St. John of the Crossの生き方に憧れて

受洗後、最初に買ったカトリックの本が「愛への道」。相応しい生き方をしてない。彼に倣う生き方が出来るよう心がけたいです。

日記

2014-07-25 13:19:44 | Weblog
0 多忙。順番通り数学の更新のみ。写真は、7/19(土)の松川。お祭りの様子から。
アントニオーニの映画「情事」を見始める。島の小屋のところ。
リチーの指摘に納得。
リチーの「映画のどこをどう読むか」の該当箇所を読む。その中、

“正反対性(両極性)を使って自分の言いたいことをあらわすこのアントニオーニの方法は、幾何学的である。両極端を持つ線があって、われわれはその両端を見るよう求められる。後へ行くほどこの映画は幾何学的な要素でいっぱいになる。背景の一部に見られるバロック風の幾何学的なものとか、青写真や建築用の図面の使用といった見てすぐわかる表現だけではなく、テーマを明確にし、例証し、文学的にあらわすための幾何学的な構図がたくさん使われている。”(p.87)

1 家にあるCDによるクラッシック紹介は2枚。前回踏襲。
「バッハ:ゴルトベルク変奏曲」(ピノック(チェンバロ);アリヒーフ)
「バッハ:パッサカリアとフーガハ短調他」(ヴァルヒャ(チェンバロ);FIC)

YouTubeであっちゃんをミックスで。

2 今週は、ココスやリン庁他。
「相対論の意味」(アインシュタイン)
「カオス力学系入門」(Devaney)
「幾何学Ⅰ」(ハーツホーン)
「最適化法」(岩波講座)
「ダブリン市民」“Dubliners”
“Taylor Swift”
「非線型経済動学とカオス」
“Spinors and space-time(1)”
「万葉集」「古今集・新古今集評釈」(松尾聡)
「現代の短歌」(高野公彦編)
などを読み続ける。
週末から月曜にかけて、コスモス・コスモス名古屋・コスモス松本・かばん・角川短歌に短歌を作って送る。数学教育学会の申し込みをする。今年の夏は、暑い夏になりそうだ。長野県は今日から学校が夏休み。月末に妹が北海道から帰省。

アルスの主任司祭聖ヴィアンネの本「聖ヴィアンネの精神」(モンナン神父)から。変更なし。

“信仰と愛徳によって、御言葉がわれわれの中に住まい給うとき、われわれの霊に注ぎ給う神的光に照らされた知性の徳がある。”
“「心の眼を清めて、真の光に向かって飛翔するには、世のわずらいを軽んじ、身体を抑制し、痛悔の心を抱き、涙を注がねばならない・・・神の賛嘆すべき本質とその無垢なる心理とを黙想し、純なる意向をもって熱心に祈り、神に於いて喜び、天国を熱烈に望まなければならぬ」”
(p.13~14)

4 半年程前に「現代詩手帖」に投稿したけど採られることのなかった詩の紹介。3回目。段々と書き足していきます。一定のレベルに達しない詩ではありますが・・・。

“「昼」 白い小さな指先から 零れ落ちる サラサラした細かい砂 アポロニウスの円筒形 破損した硝子 //振り子細工のように 時を刻んで来た その機械はもう鳴らない //何千もの部品からなる 精密なゼンマイ装置 淀みのない時を刻み 傷みの欠けた歴史を繰り返す 空間の歪み そして 抜けるように広い青空//補正したようにも 補正しようのない 鋭い悔恨 戦禍にも その村は焼け落ちず・・・ 空間が そして 後に時間が後退して 仄かな祈りが・・・ “

まるで中弛みの感。「悔恨を補正する」とはどういうことなのだろうか?祈りが「仄か」も・・・

5 From “Geometry of Quantum Theory”(V.S.Varadarajan;springer)(p.21)

“The division rings of greatest importance in physics are R,the field of real numbers,C,the field of complex numbers,and H,the division ring of ”Hamiltonian“ quaternions.
(c)H,the quaternions.Let
I=(1 0  j1=(i 0  j2=(0 1  j3=(0 i
   0 1)     0 -i)   -1 0)     i 0)
where i is the usual square root of -1 in the complex number field.We define H to be the R-linear span of 1 and ja(1≦a≦3);since ja^2=-1 and jajb=-jbja=jc whenever (abc) is an even permutation of (123),H is an (associative) algebra.“

