St. John of the Crossの生き方に憧れて

受洗後、最初に買ったカトリックの本が「愛への道」。相応しい生き方をしてない。彼に倣う生き方が出来るよう心がけたいです。

日記

2014-10-08 15:10:40 | Weblog
1 goo blogの記事”ニ・ュ。ハ」ア」ー。ソ」イ」ケ。ヒ”が自身の参照2位に入っている。別にdadaではない。種明かしすると、OCNさんの”Blog Cafe”からの変換が上手くいかなかったのだ。OCNさん後継ブログでは成功したので、“どうしても”という方はそちらを見て欲しい。

2 詩の変更のみ。写真は、9/20(土)の東京、21(日)の名古屋。

3 月曜と今日、日課の壁打ちテニスと読書しながらの散歩。「百年の孤独を歩く」(田村さと子)、「現代詩手帖年鑑‘14」を読む。小一時間。両日、午後は仕事の準備。月は仕事後、夜中すきやで夕食。その後読書。1時閉店で“報道されている通り”を実感する。2冊、「グアバの香り」(マルケス)“Introduction to Quantum Fields on a Lattice”(J.Smit)を僅か読む。火曜日は個人の詩集を大量に読む。仕事の準備をする。買い物をする。帰宅後、真夜中の夕食。見ながらTVを見る。「“ブロディー”のプロデューサー」「指し手指導を指し子に乞う」「失敗の経験、失態じゃなくて」「原典と原点に学ぶ」「倉庫番しながらエンタメプロデュース」だったら“ブロディー”かな。自分の中、ラテン・アメリカ文学季節だし。

「聖女」(1~4、6)「そこをなんとか2」(1~3)をNHKOnDemandで視聴。 “そう言えば、春先民法について一生懸命学んでたなあ”と思いつつ、「刑法」(村井敏邦)から引用。p.199、

“第1章において、二つのことを検証するという課題を設定した。その第一は、犯罪と刑罰を定める主体が国家の一部の権力者でなく、多数の直接には権力を持たない一般民衆であるかということであり、その第二は、犯罪を摘発し処罰する側から摘発・処罰を受ける側への視点の転換が行われているかということである。”

次に、p.201から、

“日本の刑法はドイツ法系であるのに対して、刑事訴訟法は英米法系であるといわれる。”
“少し大ざっぱな見方だが、ドイツ法系はどちらかといえば演繹的な思考方法をとるのに対して、英米法系は帰納的は方法をとる。”
“このようにみてぅると、刑法と刑事訴訟法との乖離ということは、ドイツ法と英米法との違いというよりも、演繹的思考法と帰納的思考方法の違いといったほうがよいかもしれない。しかし、個別性を無視した一般化も、一般性を無視した個別化も、どちらも妥当でない。”

「民法入門」(川井健)を引用。p.、p.1から、

“いうまでもなく、民法上の各制度は有機的に関連しあっている。所有者といい、契約といい、民法の条文ではバラバラに登場するが、ある紛争が生じてそれを解決するためにはこれらを結合させた基準を見つけなければならない。民法を学ぶうえでも、各制度を関連しあうものとして把握しておくことが肝要である。”

“人々が日常生活をしていくうえで紛争が生じたときに、それは法的にどのように解決されるであろうか。法を大きく分けると、第一に、公法がある。これは、国家と国民との関係および国家の機関相互の関係を定める法である。具体的には、国会法、地方自治法、租税にかかわる法などがある。これに対して、第二に、私法がある。これは、国民相互の関係を定める法である。その中には、民法、商法、労働法などが含まれる。それは、いわば国民と国民との間に紛争が生じたときに、これをどのように解決するかという基準を与える法であるが、その中で民法が一般法となっており、商法、労働法はその特別法である。一般法とういうのは、ごく一般の人々の間の紛争を解決する法であるが、商法、労働法はそれぞれ特有の分野について生じた紛争を解決する法である。”

