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「今の自分を知らないことが無知」

2015年12月10日 23時28分40秒 | 社会・文化・政治・経済
★人間は100%死ぬ。
誰しも死は避けられない。
★死ぬ存在である以上、生きている間に何をするかだ。
★さらに、何をもって自分と他人の違いを自覚するかである。
★同じ人生であるなら、人に騙されるような人生であってはならないだろう。
★個々人が懸命に生き、周囲に生き方の範を示すことが求められている。
★人間をより人間らしく生きる―それが基本であろうか?
★周囲に貢献するという哲学・理念。
★その哲学・理念を社会生活の中で実践する。
その生き方は、よりよい人生を鼓舞し、人の心を励ます。
★現代社会は対話がなくなりつつある。
ゆえに対話を大切にして実践する。
★対話の中で互いの無理解が払拭される。
そして相互理解が生まれる。
★会話の中で良きアイディアも生まれ、人生が豊かになる。
★調和の中でこそ個人の人格が磨かれる。
★「人が見たい変化を、まず自分が示せ」ガンジー
★「今の自分を知らないことが無知」アリストテレス
★人間は自分が無知であることを自覚し、よりよい哲学・理念を求めるべきだ。
★仏教発祥の地インド。
今のインドは寛容さをなくしつつあるようだ。
つまり人間精神の根っこを失いかけている。
★生活の場における釈尊の再評価が期待される。












未来の結果は、現在に原因がある

2015年12月10日 23時24分39秒 | 社会・文化・政治・経済
★青年の実力とは人に貢献する根性、願い、行動力がどれくらいあるかどうかだ。
★人は一人で生きるようにつくられていない―詩人・バイロン
★12月10日 「世界人権デー」万人に生命の尊厳がある。
人の不幸の上に自己の幸福を築くような顛倒した社会。
★生き方が多様化する現代。
守るべき権利も複雑さを増す。
★人は、一人一人が皆、違う。
他者を尊敬し互いの立場を理解し合おうという挑戦が、差異という見えない壁を乗り越える力となり、人間を尊重する原動力となる。
★「正規社員」は「非正規社員」の負によって恩恵を受けているはず。
そのような自覚が不可欠では?
★未来の結果は、現在に原因がある。
明日の勝利の因は、今にある。
















診療報酬、「本体」微増方針 

2015年12月10日 22時57分14秒 | 医科・歯科・介護
財源に高額療養費見直し

毎日新聞社 2015年12月10日 (木) 配信

 医療の公定価格である診療報酬の2016年度改定に関し、政府は薬価を除いた医師らの技術料など「本体」を微増とする方針を固めた。
財源は患者の自己負担に上限を定める高額療養費見直しで捻出する。国民負担につながるため、具体策作りは来年夏の参院選後とする方針だ。【堀井恵里子、阿部亮介】
 診療報酬はほぼ2年に1回改定する。来年度の診療報酬改定で、政府は、「薬価」と「本体」を合わせた全体をマイナスとする方針を決めている。最大の焦点は、10年ぶりの「本体マイナス」となるかどうかだった。
 政府は来年度予算の概算要求で6700億円だった社会保障費の自然増を約1700億円圧縮する方針を決めている。市場価格に合わせた「薬価」の引き下げは来年度は1500億円台になる見通し。さらに約200億円の削減について、当初、財務省は本体に切り込む意向だった。
 しかし、日本医師会の横倉義武会長は9日に東京都内で開かれた集会で「診療報酬改定が厳しい内容となれば、医療現場は疲弊し、国民に必要かつ十分な医療を続けられなくなる」と反発。自民党の厚生労働関係議員からも本体増を求める声が強い。
 このため、政府は本体微増もやむを得ないと判断した。
 本体微増の財源に関し厚労省は、来年度については景気改善で保険料収入が増えている全国健康保険協会(協会けんぽ)への国庫補助削減分(数百億円程度)を充てる意向だ。ただ、17年度以降も同様の財源が出る保証はない。そこで、高齢者の高額療養費について、現役世代より優遇されている高齢者の負担上限額を引き上げる方向だ。
 国民負担につながるため具体策は来夏の参院選後とする。ただし、確実な実施を担保するため、政府は年末までに、「16年末までの具体案取りまとめ」を決定する方針だ。
 それでも負担増方針が参院選前に決定することになり、自民党内には「野党に攻撃材料を与える」など反発する声もある。
 この他、ジェネリック(後発医薬品)の見直しでも財源の積み上げを図る。新発売される後発医薬品の価格を現行の「先発品の原則6割」から「5割」に引き下げる方向は決まっている。厚労省は他に、メーカーの想定以上に売れ、販売額が巨額な医薬品の価格を特別に引き下げる仕組みの導入も検討している。
