Pauli matrixが出てきた。量子コンピュータでも、それらでspanされる。そのアナロジーから。四元数を量子コンピュータに使おうと思い立ったのは。

6 “薄雲に月清くいる東雲に 星灯りする春はうららに”
今回、俳句でなく短歌。作って投稿しなかったものから。

7 “1939:The principle of solidarity,also articulated in terms of ”friendship“ or ”social charity“,is a direct demand of human and Christian brotherhood.”
 (from “Catechism of the Catholic Church”)
 
8 “1939:For Christians,as for all who recognize the precise theological meaning of the word ”sin“ ,a change of behavior or mentality or mode of existence is called ”conversion,“ to use the language of the Bible.This conversion specically entails a relationship to God,to the sin committed,to its consequences and hence to one‘s neighbor,either individual or a community.”
(from ”The Companion of the Catechism of the Catholic Chruch“)
 
9 年間第16金曜日福音朗読。マタイによる第13章から。

“「良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」”
-(主よ、私たちは御言葉を受け入れました。御言葉を悟らせてください。根を下させてください。)

†主のお恵みが。
†主に讃美と感謝。

2014年7月25日
                       乗倉寿明記す

日記

2014-07-17 15:57:43 | Weblog
0 順番通りのカテキズムの更新のみ。写真は、6/15(日)のコスモス愛知歌会参加の折に撮影。
アントニオーニの映画「情事」を見始める。が、一向進まず。したがって、リチー引用も更新なし。
リチーの「映画のどこをどう読むか」の該当箇所を読む。その中、

“正反対性(両極性)を使って自分の言いたいことをあらわすこのアントニオーニの方法は、幾何学的である。両極端を持つ線があって、われわれはその両端を見るよう求められる。後へ行くほどこの映画は幾何学的な要素でいっぱいになる。背景の一部に見られるバロック風の幾何学的なものとか、青写真や建築用の図面の使用といった見てすぐわかる表現だけではなく、テーマを明確にし、例証し、文学的にあらわすための幾何学的な構図がたくさん使われている。”(p.87)

1 家にあるCDによるクラッシック紹介は2枚。前回踏襲。
「バッハ:ゴルトベルク変奏曲」(ピノック(チェンバロ);アリヒーフ)
「バッハ:パッサカリアとフーガハ短調他」(ヴァルヒャ(チェンバロ);FIC)

2 水曜日はミサ。午後、上郷図書館に詰める。
「ダブリン市民」
“Dubliners”
「カオス力学系入門」(Devaney)
「幾何学入門Ⅰ」(ハーツホーン)
「コンピュータの構成と設計Ⅰ」(ヒル/ピーターソン)
「現代の短歌」(高野公彦編)
を読む。
「現代の短歌」は広汎。
現代短歌を読もうと思う人が真っ先に読むべき本と思う。
氏の鑑賞眼に只管感動。
氏の古典短歌のアンソロジーを検討はじめる。
夏バテか疲れか、本を読みつつ、少し眠ってしまう。
テレビを暫く見てない。もう何週間になるか分からない。昂じて、さっき、母がテレビを点けるのを見て、“テレビって何だったけ?何をする機械だったっけ?”と暫し思案に暮れてしまう。トホホです・・・。

アルスの主任司祭聖ヴィアンネの本「聖ヴィアンネの精神」(モンナン神父)から。変更なし。

“信仰と愛徳によって、御言葉がわれわれの中に住まい給うとき、われわれの霊に注ぎ給う神的光に照らされた知性の徳がある。”
“「心の眼を清めて、真の光に向かって飛翔するには、世のわずらいを軽んじ、身体を抑制し、痛悔の心を抱き、涙を注がねばならない・・・神の賛嘆すべき本質とその無垢なる心理とを黙想し、純なる意向をもって熱心に祈り、神に於いて喜び、天国を熱烈に望まなければならぬ」”
(p.13~14)

