイルスの蔓延が続いたことから、下船者は全員が潜在的な感染者と想定する必要がある。であるならさらに2週間隔離するのもやむなしだ。先の不安を考えるなら、それ以外に手はない」

AP


「正しく恐れる」寺田寅彦の言葉

2020年02月20日 14時38分19秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

科学と科学者のはなし―寺田寅彦エッセイ集 

寺田 寅彦 (著), 池内 了 (編さん)

「ものをこわがな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこだわることはなかなかむつかしい」

心の窓はいつでもできるだけ数をたくさんに、
そうしてできるだけ広く開けておきたいものだ。

けがを怖れる人は大工にはなれない。
失敗をこわがる人は科学者にはなれない。
科学もやはり頭の悪い命知らずの
死骸の山の上に築かれた殿堂であり、
血の川のほとりに咲いた花園である。

疑うがゆえに知り、知るがゆえに疑う。

興味があるからやるというよりは、
やるから興味ができる場合がどうも多いようである。

最後の一歩というのが
実はそれまでの千万歩より
幾層倍むつかしいという場合が
何事によらずしばしばある。

科学者になるには自然を恋人としなければならない。
自然はやはりその恋人にのみ真心を打ち明けるものである。

自然現象の不思議には、
自分自身の眼で驚異しなければならぬ。

 


偶然性の問題

2020年02月20日 14時26分05秒 | 社会・文化・政治・経済

偶然性の問題

九鬼 周造 (著)

全ての物事は、ほんのささいなことが積み重なって、その複雑な方程式の上に成り立っている。

言い方を換えるとあらゆる物事は偶然の産物だということだ。

内容紹介

あらゆる事象はゆくりないめぐり逢いであり、その邂逅の源泉に原始偶然が厳存する――。

古今東西にわたる驚嘆すべき文献的研究と実質的具体的な現実観察に拠り、偶然性を定言的偶然、仮説的偶然、離接的偶然の三つに大別してユニークな形而上学的思索を展開し、偶然性の本質を解明した九鬼周造(1888―1941)の主著。(注解・解説=小浜善信)

 

この本には偶然と必然について九鬼独自の答えが書かれています。私達の人生において滅多に起きないような出来事が現実に起こる。これは偶然なのか必然なのか。統計的に確率論からみて誤差は偶然か?必然か?  
 九鬼によれば偶然性とは必然性の否定である。必然的なものの中にはアリストテレスやスピノザでいう不変なる同一的なものが出現していて永遠である。
 
 必然という規定を細分すると、1)概念性 2)理由性 3)全体性の認識から3つに分けることができるように、同様に偶然性を1)定言的偶然 2)仮説的偶然 3)離接的偶然から分け、区別することができるそうだ。久鬼による本書は類似の解説や比較的難しい構成があるため、印象に残った部分をレビューでは取り上げることにした。
 
 第二章八 目的なき目的 目的は積極的偶然にあって「目的なき目的」が強い影響を現している。ベルグソンは善霊と悪霊が働いているような気にさせることから、善霊と悪霊と呼んだ。九鬼は例として無敵艦隊山田艦長と巡洋艇五十鈴が写っている写真から、山田と五十鈴が結合し映画女優山田五十鈴と同名な存在が現れたのだが、これは人々に強いインパクトを与えた。

何が必然的なもののように感じられるのか、実は「目的なき目的」の強調の結果、偶然は偶然でないような相を呈し、自己否定の志向的構造を取るようになる。武者小路実篤の「その妹」と言う小説にも「あの日あなたの処へ行ったのは偶然とは思えない気がします」という文章があるが、「目的なき-目的」の後者の強調のあまり目的なきが影響力を失った例である。
 
 第三章九 偶然性の時間性格 簡単に表記してしまうと時間の過去から未来までの流れと、過去に必然性、現在に偶然性、未来に可能性があると考えている。ヘーゲルも偶然とは現実が同時に単に可能として規定されているものであると述べている。
 
 第三章十二 偶然と運命 偶然が人間の実存性にとって核心的全人格的意味を持つとき偶然は運命と呼ばれるのである。ここに「必然-偶然者」の構造がある。国木田独歩の小説にもあるように運命と偶然は同一のものであることが前提となる。これはヘラクレイトスやショーペンハウエル、カントなどによってもすでに証明されている。
 
