《検証》
◆元杏林大教授・長谷川誠氏インタビュー◆Vol.1
マスコミの報道に当初から怒り覚える
事故当時から大学の主張はぶれず、「真実を語った」
m3.comスペシャル企画 2009年7月9日 (木) 配信 聞き手・橋本佳子(m3.com編集長)
「刑事裁判になった以上、事実は法廷で明らかにする」。こう語っていた杏林大学の “割りばし事件”の担当医の上司で、同大の元耳鼻咽喉科教授の長谷川誠氏。1999年7月に起きたこの事件は、昨年11月の刑事裁判の控訴審で担当医は無罪、今年4月に民事裁判の控訴審では担当医の過失は否定され、それぞれ判決が確定した(「“割りばし事件”、高裁判決でも医師無罪」「“割りばし事件”、民事高裁判決でも医師の過失否定」を参照)。
事件から今に至る思い、医療と刑事裁判のあり方のほか、強くマスコミの報道姿勢を問題視する長谷川氏に話を聞いた(2009年6月23日インタビュー)。
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長谷川誠氏 1965年3月東京医科歯科大学医学部卒、68年同大耳鼻咽喉科助手、75年同科講師、75年7月から1年間米国メイヨー・クリニック耳鼻咽喉科客員研究員、95年杏林大学耳鼻咽喉科教授、2005年9月退職。
――まず当時の様子からお教えください。先生が第一報をお聞きした状況は。
患者さんがお亡くなりになった1999年7月11日は日曜日でした。突然大学から自宅に電話がありました。その前日の土曜日、耳鼻咽喉科の当直医が救急外来に来た患者さんに処置して帰っていただいています。その患者さんが翌朝、呼吸停止を来し、救急車で搬送されてお亡くなりになったといった内容でした。私の自宅は、大学まで車で10分くらいのところです。しかし、電車とバスを使うと40分くらいかかります。私自身クルマを持っていないので、自宅近くでタクシーを探して乗ろうとしましたが、なかなか捕まりませんでした。慌てていたのでしょう。結局、電車で行ったのですが、通常の2倍以上の時間がかかってしまったのを今でもよく覚えています。
大学に着いてすぐに、当直の担当医から状況を聞きました。割りばしで口の中を突いてしまった患者さんでしたが、土曜日の診察では、傷口は小さく、止血していることを確認しています。意識はあり、手足も問題なく動かすことができた。それで経過を見るという形で、帰宅していただいたとのことでした。
その日曜日、救命救急センターの責任者に近い立場の医師が担当していました。この医師が搬送後、死亡を確認しました。彼は、割りばしが脳内に残っているとは想像できず、死因が不明なため、腰椎穿刺をしたところ、血性髄液の所見を認め、脳出血を疑いました。その後、頭部X線とCT撮影を行っています。
――そうした状況をお聞きになり、先生ご自身はどう受け止めたのでしょうか。
「割りばしで口腔内を突いた」という事実はありましたが、死亡との関連性は考えられても、その先は分からなかったというのが正直なところです。何らかの物で口腔内を突くのは危険なことですが、それが死亡原因であるとは想像できなかった。まず木の割りばしが骨の厚い頭蓋底を貫通するとは考えにくく、仮に貫通して脳幹部に割りばしが刺さった場合にはほとんどが即死、運よく助かっても高度の意識障害、四肢麻痺が生じます。しかし、今回の患者さんの場合は土曜日の診察でこうした所見がなかったのですから、なぜ死亡されたのかが分からなかった。
その後、私は杏林大学の過去10年前後のデータを調べたのですが、何らかの物で口腔内を突いたケースは100例ぐらいありました。しかし、そのうち重大な問題を引き起こした例や死亡した例は一例もありませんでした。
――その後、病院はどう対応されたのでしょうか。
異状死として医師法21条に基づき、直ちに警察に届け出ました。警察医が検死に来て、口の中などを診て、「これは病死ですね」と。しかし、救命救急センターの医師が「これは異状死だから、解剖してほしい」と依頼したと聞いています。それで司法解剖を行うことになりました。
ただその日は日曜日だったので、解剖は翌7月12日に実施されています。
――病院としては、どんな検証を行ったのでしょうか。
