St. John of the Crossの生き方に憧れて

受洗後、最初に買ったカトリックの本が「愛への道」。相応しい生き方をしてない。彼に倣う生き方が出来るよう心がけたいです。

カトリック飯田教会クリスマス夜半のミサより、神父様のご説教から

2009-12-24 22:05:01 | Weblog
日記(24・Dec,’09)

クリスマスおめでとう御座います。今日のカトリック飯田教会夜半のクリスマス・ミサ、伊藤神父様のご説教を記憶を元に記述したものです。文責は、わたくし・乗倉寿明にあります。
「クリスマスおめでとう御座います。
今日もう一度、幼子であるイエス様が生まれた意味を考え直してみたいと思います。
2000年前、ベツレヘムで貧しく生まれられた幼子、その幼子を2000年間ずっと祝って来ました。現在では、宗教や文化に関係無く、何処の国でもその誕生を祝っています。イエス様は、わたし達にとって、単に御言葉を忠実に果たしていれば、天国に連れてってくれる、それだけの存在なのでしょうか?
勿論、そう言い切るは大変だし、更に、それを叶えてくださるということは素晴らしいことではあるのですが。
イエス様は、わたし達の救い主です。
今あるわたし、こんなわたしが、そのまま天国に行って、果たしてどうなのでしょうか?こんなわたしのままで、永遠に御国で生きるのは、苦痛以外の何ものでもないと思います。神が「創世記」で、人間を創られた時に、「良し」と言われた、そんな人間にならなければいけないのではないでしょうか?
イエス様はそれを叶えてくださるお方です。
砂の上に建てた家と岩を刳りぬいて創った家の喩え。砂の家は簡単だし、豪華な家が建ちます。しかし、本当に必要なのは、岩の上に家を建てることです。人生にどんな問題が襲って来ても、どんな困難が生じて来ても、しっかりと御言葉の上に立って揺るがない、そんな岩の上にしっかりと建てられた家、そんな家を建てないと駄目なのではないでしょか?困難な時に、守って呉れ、拠り所となり、揺るがない家。わたしたちをしっかりと支えて呉れる家でないと、いけないのではないでしょうか?
ある婦人が居ました。首都圏にいました。
最愛の息子が交通事故で車イスの生活です。夫と愛人との間に子供が出来て、しかも、愛人が亡くなったので、その子供を引き取って育てないといけません。不幸です。共に支え合い、共に慰め合う筈の夫との間が、そんな状況なので、上手くいってません。
しかし、彼女の唯一の拠り所は信仰です。揺るぎの無い信仰です。そんな困難な中、彼女が生きて行けるのは、生きる勇気が与えられるのは、信仰のお陰です!
わたし達も、人生の拠り所としてイエス様を持ちましょう。人生の土台がイエス様、そんな生き方をしましょう。
その意味で、イエス様こそ唯一の救い主です。
金や名誉や地位は、救い主ではありません。
今日イエス様がお生まれになりました。わたし達の心の中にお生まれになりました。
イエス様がずっと心の中、住み続けるのでなければ、神様が心に常にいらしゃるのでなければ、人生に何の意味もありません。
わたし達の救い主・イエス様、その意味をもう一度考え直し、全世界でのイエス様のご誕生、そして、わたし達の心の中のイエス様のご誕生、心から祝いたいと思います。
メリー・クリスマス!」

Capoteの”A Christmas Memory”からの引用。それだけですが・・・

2009-12-24 12:56:52 | Weblog
日記(24・Dec,09)

(1) 昨日の続き。で、Truman Capote.”A Christmas Memory”からの幾つかのシーンを。Penguin引用。”Breakfast at Tiffany’s”の一編。幾許かの移入もあって・・・
”Imagine a morning in late November.A coming of winter morning more than twenty years ago.Consider the kitchen of spreading old house in a country town.A great black stove is its main feature;but there is also a big round table and a fireplace with two rocking chairs placed in front of it.Just today the fireplace commenced its seasonal roar.  A woman with short white hair is standing at the kitchen window.She is wearing tennis shoes and a shapeless grey sweater over a summery calico dress.She is small and sprightly,like a bantam hen;but,due to a long youthful illness,her shoulders are pitifully hunched.”