 第三章十三 形而上的絶対者 あまり長すぎないよう自重して(笑)簡潔に記すと偶然性と必然性がクロスし、その交点が運命の通る道である。偶然は無に近い存在であり、当てにならない。現実が無に直面し現実を危うくするとき我々は「何故?」の問いを発するのである。
 
 私も完全には理解していませんが、じっくりと腰を据えて読むのに、人生を考えるという観点からも良い書物だと思います。

 

選言的判断の限界が標準的な論理の限界である。偶然性ないし必然性のアイデンティフィケーションは、選言的判断を基礎としない。然るに、選言的判断を基礎とした本書の論述は、破綻している。
 九鬼周造に先行する学術的研究としては、カントの研究があり、記号論理学成立以前であるという憂いはあるものの九鬼周造同様、期待される成果を生んでいない。本書の九鬼周造の研究成果は、本質的にはカントの研究の範囲内であり、進展が見られない。ただし、当時の時代状況を考慮すれば、自身を俎上に載せたジャーナリスティックな情緒の記録としては評価できる。

 偶然性ないし必然性に対する予断に反して、偶然性ないし必然性は標準的な論理から逸脱している。これに着眼して、ジャーナリスティックな情緒の記録を残したとすれば、九鬼周造はカントに代表される近代ヨーロッパの学術的な基礎から、大きく逸れたものではなかったと見ることも可能だろう。
 偶然性の問題は本質的には、選言的判断の限界の問題である。

 

 


ディープフェイクとは?注意点や問題点は?

2020年02月20日 14時03分23秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

SNSを通じて広がる情報は、利用者が「好み沿った情報を信じる」傾向がある。
そのため、偽情報の拡散に一役買っている。
情報操作や著名人に対する中傷、選挙選では対立候補を追い落とす狙いで作られることが多い。


政治[編集]
ディープフェイクは、有名な政治家を、ビデオポータルやチャットルームで、事実と異なるかたちで伝えるために使用されている。
例えば、アルゼンチン大統領のマウリシオ・マクリの顔はアドルフ・ヒトラーの顔に、そしてアンゲラ・メルケルの顔はドナルド・トランプの顔に置き換えられた。
トランプが中国を訪問していた2017年11月に中国企業のiFlytek(英語版)は流暢な中国語を話して自社とAIを褒めたたえるトランプのディープフェイクを披露して波紋を呼んだ。

2018年4月、ジョーダン・ピールとJonah Peretti(en:Jonah Peretti)は、ディープフェイクの危険性に関する公共広告として、バラク・オバマを使ったディープフェイクを作成した。
2019年1月、KCPQは、オーバルオフィス(大統領執務室)におけるトランプの演説のディープフェイクを放映し、彼の外観と肌の色をあざけった。
メディア[編集]
中国では国営メディアの新華社がディープフェイクの技術を用いて実在のアナウンサーから合成した世界初の人工知能ニュースキャスターが開発されており、政府の重要な会議の報道でも使用された。
この技術はロシアやアラブ首長国連邦の国営メディアでも採用されている。
しかし、ディープフェイクは虚偽報道であるフェイクニュースを助長させるとして問題視されており、2019年11月に中国政府は2020年からディープフェイクを使用したフェイクスニュースを禁止することを発表した。

「ディープフェイクって?」「ディープフェイクの作品ってどこで閲覧できるの?」
近年ではテレビで紹介されたり、認知度を高めているディープフェイク。

中には未だに聞きなれない言葉だと感じている人もいるでしょう。

ここではディープフェイクについてご紹介します。
この記事でディープフェイクの全容を掴み、危険から身を守れるうようにしましょう。

ディープフェイク(deepfake)は「深層学習(deep learning)」と「偽物(fake)」を組み合わせた混成語(かばん語)で、人工知能にもとづく人物画像合成の技術を指す。「敵対的生成ネットワーク(GANs)」と呼ばれる機械学習技術を使用して、既存の画像と映像を、元となる画像または映像に重ね合わせて(スーパーインポーズ)、結合することで生成される。 
既存と元の映像を結合することにより、実際には起こっていない出来事で行動している1人あるいは複数人の偽の映像が生み出されることとなる。
そのような偽の映像で、例えば、実際にはしていない性行為をしているように見せかけたり、実際とは異なる言葉やジェスチャーに変更するといった政治的な利用が可能となる。これらの機能により、有名人のポルノビデオまたはリベンジポルノの偽造作成のため、ディープフェイクが使用される可能性がある。
さらに、ディープフェイクは、虚偽報道や悪意のあるでっち上げを作成するためにも使用され得る。