当時、事故が起こったときには、担当教授、病院長、関係する医師らが集まり、対応などを協議する体制になっていました。
今回の場合、土曜日の診察時、患者さんが病院内におられたのは1時間弱で、担当医が診察したのは5~10分程度だったと思います。担当医は、問診をし、口腔内をチェックし、傷口に消毒薬を塗って、月曜日に再度外来を受診するなどの指導をしています。つまり、実施した医療行為は極めてわずかで、患者さんの死につながるような医療行為は一切していないのです。治療経過が長い場合は、その時々にどんな医療行為を行ったのか、またどこに問題があったのかを検証できますが、今回の場合はそもそもやった行為がわずかなもので事実の把握は容易でした。
当時の私が知る限り、「本来やるべきことをしなかった」という理由で、刑事責任を問われた例はありませんでした。しかも、解剖結果が出るまで死亡原因が分かりません。したがって、その時点ではそれ以上、検証はできませんでした。
7月13日に司法解剖の結果、つまり「割りばしが頭蓋内に残っていた」ことを、私たちが警察に行って説明を受けました。
――警察では解剖所見などを詳しく見せてもらうことができたのですか。
いいえ。相手は警察官で、医師ではありませんから、頭蓋内に残っていた割りばしの現物を見せていただき、口頭で説明を受けただけです。
その後、同じく13日に大学は記者会見を開き、診療経過や司法解剖の結果などについて説明しました。会見は時間制限を設けずに行い、いろいろな質問が出ましたが、私が記者会見で一番言いたかったのは、同様の事態が今後起きないために、「子供が物を口に加えて遊んでいて転ぶと、予想もしない悲劇が起こる。だから注意してほしい。こうしたことをぜひ報道機関が啓蒙してほしい」ということでした。しかし、マスコミ、つまりテレビと新聞は一切、この点についてその直後報道せず、また私が知る限り、現在に至るまで報道した形跡はありません。
今回の件に限らず、マスコミは「社会の木鐸」と言われていますが、その役割を放棄していると私は考えています。自分たちにとって都合のいいこと、利益につながることだけを報道する。それ以外のことは重要であっても関係はない、という姿勢です。
――記者会見ではどんな質疑応答が行われたのでしょうか。
頭蓋内に割りばしが残っていた事実については、患児の家族の希望で他言しないように、と警察から言われていました。しかしそれ以外のことに関しては、われわれはその時に知り得たことをすべてお話し、院長は、「これは医療事故ではない」と説明しました。実際には、この「これは医療事故ではない」という院長の発言のみがテレビでは繰り返し報道されました。マスコミは「何かを隠している、なぜ謝らないのか」などと思ったのでしょうか。確かにわれわれは会見の場で深い哀悼の意を表しましたが、間違ったことは何もしておりませんでしたので、謝罪することはしませんでした。そのことがマスコミには面白くなかったのでしょう。
当時、われわれが記者会見で語ったことは、現在に至るまで一言もぶれていません。先ほども言いましたように、診察したのは短時間で、何を実施したのか事実関係はすべて把握できておりました。真実を語っていたので、その後も変わりようがないのです。
――患者さんが死亡された直後からマスコミ報道がありましたが、記者会見以降、状況はどうだったのでしょうか。
確かに数多くの報道がされていました。しかし、記者会見後にどのような展開になるか、予測はつかなかったですね。
――刑事事件になることは。
それは予想しておりませんでした。裁判になる可能性は考えていました。しかし、われわれにとって普通、裁判と言えば民事です。
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“割りばし事件”◆元杏林大教授・長谷川誠氏インタビュー◆Vol.2
刑事責任を問われた以上、法廷で真実を明らかにする
「彼は間違ったことをやっていない、と訴えたかった」
m3.comスペシャル企画 2009年7月10日 (金) 配信 聞き手・橋本佳子(m3.com編集長)