4 半年程前に「現代詩手帖」に投稿したけど採られることのなかった詩の紹介。3回目。段々と書き足していきます。一定のレベルに達しない詩ではありますが・・・。

“「昼」 白い小さな指先から 零れ落ちる サラサラした細かい砂 アポロニウスの円筒形 破損した硝子 //振り子細工のように 時を刻んで来た その機械はもう鳴らない //何千もの部品からなる 精密なゼンマイ装置 淀みのない時を刻み 傷みの欠けた歴史を繰り返す 空間の歪み そして 抜けるように広い青空//補正したようにも 補正しようのない 鋭い悔恨 戦禍にも その村は焼け落ちず・・・ 空間が そして 後に時間が後退して 仄かな祈りが・・・ “

まるで中弛みの感。「悔恨を補正する」とはどういうことなのだろうか?祈りが「仄か」も・・・

5 「人間精神の名誉のために」(J.デュドネ著;高橋礼司訳;岩波書店)から、ハミルトンの四元数についての引用。前回の続き。(p.139から部分的に引用)

“これらの規則によって、実際四元数a+bi+cj+dkに対する<絶対値の法則>が成り立つ、実際
(a+bi+cj+dk)(x+yi+zj+tk)
=(ax-by-cz-dt)+(ay+bx+ct-dz)i
 +(az-bt+cx+dy)j+(at+bz-ct-dx)k
(a^2+b^2+c^2+d^2)(x^2+y^2+z^2+t^2)
=(ax-by-cz-dt)^2+(ay+bx+ct-dz)^2
 +(az-bt+cx+dy)^2+(at+bz-ct-dx)^2
となる。実はこの恒等式はすでにオイラーによって発見されていたものである。“

“四元数がたとえば群の線型表現とかリー群の構造の理論などに自然に介入してくることが理解されるのは、19世紀の終わり頃になってである。ハミルトンの時代にはこれらの理論は存在すらしていなかったから当然である。”

“6)非可換結合的多元環と非結合的多元環
これらの理論の源は19世紀の中頃にあって、四元数体のように結合的ではあるが非可換な環または結合法則は満たされないのがその分類であるが、さらに別の公理を追加して限定することが多い。これらは<抽象>群論、リー群論、代数的位相幾何学、関数解析学に介入してくる。“

次の“Varadarajan”に進む予定。

6 “如月に枯れ芒追い月淀む”
「一応作りました」というだけの作ですが・・・。 

7 “1939:The principle of solidarity,also articulated in terms of ”friendship“ or ”social charity“,is a direct demand of human and Christian brotherhood.”
 (from “Catechism of the Catholic Church”)
 
8 “1939:For Christians,as for all who recognize the precise theological meaning of the word ”sin“ ,a change of behavior or mentality or mode of existence is called ”conversion,“ to use the language of the Bible.This conversion specically entails a relationship to God,to the sin committed,to its consequences and hence to one‘s neighbor,either individual or a community.”
(from ”The Companion of the Catechism of the Catholic Chruch“)
 
9 年間第15木曜日福音朗読。マタイによる第11章から。

“「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
-(主のくびきを負い、主に学ぼう。)

†主のお恵みが。
†主に讃美と感謝。

2014年7月17日
                       乗倉寿明記す

日記

2014-07-15 01:33:38 | Weblog
0 Twitterで、とも思ったが・・・。疲れているので写真前回踏襲。
順番通りの詩の更新のみ。アントニオーニの映画「情事」を見始める。
リチーの「映画のどこをどう読むか」の該当箇所を読む。その中、

“正反対性(両極性)を使って自分の言いたいことをあらわすこのアントニオーニの方法は、幾何学的である。両極端を持つ線があって、われわれはその両端を見るよう求められる。後へ行くほどこの映画は幾何学的な要素でいっぱいになる。背景の一部に見られるバロック風の幾何学的なものとか、青写真や建築用の図面の使用といった見てすぐわかる表現だけではなく、テーマを明確にし、例証し、文学的にあらわすための幾何学的な構図がたくさん使われている。”(p.87)

1 家にあるCDによるクラッシック紹介は2枚。踏襲。
「バッハ:ゴルトベルク変奏曲」(ピノック(チェンバロ);アリヒーフ)
「バッハ:パッサカリアとフーガハ短調他」(ヴァルヒャ(チェンバロ);FIC)