大阪の文化と笑い

2020年02月20日 13時46分55秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 

内容(「BOOK」データベースより)

「笑い」が人間の心を癒す。その「笑い」の文化を育んだ大阪人の人情と風土を究明する。

内容(「MARC」データベースより)

長年にわたって「笑い」をおおらかに受け入れてきた街、大阪。嫌な俗事を一時的にしろ自己から切り離し、人間の心を癒す「笑い」の文化を育んだ大阪人の人情と風土を究明する。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

井上/宏
関西大学名誉教授。1936年大阪市生れ。1960年京都大学文学部哲学科社会学専攻を卒業し、読売テレビ放送に入社。

1973年関西大学社会学部に転じ、専任講師、助教授を経て1981年に社会学部教授。1994年総合情報学部に移籍。2

003年4月から関西大学名誉教授。専攻は情報メディア論、コミュニケーション論、笑い学研究。1989年フルブライト招聘教授として米国ロックハースト大学客員教授。

1994年に「日本笑い学会」を設立。1999年文部大臣賞受賞(社会教育功労)。1999年から3年間「ワッハ上方」館長。現在、日本笑い学会会長、国際ユーモア学会理事、大阪市社会教育委員などをつとめる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 

大阪の「笑いの文化」について : 大阪人の生活文化と笑い

井上 宏 日本笑い学会会長・関西大学名誉教授

抄録

大阪とはどんな街なのか、「文化」の側面から考えるとき、「笑いの文化」を抜きにして大阪を論じることはできない。

大阪では、漫才や落語、喜劇などの「笑いの芸能文化」が盛んであるばかりでなくて、大阪人の生活のなかに、暮らしの仕方の中に「笑い」が織りこまれている。
大阪弁をはじめとして、大阪人の生活態度、価値観、ものの考え方の中に「笑いの文化」が一貫して流れていると言ってよい。
大阪は、「サムライ社会」におけるように、「笑い」を軽蔑することなく、むしろ「笑い」を奨励する文化を発達させてきた。
その発達の理由は、大阪が江戸時代から一貫して「商人社会」として発展をみてきたことにあると思われる。
そこに商人たちのライフスタイル、生活文化が生まれたわけである。まずは大阪人が発達させた大阪弁があげられる。
商人は、「交渉する」ことが日常の生業としてあって、大阪弁を使ってそれを円滑に行ってきたわけである。
当然のこととして「 口の文化」が発展する。しかも商いは厳しい「競争関係」のなかで行われるので、競争からくる緊張や対立は、笑いによって緩和する必要がある。
人と人との距離をできるだけ近くにとっていこうとするとき、笑顔や笑いは欠かせない。洒落やジョーク、笑わせるための方法も発達する。
毎日の生活の中に笑いがあり、笑いのある生活文化が発達をみた。大阪人の生活文化と笑いとの関係を追跡した。

 


天国への階段 Vol.1 [DVD]

2020年02月20日 13時39分20秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 
 
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天国への階段 Vol.1 [DVD]
 
    佐藤浩市 (出演), 本上まなみ (出演) 
 

内容(「キネマ旬報社」データベースより)

白川道原作のベストセラー小説をテレビドラマ化。裏切り、復讐、友情が交錯するサスペンスに満ちた愛憎劇。競走馬生産牧場を経営する父の自殺を機に、息子・圭一は復讐を誓って北海道を後にする。第1話「名馬の血統」から第3話「蘇る記憶」までを収録。

内容(「Oricon」データベースより)

白川道原作による小説「天国への階段」をTVドラマ化したシリーズ。「過去」をキーワードに、裏切り、復讐、友情、サスペンスが交錯するなか展開する愛の物語。出演は佐藤浩市、本上まなみほか。第1~3話収録。

