運動会 一度も対抗リレーでは負けていない

2015年12月13日 19時41分37秒 | 日記・断片
当方の不祥事などで家人と何度も別居したが、「独りで気楽だろう。自治会の役員にならないか?」と麻雀仲間たちに誘われ、説得もされ不本意ながら役員を引き受けた。
まさか、自治会長になるとは思わなかった。
雇用促進住宅の自治会の会長の関係で、台宿町内会にも関わる。
ある意味で地域に関わることは必然であった。
飛び降り自殺未遂、子殺し、親子心中、自殺など自治会の会長時代に起こった。
180世帯に過ぎなかったが、新聞の社会面のような事件が起きた。
葬儀などは、雇用促進住宅集会場で執り行われた。
集会場では毎週、徹夜の麻雀である。
月1回の行事。
あれほど、毎月、何らかの行事を行っている自治会など他にあっただろうか?
子どもたちが多い雇用促進住宅であった。
60代の世帯は数世帯であった。
世帯が若いので、台宿の運動会では、一度も対抗リレーでは負けていない。
100㍍を11秒台で走れる俊足の住民が4人以上いたのだ。














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人生には、もしもがないが・・・

2015年12月13日 19時18分31秒 | 日記・断片
雇用促進住宅には、10年余お世話になった。
大学時代の友人岡村君(仮名)の紹介だった。
当時、船橋の雇用促進住宅の家賃は5800円と格安。
取手の雇用促進住宅9800円。
「船橋は安いけど、かなり古いよ。取手は築2年、まだ新しいよ。どっとにする」と岡田君。
当方は、中山競馬場が近いので船橋を希望。
だが、家人は「古い住宅なんか住みたくない」と主張する。
当時住んでいた小田急線の相模駅前の借家は、徒歩2分。
実に通勤に便利な立地であった。
だが、駅前の区画整理で年内の立ち退きを迫られていた。
家賃は2万1000円だった。
本来なら、立ち退き料を貰いたかったが雇用促進住宅の家賃は9800円はなんとも格安。
黙って立ち退くことにした。
相模大野の相模原市御園4丁目の実家へは、2度と戻ることはない、と思って相模大野を後にした。
実際、姉夫婦家族が実家の住人となった。
神奈川県人の我々は茨城県人となったのだ。
家人が船橋の雇用促進住宅を選んでいたら、我々は千葉県人となっていた。
人生の分かれ目を何時も想っている。
神奈川県人になる前は、東京・世田谷用賀に住んでいた。
その前は、大田区の雪が谷大塚である。
世田谷用賀へ移転する前は、小平市へ移転する予定であったが、父親が詐欺師に金を取られ無一文となる。
もしも、小平市に移転していたら、相模市に住んでいた家人とは出会うことがなかっただろう。
家人は高校生の時、東京の新大久保から相模原市に移転して来たのだ。
また、家人の母親と当方の母親が友人関係にならなければ、家人と結婚することもなかっただろう。
人生には、もしもがないが・・・

















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広報活動でポスティングへ行く

2015年12月13日 18時05分03秒 | 医科・歯科・介護




小雨が降っていた。
午前8時50分ころ、元住んでいた雇用促進住宅の前を通過。
「あら、しばらく、お元気そうで」と知人の矢野さん(仮名)の奥さんに声をかけられた。
「どこへ?」
「近くの知人の家で会合があるんです」
「奥さんに家へ来てと言われているの。家の中改装したそうね。見に行くわ」
「掃除ですか?」
「そうなの、これから大掃除」
「そのようですね」
すでに、住民が集まってきていた。
知人の久田宅(仮名)で9時から10まで支部の会合。
雨が降っていたが、知人3人と歩いて帰る。
車で来ている人もいた。
午後2時から中川宅(仮名)で地区の会合。
雨があがっていた。
その後、広報活動でポスティングへ行く。
友人の大野さん(仮名)などに会う。
大野さんは元雇用促進住宅に住んでいたのだ。
「雇用促進の人に会いますか?」
「会わないね」
「小森印刷の人とは?」
「会う機会ないね。家にこもっているよ」と言っていた。






写真:取手・懐かしの雇用促進住宅


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冬の嵐、都内の気温は24・1度

2015年12月13日 17時49分27秒 | 日記・断片
金曜日は雨の後は南風の冬の嵐、都内の気温は24・1度。
異常であった。
スイセンが咲いており、まだ、朝顔も咲いている。
10月桜が咲いていることも報道されていた。
伊豆から出てきた友人と新宿で会って懇談した。
知人の亀田さん(仮名)がリューマチになったことを聞く。
当方と同世代であり、最近、1年ほど会っていない。
「努力していることが報われる」
「価値的に創造的に」が課題である。
まだ、目標が明確でないが、何かを成さなければならない。
友人と別れてから久しぶりに新宿中央公園を散策した。
その後、新橋へ向かう。









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numata727 さんが 2014年12月12日 に書かれた記事をお届けします

2015年12月13日 17時35分36秒 | 医科・歯科・介護
真田の人生

2014年3 月13日 (木曜日)おわり金がすべてはないが、金で解決できることもある。金に困ると人は犯罪者にもなりかねない。 一番安易なのは、人を殺してまで金を奪うことだ。奪った金はわずか500円。 財布には500円しか入っていなかったのである。 「500円?! 日当にもならん。この若者は無期懲役だろう」 真...
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銀座のクラブの女

銀司は今朝、夢を見た。夢は毎日、見ているのであるが、目覚めると「何であったかのか?」さっぱり思い出せない。それほど夢は老いた銀司には実感が伴わない。夢は記憶力の低下と比例して希薄になっていくようなのだ。だが、今朝の夢には死んだ妻の朝子が出てきたので、鮮明な映像として脳裏に留まっていた。銀司はその日も女のマンシ...
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