”He demonstrates its sparkle in the sunlight and says:’Two dollars.’  We pay him with nickels and dimes and pennies.Suddenly,jangling the coins in his hand like a fistful of dice,his face softens.’Tell you what,’he proposes,pouring the money back into our bead purse,’just send me one of them fruitcakes instead.’  ’Well,my friend remarks on our way home,’there’s a lovely man.We’ll put an extra cup of raisins in his cake.’  The black stove,stoked with coal and firewood,glows like a lighted pumpkin.”

”My friends waltzes round the stove,the hem of her poor calico skirt pinched between her fingers as though it were a party dress:Show me the way to go home,she sings,her tennis shoes squeaking on the floor.Show me the way to go home.  Enter:two relatives.Very angry.Potent with eyes that scold,tongues that scald.Listen to what they have to say,the words tumbling together into a wrathful tune:’A child of seven!whisky on his breath!are you out of your mind?feeding a child of seven!must be loony!road to ruination!remenber Cousin Kate?Uncle Charlie?Uncle Charlie’s brother‐in‐law?shame!scandal!humiliation!kneel,pray,beg the Lord!’  Queenie sneaks under the stove.My friend gazes at her shoes,her chin quivers,she lifts her skirt and blows her nose and runs to her room.”

”But she says her favourite gift is the kite I built her.And it is very beautiful;though not as beutiful as the one she made me,which is blue and scattered with gold and green Good Conduct stars;moreover,my name is painted on it,’Buddy.’  The wind is blowing,and nothing will do till we’ve run to a oasture below the house where Queenie has scooted to bury her bone(and where,a winter hence,Queenie wll be buried,too).There,plunging through the healthy waist‐high grass,we unreel our kites,feel them twiching at the string like sky fish as they swim into the wind.Satisfied,sun‐warmed,we sprawl in the grass and peel Satsumas and watch our kites
 cavort.Soon I forget the socks and hand‐me‐down sweater.”

”’I’ve always thought a body would have to be sick and dying before they saw the Lord.And I imagined that when He came it would be like looking at the Baptist window:pretty as coloured glass with the sun pouring through,such a shine you don’t know it’s getting dark.And it’s been a coloured glass with the sun pouring through,such a spooky feeling.But I’ll wager it never happens.I’ll wager it never happens.I’ll wager at the very end a body realizes the Lord has already shown Himself.That things as they are’-her hand circles in a gesture that gathers clouds and kites and grass and Queenie pawing earth over her bone-’just what they’ve always seen,was seeing Him.As for me,I could leave the world with today in my eyes.’”
”This is our last Christmas together.  Life separates us.Those who Know Best decide that I belong in a military scool.”

”For a few Novembers she continues to bake her fruitcakes single-handed;not as many,but some:and,of course,she always sends me ’the best of the batch.Also,in every letter she encloses a dime wadded in toilet paper:’See a picuture show and write me the story.But gradually in her letters she tends to confuse me with her other friend,the Buddy who died in the 1880s;”

”A message saying so merely confirms a piece of news some secret vein had already received,severing from me an irreplaceable part of myself,letting it loose like a kite on a broken string.That is why,walking across a school campus on this particular December morning,I keep searching the sky.As if I expected to see,rather like hearts,a lost pair of kites hurrying towards heaven.”

これを書き写していて思っていた事は、移入は7才の時なのか、40数才なのか? 祖母の想い出か、伯父としてか?”Other Voices”は祖母だったが・・・。
Baptist windowの比喩が分ると思う。是非クリスマスには・・・。
Mr.Haha‐shopやfruitcake,kiteも。そして、多少のwhiskyとwaltze。もしかしたら、阪井あゆみを。
A-HA-HA!

(2) 今日の福音より、祈り。
「御子の誕生を迎えるわたしたちは、心よりあなたにお祈りします。主よ、あなたはわたしたちの神、すべてを越えて偉大な方。誰があなたの御前に立てよう。わたしたちはあなたを伏し拝みます。あなたは、人間の形をとってわたしたち民を訪れてくださった。ああたはその聖なる十字架によってわたしたちの罪を贖われた。それはあなたの憐れみの心によるもの。主よ、あなたの御いつの高さを感謝申し上げます。」
・「主をほめよ、イスラエルの神を」
・「イスラエルよ、主を待ち望め。主のもとに慈しみがあり、豊かな贖いがある。主自ら、イスラエルをあらゆる悪から贖われる。」
・「主は契約を永久に心に留められる。」
・「主はわたしを救う角」
・「ヨハネの言葉。荒れ地に主の道を整え、神のために荒れ野の道を均せ。」