時間があったら、憲法・外国法・法哲学含め法律学について読み返したい。



マグダラのマリアについて。教会では7月22日を“マグダラのマリア”の記念日に定めています。関連して「毎日のミサの友」「毎日の福音」から抜粋します。なお、マグダラのマリアの取り成しを願う祈りを探したのですが、見つかりません。「マグダラのマリア様、・・・」と祈るか、叙唱の“聖人”「聖なる父、全能永遠の神、聖人を通して示されたあなたの栄光をたたえ、・・・」に従って祈ればいいと思います。

“キリストに従う人たちの一人で、キリストが十字架上で亡くなられたときそばに立ち、三日目の朝早く、復活したイエスと最初に出会った。マグダラのマリアへの崇敬は、特に十二世紀から西方教会に広まった。”
“マグダラのマリアは、「肉に従って」復活のイエスを見ようとしたとき、「イエスだとは分からなかった」。しかし、イエスの「マリア」という呼びかけで、彼女はすべてを理解する。彼女が深く「キリスト」と結ばれていたからである。”
“墓の外に立って泣いていたマグダラのマリアに復活した主が現れる。彼女は復活の喜びを最初に告げる者、使徒たちへの使徒となる。それは彼女のイエスに対するひたむきな愛があったから。”
“マリアにとってイエスは「わたしの主」、「わたしのいのち」でした。女性として信じ、愛し、嘆きに沈むマリアに、イエスは近づき、「マリア」と呼ばれます。イエスはわたしたち一人ひとりを、それぞれの状況、ありのままの状態においてお呼びになります。”

第一朗読は2コリンチャンス第5章。詩篇は第63章、福音朗読はヨハネによる第20章を見てください。もう一つの第一朗読・雅歌からのみ引用します。

“[おとめは歌う。]夜ごと、ふしどに恋いしたう人を求めても/求めても、見つかりません。/起き出して町をめぐり/通りや広場をめぐって/恋い慕う人を求めよう。//求めても、あの人は見つかりません。/わたしが町をめぐる夜警に見つかりました。「わたしの恋い慕う人を見かけましたか。」/彼らに分かれるとすぐに/恋い慕う人が見つかりました。”

4 半年程前に「現代詩手帖」に投稿したけど採られることのなかった詩の紹介。7回目、多分。段々と書き足していきます。一定のレベルに達しない詩ではありますが・・・。

“「昼」 白い小さな指先から 零れ落ちる サラサラした細かい砂 アポロニウスの円筒形 破損した硝子 //振り子細工のように 時を刻んで来た その機械はもう鳴らない //何千もの部品からなる 精密なゼンマイ装置 淀みのない時を刻み 傷みの欠けた歴史を繰り返す 空間の歪み そして 抜けるように広い青空//補正しようにも 補正しようのない 鋭い悔恨 戦禍にも その村は焼け落ちず・・・ 空間が そして 後に時間が後退して 仄かな祈りが・・・//空に白雲が立ち籠め 木々の緑 その影は 日差しを遮り 小さなバルコニーには 混沌が形成されていた 空港に出て 半島を半時計周りに巡って また読み止しの本に戻った// 「ステファニーが フランスに旅をして お菓子屋になる為に パリで勉強する やがて 大人のする恋をした そして 振られ・・・」//お座なりに投げ出された鞄から 星が銀河のように溢れ出て 空間を限りない光で満たした//次第に遠のいて行く テールランプ 棒状に浮かぶ雲たち 庇には もう東の月が出ている 周到に準備された 文月のような それでもう 終末に近いことが分かる//しなければならなかったことを 後悔して 記憶に残る糸を 辿ってみる 階段を駆け上る//そして 過ぎ去った時間の中 人間は人魚であった 住み慣れた街を捨て 逸れた恋人が タクシーで テールランプを追うように 記憶の微かなうねりを そのままに捉える//人間は嘗て海にあった 朝焼けは意外と簡単で 独り下宿の六畳間で 立ち尽くしていたが 調べなき夕暮れに 東風が出てきた 珈琲を飲み 貿易風についいて 若干議論する//「必然」と染められた旗が 風に運ばれ「憮然」と翻る それが自然の真情だったのかと 轍にぬかるんで 夏の午後 身動きが取れなくなった//白い幽霊が 下北に出て 蒼い白鳥が 係累を払いながら 露に噎せ入って 水底に沈められたのは 何の象徴だったのか//水路を流れる 淡い鴇色の風景 結末は未だ知らない 春も未だ来ない 体育館から人が出て 五島の方へ旅立つ ぞろぞろと 黒子のあった辺りを結ぶ 嵌められた絵のような 水晶の球ばかり 一瞬のざわめき//エテルニタスの様に 風船が 瞬間 大空に駆け登って来た 良心のないエゴイズム 緑なす高原を そして谷川を 列車は 二時間遅れて 終点迄向かう むか伏す夢//アウレーニアとフリージアは もう歌わない夢 だから 歌わなくても それはそれでいい もう夏だ
(掲載完了)