2 書く事に事欠いてギャグ3つ。しかも、かなり辛辣な奴。
「ワールドカップ制するなら、サッカー強化の前に、自国から教皇様を出すことを先ず考えた方がいい。ロシアではもうポーランドが優勝候補NO.1とか。」
 「発言の統計的裏付けを示さなければ。裏付けが示されたら、次に「税制に対する国民の不満の表れ」と分析できないか検討しなくては。そうなると経済、先生の出番だ。」
 「今度は埋め合わせに大笑い会見を開くっていうのはどうだろう。」

アルスの主任司祭聖ヴィアンネの本「聖ヴィアンネの精神」(モンナン神父)から。

“信仰と愛徳によって、御言葉がわれわれの中に住まい給うとき、われわれの霊に注ぎ給う神的光に照らされた知性の徳がある。”
“「心の眼を清めて、真の光に向かって飛翔するには、世のわずらいを軽んじ、身体を抑制し、痛悔の心を抱き、涙を注がねばならない・・・神の賛嘆すべき本質とその無垢なる心理とを黙想し、純なる意向をもって熱心に祈り、神に於いて喜び、天国を熱烈に望まなければならぬ」”
(p.13~14)

4 半年程前に「現代詩手帖」に投稿したけど採られることのなかった詩の紹介。3回目。段々と書き足していきます。一定のレベルに達しない詩ではありますが・・・。

“「昼」 白い小さな指先から 零れ落ちる サラサラした細かい砂 アポロニウスの円筒形 破損した硝子 //振り子細工のように 時を刻んで来た その機械はもう鳴らない //何千もの部品からなる 精密なゼンマイ装置 淀みのない時を刻み 傷みの欠けた歴史を繰り返す 空間の歪み そして 抜けるように広い青空//補正したようにも 補正しようのない 鋭い悔恨 戦禍にも その村は焼け落ちず・・・ 空間が そして 後に時間が後退して 仄かな祈りが・・・ “

まるで中弛みの感。「悔恨を補正する」とはどういうことなのだろうか?祈りが「仄か」も・・・

5 「人間精神の名誉のために」(J.デュドネ著;高橋礼司訳;岩波書店)から、ハミルトンの四元数についての引用。前回の続き。(p.139から部分的に引用)

“これらの規則によって、実際四元数a+bi+cj+dkに対する<絶対値の法則>が成り立つ、実際
(a+bi+cj+dk)(x+yi+zj+tk)
=(ax-by-cz-dt)+(ay+bx+ct-dz)i
 +(az-bt+cx+dy)j+(at+bz-ct-dx)k
(a^2+b^2+c^2+d^2)(x^2+y^2+z^2+t^2)
=(ax-by-cz-dt)^2+(ay+bx+ct-dz)^2
 +(az-bt+cx+dy)^2+(at+bz-ct-dx)^2
となる。実はこの恒等式はすでにオイラーによって発見されていたものである。“

“四元数がたとえば群の線型表現とかリー群の構造の理論などに自然に介入してくることが理解されるのは、19世紀の終わり頃になってである。ハミルトンの時代にはこれらの理論は存在すらしていなかったから当然である。”

“6)非可換結合的多元環と非結合的多元環
これらの理論の源は19世紀の中頃にあって、四元数体のように結合的ではあるが非可換な環または結合法則は満たされないのがその分類であるが、さらに別の公理を追加して限定することが多い。これらは<抽象>群論、リー群論、代数的位相幾何学、関数解析学に介入してくる。“

次の“Varadarajan”に進む予定。

6 “大柄に添い寝したるや妻の息”
「一応作りました」というだけの作ですが・・・。 

7 “1939:An error,”today abundantly widespread,is disregard for the law of human solidarity and charity,dictated and imposed both by our common origin and by the eqality in rational nature of all men,whatever nation they belong to.This law is sealed by the sacrifice of redemtion offered by Jesus Christ on the altar of the Cross to his heavenly Father,on behalf of sinful humanity.“
 (from “Catechism of the Catholic Church”)
 