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――担当医が業務上過失致死罪で在宅起訴されたのは2002年8月です。それまでの間はどのような状況だったのでしょうか。
2000年に民事提訴され、その後に起訴されたわけです。起訴される前は、関係者全員、検察に事情聴取されましたが、それは突然だったと思います。私の場合は2日間で、1日目は午後1時から午後11時くらいまで、2日目は半日くらいだったと思います。
――検察庁では何を聞かれたのでしょうか。
詳細には記憶していませんが、「割りばしのようなものが口に刺さった時に、重大なことが起きるはず。そこのことを医師として想定すべきだったのではないか」というのが検察の一貫した主張でした。しかし、先ほども言った通り、鋭利なもので口腔内を突くのは危険なことですが、それが頭蓋底を穿破して脳幹部を損傷した場合、脳幹部は生命維持の中枢ですから、即死か、あるいは運よく命が助かっても高度の意識障害と四肢麻痺が生じます。したがって、そのような状況が見られない限り脳幹部の損傷はないと考えるのが普通であると説明しました。この考えは一貫しており、私は刑事裁判の法廷でも、同様の証言をしています。
事実、この例においては割りばしは脳幹部を損傷しておらず、頭蓋底の頚静脈孔を通って隣接の小脳を損傷していたために、即死や高度の意識障害、四肢麻痺などが起こらなかったわけです。臨床医学は経験科学ですから、誰も経験していないようなケースを、夜間の救急外来で診断しなければ刑事責任を問うという話には無理があると感じました。ハーバード大学付属ボストン小児病院やシンシナティ小児メディカルセンターからも、軟口蓋穿通外傷の患者で重大な問題を引き起こした患者や死亡例は経験していないという研究報告が出されています。
あまり適切なたとえ話とは言えませんが、例えば私が夜遅く都内を歩いていて犬にかまれ、その犬はどこかに逃げ去ったとしましょう。犬にかまれれば、誰もが狂犬病の危険性をまず最初に思い浮かべると思います。しかし日本国内で犬にかまれ、狂犬病を発症したケースは恐らく過去50年間なかったと思います。したがって、狂犬病発症の確率は0%とは言えないものの、実際にはその確率は極めてわずかです。このような場合、わが国の臨床現場では、狂犬病の発症を想定して狂犬病ワクチンの接種を行う事態には普通至りません。
医療では確率を重視します。最も確率が高いと思われる疾患から鑑別していく。したがってすべての疾患の可能性について確認できるわけではありません。それを日常診療でもし実践していたら、医療は破綻します。この点が医学的に言う可能性と、医療の違いです。医学的にはすべての可能性を検討しますが、医学の知識をいかに限られた社会資源の中で行うかが医療です。われわれは考え得る疾患の可能性と、その疾患を発症する確率を常に考え合わせて医療をやっているわけです。不必要なCT検査を実施したら、保険請求上、削られますし、それをたびたび繰り返せば医療機関としての適格性を疑われて、審査されます。もちろん、削られても医師が必要であると判断した場合には、検査をします。本件の場合は、担当医が必要ないと判断したから、CT検査を実施していません。
したがって、「割りばしで口腔内を突いて、生命に危険はないのですか」と聞かれれば、「絶対に危険はない」とは言いません。しかし、本件の場合は、その危険を念頭に置いて治療するケースではありませんでした。だから、担当医の判断は間違っていない。このように検察での事情聴取の際も、また公判でも私はそう述べました。
――その辺りの確率論的な話を検察は理解したのでしょうか。
検察が、教科書からの知識や、解剖結果を見て、そうした結論に至ったことを、私は間違っているとは思っていません。しかし、その点が机上の論理と、臨床医学を専門とする医師との相違です。もちろんその逆も成り立ちます。われわれ医師は本を読んで法律を理解することはできますが、法律が実際の場面でどう運用されるかまでは法律の専門家ではないので分からないのと同じです。
――一審判決は刑事裁判が2006年3月、民事裁判は2007年12月。控訴審判決は刑事が2008年11月、民事が2009年4月です。裁判に当たって、大学はどんな準備、対応をしていたのでしょうか。