今夜の八重洲地区の協議会

2015年12月10日 22時46分28秒 | 日記・断片
今夜午後7時30分からの八重洲地区の協議会には、当方の友人である市議「そめや和博さん」も挨拶に来て、以下の報告をした。
「石井啓一・国土交通大臣に取手市内の排水対策のための要望に行って来ました。
参加者は公明党取手市議団(さいとう久代、あべ洋子、そめや和博、おちあい信太郎)、藤井市長、葉梨衆議院議員(立会人)、議長、中村県会議員、取手市議会自民党会派です。
内容は排水ポンプ車配備に関する要望です。
ぜひ取手市に配備して頂きたいと思っています。」
協議会終了後は、いつものようにお茶会となり懇談。
この懇談が楽しみの1つ。地元地区のことを知る機会ともなり、人脈も広がる。



違いを大切に

2015年12月10日 22時12分13秒 | 社会・文化・政治・経済
アメリカ 中心が全てではない
ロシアは文学大国だと聞いていましたが、文学という営為に関心を持っているかたがこんなにもいるんだなと、やはり驚きました。
質問もすばらしくて、こちらも考えることを強いられました。
日本は、政治・経済はもちろん、米国一辺倒になっているところがある。
ロシアはそれにいい意味で抵抗していますね。
自分たちの文化とか文学、立場、場所というものをちゃんと持っている、という感じがしました。
日本の報道は米国という窓を通してしか世界をみていないといところがややある。
世界に対する評価も米国メディアの影響を受けている。
違う声とか違う見方っていうのが見えにくい。
少なくともロシアは「米国のやり方だっておかしいんじゃないのか」といことを言っているわけですよね。
そういうロシアを見ることは、日本が自分たちの世界の見え方を考え直す契機になると思います。
それはやはり、発見ですよね。
フランスだってかつてほど独自路線じゃない。
フランス独自の立場はあるけど、やはり米国が主導する世界秩序の一部というところがあります。
特によく読んだ作家は?
やはりドストエフスキーですね。
彼の、傷つけられた小さい命へのまなざしとうもの、それが印象深い。
「カラマーゾフの兄弟」は4回か5回、読みました。
作家・小野正嗣さん

















毎日が日曜日同然の生活

2015年12月10日 10時01分06秒 | 日記・断片
同じ道を毎日歩いていては、同じ写真しか写せない。
最近、改めて思っているのだが・・・
仕事もなく、毎日が日曜日同然の生活。
家へこもっている状態。
「今日は、何曜日?」と家人に聞く始末である。
火曜日と金曜日は早朝の他、午後4時20分にパートの仕事に行く家人は、「家のことをしたら、時給出すから」と皮肉を言う。
「そうか、これから仕事か。今日は金曜日か」などと当方は家人が家を出るのを「ご苦労」と声をかける。
「たまには、交通事故に注意を」と言葉を付け加える。
家人のバイクは3台目。
初めはオレンジ、その後紫、今は黒のバイク。
先日は、ライトが切れており、当方が指摘するまでは、知らずに無灯でバイクを走らせていた。
警察官に見つかれば罰金だった。















H27.12.8(火) 塩崎厚生労働大臣閣議後記者会見概要

2015年12月10日 09時45分59秒 | 医科・歯科・介護
((火)10:17 ~ 10:30 省内会見室)

【広報室】

会見の詳細
《閣議等について》
(大臣)

 おはようございます。特に私からはございません。


《質疑》
(記者)

 高額療養費制度の見直しについてうかがいます。政府が示した改革工程表では、2016年の年末までに結論を得るとされていますが、一部報道では高額療養費制度の見直しによって浮いた財源を診療報酬に充てる案が検討されていると出ていました。高額療養費制度の見直しの是非と診療報酬の財源に充てることについて大臣のお考えをお願いいたします。


(大臣)

 高額療養費制度の見直しについて新聞報道などがございますが、「骨太の方針」の中で、世代間・世代内での負担の公平を図って、負担能力に応じた負担を求める観点から検討するとなっているものでありまして、昨日の(経済財政)諮問会議で配られました改革工程表の案の中で、来年、関係審議会で検討して平成28年末までに結論を得ると整理をされており、一部報道がございますような高額療養費制度の見直しや協会けんぽの国庫補助の減額、特に診療報酬の本体部分についてどうこうということが検討に入ったというものがありますが、そういうことはございません。診療報酬の改定率については、物価・賃金の動向、医療機関の経営状態、財源、医療ニーズ等を勘案して、予算編成過程の中で決めるということであります。


(記者)

 届出をしていない有料老人ホーム、いわゆる「無届け介護ハウス」についてうかがいます。NHKの調査で、全国1,900件以上あることがわかっています。国も実態把握に努めていると承知していますが、ガイドラインの運用等が厳密に行われ過ぎると届出がなかなか進まないという状況があると見られています。このことについてどのようにお考えかということと、特別養護老人ホームの中には人手不足で、ベッドがあっても高齢者を受け入れられないという施設もあることについてどのようにお考えかお聞かせください。


(大臣)

