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国際関係学を捨てるまで(5)

2007年08月29日 | 留学色々
3セメで卒業できると思ったからこそ、破産前に卒業可能だとその大学にこだわった私でしたが、現実はそうではありませんでした。(前回の記事参照)そしてその後、更なる予想外な問題にぶち当たることに。

大きな勘違いであったにしろ、3セメで勉強を終わらすことができるのであれば、なんとか資金が間に合うと考えた私でしたが、それは大学でのバイト収入をも含めてのことでした。コミカレ時代、バイトをしようと思った夏すぐにポジションが得られ、進学先の大学でも学期が始まる前に手を打てば、バイトが見つかるだろうと思っていました。なので進学前の夏、クラス登録で進学先の大学に行ったときに、何かポジションがないかあたってみたところ、まずはFinancial Aidの手続きをしなければならないと言われました。私は留学生で、アメリカ人用援助には無関係のはずでしたが、コミカレでバイトが決まったときも(なぜか)その書類に記入することになったため、大学でも同じ状況なのかと、言われるままFinancial Aidの手続きをすることに。(手続き完了に数週間かかると言われた)

その後アパート探しで進学先の地に何度か行ったとき、その都度大学に寄り、バイト状況を確認してみたのですが、「今はポジションの空きがない」と言われるばかり。そして新学期が始まってからも答えは同じで、そのカレッジでのバイトはほぼ不可能のようでした。3セメで卒業できないことが発覚し(←サマーを取れば可能ですが学費が倍になるのでそれもキツイ)、当てにしていたバイト収入が得られない。自分の金銭的不安は益々高くなることに・・・・。

問題はこれだけではありません。進学先は陸の孤島のごとくの地であった「村」にあり、そしてNYCに近づいたせいか、全体的な物価が高く、家賃をはじめ、食品、日用品、車の保険、全て、以前住んでいたところよりも高いのです。(店はモノポリー化しているともいえる)家賃の高さに関しては承知の上だったとは言え、生活費の足しになるはずだったバイト収入がないということで、家賃の支払いとそのほかの生活費が、その後ずっと続く大きな障害に感じられました。

更なる問題は続きます。そこに住み始めてしばらく経ったころ、その地に移ったことにより、自分の世界が急に狭まったような気に襲われました。それが事実か錯覚かはともかく、とにかく本人はそういう気に襲われたのです。その原因になったのは、その「村」がいわゆる「カレッジ・タウン」だったということ。(タウンではなくビレッジですが)

村にある目立ったものといえばカレッジのみで、村人口の割合は学生がほとんどを占めていました。そしてカレッジのすぐ側には2,3分車で走り抜けたらそこまで、という感じの小さなダウンタウンがありましたが、私はその唯一アメリカのコミュニティーを感じられる場とは反対方向に住む場所を決め、カレッジから家までの道のりは、ひたすらまっすぐの田舎道を10分走るだけというものでした。ですので通学中目にするものは山と草原のみで、カレッジにたどり着けばコミカレに少し色を加えた程度の生徒たちがいるだけ。(←どんなんや) つまりその地で目にするものは、学校、学生、そして大自然。この自分の状況に身を持って気付いたとき、突然陸の孤島に追いやられた気分になってしまったのです。

自分のやりたいことがわからないまま仕事に繋がらない専攻を選び、そのあまりにも幼稚な自分を進学直前に認識したあと、3セメで卒業できないことが発覚したうえ、大学でバイトもできず、物価の高い、個人的にノイローゼになりそうな「陸の孤島」に2年も住むことになった私。コミカレ卒業時から進学してからの1ヶ月ほどの間、自分の愚かな選択と行動を、後悔してもしきれないほど悔やまれる辛い状況でありました。(とにもかくもバカすぎる・・・・)


続く。




国際関係学を捨てるまで(4)

2007年08月28日 | 留学色々
「国際関係学を捨てるまで」なんて恐ろしいタイトルで記事が続いていますが、皆さんお気づきの通り、実際のところは国際関係を捨てたわけではありませんでした。大学を転学をして専攻が「政治学」になったものの、卒業まで学んだことはしっかり「国際関係」ですから~。(←一応諦めてなかった人)