多くの医療行為をやっていたり、治療経過が長かった場合、それらを検証し誤った医療行為があったかどうかなどを調べたりできるでしょう。しかし、今回の場合は、先ほど申しました通り、患者さんが院内にいた時間は1時間弱で、担当医が診察した時間は5~10分程度です。ですから、さらに何かを調べて、新しい事実が出てきたりすることもありません。しかも、診察時には最初は救命救急士のほか、看護師などもいました。解釈に多少のずれがあるかもしれませんが、事実関係は既に把握できているので、それ以上、検討しようがありませんでした。
――公判の鑑定人、証人の選定などに大学はかかわったのでしょうか。
刑事裁判における、弁護側の最初の証人は私でした。その後の証人の選択には、私は一切かかわっていません。私がかかわると、公正・中立な鑑定人であると受け取ってもらえなくなる可能性があったからです。
――判決が出るまでには時間がかかりました。先生は裁判の動向をどのように見ていたのでしょうか。
公判を傍聴に行ったことはありませんが、「担当医が間違ったことはしていない」という確信を持っていましたので、いかなる場合でも全力を尽くす覚悟はできていました。ただ、それを公共の場で言うことは避けていました。彼を弁護するため、マスコミで物を言ったり、本を書いたりしたいという気持ちは非常に強かった。「彼は間違っていない」と訴えたい気持ちは本当に強かった。しかし、それ自体、法治国家のルールに反すると考えていました。弁護団との会議でも、「マスコミと接触するのはやめよう」と主張していました。
裁判の過程で、ある大手マスコミの記者から、「今までの報道は非常に偏っている。問題がある。公正な報道をしたいから、協力してほしい」と依頼されたケースもありました。「それは大変ありがたいが、われわれは法廷の場で真実を明らかにしていく」とお断りましました。弁護団の方にも別のマスコミから取材依頼があったそうです。
――最初からそうしたスタンスだったのですか。
はい、「刑事責任を問われた以上、法廷で真実を明らかにする」というのが、われわれ全員の一致した考えでした。
刑事裁判だけでなく、民事裁判も東京高裁で判決が確定しました。だから今、こうしてお話しているのです。
――「担当医は間違ったことはやっていない」という思いは最初からお持ちだったのですか。
そうです。私がその場にいても、同じことをやったと思うからです。確かに 担当医と私では3年と30年という経験の差がありますから、問診の仕方が違ったり、話を聞いて彼が気付かなかったことを私が気付く可能性もありますが、実際にどうだったかは分かりません。しかし、いずれにせよ結果は同じだったと思います。
――裁判の間、担当医の先生はどうされていたのでしょうか。
当時は耳鼻咽喉科に所属していたのですが、その後、内科などの研修をしました。大学は、これは担当医のミスではない、医療過誤ではないと、最初から判断していたわけです。このスタンスは、先ほども言いましたように、最後までブレませんでした。したがって、彼が大学の中で非難されたり、肩身が狭い思いをすることもありませんでした。彼が大学にいることは何も問題はなかった。
しかし、周囲がたとえそうだったとしても、本人はどう思っていたのでしょうか。患者さんから噂されることもあったでしょう。マスコミもよく来ていた。彼自身が大学にいることを苦痛に思ったのでしょう、途中から大学を離れ、他の病院に移りました。
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“割りばし事件”◆元杏林大教授・長谷川誠氏インタビュー◆Vol.3
1999年以降の報道を一つひとつ検証していく
「社会の良識」であるマスコミには誤りを訂正する姿勢が必要
m3.comスペシャル企画 2009年7月15日 (水) 配信 聞き手・橋本佳子(m3.com編集長)
「マスコミでも、誤った報道をすることはある。その場合は真摯に訂正する姿勢が求められる」と語る長谷川誠氏。
――マスコミは裁判の開始前から判決が出るまで、ずっと取材していたのでしょうか。
