一人で作品づくりを毎日毎日していますと
これまでいろんなことで色んな人に依存していたことが如何に多かったか気づいてきます。
もちろん依存していたことが全て悪いわけじゃない。
共助というものもあるし
危険な機械などもあり、基本的な使い方わからないとなかなか不安な面が出てくるからです。
でもお手本にする人がどんな作品作りどんなこだわり持つ方かは大切なことで
お手本にならない人を見てもなかなか訳がわからなくなる。
しかし尊敬やいろんなことですごいなあと想うことは大事だけど
同じことは出来はしないし
大体において諸先輩方の話や機械類を見せてもらった経験から言うと
皆さん自分の矜持がおありで
どのようにそこに至り
どのようにこうしたか。それを誇らしく語られます。
私は京都ではほぼ仙人しか見てなかった。
京都を離れた場所に、あとりえを作ったことで
色んな人に出会い色んな機械類を見たりもした。
その方が何を作られるのが得意なのか
何を使われているのか。
例えば仙人のこだわりをそのまんま導入しようとしても到底無理な話だ。
仙人には仙人の歴史がある。作品の方向性はほぼ決まっているしスタイルがある。
それに必要な様々を工夫されているし
見習うべきところは見習って行くけど、できないことは出来はしない。
でも例えば糸鋸盤ひとつ
こだわりを持つ人もおられるし
そういう作品作りされる方の機械を見ると視点がまた違う。
磨きの道具も様々だ。
京都を離れたことで自分を客観的に見られた。
経済力、スペース、自分の体力や能力。
総合的にどんなものがわかってきた。
京都にいるとなぜかわからなかったのは
子育てとか家族との歴史が大きいからで
作家としての自分の事をぼやかす。
ここにいるとまともに見えます。
私は何でも自分で動かして見たりやってみることが昔から好きでしたが
だから使い方わからない機械を扱うとき
バイクで片道1時間ほどかけてその機械の使い方を学ぶため
暑い日も寒い雪混じりの日も通ったものですが
あんなことはもう今の年齢では無理なのだ。(笑)
いい時期に使い方を教えてもらえたなと今にしてみたら想います。
新たに高価な機械の導入をするよりも
自分に扱える程度の機械をどのように仲良く使い込むのか
使ってみるとあれ?これ、こういうところがうまくできない機械なのだなと気づいたり。
それをどのように調整したら理想に近づけるのか工夫したり
工夫してもうまくいかないときは
自分に扱える範囲の機械の導入をまたすればいい。
色んな人の色んな機械を見ることで
客観的に色々考えられますね。
おるごーる作りは本当に地味です。
華やかさもない。
ただ
取材とか宣伝とかそんなものが皆無であろうと
ただできることをコツコツしていくしかないなあとわかっていて
身に合う自分のスタイルが一番いいのだなとわかります。
背伸びしすぎると体調も心も狂う。
ちょっとの努力、身に合う努力を積み上げていく事が大切なのだなあといつも想うのです。
人はみんな自分軸。
自分の歴史に則したアドバイスをくださる。
それを聞いたら取捨選択して
自分に大切なものを吸収して
他は食べ過ぎないようにしなきゃいけない。
心の胃が悪くなる。食べ過ぎで咀嚼できないから。(笑)
お腹いっぱい以上に取り込めば無理となりパニックになるし
色んな人のアドバイスは大切なことですけど
咀嚼できなきゃ意味がないですよね。
そんな身の程を考えながらの毎日毎日。
逆に言うと
自分にしかできない表現はできるのだなあと言う事ですね~。
それは何だか嬉しいなあと想えます。
あまりにもやることが多く過密なので
その表現がうまくできてないので
色々考えていきたいと想います。
早く咲け咲けモクレンさん。
春を呼び込めモクレンさん。