 老人福祉法第29条に、有料老人ホームを設置する者は届出を都道府県にするとなっているわけであります。届出を行っていない有料老人ホームの存在は私どもも把握しておりますが、指導・監督を行う都道府県などにおいて、建設や消防などで携わることがあるので、連携して実態把握と届出の促進に取り組んでいるわけであります。厚生労働省においても既存の建築物や小規模建築物の特性に応じてガイドラインの見直しによって事業者が届出を行いやすくする取組も進めているところでございます。今後とも都道府県等との連携をしっかりやりながら、届出の促進と制度の円滑な運用に努めてまいりたいと思っております。
 特別養護老人ホームの空きについては、ニーズは当然あるわけですから、空きが無いようにニーズに応えてもらうよう私どもも期待したいと思います。報道を見た限りでは、介護人材を確保できないがために空きがあるという報道ぶりでありました。私どもとしても、人材確保のための加算も上乗せ導入し、今回の一億総活躍社会の取組も含めて全力を挙げてやるということで、今展開をするところでございますので、この人材確保ができないがために空きができるということが無いようにしていきたいと思います。

(記者)

 化血研(一般財団法人化学及血清療法研究所)の問題で、患者の方や市民の方からしますと、長年にわたって製剤会社の不正を見抜くことができるのは厚労省と、またはPMDA(独立行政法人医薬品医療機器総合機構)だと思います。長年不正を見抜けなかったことにつきまして、国としてどのようにお考えかをお聞かせください。


(大臣)

 40年にわたって組織的に隠蔽工作をしてきたことについては、許し難いことだと思っております。一方で今御指摘がありましたように、検査に定期的に行っていながら、これを見つけることができなかったことについては大いに反省しなければいけないと思っております。先般申し上げたように、抜き打ちの検査も当然やらなければいけないと考えていまして、その立入検査のあり方についてはしっかりと改めて考え直して、どのようにやるか、どうやったらこういうようなことが早期発見できるかということに重点を置いて、見直しをしたいと思っています。なお、先週の3日、4日、木曜日、金曜日に3度目の立入検査をやっておりまして、資料やメール、あるいは会議録などと関係者からの聴取内容を精査した上で、厚労省としてはしっかりとした厳正な対応をしていかなければならないと思っております。
 いずれにしても、血液製剤やワクチンの国民に対する信頼を裏切ってしまっていることは、大変残念であり、我々としても反省しながら、こういうことが2度と起きないようにしていきたいと思いますし、化血研のコンプライアンス欠如、内部統制の欠如の状態をどうなくしていくかということも同時に考えなければいけないし、一方でワクチン産業そのものを日本はどうするんだということも考えていかなければいけないと思っていますので、これを機にしっかりとした対応を厚労省としてやっていきたいと思います。

(記者)

 先週なんですが、12月1日に大臣が全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会の方々と面談されましたけれども、その関連で2点質問があります。まず1点は、科研費(厚生労働科学研究費)で2017年度まで3年間HPVワクチンの有効性と安全性に関する疫学研究というものに関して、重篤な副反応を診療されてきた先生方が1人も入っていなくて、どちらかというと推進されてきた先生が入っているということで、メンバーの変更等を要望されていると思うのですけれども、これについてどのように対応されるお考えかということと、もう1点は大臣は被害者の方々にお会いになって面談されましたけれども、グラクソ・スミスクライン社とMSD社は、電話に出ても応じない、直接出掛けていっても門前払いと被害者の方々は訴えていらっしゃるのですけれども、その対応についてお考えをおうかがいします。


(大臣)

 HPVワクチンを受けられて、その後有害事象が発生した方々に4名、私はお会いして、御本人、そしてまた保護者の方からお話をそれぞれ10分程度ずつ聞かせていただきました。貴重な機会だったと思います。その際に御要望がございまして、今お話のあった疫学研究、これは3年間というのはいくつかの研究を全体としては3年間でやるということで、今のおっしゃった疫学研究については1年くらいと私は理解しております。もう1回御覧いただければそのように書いてございますので、全体を疫学研究を3年やるということではないということをまず申し上げておきたいと思います。メンバーの話は、御要望がございまして、それについてはバランスを取るということを申し上げたところでございますので、そのようにしてまいりたいと思います。
 それから、メーカーの2社については民間企業のことでありますから、私どもが右だ左だを言う話ではございませんが、やはり国民とのコミュニケーションは大事だということは基本として、製薬メーカーの皆さんも押さえていただきたいなと思います。

(記者)

 先週薬価調査の結果が出まして、乖離率が約8.8パーセント、報道ベースですけれども1,500億円程度削減の見込みという数字が出ていますけれども、この調査に対する大臣の受け止めを一言お願いします。


(大臣)

