スゴイ 銅板と亜鉛使用 低コストで太陽電池 金沢工大教授が開発

2011-05-28 20:39:28 | 科学
低コストで太陽電池 金沢工大教授が開発

 金沢工大工学部の南内嗣(ただつぐ)、宮田俊弘の両教授は27日までに、銅板と亜鉛を組み合わせた新型太陽電池の基板を開発した。従来のシリコン製に比べ100分の1の費用で製造できるとしている。福島第1原発事故を経て政府が「サンライズ計画」を発表し太陽熱エネルギーが関心を集める中、両教授は「低コストの太陽電池をぜひ実用化させたい」と意気込んでいる。
 新型太陽電池の基板は電熱器で焼いた銅板(多結晶亜酸化銅)に亜鉛膜を重ねて作った。太陽光が基板に当たると青と緑色の光を吸収して電気に変える仕組みで、光から電気への変換効率は3・8%。1980年代に同じ手法で米国で製作された基板の変換効率1・8%の2倍程度に高まり、実用化のめどがついたとしている。

 南、宮田両教授によると、従来のシリコン製太陽電池の基板は直径15センチの円盤状で製造に約8千円かかるの対し、今回、開発した基板は数十円で作ることができる。製造コストをおよそ100分の1まで下げることで、一戸当たり約300万円かかるとされる太陽光発電施設の設置費も大幅に抑えることが可能になるという。

 研究成果は23日、社団法人応用物理学会の審査を経て同学会報の電子版に掲載され、世界に発信された。

 南教授は宮田教授が金沢工大生のころ指導したという間柄。師弟コンビは「新型太陽電池は希少金属(レアメタル)を一切使わず、無毒の銅や亜鉛が素材で原料が豊富という点でも有効と考える」と語った。


福島原発事故「さらに7万人が避難すべき」仏IRSNが評価を更新

2011-05-28 14:04:58 | 報道
なぜ早く避難させないんだ? 金を払いたくないのかよ。

「さらに7万人が避難すべき」、仏IRSNが福島原発事故の評価を更新
5月25日 AFP】フランス放射線防護原子力安全研究所(IRSN)は23日、東京電力(TEPCO)福島第1原子力発電所の事故に関する評価を更新し、立ち入りが禁止されている原発から半径20キロ以内の警戒区域外にも放射線レベルの高い地域があり、この地域の住民約7万人も避難すべきとの見解を示した。

 これによると、福島原発の北西にあたる、住民がすでに避難した警戒区域より原発から離れた地域に、放射能レベルが1平方メートルあたり数百から数千ベクレル、さらに数百万ベクレルに達する場所があったという

 IRSNによると「警戒区域外では最も汚染が激しい」この地域には14歳以下の子ども9500人を含む約7万人が暮らしている。ここに住み続ければ福島原発事故発生からの1年間で、フランスで原子力事故時の公衆の安全基準となっている年間10ミリシーベルトを超える放射線を浴びることになるという。年間10ミリシーベルトは、フランスで自然放射線源から浴びる放射線量の3倍にあたる。

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IRSN環境部門のトップ、ディディエ・シャンピオン(Didier Champion)氏は、年間10ミリシーベルトというのは予防的な数字で、それだけで危険な量ではないが、食物や飲料水の摂取による内部被曝は含まれていないと説明した。

 またIRSNが避難すべきだとした7万人のうち2万6000人以上は、事故後最初の1年間の被曝量が16ミリシーベルトを超える可能性があるという。

 5月15日には原発から30キロ圏外の福島県飯舘村と同県川俣町でも計画的避難が始まったが、この2町へはこれまで継続的に風によって高いレベルの放射能物質が流されてきているという。IRSNは、日本の公式発表および米軍による上空からの測定に基づいて評価を更新した。(c)AFP

原発と知識人、墜落した鉄腕アトムたち

2011-05-28 00:11:02 | 報道
青森に建設中の原発を即中止すべきだ。

福島原発の1~3号機でメルトダウンが発生していたことが大きく報じられている。

東京電力の記者会見で「メルトダウンが起きていることではないのか?」という記者の質問に対して「炉心の核燃料が原型をとどめない形で圧力容器の底に崩れ落ちているという定義がメルトダウンというならその通りだ」と相変わらず木で鼻をくくったような自己韜晦的な言い回しに苛立たしさを覚えるとともに、こうした幼児的な応答しかできない連中にこの国の命運がかかっているのかと空恐ろしくなった。