レビュー

チーフ・プロデューサー: 今村紀彦/近藤晋 プロデューサー: 堀口良則/代情明彦 演出: 鶴橋康夫/岡本浩一/白川士 原作: 白川道 脚本: 池端俊策/加藤正人 音楽: 丸谷晴彦 出演: 佐藤浩市/古手川祐子/本上まなみ/中村俊介/大塚寧々/古尾谷雅人/森本レオ/加藤雅也/風間杜夫/津川雅彦
-- 内容(「CDジャーナル」データベースより)

 

スケールの大きい画像と人間関係の複雑な復讐劇は柏木圭一(佐藤浩市)、本橋一馬(中村俊介)を中心に繰り広げられる。それに加え、豪華出演陣加藤雅也・風間杜夫・そんな男性俳優たちのスーツ姿ひとつをとっても、ストーリー置き去りに、見入ってしまう。中でも、俊介のスマートな姿、甘いマスクの裏に抱える重い邪悪な復讐。ここは見逃せない。だんだんと明かされていく、人間関係の意外性も、なんとなく最初からみえているものの・・・「やっぱりね」と思いながら納得する自分がいて、次回も見たくなる。故・古尾谷雅人も懐かしい。

 

やっぱり、 レッド・ツェッペリンの天国への階段の曲がないと価値は半分以下になります。なぜ及川を殺しに行くドラマの肝となる最初のシリアスなシーンでくるみ割り人形の可愛らしい曲が流れるのか意味不明です。それなら曲が無いほうがよかった。代わりとなる曲もだめです。この話は強く心に残っていた凄い作品だったのに残念です。柏木と児玉の関係も好きでした。細かい演出も良かったです。いろんな熱い感情が宿ってました。元の作品が見たいです。

 

「天国への階段」を検索すると、韓国の薄っぺらい恋愛ドラマ「天国の階段」ばかりがヒットするのが迷惑です。
この名作を歴史から消すためにわざと同じようなタイトルをつけたのでは?と勘ぐっても仕方ありません。
しかもレッドツェッペリンまでが著作権がどーので使わせないとか、アメリカもグルで日本のドラマ潰しかよ、と思うのも当然でしょう。
とにかくこのころの日本のドラマは最高でした。
ドラマのレベルが下がったのは、アメリカからのドラマ制作費の削減でも強要されたからなんでしょうね。
もうこんな重厚なドラマは見られないと思うと残念です。
最近は時代劇も演歌も消し去られようとしています。
名作は今のうちに永久保存版として所有することをお勧めします。

 

DVDで一気に全話見たが、登場人物のそれぞれが重いものを背負った近年珍しいシリアスドラマ。それぞれのストーリーが丁寧に作り込まれていて見応えは充分、テレビドラマというより長編映画を見ているような印象を受ける。
俳優陣もすばらしく、佐藤浩市の奥の深い厚みのある演技は勿論のこと、個性豊かなキャラクターのなかにあってひときわ異彩を放つ津川雅彦、大塚寧々の寂しい女ぶりも実に切ない。新人の宮本真希も鮮烈だ。が、なんといっても個人的には加藤雅也の「児玉専務」萌えなんである。柏木の右腕としてストイックな辣腕ビジネスマンでありながら隠すに隠せぬ裏の顔。柏木のために人知れず自らの手を汚すときの、端正な顔が修羅と化すその一瞬。派手な流血場面がないぶんむしろ眼差しに宿る凄みが尋常でない。衣装ひとつとっても、一見地味なスーツに見えてシルエットがやっぱりクロウトだったり、さりげにゴツいシルバーのリングが指に光っていたりで裏の社会を歩いてきた男を匂わせる演出は心憎い。9話目で、ひとり死地に赴く前に柏木に煙草を貰い極上の笑顔を見せ、しかるのち背筋をのばして出てゆく姿はヤクザ映画の王道だったりするが、ツボを心得た演出はさすが。(しっかしありえねーあんな専務、のツッコミはこの際なし)奈緒子との絡みでも抑えた切ない表情が胸を衝く。
演じる加藤雅也の言葉通り「記憶に残るドラマ」になってしまった。
惜しむらくは、テーマソングとも言うべきツェッペリンの「天国への階段」が著作権問題か使用されず、DVDではクラシックに変えられていたことだ。
「モルダウ」は大仰だし、「くるみ割り人形」はあわないと思うなぁ。。。
なので1コ減点で星よっつ。

 

 本の内容紹介

復讐のため全てを耐えた男。ただ一度の選択を生涯悔いた女。二人の人生が26年ぶりに交差し運命の歯車が廻り始める。孤独と絶望を生きればこそ愛を信じた者たちの奇蹟を紡ぐ慟哭のミステリー!