 先週の金曜日に薬価調査の結果をお示しをいたしました。診療報酬の本体改定率、薬価改定率につきましては、社会保障の伸びを平成30年度までの3年間で1.5兆円を目安とすると、こういうことが「骨太の方針」に示されているわけでありますので、さっき申し上げたとおり、今回の薬価調査の結果を踏まえて予算編成過程の中で、診療報酬を考えていく重要な材料として捉えていきたいと思っております。最終的にどのくらいの財源が、この薬価の調査の結果から出てくるかは、薬価の市場実勢価格への引下げ以外の部分というのがいくつかありますので、その影響も考慮しないといけませんので、いろいろと報道がありますが、年末の予算編成過程でしっかりと検討した上で、対応してまいりたいと思っております。

















numata727 さんが 2014年12月09日 に書かれた記事をお届けします

2015年12月10日 07時29分44秒 | 医科・歯科・介護
「一発逆転」のような状況

例え追い込まれ「一発逆転」のような状況にはなるまいと、銀司は自戒を込めて思った。自嘲するように自分たちを「貧乏三人衆」と評している津田次郎と坂田清、上田孟司が「銀ちゃん、何とかしてよ」と寄ってきたのだ。彼らのように運に見放されたような「落ち目の人」に寄りかかられると銀司の勝負勘は鈍るし、勝利の女神も逃げていく...
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タクシーの運転であった友人たち

今朝の取手は、午前3時50分、気温2度。6日の土曜日、玄関の正面に見えていた満月の月はいくらか欠けていて9日の火曜日には東の空に高く見えていた。玄関前えタバコを吸っていた新川さんは「風が冷たいね」と言っていた。当方は日曜日から黄色で反射板が着いているウインドブレーカーを着用しているので風の寒さはそれほど感じな...
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“割りばし事件”

2015年12月10日 07時25分19秒 | 医科・歯科・介護
《検証》
◆元杏林大教授・長谷川誠氏インタビュー◆Vol.1
マスコミの報道に当初から怒り覚える
事故当時から大学の主張はぶれず、「真実を語った」


m3.comスペシャル企画 2009年7月9日 (木) 配信 聞き手・橋本佳子(m3.com編集長)