岸田国士先生って鼎に疎開されてた、って思いながら綴った日記

2009-12-24 02:07:13 | Weblog
日記(23・Dec,09)

岸田国士氏「現代演劇論」・・(1)、上野健爾先生「学力があぶない」・・(2)、今日の福音より、祈り・・(3)

(1) 2点。戯曲について、演出について。先ず引く。
「小ささの偉大さ」「月並みで、しかして偉大」。他国の作家の評です。
そして、
「何故、優秀な戯曲が生まれないか?」について、
1 戯曲発展の流れが、外国文学移入により中断。文学的栄養不良。
2 優れた現代演劇がない。優秀な俳優が出演しない。
3 小説に良い手本があって、戯曲にない。
だから、
1 小説・戯曲、その中間の詩。抒情詩。戯曲は想像より観察なもの。
2 何ものか感じさせる戯曲。詩的な戯曲。
3 醸すイメージ。印象。その重さなり。
4 演劇的モーメント。
5 聞くための演劇。
6 短時間に圧縮された生命の現象的効果。断片として次々に捉えられる場面展開。
7 戯曲より一切の戯曲的ならざるものを排除する。真の精神の探求・把握。
8 耳と眼にうったえるイメージの文学。
9 観念の深化、リズムの調整にある「リミット」を発見せねば。それが、戯曲美。
10 韻律的なもの。生命による動き、舞台の脈拍、魂のリズム。詩のリズム・観念の抑揚。心理的に調和と統一ある韻律美。 
が大切と。
演出。
1 演出家に2種。演出者の意図を舞台の前面に現し、そのアイデアに効果の重心を置くタイプ。舞台の陰で、作者の意図・俳優の演技に舞台の全生命を託し、その調和・融合を図るタイプ。
2 だが、演出家は本来、自己の独創的才能によって、脚本の生命を舞台上に躍動せしむ役割を帯びる。だから、作者の同意を得た上で、作者の領域まで踏み込む。
3 俳優次第で、演出家は、伸縮自在に演出すべき。俳優との脚本解釈上の一致を見た上で、その才能・経験・特殊な素質に応ずる演出法を採用すべきである。そして、演出法に、大雑把に3種、協議的演出・指導的演出・批評的演出を挙げている。
俳優・演出家の力量に応じて、3つの指導を詳説した後、2点を指摘。
4 俳優の演技的センスや、脚本から直接舞台の生命を嗅ぎ出す能力を摘む「無理な指導的演出」。
5 動きの指導をしても、セリフの言い方は何も指導しない。俳優に委せることは、幾らでも外にある。
6 ここで、前2つと違って、批評的指導の例を挙げ、それが、「個人的演技から舞台全体に。演劇は一つのオーケストラになり、演出の意図は、完全に表出される」様を描いている。
7 そこでは演出家は、「不自然に思った点を指摘」し、「内部的に未だ欠陥があることを指摘」し、「そこの工夫を希望する」。そんな中、「俳優が呼吸を掴んで」いき、「自分の力で役を生か」し、6に至る。
7 「根本方針」に、3つの何れかが分かち難くある。が、何れかを採用すべき。ただ、「意志に反して」その選択が行われてはならない。
(2) 2章。「教育の原点」と「学力低下」から。
「教育の原点」=数学とバイオリンの指導
1 数学も音楽も一生懸命やっていて、先生がとてもその分野を良く知っていれば一定のレベルまで誰でも行ける。
2 テクニックではなく、精神。
3 日本全体としてどれだけ皆がやっているか?によってトップが決まる。
4 本人の自主性。
5 兎に角、その曲を一度、最初から最後まで弾き通せ。
6 自分がどう感じて、どういうふうに表現するか?が大切。
7 「5回間違ってご覧」->間違わない。
8 日本は技術トップ、でも表現出来ない。
9 独自のスタイルを持て。
10 「耳で見て、目で聴く」
11 グールド・バーンスタインのブラームス。楽譜に不忠実だが、ブラームスには凄く忠実。
12 日本人のモーツアルトを弾く。
13 先生の言っていることが分らなくても、大人になって分ればいい。それより、話している人に意識が向いているか?集中力があるかどうか?
14 集中していないと、注意をするのでなくて、「今日、練習終わるまでに」と言う。
15 日常の中から出て来なかったら音楽にならない。
16 最近、「煽てりゃ図に乗る、怒りゃあ泣く。」