で、本日は、進学先のクラス登録で唖然としてしまった、お間抜けな話をしたいと思います。

そもそも私が最初の大学を選んだ理由は、前回の記事に書いた通り、その大学にはIR専攻があったからです。IRという専攻名だけで、自分が学びたいことがそこにあると思ってしまった私ですから、専攻の「IR:International Relations」は、大学選びの絶対条件だったのです。

まず私はNY州のコミカレに通っていましたが、進学先を決めるために、IR専攻のある全米の大学をサーチしました。その中から学費がとても出ない私立は省き、公立の大学に絞って選び出し、でも結局は引越しがしやすく、単位の移行が有利であるNY州立大学に行くことにしました。そしてその大学編入のために、大学規定の一般教養と必須科目を履修するよう、コミカレのスケジュールを組み直し、自分的には準備万全だったのですが、この段階で得た情報に大きな落とし穴が・・・。

落とし穴と言うとまるで大学のわなに引っかかったかのようですが、恥をかき捨て暴露させていただくと、実は自分の大学に関する知識の足りなさが問題でした。

ある日、IR専攻で大学を卒業する条件などを調べていたとき、そこには専攻必須単位数、必須コースなどが載っていて、それを見た限りでは、私は3セメで卒業可能かのようでした。それはまず、自分がコミカレで一般教養を終わらせ、IRのUpper Courseを履修するためのRequirementも同時に済ますことができそうだったからです。がしかし、Bachelor’s Degreeを得るためには(卒業するためには)、一般教養と専攻必須単位を済ませればいいというものではありませんよね。でも私はその情報を見たことにより、編入後専攻科目さえ履修すれば、大学を出ることができると思い込んでしまったのです。

「この大学なら3セメで勉強を終わらせることができる。破産する前に卒業できるかもしれない。自分はこの大学に行くしかない。」と大きな勘違いをしたまま出願し、合格通知をもらい、コミカレを卒業しました。そして進学予定先の大学で、編入生クラス登録をしたときのことです。クラス登録の担当者であったIR教授に、自分は3セメで卒業するつもりでいると伝えたところ、どれどれと私のTranscriptをチェックされました。すると、3セメではBachelor’s Degree卒業単位には届かないだろうと言われ、それは一体どういうことなのか話を聞いてみてはじめて、四年制大学を出るには、専攻必須単位以外の単位も更に必要だとわかったのです。これは本当にショックでした。自分の全財産を考えた場合、4セメの学費と生活費は恐らく出ない状態だったからです。(涙)

この事実を知らされ、一気に途方に暮れたものの、その時点ではその大学に進学するしかなく、とにかく行けるところまで行くしかないという思いだけで、進学先のクラス登録をしたのでした・・・・。

この自分の愚かな過ちの原因は、そもそも大学のシステムを理解していなかったからだと思います。それにもし自分の進路についてコミカレのアドバイザーに一度でも相談していれば、こんなマヌケな勘違いをしたまま進学に至ることはなかったとも思います。あぁ、恐るべし自分の思い込み行動力。(違)念の為、コミカレの友だちなどにはこういった話は何度かしてました。でもその人たちは私の持っている単位の状況や、他の大学や専攻のことはよくわからないものですし、私が「3セメで卒業できそうだ」と言えば、「そうなんだ」という感じになっても当然です。なので進学先のIR教授に指摘されるまで、自分の勘違いに気付くことはなかったのです・・・・。

続く。




国際関係学を捨てるまで(3)

2007年08月27日 | 留学色々
不安を抱えながらとりあえず進学した後。

進学先は州立の小さなカレッジでしたが、全米でも珍しいとされる「IR:国際関係学部」のある学校だったので(IRはたいてい政治学部の一部になっている)、IRに強い一流校に行けない学生でも、希望を持ってIRを学べる、貴重でリーズナブルな大学のひとつだったと思います。そんな「IR学部IR専攻」のある大学ですから、そこには当然IRを学んでいる生徒が山ほどいました。(念の為、小さなカレッジなのでユニバーシティと比べると生徒数は少ないですよ)