 「刑事裁判になった以上、事実は法廷で明らかにする」。こう語っていた杏林大学の “割りばし事件”の担当医の上司で、同大の元耳鼻咽喉科教授の長谷川誠氏。1999年7月に起きたこの事件は、昨年11月の刑事裁判の控訴審で担当医は無罪、今年4月に民事裁判の控訴審では担当医の過失は否定され、それぞれ判決が確定した(「“割りばし事件”、高裁判決でも医師無罪」「“割りばし事件”、民事高裁判決でも医師の過失否定」を参照)。
 事件から今に至る思い、医療と刑事裁判のあり方のほか、強くマスコミの報道姿勢を問題視する長谷川氏に話を聞いた(2009年6月23日インタビュー)。
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長谷川誠氏 1965年3月東京医科歯科大学医学部卒、68年同大耳鼻咽喉科助手、75年同科講師、75年7月から1年間米国メイヨー・クリニック耳鼻咽喉科客員研究員、95年杏林大学耳鼻咽喉科教授、2005年9月退職。
 ――まず当時の様子からお教えください。先生が第一報をお聞きした状況は。
 患者さんがお亡くなりになった1999年7月11日は日曜日でした。突然大学から自宅に電話がありました。その前日の土曜日、耳鼻咽喉科の当直医が救急外来に来た患者さんに処置して帰っていただいています。その患者さんが翌朝、呼吸停止を来し、救急車で搬送されてお亡くなりになったといった内容でした。私の自宅は、大学まで車で10分くらいのところです。しかし、電車とバスを使うと40分くらいかかります。私自身クルマを持っていないので、自宅近くでタクシーを探して乗ろうとしましたが、なかなか捕まりませんでした。慌てていたのでしょう。結局、電車で行ったのですが、通常の2倍以上の時間がかかってしまったのを今でもよく覚えています。
 大学に着いてすぐに、当直の担当医から状況を聞きました。割りばしで口の中を突いてしまった患者さんでしたが、土曜日の診察では、傷口は小さく、止血していることを確認しています。意識はあり、手足も問題なく動かすことができた。それで経過を見るという形で、帰宅していただいたとのことでした。
 その日曜日、救命救急センターの責任者に近い立場の医師が担当していました。この医師が搬送後、死亡を確認しました。彼は、割りばしが脳内に残っているとは想像できず、死因が不明なため、腰椎穿刺をしたところ、血性髄液の所見を認め、脳出血を疑いました。その後、頭部X線とCT撮影を行っています。
 ――そうした状況をお聞きになり、先生ご自身はどう受け止めたのでしょうか。
 「割りばしで口腔内を突いた」という事実はありましたが、死亡との関連性は考えられても、その先は分からなかったというのが正直なところです。何らかの物で口腔内を突くのは危険なことですが、それが死亡原因であるとは想像できなかった。まず木の割りばしが骨の厚い頭蓋底を貫通するとは考えにくく、仮に貫通して脳幹部に割りばしが刺さった場合にはほとんどが即死、運よく助かっても高度の意識障害、四肢麻痺が生じます。しかし、今回の患者さんの場合は土曜日の診察でこうした所見がなかったのですから、なぜ死亡されたのかが分からなかった。
 その後、私は杏林大学の過去10年前後のデータを調べたのですが、何らかの物で口腔内を突いたケースは100例ぐらいありました。しかし、そのうち重大な問題を引き起こした例や死亡した例は一例もありませんでした。
 ――その後、病院はどう対応されたのでしょうか。
 異状死として医師法21条に基づき、直ちに警察に届け出ました。警察医が検死に来て、口の中などを診て、「これは病死ですね」と。しかし、救命救急センターの医師が「これは異状死だから、解剖してほしい」と依頼したと聞いています。それで司法解剖を行うことになりました。
 ただその日は日曜日だったので、解剖は翌7月12日に実施されています。
 ――病院としては、どんな検証を行ったのでしょうか。
 当時、事故が起こったときには、担当教授、病院長、関係する医師らが集まり、対応などを協議する体制になっていました。
 今回の場合、土曜日の診察時、患者さんが病院内におられたのは1時間弱で、担当医が診察したのは5~10分程度だったと思います。担当医は、問診をし、口腔内をチェックし、傷口に消毒薬を塗って、月曜日に再度外来を受診するなどの指導をしています。つまり、実施した医療行為は極めてわずかで、患者さんの死につながるような医療行為は一切していないのです。治療経過が長い場合は、その時々にどんな医療行為を行ったのか、またどこに問題があったのかを検証できますが、今回の場合はそもそもやった行為がわずかなもので事実の把握は容易でした。
 当時の私が知る限り、「本来やるべきことをしなかった」という理由で、刑事責任を問われた例はありませんでした。しかも、解剖結果が出るまで死亡原因が分かりません。したがって、その時点ではそれ以上、検証はできませんでした。
 7月13日に司法解剖の結果、つまり「割りばしが頭蓋内に残っていた」ことを、私たちが警察に行って説明を受けました。
 ――警察では解剖所見などを詳しく見せてもらうことができたのですか。
 いいえ。相手は警察官で、医師ではありませんから、頭蓋内に残っていた割りばしの現物を見せていただき、口頭で説明を受けただけです。
 その後、同じく13日に大学は記者会見を開き、診療経過や司法解剖の結果などについて説明しました。会見は時間制限を設けずに行い、いろいろな質問が出ましたが、私が記者会見で一番言いたかったのは、同様の事態が今後起きないために、「子供が物を口に加えて遊んでいて転ぶと、予想もしない悲劇が起こる。だから注意してほしい。こうしたことをぜひ報道機関が啓蒙してほしい」ということでした。しかし、マスコミ、つまりテレビと新聞は一切、この点についてその直後報道せず、また私が知る限り、現在に至るまで報道した形跡はありません。
 今回の件に限らず、マスコミは「社会の木鐸」と言われていますが、その役割を放棄していると私は考えています。自分たちにとって都合のいいこと、利益につながることだけを報道する。それ以外のことは重要であっても関係はない、という姿勢です。
 ――記者会見ではどんな質疑応答が行われたのでしょうか。
 頭蓋内に割りばしが残っていた事実については、患児の家族の希望で他言しないように、と警察から言われていました。しかしそれ以外のことに関しては、われわれはその時に知り得たことをすべてお話し、院長は、「これは医療事故ではない」と説明しました。実際には、この「これは医療事故ではない」という院長の発言のみがテレビでは繰り返し報道されました。マスコミは「何かを隠している、なぜ謝らないのか」などと思ったのでしょうか。確かにわれわれは会見の場で深い哀悼の意を表しましたが、間違ったことは何もしておりませんでしたので、謝罪することはしませんでした。そのことがマスコミには面白くなかったのでしょう。
 当時、われわれが記者会見で語ったことは、現在に至るまで一言もぶれていません。先ほども言いましたように、診察したのは短時間で、何を実施したのか事実関係はすべて把握できておりました。真実を語っていたので、その後も変わりようがないのです。
 ――患者さんが死亡された直後からマスコミ報道がありましたが、記者会見以降、状況はどうだったのでしょうか。
 確かに数多くの報道がされていました。しかし、記者会見後にどのような展開になるか、予測はつかなかったですね。
 ――刑事事件になることは。
 それは予想しておりませんでした。裁判になる可能性は考えていました。しかし、われわれにとって普通、裁判と言えば民事です。
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“割りばし事件”◆元杏林大教授・長谷川誠氏インタビュー◆Vol.2
刑事責任を問われた以上、法廷で真実を明らかにする
「彼は間違ったことをやっていない、と訴えたかった」

