なんとかしてきてなんとかなった

つれづれなるままに、つぅつぅれろれろ

廃墟

2020-09-05 23:09:23 | 日記
仕事をバタバタと終わらせて、家の窓に板を打ち付けろと家族に厳命され、昼ごはんもソコソコに終わらせてほぼ休憩無しで帰ってくる。
嫁がホームセンターにお昼過ぎにいったところ、すでに水もカセットコンロのガスも窓シートも何もなかったらしい。電話でどうしようって言ってきたから、コンパネ買って三等分くらいにカットしてもらったら軽自動車でも乗るから、と伝えたのだけど、嫁の行った店ではカットサービスをしてなかったらしい、なぜか除菌シートがあったから2つ買って帰ってきた。
まぁ、5時前にホームセンターに行ったりなんたりしてたら日も暮れそうなので、仕方がないから倉庫から古くて薄いベニヤ板、そして何年も放ったらかしにしてた床板材を引っ張り出して、丸鋸で適当に切って、風が吹きそうな方向のマドにビス止めした。丸太でできた家だからこんなときは重宝する。
が、適当に切ったからちょっとバラツキ感は否めないわけで、まるで廃屋のガラスが割れた窓になってしまった。ま、仕方がないや。

そうですよ、自助ってます。ええ、当たり前ですよ。
台風が来て近所の年寄が困ってたら共助もしますよ、もちろん。
そんなの当たり前なわけで、問題は公助がどれくらい行き渡るのか?ってところじゃないのかねぇ。
公助の最終責任者がオマケみたいに使うのってどうなの?
なんかズッコイ事する人が多くて大変みたいなニュアンスが公助の中に含まれてる気がするんだけど、それってズルすることが当たり前って思ってるから、そんな風にヒステリックになるんじゃない?
「あの人ずるい、許せない」小狡いことを許さないってのもなんかねぇ、心根ってもんだよそこは。

なんだか行儀よくすることに命がけで大きな大切なことを忘れちゃってる気がするね最近。
行儀が良い、聞き分けが良いと許せなくなるんだろうなぁ、
そこにつけ込んで共助を蔑ろにしてるのはちょっとどうなんだろって思うし、ドヤ顔でフリップに書くあたりちょっと違うじゃね?って思う。ガースーに期待なんかしてないんだけどさ。



神様の存在っていうとなんか安っぽいんだけど、やっぱり何かしら芯になることが必要なんだって最近の本邦の状態を見るにつけ思わずにはいられない。
日本人は何かをどこかに置き忘れてしまってる。


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