ひとまずここでコミカレ時代に話はさかのぼりますが、進学前の当時、IRを目指している生徒は自分以外に一人もいなかったような気がします。たとえばそのコミカレで2年に一度だけ開講される、「イントロ国際関係」にいたクラスメイトたちは、「政治学」や「ジャーナリズム」などの一環として履修していただけで、進学後「IR」に進む予定はなかったようでした。でも一応一人だけ、私と同じく「海外」に興味を持ち、IRを専攻にすると言っていた女の子がいたんですが・・・・「イントロ国際関係」が他の教科と比べると難しかったようで(Theoryとかわけわかりませんから)、「国際政治は無理だ」とあっさり途中で専攻を変えていました。(←言語学を専攻し、海外で英語を教える道に進んだのだと思う。実は後に2個目の大学の言語学コースにて彼女と再会しました。)でも彼女が専攻を変更した気持ちはよくわかります。私も「イントロ国際関係」を受けて、「国際政治ってこんなに難しいものなの?!」と唖然としましたから・・・。「イントロコースでちんぷんかんぷんって一体・・・・」てな状態でしたから・・・。

で、そんなコミカレのあと四大に進学してみたら、当然ながらやる気満々IR専攻の生徒がゴロゴロいます。IR系統のUpper Courseを履修すれば、ほとんどIR専攻の生徒ばかりです。ただでさえ仕事のチャンスが少ない分野だというのに、こんなにIR生徒がいたら、30代日本人の私なんておしまいだ~~~・・・・・。と更に弱気になったのは言うまでもありません。

ま、でもこれはどの分野でも同じですよね。国際関係だろうが、ビジネスだろうが、それぞれに同じ専攻を持つライバルが、学校中だけでなく、全米中にいるわけで、就職競争に勝ち抜かなければならない状況には、一切変わりないんです。でも個人的には、もし専攻が他のものだったら、心境はまた違ったと思います。なんとなくですけど・・・

続く




国際関係学を捨てるまで(2)

2007年08月26日 | 留学色々
進学を決意した時点で既にコミカレで1年過ごしていた私は、その1年後には四大に進学しておきたかったため、さっそく進学先を決め出願手続きをしました。(←学費の安いコミカレでさえ延長はできなかったので)そしてその半年後あたりには、出願先の州立大学から編入許可をもらっていました。進学が確実になったことで、国際関係学が学べる自分の状況に更に舞い上がっていた私なのですが、苦しかったコミカレ最後の学期を終え、サマーコースを履修しながら、引越しの準備、オリエンテーション(クラス登録)の準備などをしていくうちに、突然自分の大学選択に、不安と疑問を持ちはじめるようになりました・・・。

まず予定外だった四大進学のために、本来コミカレ卒業後のために残してあった、自分の貯金は確実に使い果たすことになります。(若しくは卒業前に資金切れ)このことは進学を決めた時点でわかっていたことですが、いざ学費を振り込むことになったとき、州立の学費とは言え、それはコミカレとは大きく差のある額であることから、一気に貯金の額が減るわけで、それによりとてつもない金銭的不安に襲われてしまったのです。

そして専攻について。International Relationsという専攻名を聞いたとき、一体どんな勉強をし、一体どんな仕事に就けるのか?と疑問に思いますよね?!私の周りの人たちは皆そうでした。そしてひとりの知り合いに「IRで卒業したらどんな仕事ができるの?」とずばり聞かれたとき、私ははっきり答えられなかったんです。国際関係を学べば大使館や領事館に関れる可能性が無きにしも非ず。でもそれはまぁ、無理だろう。ということで、国際関係に通じる団体、「NPOで働きたい。」というのが唯一の自分の答えでありました。でもこういった返事をしたとき、私はとても恥ずかしかったです。仕事について聞いてきた人は、大学でビジネスを専攻し、会計士になり、CPAの資格も取った人です。(←5歳くらい年下かな?)そうやって手に職を付ける勉強をやってきた人を目の前に、いい年をした自分がせっかく得られた大学教育の機会に対し、現実的でない曖昧な将来計画しか持っていなかった事実が、とてもとても恥ずかしかったのです。(涙)