m3.comスペシャル企画 2009年7月10日 (金) 配信 聞き手・橋本佳子(m3.com編集長)
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 ――担当医が業務上過失致死罪で在宅起訴されたのは2002年8月です。それまでの間はどのような状況だったのでしょうか。
 2000年に民事提訴され、その後に起訴されたわけです。起訴される前は、関係者全員、検察に事情聴取されましたが、それは突然だったと思います。私の場合は2日間で、1日目は午後1時から午後11時くらいまで、2日目は半日くらいだったと思います。
 ――検察庁では何を聞かれたのでしょうか。
 詳細には記憶していませんが、「割りばしのようなものが口に刺さった時に、重大なことが起きるはず。そこのことを医師として想定すべきだったのではないか」というのが検察の一貫した主張でした。しかし、先ほども言った通り、鋭利なもので口腔内を突くのは危険なことですが、それが頭蓋底を穿破して脳幹部を損傷した場合、脳幹部は生命維持の中枢ですから、即死か、あるいは運よく命が助かっても高度の意識障害と四肢麻痺が生じます。したがって、そのような状況が見られない限り脳幹部の損傷はないと考えるのが普通であると説明しました。この考えは一貫しており、私は刑事裁判の法廷でも、同様の証言をしています。
 事実、この例においては割りばしは脳幹部を損傷しておらず、頭蓋底の頚静脈孔を通って隣接の小脳を損傷していたために、即死や高度の意識障害、四肢麻痺などが起こらなかったわけです。臨床医学は経験科学ですから、誰も経験していないようなケースを、夜間の救急外来で診断しなければ刑事責任を問うという話には無理があると感じました。ハーバード大学付属ボストン小児病院やシンシナティ小児メディカルセンターからも、軟口蓋穿通外傷の患者で重大な問題を引き起こした患者や死亡例は経験していないという研究報告が出されています。
 あまり適切なたとえ話とは言えませんが、例えば私が夜遅く都内を歩いていて犬にかまれ、その犬はどこかに逃げ去ったとしましょう。犬にかまれれば、誰もが狂犬病の危険性をまず最初に思い浮かべると思います。しかし日本国内で犬にかまれ、狂犬病を発症したケースは恐らく過去50年間なかったと思います。したがって、狂犬病発症の確率は0%とは言えないものの、実際にはその確率は極めてわずかです。このような場合、わが国の臨床現場では、狂犬病の発症を想定して狂犬病ワクチンの接種を行う事態には普通至りません。
 医療では確率を重視します。最も確率が高いと思われる疾患から鑑別していく。したがってすべての疾患の可能性について確認できるわけではありません。それを日常診療でもし実践していたら、医療は破綻します。この点が医学的に言う可能性と、医療の違いです。医学的にはすべての可能性を検討しますが、医学の知識をいかに限られた社会資源の中で行うかが医療です。われわれは考え得る疾患の可能性と、その疾患を発症する確率を常に考え合わせて医療をやっているわけです。不必要なCT検査を実施したら、保険請求上、削られますし、それをたびたび繰り返せば医療機関としての適格性を疑われて、審査されます。もちろん、削られても医師が必要であると判断した場合には、検査をします。本件の場合は、担当医が必要ないと判断したから、CT検査を実施していません。
 したがって、「割りばしで口腔内を突いて、生命に危険はないのですか」と聞かれれば、「絶対に危険はない」とは言いません。しかし、本件の場合は、その危険を念頭に置いて治療するケースではありませんでした。だから、担当医の判断は間違っていない。このように検察での事情聴取の際も、また公判でも私はそう述べました。
 ――その辺りの確率論的な話を検察は理解したのでしょうか。
 検察が、教科書からの知識や、解剖結果を見て、そうした結論に至ったことを、私は間違っているとは思っていません。しかし、その点が机上の論理と、臨床医学を専門とする医師との相違です。もちろんその逆も成り立ちます。われわれ医師は本を読んで法律を理解することはできますが、法律が実際の場面でどう運用されるかまでは法律の専門家ではないので分からないのと同じです。
 ――一審判決は刑事裁判が2006年3月、民事裁判は2007年12月。控訴審判決は刑事が2008年11月、民事が2009年4月です。裁判に当たって、大学はどんな準備、対応をしていたのでしょうか。
 多くの医療行為をやっていたり、治療経過が長かった場合、それらを検証し誤った医療行為があったかどうかなどを調べたりできるでしょう。しかし、今回の場合は、先ほど申しました通り、患者さんが院内にいた時間は1時間弱で、担当医が診察した時間は5~10分程度です。ですから、さらに何かを調べて、新しい事実が出てきたりすることもありません。しかも、診察時には最初は救命救急士のほか、看護師などもいました。解釈に多少のずれがあるかもしれませんが、事実関係は既に把握できているので、それ以上、検討しようがありませんでした。
 ――公判の鑑定人、証人の選定などに大学はかかわったのでしょうか。
 刑事裁判における、弁護側の最初の証人は私でした。その後の証人の選択には、私は一切かかわっていません。私がかかわると、公正・中立な鑑定人であると受け取ってもらえなくなる可能性があったからです。
 ――判決が出るまでには時間がかかりました。先生は裁判の動向をどのように見ていたのでしょうか。
 公判を傍聴に行ったことはありませんが、「担当医が間違ったことはしていない」という確信を持っていましたので、いかなる場合でも全力を尽くす覚悟はできていました。ただ、それを公共の場で言うことは避けていました。彼を弁護するため、マスコミで物を言ったり、本を書いたりしたいという気持ちは非常に強かった。「彼は間違っていない」と訴えたい気持ちは本当に強かった。しかし、それ自体、法治国家のルールに反すると考えていました。弁護団との会議でも、「マスコミと接触するのはやめよう」と主張していました。
 裁判の過程で、ある大手マスコミの記者から、「今までの報道は非常に偏っている。問題がある。公正な報道をしたいから、協力してほしい」と依頼されたケースもありました。「それは大変ありがたいが、われわれは法廷の場で真実を明らかにしていく」とお断りましました。弁護団の方にも別のマスコミから取材依頼があったそうです。
 ――最初からそうしたスタンスだったのですか。
 はい、「刑事責任を問われた以上、法廷で真実を明らかにする」というのが、われわれ全員の一致した考えでした。
 刑事裁判だけでなく、民事裁判も東京高裁で判決が確定しました。だから今、こうしてお話しているのです。
 ――「担当医は間違ったことはやっていない」という思いは最初からお持ちだったのですか。
 そうです。私がその場にいても、同じことをやったと思うからです。確かに 担当医と私では3年と30年という経験の差がありますから、問診の仕方が違ったり、話を聞いて彼が気付かなかったことを私が気付く可能性もありますが、実際にどうだったかは分かりません。しかし、いずれにせよ結果は同じだったと思います。
 ――裁判の間、担当医の先生はどうされていたのでしょうか。
 当時は耳鼻咽喉科に所属していたのですが、その後、内科などの研修をしました。大学は、これは担当医のミスではない、医療過誤ではないと、最初から判断していたわけです。このスタンスは、先ほども言いましたように、最後までブレませんでした。したがって、彼が大学の中で非難されたり、肩身が狭い思いをすることもありませんでした。彼が大学にいることは何も問題はなかった。
 しかし、周囲がたとえそうだったとしても、本人はどう思っていたのでしょうか。患者さんから噂されることもあったでしょう。マスコミもよく来ていた。彼自身が大学にいることを苦痛に思ったのでしょう、途中から大学を離れ、他の病院に移りました。
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“割りばし事件”◆元杏林大教授・長谷川誠氏インタビュー◆Vol.3
1999年以降の報道を一つひとつ検証していく
「社会の良識」であるマスコミには誤りを訂正する姿勢が必要

