私たち大分県央フライングクラブの教官はお隣の熊本県に住んでいて、遠路はるばる2時間以上もの時間をかけて大分県中部に位置するわが大分県央空港へ足を運んで来て指導にあたってくれている。
教官に最初に出会ったのは昨年の2月頃だったかと思う。風もなく穏やかな小春日和の日だったと記憶している。
時間が過ぎ去ってゆくのはほんとに早いと思う。あれからもう1年半もの月日が経過したのだろうか。
目まぐるしく変わっていく世の中の変化になかなか追いついていくことができないまま、どんどん年齢を重ねていく自分にふと気がついてみたりする。
でもいい大人になった今、操縦訓練生として飛行機に乗る時は気が引き締まり、学生に戻った気分になれる。
日々の仕事に追われる中、たまの休日に好きな飛行機に乗れる喜びをサポートしてくれ、指導してくれるのは他ならぬ教官のおかげである。
教官は空をこよなく愛し、事業用・自家用を問わずパイロットを目指す訓練生に対して常に熱心に指導してくれる情熱を持った人。 いつも飛びながらご覧のような身振り手振りが必ず加わる。
『滑走路のセンターラインに身体を持っていく!』
こんな画像を見ていると今でも私の耳にはその声がはっきりと聞こえてくる。
雨の日も風の日も飛行に支障ない天候と判断すれば、上空へ上がって飛行訓練は続けられた。
しかし、その日は突然やってきた。クラブ員H.Aさんからの電話だった。
『教官が・・・』
『えっ教官が?? そんな・・・』そう、聞いた私は絶句した。その言葉がすぐには信じられなかった。
信じたくなかった
クラブルームで飛行機のことを語る時、少年のように輝く眼差しで熱く語られていた日々が昨日のことのように思い出される。
『空を目指す人の手助けをしたい。それが私の使命』
という信念のもと、それこそ雨の日も風の日も熱心に、操縦ライセンスを目指す私たちのために指導してくれた恩師。
教官がこよなく愛した空。そして好きだったグライダー。
数人のクラブ員がかけつけた当日。葬儀開始前その生涯を振り返る思い出のビデオが聖歌『アメイジング・グレース』の曲が流れる中、始まった。
教官と一緒に飛んだ日々のことが、まるで走馬灯のように頭の中を駆け巡っていく。涙が溢れて止まらなかった。
真剣にやればやるほどヘマをやってしまう私のヘタな操縦にも、終始冷静でしかも要所を押さえた飛行訓練を施してくれた日々。
そして『千の風になって』が会場に流れた。
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
あの大きな空を
吹きわたっています
この『千の風になって』は、まさに私たちが慕った三浦教官のために作られた歌であるような気がしてならない。
教官の名は三浦大智(MIURA DAICHI) 長崎市出身 享年65才
元陸上自衛隊航空学校操縦教官、北部方面飛行隊長
総飛行時間 7000時間(飛行機3500,ヘリコプター3500)
主搭乗機種 飛行機:L-19、メンター、LM,MU-2
ヘリ:H-13、OH-6,H-U1
グライダー趣味で少々
○自己紹介
子供たちが長崎の出島海岸で魚釣りをしていました。そこに突然米軍の飛行艇が港に舞い降りてきました。子供が目を白黒させる間もなく、飛行艇は岸壁に近づき、やがてドアを開けるとゴムボートを出して数人のアメリカ人が上陸してきました。腰を抜かさんばかりの驚きでした。飛行機との平和な出会いでした。飛行機を操縦してみたい。自家用の免許を取りたい。国際線の機長になりたい。空への道を求める人に手助けする事。私の使命です。熊本からの遠路もものとしません。ただ、加齢と共に仏の三浦になってきました。
セスナでご家族と世界一周するのが夢だったと聞いた。
家族を愛し、飛行機を愛し、いつも周りの人に対する気配りや思いやりを忘れなかった人。
私とhiropochiさんが書くブログの投稿記事をいつも楽しみにしてくれていた。
輝く夜空の星となったあなたに、万感の思いを込めてこのページを贈ります。
あの大きな空を吹きわたる風を感じる時私たちはあなたのことを思い出すことでしょう。
ずっとずっとその大空の上から私たちを見守っていて下さい。
for ever teacher 夢をありがとう!
まだまだ、これからというお歳ですが、無念ですね。教官の方のご冥福をお祈りします。それから、tomitoshiさん、教官の想いを胸に、これからも空を目指してください。
コメントありがとうございました。空を目指す人の心はいつも純粋で美しいと感じています。
おしえてもらったことを胸に刻んで、教官の分まで飛び回りたいと思っています
教官は自衛隊のパイロットでしたから、民間とはまた違う密度を持った時間だったろうと思います。
以前、教官から北海道での救難飛行のことを聞いたことがあります。病人の搬送だったか医療品の輸送だったかはよく憶えていないのですが、救急対応のため、夜間悪天候の中を支援施設もほとんど無い離島の飛行場へ飛んだという内容でした。非常に危険な任務であったと話していました。
改めて飛行時間を見ながらこの話を思い出しています。今年4月、同じような状況の中飛び立った自衛隊のヘリコプターが徳之島に墜落し、4人の方が殉職されました。
きっと教官も、「待っている人がいる。自分が行かなくてはならない。」という思いで飛んだのでしょう。
趣味で飛んでいる私たちから見ると、7000時間は気の遠くなるような長さです。訓練は無理でも、これまでの体験をもっと聞くことができたら良かったのにと思います。
責任感の強い人だったからおっしゃる通りの思いを胸に操縦桿を握っていたものと私も想像しています
そして見返りを求めない奉仕の心。私はこの精神が最も尊敬する三浦教官の生き方だったと思っています。
空の星となられた今も学ぶべきことが数多くあります。あらためて心からご冥福をお祈りしております。
ショーには行く機会がなく車の中からブルーインパレスのショーを見るぐらいになってしまいました。でもそれでも満足してます
今の時期に毎日航空祭の練習をお昼から毎日見に行ってます。頑張って下さい