8 “1939:Thus one would hope that all those who,to some degree or other,are responsible for ensuring a ”more human life“ for their fellow human beings,whether or not they are inspired by a religious faith,will become fully aware of the urgent need to change the spiritual attitudes which define each individual‘s relationship with self;and all of this in view of higher values such as the common good or,to quote the felicitous expression of the Encyclical Populorum Progressio,the full development ”of the whole individual and of all people.“
(from ”The Companion of the Catechism of the Catholic Chruch“)
 
9 年間第15月曜日福音朗読。マタイによる第10章から。

“「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」”
“Anyone who welcomes you is welcoming me,and anyone who welcomes me is welcoming the Father who sent me.If you welcomes a prophet as one who speaks for God,you will receive the same reward a prophet gets.And if you welcome good and godly people because of their godliness,you will be given a reward like theirs.And if you give even a cup of cold water to one of the least of my followers,you will surely be rewarded.”
-(平和の君は望むのは一致であり、敵をも赦すこと。赦してこそが平和の礎)

†主のお恵みが。
†主に讃美と感謝。

2014年7月15日
                       乗倉寿明記す

日記

2014-07-11 18:54:04 | Weblog
0 多忙。順番通りの詩の更新のみ。写真は、6/15(日)のコスモス愛知歌会参加の折に撮影。
アントニオーニの映画「情事」を見始める。
併せて、リチーの「映画のどこをどう読むか」を読み始める。

1 家にあるCDによるクラッシック紹介は2枚。前回を踏襲。
「サン=サーンス:交響曲第3番」(アンセルメ;スイス・ロマンド管弦楽団;ロンドン)
「リパッティの芸術5:主よ、人の望みの喜びよ」(リパッティ(ピアノ);EMI)

2  “Taylor Swift”「古今集・新古今集評釈」(松尾聡)をマックで読む。YoutubeのMITの“open course”にすっかり嵌る。“量子力学”のコース。もう15回。

アルスの主任司祭聖ヴィアンネの本「聖ヴィアンネの精神」(モンナン神父)から。

“信仰と愛徳によって、御言葉がわれわれの中に住まい給うとき、われわれの霊に注ぎ給う神的光に照らされた知性の徳がある。”
“「心の眼を清めて、真の光に向かって飛翔するには、世のわずらいを軽んじ、身体を抑制し、痛悔の心を抱き、涙を注がねばならない・・・神の賛嘆すべき本質とその無垢なる心理とを黙想し、純なる意向をもって熱心に祈り、神に於いて喜び、天国を熱烈に望まなければならぬ」”
(p.13~14)

昂じていた古典への傾倒が遂に、次の6書の比較購読に至らしむ。
「完全マスター古典文法」「文語文法詳説」(湯沢幸吉郎)
「万葉集講座1」(久松潜一編)「萬葉集研究(上)」(斎藤茂吉編)
「王朝の文学」(松尾聡他)「古典再入門」(円地文子他)
久松先生の「講座」は2種類ある様子。有精堂のもの。
また、調べ物のために、
「日本の古典」(北原保雄編)「日本文学鑑賞辞典古典編」
「王朝文学史」(秋山虔編)「恋する伊勢物語」(俵万智)
を引く。

4 半年程前に「現代詩手帖」に投稿したけど採られることのなかった詩の紹介。3回目。前回のに書き足していきます。一定のレベルに達しない詩ではありますが・・・。

“「昼」 白い小さな指先から 零れ落ちる サラサラした細かい砂 アポロニウスの円筒形 破損した硝子 //振り子細工のように 時を刻んで来た その機械はもう鳴らない //何千もの部品からなる 精密なゼンマイ装置 淀みのない時を刻み 傷みの欠けた歴史を繰り返す 空間の歪み そして 抜けるように広い青空//補正したようにも 補正しようのない 鋭い悔恨 戦禍にも その村は焼け落ちず・・・ 空間が そして 後に時間が後退して 仄かな祈りが・・・ “

まるで中弛みの感。「悔恨を補正する」とはどういうことなのだろうか?祈りが「仄か」も・・・

5 「人間精神の名誉のために」(J.デュドネ著;高橋礼司訳;岩波書店)から、ハミルトンの四元数についての引用。前回の続き。(p.139から部分的に引用)