m3.comスペシャル企画 2009年7月15日 (水) 配信 聞き手・橋本佳子(m3.com編集長)


「マスコミでも、誤った報道をすることはある。その場合は真摯に訂正する姿勢が求められる」と語る長谷川誠氏。
 ――マスコミは裁判の開始前から判決が出るまで、ずっと取材していたのでしょうか。
 そうですね。一度、1999年の事故発生当時から、マスコミがどう報道してきたのか検証したいと考えています。私が「マスコミ」と言う場合、テレビと新聞を指しています。ただ新聞と言っても一様ではなく、ある程度、医療問題を理解している新聞がある一方、本当にレベルが低い新聞もあります。
 ――結局、担当医は裁判ではなく、マスコミにより大きなダメージを受けた。
 私は新聞でも間違うことはあると思います。限られた時間内に、限られたスペースでまとめなくてはいけない。そのこと自体、私は非難しません。
 しかし、マスコミには、報道の自由、編集の自由が与えられているのですから、間違ったことが明白になった時点で、なぜ間違ったかを検証し、真摯に反省して、それを記事にして報道しない限り、自らの責任を果たしていることにはなりません。自分の都合のいいことだけを書くなら、報道の自由はあり得ません。これは報道に携わる方の根幹の問題だと思うのです。今回のケースで、このことがはっきり分かりました。刑事裁判、民事裁判ともに高裁判決が確定しました。きちんと社会のルールに則って、決められたプロセスを経て、担当医に過失がないと確定したわけです。それなのに、マスコミは自らの報道の検証をしていない。法治国家のルールを完全に否定していることになると思います。
 ――民事、刑事の一審、二審判決に関する報道を見て、どう思われたのでしょうか。
 一審で無罪判決が出ても、二審で覆されることもあり得ます。したがって、一審判決に対する批判的な報道はある程度許されるかもしれません。しかし、二審で判決が確定した後は事情が異なります。
 昨年11月、刑事裁判の二審判決で、担当医は無罪とされました。検察は控訴せず、確定しました。また今年4月、民事裁判でも担当医に過失はないとされ、こちらも確定しています。もし判決に問題があったなら、上告するはずですが、そうではない。つまり、これらは裁判所の最終判断です。しかし、その後も、一部の報道機関はあたかも担当医に刑事責任があるかのように、記事や番組を構成し、印象操作を行っています。
 例えば、ある新聞は、刑事裁判で無罪確定した後の解説記事で、「東京高裁判決は、捜査当局が医療事故の刑事責任を追及することの難しさを改めて示した」と書いています。「何かまだ隠されたものがあり、捜査当局はそれを明らかにできなかったために、本当は有罪なのだが無罪となった」と受け取れるような表現です。この事件では、法廷で事実関係が示され、医学的、法律的に議論され、裁判所が最終的に無罪および過失なしと判断したのです。したがって、これは医師の人権を無視した報道です。担当医に対して謝罪していただきたい。こうした報道が許されるのだったら、確定した高裁判決であっても、無視していいということになります。
 ――先生は警察や検察などよりも、マスコミのあり方を問題視しています。
 検察は刑事責任を追及するのが仕事です。検察は自らの職務を忠実に執行したわけです。私自身は法律の専門家ではありませんから、検察に何かを言うつもりはありません。
 しかし、報道機関は司法と並ぶ、社会の二大権力機構。報道機関は、「自分たちこそは正義だ」「社会の良識を代表する」と自認しています。その報道機関が、自分たちの都合のいいことだけを報道する。自分の利益に合致しないことは報道しない。時には世論を誘導する。誤ったことが分かっても、それを認めず報道し続けることは、法治国家のルールに反します。こうした態度を取っていいのか。それに対して責任を取るべきでしょう。
 新聞社には、デスクなどがいて、記者が書いた記事をチェックすると聞いています。限られた紙面、限られた時間の中で、ある程度、パターン化しないと、記事がまとまりにくいのでしょう。
 報道機関には、一つひとつの言葉の表現は正しいがそれらをうまく組み合わせることによって恣意的に印象操作し、どちらか一方に加担するような記事を書く書き方があるのではないかと思っています。新聞社は非常に注意深く個々の言葉を選んで使っているため、個々の言葉の表現には間違いはない。したがって、読み手が一方に偏った記事であると抗議しても、うまくその抗議をすり抜けるテクニックを駆使しているように思えてならない。こうした「責任を回避する」書き方、紙面構成は、極めてずるいやり方ではないかと思っています。
(つづく)

