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St. John of the Crossの生き方に憧れて

受洗後、最初に買ったカトリックの本が「愛への道」。相応しい生き方をしてない。彼に倣う生き方が出来るよう心がけたいです。

日記(13・Dec,’09)

2009-12-14 01:39:50 | Weblog
日記(13・Dec,09)

 主日の福音のご説教にインスパイアされて・・・

わたしの心にも、四角な図形の様で、錆色の、
人の不幸を平然見送り笑顔でいられる、
麻痺した、
ドラム缶のような性格が、隠れ潜んでいる。
真空で隙間ない程の密林、心のジャングル。

わたしの心には、性急な雲の様な、
真っ赤で、しかも、ふにゃふにゃに白けた、
強欲に只管突っ走る、しかも、止められない、
暴走する心、悪い傾きがある。
ギラギラ輝く目の猛獣、獰猛な魂。

日常、ふと気付く。
わたしも平気で他人を踏みつけている。
堂々と他人を蔑んで、厚顔無知でいる。
心は一瞬悲鳴を挙げる。凍りついてしまう。
でも、それも一瞬。
やがて、何も無かった様に、元の生活を続けてしまう。

平原に1本の草も生えていないかのような心の風景
どこかに置き忘れて来た大切なもの=心

洗礼者ヨハネ様はおっしゃった。
「他の人に分け与えよ」「ルールに従って分け前を貰え」「自分の分で満足せよ」。
朝から夜寝る迄に、わたしはそれをやっただろうか?何回やっただろうか?
言葉が心に何回も浮かんで来る。でも出来ない。

わたしたちは歪んだ鉄の玉。ちっぽけな存在、意固地な性格。
聖霊は熱い。聖霊は柔らかい。聖霊は丸い。
そんな火に入れられてわたしたちは、
神様が「良い」と言われた存在になる。

考えてもご覧なさい。
今のままわたしが、天国へ行ったらどうします?
直行便、煉獄も通らず天国へ?
さぞや異質の存在でしょう。
何故って、喧嘩っぱやくて、嘘吐きで、鈍感。
悪弊を散々この身に帯びて。
そこで、永遠に揉め事して過ごす。
そんなの有り、と思いますか?

「永遠に罰せられた者の面持ち」って、きっと哀れなわたしのこと。
天国で、そんな風に過ごさないといけないとしたら。

だからわたしは、こう祈ります。
「救い主」イエス様、来てください。救ってください、助けてください。
緋に染まった罪深いわたしを変えてください。
もう10日もするとイエス様の誕生日=クリスマスです。
どうか、わたしの心に来てください。
わたしは待ち切れません。来てください。

・・・コメント
 先週の御言葉、「主の道を整え、その道筋を真っ直ぐにせよ。・・・」の具体的内容が今日の福音。神父様は、「ここに社会学・心理学的真理が描写されている」。2000年前の出来事。3つの典型。職業だけでなく、人の悪の典型もここにある。群集=無関心、徴税人=強欲、兵士=暴力。神を愛し、人を自分のように愛し。
 ついまた、「巴里」が出てしまう。首尾一貫してないのはいいとして、地で引用はどうか?と最近思いつつも・・・。

「クリスマスの飾り付けをしました」

金と銀とのアフロのアロハを飾りました 2Fの40畳に飾りました
表彰状みたくギザギザにして 天井から吊るしました
その距離およそ1000m

ラテンとマニラの音楽の下 爪剥がれる程画鋲を留めました
小春日和に始めて 終了来ったのは夜7時、少し回ってました
「お疲れさん」 言って気が付くと
薄っすらシャツは、汗で黄ばんでました

途中何度か休憩入れて 黙々3人で遣り遂げました
”Merry Christmas”の大きな文字を壁に飾り
ピアノを少し除けました
笑ってしまう程 椅子が彼方此方散乱してました

チューインガムは噛みません 
コーヒー変りにグアバのジュース
飲んだとたんに気が遠くなりかけました
若くないと その時、つくづく思いました

今年のイブは 例年と少し違った心でいます

晩飯見ながらの「坂の上の雲」
作中 血反吐吐きながらの40数句 不如帰

わたしは今、地に帰ることも気にしながら日常を送っています
そんな時、信仰に新たに加わるのは何でしょう?
食べられそこなった2本の胡瓜を見ながら、
思いは転じて行きました

弱くなったなあ、実感は以外な時に来ます

・・・コメメント
 でも帰り際、市公民館前の空き地で壁打ちテニスをして来ました。その時は、健在でした。オレンジ・カクテルの光線の暗さでは、サーブしか出来ません。
 先日、横浜山手教会へ行った際、テニス発祥地の下の公園で壁打ちを一発だけしました。練習風景を見ましたが、誰をも凌駕してるとの自負はあります。

/// 自分noteのために ///
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