一応完成。次から如何しよう?困っている。詩自体は、何処で終わっても何ら変わらないどうでもいい文章。響いてこない。最後息切れしたか、西脇詩のパクリ。寂しい風が吹く。雲が切れる。月が覗く。狐目をした女が通りかかる。旗竿が風に靡き、如何しようもない倦怠を運び来る。奥沢に幽霊が出る。奥多摩に静寂が戻る。何時かきちんと推敲したい。という訳で私はこれで。

5 From “Introduction to Quantum Computation and Informatios”(Hoi-Kwong Lo et.al.;World Scientific)の“Quantum Computaion with Nuclear Magnetic Resonance”(I.L.Chuang)より、p.316
“We shall use the fact that for σ±≡(σx±iσy)/2,e^(σz)σ±e^(-σz)=e^(±2ξ)σ±.Let the state of the system be |ψ(t)>,and define the rotating frame state |χ(t)>=e^(iωtσz/2)|ψ(t)>,such that the Schrodinger equation for the system,ih∂t|ψ(t)>=H|ψ(t)>、can be expressed as ih∂t|χ(t)>=δ[e^(-iωtz)+e^(iωt)}/2][{e^(iωt)σ+}+{e^(-iωt)σ-}]≒δ/2・σx|χ(t)> where the high frequency terms were dropped (the rotaing wave appoximation).This has the solution |χ(t)>=e^(iδtσx/2)|χ(0)> δt represents the integrated power of the applied resonant RF field.|χ(0)> is a two-component spinor,and the effect of e^(iωtσz/2) is just a rotation of the state about the x^ axis by the angle δt。
量子コンピュータの代表的な教科書からの第6回。“コンピューティングにハミルトンの四元数を使う”に関連し。

6 “泰山木と野に駆け遊ぶヒヨドリの声”
自作俳句。破調の上少し古い。

7 “1939:The principle of solidarity,also articulated in terms of ”friendship“ or ”social charity“,is a direct demand of human and Christian brotherhood.”
 (from “Catechism of the Catholic Church”)
 
8 “1939: These attitudes and “structures of sin” are only conquered -presupposing the help of divine grace-by a diametrically opposed attitude;a commitment to the good of one‘s heighbor with the readiness,in the gospel sense,to “lose oneself” for the sake of the other instead of exploiting him,and to “serve him” instead of oppressing him for one’s own advantage.
(from ”The Companion of the Catechism of the Catholic Chruch“)
 
9 年間第27水曜日福音朗読より。ルカによる第11章から。

“「祈るときには、こう言いなさい。「父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないですださい。」」”
-(私たちをご自分の兄弟としてくださった神の御子イエスと共に、御父に祈る。キリスト者の祈りは三位一体の交わりにおける祈りなのだ。)

†主のお恵みが。
†主に讃美と感謝。

2014年10月8日
                       乗倉寿明記す


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