“これらの規則によって、実際四元数a+bi+cj+dkに対する<絶対値の法則>が成り立つ、実際
(a+bi+cj+dk)(x+yi+zj+tk)
=(ax-by-cz-dt)+(ay+bx+ct-dz)i
 +(az-bt+cx+dy)j+(at+bz-ct-dx)k
(a^2+b^2+c^2+d^2)(x^2+y^2+z^2+t^2)
=(ax-by-cz-dt)^2+(ay+bx+ct-dz)^2
 +(az-bt+cx+dy)^2+(at+bz-ct-dx)^2
となる。実はこの恒等式はすでにオイラーによって発見されていたものである。“

“四元数がたとえば群の線型表現とかリー群の構造の理論などに自然に介入してくることが理解されるのは、19世紀の終わり頃になってである。ハミルトンの時代にはこれらの理論は存在すらしていなかったから当然である。”

“6)非可換結合的多元環と非結合的多元環
これらの理論の源は19世紀の中頃にあって、四元数体のように結合的ではあるが非可換な環または結合法則は満たされないのがその分類であるが、さらに別の公理を追加して限定することが多い。これらは<抽象>群論、リー群論、代数的位相幾何学、関数解析学に介入してくる。“

次の“Varadarajan”に進む予定。

6 “淡々と日々過ごしけり郷一峰(ごういっぽう)”
「一応作りました」というだけの作ですが・・・。 

7 “1939:An error,”today abundantly widespread,is disregard for the law of human solidarity and charity,dictated and imposed both by our common origin and by the eqality in rational nature of all men,whatever nation they belong to.This law is sealed by the sacrifice of redemtion offered by Jesus Christ on the altar of the Cross to his heavenly Father,on behalf of sinful humanity.“
 (from “Catechism of the Catholic Church”)
 
8 “1939:Thus one would hope that all those who,to some degree or other,are responsible for ensuring a ”more human life“ for their fellow human beings,whether or not they are inspired by a religious faith,will become fully aware of the urgent need to change the spiritual attitudes which define each individual‘s relationship with self;and all of this in view of higher values such as the common good or,to quote the felicitous expression of the Encyclical Populorum Progressio,the full development ”of the whole individual and of all people.“
(from ”The Companion of the Catechism of the Catholic Chruch“)
 
9 年間第14金曜日福音朗読。マタイによる第10章から。

“「あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。また、わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。」「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」「あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに、人の子は来る。」”
-(つねに聖霊が導いてくださる。宣教は聖霊の御業なのだ。宣教の働き手は聖霊であって、私たちはそれに協力するにすぎないのだ。)

†主のお恵みが。
†主に讃美と感謝。

2014年7月11日
                       乗倉寿明記す

日記

2014-07-08 13:19:56 | Weblog
0 多忙。順番通りの数学更新のみ。写真は、6/15(日)のコスモス愛知歌会参加の折に撮影。映画は「恋愛小説家」。蟹の店で食事のところ。

1 家にあるCDによるクラッシック紹介は2枚。
「サン=サーンス:交響曲第3番」(アンセルメ;スイス・ロマンド管弦楽団;ロンドン)
「リパッティの芸術5:主よ、人の望みの喜びよ」(リパッティ(ピアノ);EMI)

2 昨晩は、“蟹の店”ならず“牛丼の店”で食事。殿岡。教会の信者さんの店。巡礼旅行帰りに前を通りかかったとき、伊藤神父様が、「ここもわたしが祝福したのだから」と言われていた。“スーツやタイ”は不要、信仰心があればそれでいい。仕事終了後なので、PM11時頃からAM1時半頃迄。店のBGMにヴォーカルが混じる時は、基本ロザリオやキングジェームス、クラシックやジャズを聴きながら本を読む。

“Taylor Swift”「万葉の秀歌」「古今集・新古今集評釈」(2冊松尾聡)「幾何学Ⅰ」(ハーツホーン)「高校入試問題集数学の完成」「大学への数学入試数学基礎演習」を読む。

アルスの主任司祭聖ヴィアンネの本「聖ヴィアンネの精神」(モンナン神父)から。

“信仰と愛徳によって、御言葉がわれわれの中に住まい給うとき、われわれの霊に注ぎ給う神的光に照らされた知性の徳がある。”
“「心の眼を清めて、真の光に向かって飛翔するには、世のわずらいを軽んじ、身体を抑制し、痛悔の心を抱き、涙を注がねばならない・・・神の賛嘆すべき本質とその無垢なる心理とを黙想し、純なる意向をもって熱心に祈り、神に於いて喜び、天国を熱烈に望まなければならぬ」”
(p.13~14)