内容(「BOOK」データベースより)
柏木の復讐のシナリオは着実に進んでいた。そんな中、元強盗殺人犯・及川広美が刺殺される。彼の更生を固く信じていた定年間近の刑事・桑田規夫は、弔いを誓い志願して捜査を開始する。その直後に発生した第二の殺人事件の意味とは?一方、柏木の背後には音もなく忍び寄る不気味な影が現れる。多くの思惑が交錯し、事態は急展開を始める…。


内容(「BOOK」データベースより)
復讐のため全てを耐え財を成した男。ただ一度の選択を生涯悔いた女。二人の人生が二十六年ぶりに交差した時、想像を絶する運命の歯車が廻り始める。次々起こる殺人事件。音もなく忍び寄る不気味な影。老刑事の執念の捜査。生者と死者。親と子。追う者と追われる者。孤独と絶望を生きればこそ、愛を信じた者たちの奇蹟を紡ぐ慟哭のミステリー。

 

天国への階段〈上〉白川 道 (著)

2020年02月20日 13時19分34秒 | 社会・文化・政治・経済

ベストセラー作家・白川道さん訃報、「ギャンブルの借金どうする」とざわめく出版業界

<figure class="article-img">ベストセラー作家・白川道さん訃報、「ギャンブルの借金どうする」とざわめく出版業界 <figcaption class="img-caption"></figcaption> </figure>
バブル期に投資顧問業法違反で逮捕された白川さんは、2年半の服役生活を経験。麻雀、競馬などのギャンブルも好み、“最後の無頼派作家”とも呼ばれた。
莫大な借金があるということも、出版業界内ではよく知られた事実だった。


「投資顧問業の時代の借金に加え、大好きだった賭け麻雀の負けなど、ギャンブル関係の借金も重なっていました。

ある媒体は白川さんの死後、直木賞作家で白川さんの麻雀仲間だった黒川博行氏に追悼コメントを取りに行ったところ、白川さんの麻雀でのマナー違反を批判するばかりで記事にできなかったとか。

そのエピソードからもわかるように、白川さんのギャンブルのやり方は派手で滅茶苦茶。

各出版社に借金を重ねていたため、印税を担保に取られ、どんなに書いても白川さんの元にお金は入らないという状況が続いていました。

編集者個人にも借金をしていたそうで、中には100万円単位で貸し付けたままの人も。そんな中での急な死だったため、正直、各出版社内では白川さんの豪胆な人柄は偲びつつも、素直に死を悼むムードはないですね」(週刊誌記者)

 白川さんの事実婚のパートナーが新潮社出版部部長の中瀬ゆかり氏だということはよく知られている。情報生番組『5時に夢中!』(TOKYO MX)のコメンテーターも務めている中瀬氏は、約15年生活を共にした白川さんを「とおちゃん」と呼び、番組内で何度も話題に出していた。そんな中瀬は訃報当日の『5時に夢中!』を欠席するなど憔悴しているようだ。

 白川さんと中瀬が正式な結婚に踏み切らなかったことにも、借金が関係しているという。

「通常の婚姻関係であれば、夫が先に死亡したとき、借金は妻が相続することになります(註:手続きにより相続放棄も可能)。しかし、事実婚であれば、そういった責任が法的にないため、白川さんは中瀬氏のためを思って婚姻届は出さなかったと言われています。ただ、白川さんは良くない筋からも金を借りていました。『何としても中瀬に返してもらう』と息巻いている輩もいるというので、恐ろしいですね」(同)

 婚姻届がなくとも約15年間結ばれていた2人には、周囲にはおしはかることのできない固い絆があったのであろう。復活と白川さんの安らかな眠りを祈るばかりである。
※画像は『天国への階段(上)』(幻冬舎)


