St. John of the Crossの生き方に憧れて

受洗後、最初に買ったカトリックの本が「愛への道」。相応しい生き方をしてない。彼に倣う生き方が出来るよう心がけたいです。

「マリアにならう」より、祈り

2009-07-31 22:27:48 | アート・文化

「マリアにならう」より、
第1章 聖なるおとめマリアにならうこと

Ⅰ 純真であれ、神の純真な子らしく、偽りなく、ねてみなく、理屈をいわず、つぶやかず、なんの疑いをさしはさむな。愛と、おおいなる忍耐と、おおいなるけんそんとをもって、すべての逆境をしのべ。イエズス、マリア、そして諸聖人にならうように、いまこそ目ざめよ。そして、あなたがた自身、聖人となれ。

Ⅱ ああわたくしの母よ、すべての母のうちでもっともやさしいおん母よ、あなたとイエズスとにならうことができますように、清い心であなたをお愛しもうしあげることができますように、わたくしの心に、せめていつくしみの一適でも、お注ぎください。

Ⅲ キリスト信者は、崇高な模範であると同時に、すばらしい女王、手本、母として賛美もうしあふぇるマリアが、そなえていらっしゃる善徳を、実行しようとして、自分の霊魂を聖なる模範であるマリアのみまえに捧げる。

Ⅳ 「心を撃て。その中に天与の才がある。」と詩人はいった、そしてまた、そこにこそ、聖性もひらめいている。マリアを愛する人にとっては、すべては甘くこころよい。

・ 聖母マリアよ、あなたにならいます。主キリストにならいます。そして、神の純真な子として生きることが出来るよう努力します。それには、聖母マリア、あなたがお手本です。常に目覚めていて、清い心であなたを賛美申し上げることの出来るよう助け導いてください。わたしにとって、あなたすべてが甘く心地良い。わたしの心も精神も体もすべてあなたに捧げます。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。

引用文献:「マリアにならう」(ケンピス著;木船重昭訳;エンデレル書店刊)


「ベルナデッタ」より、祈り

2009-07-31 15:04:00 | Weblog
「ベルナデッタ」より、
・p21から
「苦しみの中にある時、わたしの信仰を支え、希望を強め、愛を清めて下さい。苦悩の最中にある時にも、み手の御導きを知り、あなた以外の何ものをも慰め主として望むことが無い様に、恵みをお与え下さい。」
・苦悩もあなたからの贈り物です。主よ感謝します。苦しみを与えてくださったことに感謝致します。主に十字架を負わせたのは、わたくしです。主の十字架は、わたくしの罪です。わたくしが主に負わせた十字架に比べれば、わたくしの苦悩などとるに足りません。主よ、御導きを感謝致します。そして、他の苦しみもわたくしは望みます。こうして、あなたから頂いた試練によって、わたくしの罪深い魂が浄化されますように。主イエス・キリストの御名によってお願いします、アーメン。
・引用文献:「ベルナデッタ魂の日記」(ベルナデッタ著;安藤敬子訳;ドン・ボスコ社刊)

隣々の伊那まで行って来ました-メモ書き

2009-07-31 14:15:30 | Weblog
 この間の話を覆すようだけど、江ノ島の先端、岩盤があって、太平洋を荒波が被さって来て、間違えば浚われるという中で、cat walkの訓練をしたことありますか?危険故決してやらない、がいいです。波達の噛み付こうかというブーイングの中で、ショウを続ける、自分だけの、っていうのは中々しっかりしてないと駄目です。一度、轟音の荒波の音BGMファッションショー、見たいです。昨日、伊那に行って来ました。本屋に行きました。教会に行きました。詩を読みました。テニスをしました。SOS基金の話2箇所で聞きました。大変そうです。毎日、荒波を枕に綱渡りの生活みたいです。自分の無力さを感じます。祈る位しか出来ないのかな?”I stand amid the roar.Of a surf-tormented shore,And I hold within my hand.Grains of the golden sand-How few!yet how they creep.Through my fingers to the deep,While I weep-while I weep!”訳は鷺沼海岸に住んだ作家日夏先生を参照してください!ところで、伊那の坂道、路地。夜はまるで江ノ島です!発見!

「ベルナデッタ」より、祈り

2009-07-29 13:14:04 | アート・文化

「ベルナデッタ」より、
p21
「おお、わたしの神よ、孤独の極みを味わわれたあなたに、切にお願い致します。決して苦しみを与えないことではなく、苦しみ悩むときに、決してわたしを棄てず、唯一の慰め主なるあなたを探し求めることを教えてください。苦しみの中にある時、わたしの信仰を支え、希望を強め、愛を清めてください。苦悩の最中にある時にも、み手の御導きを知り、あなた以外の何ものをも慰め主として望むことがないように、恵みをお与えください。」
・主よ、あなただけが迷う時のわたしの希望の灯り、あなただけがうち棄てられたと感じる時のわたしの心の拠り所。困難な時こそ、御言葉を頼むところとし、耳傾け、生活の中、実践していくことが出来ますよう助け導いてください。主イエス・キリストの御名によってお願いいたします、アーメン。
引用文献:「ベルナデッタ魂の日記」(ベルナデッタ著;安藤敬子訳;ドン・ボスコ刊)


「キリストにならって」より-祈り

2009-07-29 12:50:00 | Weblog
「キリストにならって」より
1.6.2.
「傲慢な人や吝嗇な人は、決して心が安らかな気持ちでないけれども、貧しくて、心の謙遜な人はいつでも非常に安らかな気持ちで生きている。」
・主よ、わたしは日々の生活でつい傲慢になったり吝嗇になってしまいます。中々矯正出来ません。御言葉を日常の中、常に思い浮かべ、あなたの御名によって、心貧しく謙遜な生活を生きたいと思います。助け導いてください。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。
引用文献:「キリストにならって」(ケンピス著;荻原晃訳;サンパウロ刊)より