4 半年程前に「現代詩手帖」に投稿したけど採られることのなかった詩の紹介。2回目。前回のに書き足していきます。一定のレベルに達しない詩ではありますが・・・。

“「昼」 白い小さな指先から 零れ落ちる サラサラした細かい砂 
アポロニウスの円筒形 破損した硝子 //振り子細工のように 時を刻んで来た その機械はもう鳴らない //何千もの部品からなる 精密なゼンマイ装置 淀みのない時を刻み 傷みの欠けた歴史を繰り返す 空間の歪み そして 抜けるような青い大空 ・・・“

今こうして写していると、1連目の「破損した硝子」から「振り子細工のように」の展開に疑問が残る。「傷みの欠けた」もどうかと思う。

5 「人間精神の名誉のために」(J.デュドネ著;高橋礼司訳;岩波書店)から、ハミルトンの四元数についての引用。前回の続き。(p.139から部分的に引用)

“これらの規則によって、実際四元数a+bi+cj+dkに対する<絶対値の法則>が成り立つ、実際
(a+bi+cj+dk)(x+yi+zj+tk)
=(ax-by-cz-dt)+(ay+bx+ct-dz)i
 +(az-bt+cx+dy)j+(at+bz-ct-dx)k
(a^2+b^2+c^2+d^2)(x^2+y^2+z^2+t^2)
=(ax-by-cz-dt)^2+(ay+bx+ct-dz)^2
 +(az-bt+cx+dy)^2+(at+bz-ct-dx)^2
となる。実はこの恒等式はすでにオイラーによって発見されていたものである。“

“四元数がたとえば群の線型表現とかリー群の構造の理論などに自然に介入してくることが理解されるのは、19世紀の終わり頃になってである。ハミルトンの時代にはこれらの理論は存在すらしていなかったから当然である。”

“6)非可換結合的多元環と非結合的多元環
これらの理論の源は19世紀の中頃にあって、四元数体のように結合的ではあるが非可換な環または結合法則は満たされないのがその分類であるが、さらに別の公理を追加して限定することが多い。これらは<抽象>群論、リー群論、代数的位相幾何学、関数解析学に介入してくる。“

次の“Varadarajan”に進む予定。

6 “縫製の鹿の隣にありし花一輪”
「一応作りました」というだけの作ですが・・・。 

7 “1939:An error,”today abundantly widespread,is disregard for the law of human solidarity and charity,dictated and imposed both by our common origin and by the eqality in rational nature of all men,whatever nation they belong to.This law is sealed by the sacrifice of redemtion offered by Jesus Christ on the altar of the Cross to his heavenly Father,on behalf of sinful humanity.“
 (from “Catechism of the Catholic Church”)
 
8 “1939:Thus one would hope that all those who,to some degree or other,are responsible for ensuring a ”more human life“ for their fellow human beings,whether or not they are inspired by a religious faith,will become fully aware of the urgent need to change the spiritual attitudes which define each individual‘s relationship with self;and all of this in view of higher values such as the common good or,to quote the felicitous expression of the Encyclical Populorum Progressio,the full development ”of the whole individual and of all people.“
(from ”The Companion of the Catechism of the Catholic Chruch“)
 
9 年間第14火曜日福音朗読。マタイによる第9章から。

“イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」”
“Jesus traveled through all the cities and villages of that area,teaching in the synagogues and announcing the Good News about the Kingdom.And wherever he went,he healed people of every sort of disease and illness.He felt great pity for the crowds that came,because their problems were so great and they didn‘t know where to go for help.They were like sheep without a shepherd.He said to his disciples,”The harvest is so great,but the workers are so few.So pray to the Lord who is in charge of the harvest;ask him to send out more workers for his fields.“
-(あなたの力を、あなたの言葉を求めています。御言葉を宣べ伝える者、あなたの力を証しする者を遣わしてください。)

†主のお恵みが。
†主に讃美と感謝。

2014年7月8日
                       乗倉寿明記す