「家に泥棒を飼っている」配偶者は無頼派小説家

2020年02月20日 13時06分57秒 | 社会・文化・政治・経済

中瀬ゆかり「家に泥棒を飼っていると西原理恵子に言われてもトウチャンを愛した理由」

連載「50代ボツイチ再生工場」

バツイチならぬボツイチ……という単語を最近よく目にする。
配偶者に死別した人間をそう呼ぶのだそうな。
そういえばいま話題の芥川賞受賞作で若竹千佐子さんの「おらおらでひとりいぐも」も、74歳のボツイチ女性・桃子さんの語り口が話題になり50万部を超えている。
著者の若竹さん(63歳)も実際、9年前、50代半ばでご主人を喪くされ、49日を過ぎた時に息子さんの提案で小説講座に通い始めたという。

わたしも、その「ボツイチ」のひとりである。
3年前の2015年4月16日の朝、18年間連れ添った事実婚のパートナーである作家・白川道の大動脈りゅう破裂による急死により、50歳にして突然ひとりぼっちになってしまったのだ。

 私たちはお互いを「トウチャン、ペコマル」と呼び合い、「魂の双子」と名乗るほど深く結びついていた。
32歳(すでにバツイチ)のときに19歳年上の無頼派小説家と六本木のバーでの偶然の出会いからはじまったトンデモ同棲生活はふたりが69歳と50歳になるまで続いた。

ギャンブル好きなトウチャンは年中金欠で、生活費を1円も入れることもなく(サイテー!)、食事や映画の約束は麻雀の誘いが入ればすぐにドタキャンするわ、支払いのためにおろした札で膨らんだわたしの財布から束ごと抜き盗って逃亡するわ(友人の西原理恵子さんには「家の中に泥棒を飼っている」と名言をいただきました)。

 一般的に考えるとずいぶんひどい目に合わされ続けたのだが、なぜか憎めない人だった。人間としての可愛げに満ち溢れていて、ユーモアがあって頭がよくて、そして何より、私のことを心から愛してくれていたのだ。
そこに一片の疑いも入る余地がないくらい、その愛はゆるぎなく、いつしかトウチャンと私の、初老男と中年女の恋物語は永遠に続くかの錯覚に陥っていた。

 わたしの生きがいや仕事のモチベーションはすべてトウチャン。トウチャンの生きる意味は「ペコマル」の存在のみ。

傍で見る人は気持ち悪かったかもしれないが、そのくらい私たちは互いに互いをよりどころにしていた。ふたりして過ごす時間で話は尽きることなく、一晩中笑い転げていた日もある。

 公然とネタにするほどのセックスレスカップルだったが、肉体よりも精神でつながっている満足感が、それすらも笑い話にしてくれた。

 普通の女性が求めるであろう「安定」の切り札など一枚もない暮らしの中、そして誰からもうらやましがられないであろう愛の形に、なぜか私たちは多幸感に満たされて生きていたのだ。そう、あの朝が来るまでは……。

 大きな咳をしているトウチャンの様子を見に寝室からリビングに降りて行ったときには、私の生きがいは、ソファから床の上に崩れ落ちていた。
毒りんごを食べてこと切れた白雪姫を悼む小人のように3匹の猫が周りを取り囲んでいる。宙に向かって見開かれた光の消えたトウチャンの瞳が目に飛び込んだ瞬間、時間が凍りつき、音が消えさり、私の辛すぎる50代のボツイチ人生が幕を開けたのだった――。

中瀬ゆかり(なかせ・ゆかり)/和歌山県出身。

「新潮」編集部、「新潮45」編集長等を経て、2011年4月より出版部部長。「5時に夢中!」(TOKYO MX)、「とくダネ!」(フジテレビ)、「垣花正 あなたとハッピー!」(ニッポン放送)などに出演中。

編集者として、白洲正子、野坂昭如、北杜夫、林真理子、群ようこなどの人気作家を担当。

彼らのエッセイに「ペコちゃん」「魔性の女A子」などの名前で登場する名物編集長。
最愛の伴侶、 作家の白川道が2015年4月に死去。ボツイチに。
 


『8000万円が競輪で1か月で溶けちゃった事件』

2020年02月20日 12時04分04秒 | 社会・文化・政治・経済

もう17、8年くらい前のこと。
死んだトウチャンこと、作家の白川道がベストセラー「天国への階段」を出し、
8000万円近い印税が転がり込んだ。
・・・はずなのに、1か月で競輪で溶かして、
翌日に前借をはじめたと聞いたとき、地獄を見た。