そうですね。一度、1999年の事故発生当時から、マスコミがどう報道してきたのか検証したいと考えています。私が「マスコミ」と言う場合、テレビと新聞を指しています。ただ新聞と言っても一様ではなく、ある程度、医療問題を理解している新聞がある一方、本当にレベルが低い新聞もあります。
――結局、担当医は裁判ではなく、マスコミにより大きなダメージを受けた。
私は新聞でも間違うことはあると思います。限られた時間内に、限られたスペースでまとめなくてはいけない。そのこと自体、私は非難しません。
しかし、マスコミには、報道の自由、編集の自由が与えられているのですから、間違ったことが明白になった時点で、なぜ間違ったかを検証し、真摯に反省して、それを記事にして報道しない限り、自らの責任を果たしていることにはなりません。自分の都合のいいことだけを書くなら、報道の自由はあり得ません。これは報道に携わる方の根幹の問題だと思うのです。今回のケースで、このことがはっきり分かりました。刑事裁判、民事裁判ともに高裁判決が確定しました。きちんと社会のルールに則って、決められたプロセスを経て、担当医に過失がないと確定したわけです。それなのに、マスコミは自らの報道の検証をしていない。法治国家のルールを完全に否定していることになると思います。
――民事、刑事の一審、二審判決に関する報道を見て、どう思われたのでしょうか。
一審で無罪判決が出ても、二審で覆されることもあり得ます。したがって、一審判決に対する批判的な報道はある程度許されるかもしれません。しかし、二審で判決が確定した後は事情が異なります。
昨年11月、刑事裁判の二審判決で、担当医は無罪とされました。検察は控訴せず、確定しました。また今年4月、民事裁判でも担当医に過失はないとされ、こちらも確定しています。もし判決に問題があったなら、上告するはずですが、そうではない。つまり、これらは裁判所の最終判断です。しかし、その後も、一部の報道機関はあたかも担当医に刑事責任があるかのように、記事や番組を構成し、印象操作を行っています。
例えば、ある新聞は、刑事裁判で無罪確定した後の解説記事で、「東京高裁判決は、捜査当局が医療事故の刑事責任を追及することの難しさを改めて示した」と書いています。「何かまだ隠されたものがあり、捜査当局はそれを明らかにできなかったために、本当は有罪なのだが無罪となった」と受け取れるような表現です。この事件では、法廷で事実関係が示され、医学的、法律的に議論され、裁判所が最終的に無罪および過失なしと判断したのです。したがって、これは医師の人権を無視した報道です。担当医に対して謝罪していただきたい。こうした報道が許されるのだったら、確定した高裁判決であっても、無視していいということになります。
――先生は警察や検察などよりも、マスコミのあり方を問題視しています。
検察は刑事責任を追及するのが仕事です。検察は自らの職務を忠実に執行したわけです。私自身は法律の専門家ではありませんから、検察に何かを言うつもりはありません。
しかし、報道機関は司法と並ぶ、社会の二大権力機構。報道機関は、「自分たちこそは正義だ」「社会の良識を代表する」と自認しています。その報道機関が、自分たちの都合のいいことだけを報道する。自分の利益に合致しないことは報道しない。時には世論を誘導する。誤ったことが分かっても、それを認めず報道し続けることは、法治国家のルールに反します。こうした態度を取っていいのか。それに対して責任を取るべきでしょう。
新聞社には、デスクなどがいて、記者が書いた記事をチェックすると聞いています。限られた紙面、限られた時間の中で、ある程度、パターン化しないと、記事がまとまりにくいのでしょう。
報道機関には、一つひとつの言葉の表現は正しいがそれらをうまく組み合わせることによって恣意的に印象操作し、どちらか一方に加担するような記事を書く書き方があるのではないかと思っています。新聞社は非常に注意深く個々の言葉を選んで使っているため、個々の言葉の表現には間違いはない。したがって、読み手が一方に偏った記事であると抗議しても、うまくその抗議をすり抜けるテクニックを駆使しているように思えてならない。こうした「責任を回避する」書き方、紙面構成は、極めてずるいやり方ではないかと思っています。
(つづく)