カキぴー

春が来た

映画「上海の伯爵夫人」と、「第二次上海事変」

2012年04月10日 | 映画
さまざまな動機や事情を抱えた雑多な国籍の人たちが、租界という限られた地域に寄り集まって暮らしてた1930年代の上海には、数知れぬドラマや人間模様に彩られていた筈で、少なからず興味と郷愁をそそられる。 そんな上海に惹かれ2004年、ここを舞台にしたベストセラー「ぼくたちが孤児だったころ」を出版したのが、現代イギリスを代表する日本生まれの作家「カズオ・イシグロ」。 彼はその翌年、戦争の足音が迫るまったく同じ年代の舞台を背景に、最初から映画化をイメージしたオリジナル脚本、「The White Counntess」(白い伯爵夫人」を書き上げる。 映画はイギリス・アメリカ・ドイツ・中国の合作で製作され、邦題は上海の伯爵夫人」として2006年に日本公開された。

監督は、同じイシグロの原作映画「日の名残リ」で高い評価を受けた「ジェームズ・アイヴォリー」で、互いに不幸な過去を背負いながらも,異国の地で大人の恋を成就させていく男女を抑制した感情で描いている。 1936年の上海、かってはヴェルサイユ条約の調印にも立会い、「国連最後の希望」と称えられた高名な元外交官・アメリカ人の「トッド・ジャクソン」(レイフ・ファインズ)は、不条理なテロで妻子と視力を失い、夜な夜なダンスホールやバーを彷徨う生活を送っているが、彼には夢がある。 素敵なカウンターにいいバーテンが居て、一流のバンドとショーガール、そしてそこは世界各国の要人や対立する中国・国民党と共産党の大物も出入りする、「政治的緊張感漂う店」を作りたいのが彼の念願。 そして偶然に知り合い意気投合している謎の日本人、「マツダ」(真田広之)も影の支援者。

元外交官には並外れた博才があり、なんと競馬に全財産をかけて大儲けし、ナイトクラブの開店資金は揃うのだが彼のイメージする「店の華」を探さなければならない。 そこでたまたま巡り逢うのが先のロシア革命で伯爵の夫を亡くして上海に亡命し、娘と一族を養うためダンスホールで働く伯爵夫人「ソフィア・べリンスカヤ」(ナターシャ・リチャードソン)。 二人はプライバシーに深入りしない約束で了解し合い、夢のクラブ「白い伯爵夫人」を開店させ連日盛況の成功を収める。 しかしそれも長くは続かない。 1937年8月13日蒋介石率いる中華民国軍が上海に進駐、それに続く日本軍との抗戦、いわゆる第2次上海事変の勃発はやがて日中戦争へとエスカレートしていく。 当時の上海はフランス租界、日英米の共同租界、上海特別市の3行政区域に分かれ、自国民を守るため各国が軍隊を駐屯させていたが、戦争当自国以外は中立を守った。

第2次上海事変の間 、中華民国と日本は宣戦布告をしていない。 日本は米国からの資源輸入、中華民国も米国など中立国から軍事援助を維持するため、それぞれ宣戦布告をするわけにいかない皮肉な事情があったからだ。 中華民国が日本に宣戦布告をしたのは、日本が米英両国に宣戦布告した翌日の1941年12月9日であった。 ところで上海の外国人の多くは戦火が広がると香港やマカオに脱出を始める。 ソフィヤ一族もイギリス領・香港へのビザを何とか取得するが渡航費用を工面できず、落ち込んでいるソフィヤからやっと事情を聞きだしたジャクソンは、必要な金額300ドルを古い布袋に入れて手渡す。 この行為が彼女を失うことも承知した上で。 彼女は眼の見えない彼の手をとって自分の顔をなぞらせると彼は言う、「今まで君がこれほど美しいとは思わなかった・・・ありがとう」

銃弾の飛び交う店に残ったジャクソンをマツダが救いにくるが、彼は蒋介石側とも通じているらしく「私の車で安全なところへお連れしたい」との申し出るが、ジャクソンはそれを断りソフィアの身を案じて港へと急ぐ。 一方ジャクソンと上海に残ることを決心したソフィアは、ごった返す人混みの中を港に駆けつけ、間一髪で一人娘のカティアを取り戻す。 しっかり抱き合う3人、「私たちは互いに支えあわなければ」と誓い合う・・・。 1960年代、香港のナイトクラブには文化大革命から逃れてきた大学教授や医師・弁護士など知識階級の子女たちが多く働いていた。 安物のドレスに身を包み、悲惨な体験を淡々と筆談で語る姿には凛とした気品と、微かなプライドが感じられたのを思い出す。  


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