福島原発の事故が発生して以来、テレビや新聞には、数多くの識者、大学教授といった知識人が登場し、コメントや解説を行っていたが、彼らの誰ひとりとして現在の事態を予測できなかった。むしろその逆で、NHKに出ずっぱりだった東大の関村教授に象徴されるように、「制御棒が既に入っているからチェルノブイリのような事はありえず、過剰な心配には及ばない」と、安心デマを垂れ流し続けた。しかし、現実はその言葉を嘲笑うかのように進展し、水素爆発が連続して起こり、大量の放射性物質による広域の環境、食物汚染が現実のものとなり、未だに収束の見込みさえ立っていないことは周知のとおりだ。

一方、米国やフランスは、電源が喪失され冷却機能が失われた直後から、現在の事態を想定しており、フランスは事故発生1週間後にはチャーター機を早々と日本に派遣して自国民を日本から引き揚げさせた。

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地に墜ちた原子力村の威光


その後、大手マスコミに登場して安心デマを流し続けていただけの識者連中に批判が集まり、さらには、彼らがいわゆる「原子力村」の住人であり、東電や電事連の紐付き御用学者であったことが露呈したためにその威光は地に墜ちてしまった。あの関村先生もさすがにNHKも使いづらくなったのか、この頃はとんとテレビ画面に登場しなくなった。
ただし、日本の知識人の名誉のために言っておけば、原発の世界には、御用学者ばかりではなく、原子力村の外で警鐘を鳴らし続け、今日の事態を正確に予測していた人々もいた。
 京都大学原子力実験所の小出裕章助教もその1人だ。大手メディアもようやく最近になって彼のコメントや分析をとりあげ始めているが、事故当初から小出氏は電源喪失を経てメルトダウンに至った可能性が高いことを指摘していた。

小出氏はもともと原子力の平和利用の研究に志し、研究者としてスタートしたが、女川原発の反対運動で地元住民たちと相対するうちに、研究者としても原発の持つ不条理性と危うさに気付き、一転、反対側に立つようになる。助教というのは助教授という意味ではなく、国公立大学が独立法人化された時につくられたポストで、昔でいう「助手」に相当する。かつての助手と違うのは、任期が5年で切られているということで、小出氏もあと数年で退官扱いとなるはずだ。もし、福島原発の事故が起こらなければ、小出氏は、原発に反対する奇矯な原子力研究者として封印されたまま広く世間に知られることにはならなかったかも知れない。

 小出氏は、確かに原発反対論者ではあるが、イデオロギーにこり固まった人ではない。その講演や著作に触れればわかるが、一研究者としての立場と良心を真摯に保ち続けているだけで、名声や権力欲とは無縁の人物であることが良くわかる。


女川原発反対運動で覚醒した小出氏


小出氏は、他の原子力村の御用学者とは何が違っていたのか。インタビューに答えて、「自分の考え方を変えたものは、大学院生だった頃、女川原発の建設に反対する地域住民が発した一言だった」と述べている。当時小出氏は、原子力の研究者として住民を説得する立場にあったが、住民から「そんなに安全なものなら何で都会に作らないで女川に作るのだ?」と問われた。小出氏は、それに回答すべく色々調べるが、その過程を通じて原発技術の脆弱さと抱えるリスクの巨大さに逆に覚醒するようになっていった。

仮に原子力発電の技術が「絶対安全」な技術であれば、論理的にはそれは東京や大都市に建設しても問題ないはずだ。それをあえて女川に作らなければならないのは他の事情が関与しているからに他ならない。原子力の平和利用にバラ色の未来を信じていた若き科学者、小出青年は、住民の素朴な一言から、テクノロジーというものは、社会から切り離されて中立的であることはありえず、常に倫理性や政治性を伴うものだということを学んだのだ。

小出氏は反原発に転じるまでの自分を「鉄腕アトム」の世界に憧れをもって科学者となったと表現しているが、それは他の御用学者も同じことであったろう。原子力開発は、他の国においては、核兵器開発と直結した最も政治性の高い科学分野だが、世界中でこの日本においてだけ「鉄腕アトム」に象徴される夢の技術分野であり得たのである。