17 主旋律ばっかり追って、支えていくことに弱い。
18 ファースト・バイオリンは、下から作り上げてくれるから弾ける。
19 合奏で必ず、全員にソロを弾かせる。
20 全部教えた後は、自分達でどう考えるか?どうして行くか?だ。
21 今迄を引き継いで行きながら、新たに発展していかなければならない。
「学力低下」
可也端折ります。
1 問題の理解・議論を進める・説明する。それに関し、15年前頃・6年前頃に大きな変化が。独創性で、完答能力で。
2 解き方暗記が勉強を勘違いしているのでは?
3 分る事・分からない事を区別する能力すら失われている。
4 黒板をただ写すだけ。理解していないのでは?
5 学生の気質の変化。小学校で基礎が十分理解出来ないまま来ているのでは。
6 「新しい学力観」=「知育偏重は、興味・関心・意欲を削ぐ」に基づいた教育に問題があったのでは?
7 「ゆとり教育」で空いた時間は、TVへ。
8 学力とは、2つ。学んだ成果=「知識」と、どう学ぶべきか=「学ぶ力」。後者が大切だが・・・
9 学ぶ力を支える国語の力にもっと注意を払う必要が。
10 分数・小数の意味を教えない、計算の工夫をしない無駄な計算練習。
11 高度な内容まで先生が知っていてはじめて、教育は教育として成り立つ。
12 教え方のプロではあるが、教える内容のプロではない先生が・・・
13 教え込む教育と引き出す教育。
14 勝弘君を教育した安藤哲夫先生の「決定版 教育の根底にあるもの」(径書房)
15 教師に様々な工夫。
16 子供達が求めるのは、尊敬出来る自分の理想とすることの出来る先生なのでは?
17 専門の教科の勉強を深める事が大事では?
18 「教育基本法」は世界に例を見ない素晴らしい法。教育の理想がある。
19 私達自身の手で理想を作り上げ、それを目指して努力して行くべき。
20 過去の優れた成果を再認識する作業を行うべき。
21 学習指導要領の問題点を不問にして来た。
22 生徒の立場に立った教科書作成を。
23 SMSG。アメリカで失敗宣言の翌年、日本で実施に。
24 教科書の薄さ。欧米では、貸与で大部。説明が丁寧。
25 指導書。先生にもっと学識を。教科書に高度な内容を。
26 3割削減された。
27 小学校数学の重要性に気付いたイギリスでは、人気女優を動員して、数学教育の重要性を宣伝している。
28 英語。基礎的な名詞の学習を。英会話より読解を。
29 総合的学習の時間で、「1 自ら問題見付け・学び・考え、主体的に判断。2 学び方・考え方身に付け、主体的・創造的に取組む、生き方を考える」が。
(4)ゼンダックの「もしも まほうが つかえたら」も読んだ。
緑の魔法の本は無いものか?
葉っぱを、教育基本法11箇条それぞれの理想実現のトランプに、子供を老齢のアインシュタインに一瞬変えてみたい。
そうすれば、もうムク犬が、ウサギを追うことも無かろうから。
(3) 「主よ、来て下さい。待ちきれないのです。あなたの道を示し、私達との間に契約を示してください。そのように、わたしは、あなたを日々、待ち望みます。あなたは、罪を赦してくださり、私達を救われる方です。」 
(5)戯曲は、学問の様でもあり、音楽の様でもあり、祈りの様でもある。演出は、教育の様でもあり、オーケストレーションの様でもあり、祈りの様でもある。魂の、精神の。韻律であり、生命であり、リズム。深化・脈拍・イメージ。そして、それらすべて。
卑近だが、数学教育の現状を愁う女優を・・・。韻律で以って、リズムで以って、脈拍で以って。つまり、体現してくれないかな?と淡く思う。
ただ、
M.ディートリッヒの自伝。2冊ある。前後で、戦争時、そして終戦後の記述が、可也辛辣に傾いた。そこに至らせた失望が、前2著者の憂慮と重なると可也怖いな、と感じつつ。
もし、戦前、ハリウッドの彼女に数学アピールの重責を担う、をお願いするとしたら?わたしは、どう演出するだろう?少なくとも岸田先生を、汲むだろう。
その前に、上野先生だ!
兎に角、・・・続きは、眠りの中の遠くの現象、その中で、ゼンダックに結んだ上で、に託そうと思う。