昨日出会った人

2015年12月10日 06時22分54秒 | 日記・断片
顔を見かける度に声をかけて来る人がいる。
「今日は、奥さんと一緒じゃないの?」明らかに、人違いであるか、思い込みである。
その人を新橋でも見かけた。
タイプは大工などの職人風である。
角刈りの頭で、顔は浅黒い。
肉体労働をしてきたのか、筋肉質でもある。
冬なのに薄着だ。
初めてバスの中で隣に座ったので「自宅はどこですか?」と聞いてみたら、「北小金」と答えた。
松戸で見かけた時は、坊主頭で目が大きく、声も大きい元気タイプな人と何時も一緒であその人も北小金に住んでいると言っていた。
彼らは3人連れの時が多い。
取手で見かけるのは、何時も独りである。
酒の話になったら、酒は飲めないと言っていた。
職人風で、酒を飲むタイプに見えたので意外であった。
この男と似たタイプの男を松戸で時々見かけるが、何時もコーヒーを飲んでいて「酒は飲めない」と言っていた。
「酒が飲めないのであれば、食べるほうですね」
「焼きそばやラーメンが好きなんだ」と言う。
「出身はどこですか?」
「我孫子だよ」
「私は取手に住んでいます」
「女はいいな、働けるとこがあって」
「そうですね」
「男はシルバーの仕事なんか、駅前の自転車の整理くらいだ」
「そうですね。働きたくても仕事ないですね」
「1日、3時間くらい、働きたいけどな」
「清掃の仕事もないですね」
「女はいいような、色々働く場があって・・・」
個人タクシーの運転手をしていたそうだ。
朝の挨拶で人に声をかけることに慣れてきたので、以前より見知らぬ人にも声をかけることが多くなった。
家人は野球観戦では常に周囲に座る人たちと直ぐに打ち解けるのだ。
喫茶店、飲食店などでバイトもしていたからかもしれない。
また、小さな子どもに話しかけるにも慣れている。
子どもとの会話にも機転がきくタイプなのである。

母親は思うに、精神を病んでいたのだ

2015年12月10日 00時11分05秒 | 創作欄
★児童虐待に歯止めがかからない。
そんな新聞に目がとまった。
★実は当方も母親の虐待を受けて育ってきたからだ。
このことは、これまで何度も表現してきたが、母親は「子育て」「しつけ」の方途を間違っていたのだ。
★「戦争」に負けたこと、男性社会への失望。
日本の指導者への不信感もあっただろう。
★家庭の主婦として、敗戦に過剰にまで反応をしたようだ。
ともかく、男が確りしないと日本国は滅びると誤解をしたのかもしれない。
このため、母親として息子を「厳しく育てる」ことに向かったのだと思われる。
★時代錯誤の「武士道」をも信奉していた。
生半可の武士道への理解。
「寒い」と息子が言えば、「何が寒いんだ」と真冬でも、息子を裸にして、井戸水を浴びせる。
だが、幸にも井戸水はそれほど真冬でも冷たくはなかった。
★母親は思うに、精神を病んでいたのだ。
つまり精神異常者の子育てが虐待そのものであったのだ。


12月9日、まだ朝顔が咲いていた。
スイセンも咲いている。
名前は忘れたが、2度咲きの花もある。