原子力技術とは人類にとって夢の技術なのだろうか?こういう問いが生まれてくること自体、この国の特殊事情に起因している。つまり、他の欧米諸国にとって原子力開発とは、核兵器の主要原料プルトニウムの生産と表裏一体のものであり、原発が持っているリスクを勘案しても、核抑止力を保有する必要があるという明確なバランスシートが存在している。他方、日本においては、原子力エネルギーの「平和利用」のみの片肺飛行であるために、原子力技術は「絶対安全」でなければならず、いわゆる「安全神話」を形成するしかなかった。


核武装の隠れ蓑としての原子力平和利用


本当は日本においても原子力が国策となっていく過程では、中曽根康弘がその中心的役割を担っていたことからもわかるように、日本のエネルギー供給を安定化させるという国際社会に対する表向きの理由とは別に、核武装の能力を担保するという極めて政治的な裏の意図が存在した。その密かな意図を隠蔽するためにも、原子力開発の技術者は「技術オタク」に徹すること、あわせて「原子力安全神話」を護る神官としての役割のみが求められたのである。

今いわれている「原子力村」とは、核兵器による武装を放棄しているこの国において、原子力技術を開発すべく必然的に形成された政治的装置であり、去勢された宦官組織に他ならない。石原慎太郎や安部晋三、甘利明といった自民党のタカ派議員がこの期に及んでなお原発推進を唱えていると報じられているが、どのマスコミも彼らが何故原発推進を言っているのかについては明確に解説していない。すなわち、もともと原子力平和利用とは、核保有のための隠れ蓑であったからこそ、連中はその旗を簡単に降ろすわけにはいかないのだ。


オタク化した原発知識人


かくして、原子力の平和利用、原発開発に関わる知識人、科学者たちは、現実世界とは切り離された「鉄腕アトム」の世界の住人として際限なく幼児化することとなり、政治的、社会的文脈から切り離されて、特殊な技術用語だけが行き交う「オタク世界」が形成されていったのである。今回のメルトダウンに関する東電の会見や原子力保安院の対応を見ていると、全人的な判断が求められるはずの国難の真っ直中においてさえ、技術用語や手続き論ををこねくり回す救いようのない幼児性が露呈する。

「オタク」の世界が個人の趣味のことであればむしろ結構だが、原子力は一国どころか世界の存立にも関わる巨大リスクを孕んでいる。こんな現実とかけ離れた言葉遊びをやられている間に、原子炉は空だきされメルトダウンが発生してしまったのではないかと、世界中がこの原子力村の幼児性に恐怖とフラストレーションを募らせている。
国内からも「もう、東電や原子力村のオタク連中に任せておけない、米国やフランスの分別のある奴らに全てを任せて事態を収拾してもらおう」というような声さえ上がり始めている。

しかし、私にいわせれば、困った時の外国頼みというのも、この国の知識人の幼児性の現れに他ならない。人類が経験したことのない未曾有の事態に発展している今回の原発事故の対応に解決策を持っている者などこの世界中のどこにもいないのだ。
もっと、いってしまえば、既に事態の収拾に、知識人の果たす役割は相対的に低下してしまっている。知識や知恵は、何かの事態が発生する前にこそ役立てられるべきで、物事が起きてしまってからでは遅すぎる。福島原発の問題でいえば、東電本社や原子力保安院のオタク連中やIQの高い連中がいくら頭をひねったところで、魔法の杖などあるわけがなく、既に解決オプションはどうしようもなく限られていて、問題はそれをどう実行できるかどうかだけだ。

先日、元住友金属工業の技術者だった山田恭暉氏が呼びかけ人となって「福島原発暴発阻止プロジェクト」というグループが立ち上げられた。60歳以上の退役技術者が志願して福島原発の現場作業を担おうと呼びかけている。現代版「肉弾三勇士」と揶揄する向きもあるが、福島原発事故収束に向けた対応は、こうした人々の犠牲的行動を必要とするぐらい逼迫している。小出裕章氏も志願しているという。身一つで現場に飛び込む覚悟のできている知識人が存在していること、これが絶望的としかいいようがない今後の原発対応を考えた時、かすかな希望でもある