中瀬「まさに“地獄への階段”でしたよね。ホントに、光熱費を払うために、小銭を数えるような生活を送りましたから。」

すってんてんになった中瀬家は、小銭を数える生活に突入。
辛い日々が続いていたら、ある日、たまたま買った有馬記念で、80万馬券を当てて一気に回復!
博打で地獄から天国にという不思議な体験をしたという。   

中瀬 ゆかり(1964年6月3日 - )は、日本の編集者。

  • 父は教師で、小さい頃から小説を読むのが好きだった。小説家になるのが夢だったが、自分には才能がないと思い断念した。しかし、小説家としての才能がある人たちをサポートする仕事をしたいという思いが芽生えたため、編集者になったと語っている。

血液型AB型。ハードボイルド作家の白川道とは事実婚関係にあった。
父は南方熊楠研究家の中瀬喜陽[2]。和歌山県田辺市出身。田辺市立田辺第一小学校、田辺市立東陽中学校、和歌山県立田辺高等学校、奈良女子大学文学部英語・英米文学科(現:言語文化学科ヨーロッパ・アメリカ言語文化学コース)卒業。
1987年(昭和62年)に新潮社入社。

1998年(昭和63年)に『新潮45』へ異動し、2001年(平成13年)8月より同編集長。

2008年(平成20年)10月1日より『週刊新潮』部長職編集委員であり、現在は出版部部長を務める。
テレビ番組への出演も多く、TBSの『サンデーモーニング』のコメンテーターでは保守寄りの論客であった。

現在ではレギュラー出演番組として、東京MXテレビ(TOKYO MX)の『5時に夢中!』の木曜コメンテーターを務めており、番組内では「中瀬親方」の愛称で親しまれている[5]。
親友である漫画家の西原理恵子、小説家の岩井志麻子とともに「熟女キャッツアイ」を名乗り、トークショーなどの活動を行っている。     

 


「それ誘拐かも?!」愛知県警、投稿者に警告

2020年02月20日 11時57分12秒 | 事件・事故

小中学生の神待ちツイート後絶たず

2/20(木) 毎日新聞

「家出して困っている中高生は連絡ください」「泊まる場所提供します」――。

ツイッター上のこうした書き込みに子どもたちが誘い出される事件が全国で後を絶たない。

たとえ同意の上でも、保護者の許可なしに未成年を自宅に宿泊させる行為は犯罪となる可能性が高い。愛知県警は投稿者に「それ誘拐かも!?」などの警告文を送り、投稿をやめさせる全国初の取り組みを1月から始めた。

 ツイッター上では家出希望の子どもに対し、「相談に乗る」「うちにおいで」などの誘い文句で接触しようとする書き込みが相次ぐ。家出した子どもたちを自宅などに無料で泊める人を「神」と呼ぶ現象も起き、「#神待ち」などのハッシュタグをつけてお互いを探し合っているという。文教大学情報学部の池辺正典准教授の調べではツイッター上の「神待ち」関連の投稿は1日平均約360件だった。

 警察庁によると、ツイッターなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を通じた18歳未満の連れ去り被害は2018年は42人で、5年前の14倍に増加した。

 19年11月に県内の女子中学生(14)が東京都内の男(43)に連れ去られた事件では、ツイッターで「部屋を貸して」と呼びかける少女に、男は「ベッドが一つなので一緒に寝ることになりますが大丈夫ですか」などと言って誘い出し、自宅に4日間住まわせていた。

 男は県警の調べに「支配下には置いていない」と容疑を否認したが、捜査幹部は「たとえ本人の同意があり、無理やり連れ去っていなくても、未成年者を勝手に宿泊させる行為は誘拐に当たる」と警鐘を鳴らす。

 県警の担当者は「見ず知らずの人の家に泊まり、性被害などに遭うケースも多い。警察が目を光らせていることを意識させることでこうした投稿を減らし連れ去りを防ぎたい」と話した。【高井瞳】