進学直前となったこのあたりから、自分の専攻での仕事のチャンスの幅狭さに気付きはじめ、やっと現実を見れるようになったとも言え・・・・

焦りました。(←遅い)


続く





国際関係学を捨てるまで(1)

2007年08月26日 | 留学色々
コミカレ在学中、IR:International Relations(国際関係学)という専攻を知り、こんなにも自分にぴったりな専攻がこの世にあったのか、と無知で単細胞な私は舞い上がりました。IRが自分にぴったりだと言うのは、その分野に向いているとかではなく(当然)、自分の学びたいことがその分野にあるような気がしたからです。


高校卒業後の大学進学として留学している人たちの中では、「国際関係学」はよく知られた専攻なのではないかと思います。私が2年ほど前に一時帰国したときのことですが、新聞に掲載されていた大学情報に国際関係学が幾つも載っていて、今やこの分野は日本で人気のある専攻なのかという印象をも受けました。(昔よりはポピュラーになっているはず)なので進学予定の高校生が、単純に海外に関することを学びたい、そういった道に進みたいと思った場合、一度は国際関係学が頭をよぎるような気がします。(その専攻に進むかどうかは、本人次第、周りのアドバイス次第だと思いますけど)

そしてIRを専攻に決めた私の場合、留学中にこの専攻を“生まれてはじめて”知りました。

20代に入ってから、英語を自分で勉強するようになって、海外旅行をたくさんするようになって、ワーホリにも行って、なんとか日本の外の世界に触れようとしてきましたが、(なぜか)何をやってもいつも心は満たされませんでした。そして遂にはコミカレ留学をすることになり、唯一自分がやれそうだと思った分野、「観光学」で渡米したものの、受けた授業が全て物足りず、「こんなことお金を払ってまで学ぶこと?」「この程度なら実際職に就いてから余裕で学び知ることができるんじゃないの?」と、観光学でコミカレにいた二学期間ずっと不満に思っていました。(←授業内容が社会人生活や個人旅行経験などから自然に学んだ「一般常識的」なものに感じたせいもあると思う)そんな満足できない留学をしているときに、私は「International Relations」という専攻を見つけ、とっさに「自分が知らずに求めていたのはこれだ。」と思ってしまいました。そしてIRの学位を取れば、これまで考えることもできなかった遠い世界に近づけると思い、観光学は捨て、IRで四大に進学することに決めたのです。

この単純な思考と行動は、日本にいたころから大学教育に縁がなかったことが多少なりとも影響しているのではないかと思います。アメリカでも親などが大学を出ていない場合、その子供たちは進路に関する適切なアドバイスが受けられない、という新聞記事を以前読んだことがあります。大学に通った経験がなければ、大学教育がどういうものか、その教育が人生にどう影響するのか、自分の経験としてわからないわけですから、その親たちはアドバイスのしようがないんですよね。なので家族で初めての大学進学となる子供たち(高校生)とその親のために、大学がていねいに説明、アドバイスを与える機会を作っているところもあるようです。(記事にあったのはサンディエゴの大学でした)

で、私も(自立した大人でありながら)その子供や親たちと同じく、大学教育がどういったものか、どう利用するものなのか、当時全く把握していなかったと思います。以前も書きましたが、何をするにもあまり疑問を持たず、思いつくまま行動し、おまけに人に相談する習慣のないずぼらな私なので、なんとかなるさの考えで、3年前進学に至ってしまいましたが、あえて人に相談しなかったのも、運良くか悪くか、この世にインターネットがあったからかもしれません。浅はかな私はインターネットから得られたわずかな情報だけで、大学について全てを理解したつもりになって進学し、でも結局は、進学した大学とIRを(早速)捨てることになったのです。



続きは次回へ