St. John of the Crossの生き方に憧れて

受洗後、最初に買ったカトリックの本が「愛への道」。相応しい生き方をしてない。彼に倣う生き方が出来るよう心がけたいです。

日記

2014-09-29 02:17:15 | Weblog
00 記事”ニ・ュ。ハ」ア」ー。ソ」イ」ケ。ヒ”が参照2位に入っている。別にdadaではない。種明かしすると、OCNさんの”Blog Cafe”からの変換が上手くいかなかったのだ。OCNさん後継ブログでは成功したので、“どうしても”という方はそちらを見て欲しい。
0 カテキズムの変更のみ。写真は、9/20(土)の東京、21(日)の名古屋。八重洲口名古屋行夜行バスの待合。2時間程過ごしたが、何年か前に夢に見た。アジア大会のTVや言ったジョーク迄覚えている。
27・28の土日は近所で過ごす。二日とも午前壁打ちテニス&散歩しながらの「現代詩手帖・現代詩年鑑2014」熟読。土曜日昼から、教会で「ミサの友」使っての「集会祭儀」、上郷図書館での読書、飯高グランドでのテニスの3つ。夜は、松川の集会祭儀に与る。飯田教会に寄り、10時頃迄祈って帰ってくる。TVで御嶽噴火のテロップに驚く。亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。NHK字幕では、「日曜午後中南信に灰が降る」と。目の悪い母と二人暮らしでは、日曜松本行きは見合すべきと決める。日曜休む。が、翌日散歩していて懸念は当たらないと。昼から教会へいく。午後11時に帰ってくる。実は、神父様が不在。ドイツに休暇で帰っている。なので、お御堂で祈っては信徒会館で勉強を繰り返す。
二日で読んだ本。仕事関連の他、“The Dairy of Saint Faustina Kowalska”「作業療法の理論」(キールホフナー)「現代詩手帖・現代詩年鑑2014」「ヨーロッパ文学」(西脇順三郎)アーサー・シモンズ「象徴主義の文学運動」「写生俳句及び写生文の研究」「写生派歌人の研究」(北住敏夫)(この2冊は松本に行くということで電車の中読み返したかった本。わたくしの中の絶対のリテラチャー・バイブル。なお、宮先生の「気品」。この本によると、長塚節は「品位」と。或いは「冴え」と。)「複素解析概論」(野口潤次郎)「万葉名歌」(土屋文明)など。
帰ってTVをつけたら教育で「量子コンピュータ」をやっていた。ラスト5分を見る。カナダの会社が実現とか。実現する上で、‘90~’00の日本の研究が鍵らしい。更に、グーグルとカナダの会社共同で量子コンピュータが実現しつつあるとか。嬉しい限り。
不思議なことが。10時頃、明日があるし、夕食未だなので、帰ろうと。ついては、3回目の「主の慈しみ」「ロザリオ」を祈ってた。終了間近、目がマリア様に釘付けになる。半脱魂状態に。心の中に「理科大の大矢先生の為に一生懸命祈りなさい」の言葉が。およりてで、歩きながら夜空の下、ロザリオを唱えていたときも、再び「祈り通しなさい」の言葉。以前はずっと、祭儀の中で、先生の為にも祈っていたが、ここ半年程サボっていた。何か先生のご迷惑になるようなことを知らずやってしまったのだろうか。心配になる。
帰り、野底川で流星を見る。何もなければいいが・・・。

アントニオーニの映画「情事」をなかなか進められない。島の小屋のところ。リチーの指摘に納得。リチーの「映画のどこをどう読むか」の該当箇所を読む。
引用は変わらない。

“正反対性(両極性)を使って自分の言いたいことをあらわすこのアントニオーニの方法は、幾何学的である。両極端を持つ線があって、われわれはその両端を見るよう求められる。後へ行くほどこの映画は幾何学的な要素でいっぱいになる。背景の一部に見られるバロック風の幾何学的なものとか、青写真や建築用の図面の使用といった見てすぐわかる表現だけではなく、テーマを明確にし、例証し、文学的にあらわすための幾何学的な構図がたくさん使われている。”(p.87)

1 家にあるCDによるクラッシック紹介は2枚。前回踏襲。
「バッハ:ゴルトベルク変奏曲」(ピノック(チェンバロ);アリヒーフ)
「バッハ:パッサカリアとフーガハ短調他」(ヴァルヒャ(チェンバロ);FIC)

2 アルスの主任司祭聖ヴィアンネの本「聖ヴィアンネの精神」(モンナン神父)からは、変更なし。

“信仰と愛徳によって、御言葉がわれわれの中に住まい給うとき、われわれの霊に注ぎ給う神的光に照らされた知性の徳がある。”
“「心の眼を清めて、真の光に向かって飛翔するには、世のわずらいを軽んじ、身体を抑制し、痛悔の心を抱き、涙を注がねばならない・・・神の賛嘆すべき本質とその無垢なる心理とを黙想し、純なる意向をもって熱心に祈り、神に於いて喜び、天国を熱烈に望まなければならぬ」”
(p.13~14)

4 半年程前に「現代詩手帖」に投稿したけど採られることのなかった詩の紹介。6回目、多分。段々と書き足していきます。一定のレベルに達しない詩ではありますが・・・。

“「昼」 白い小さな指先から 零れ落ちる サラサラした細かい砂 アポロニウスの円筒形 破損した硝子 //振り子細工のように 時を刻んで来た その機械はもう鳴らない //何千もの部品からなる 精密なゼンマイ装置 淀みのない時を刻み 傷みの欠けた歴史を繰り返す 空間の歪み そして 抜けるように広い青空//補正しようにも 補正しようのない 鋭い悔恨 戦禍にも その村は焼け落ちず・・・ 空間が そして 後に時間が後退して 仄かな祈りが・・・//空に白雲が立ち籠め 木々の緑 その影は 日差しを遮り 小さなバルコニーには 混沌が形成されていた 空港に出て 半島を半時計周りに巡って また読み止しの本に戻った// 「ステファニーが フランスに旅をして お菓子屋になる為に パリで勉強する やがて 大人のする恋をした そして 振られ・・・」//お座なりに投げ出された鞄から 星が銀河のように溢れ出て 空間を限りない光で満たした//次第に遠のいて行く テールランプ 棒状に浮かぶ雲たち 庇には もう東の月が出ている 周到に準備された 文月のような それでもう 終末に近いことが分かる//しなければならなかったことを 後悔して 記憶に残る糸を 辿ってみる 階段を駆け上る//そして 過ぎ去った時間の中 人間は人魚であった 住み慣れた街を捨て 逸れた恋人が タクシーで テールランプを追うように 記憶の微かなうねりを そのままに捉える//人間は嘗て海にあった 朝焼けは意外と簡単で 独り下宿の六畳間で 立ち尽くしていたが 調べなき夕暮れに 東風が出てきた 珈琲を飲み 貿易風についいて 若干議論する//「必然」と染められた旗が 風に運ばれ「憮然」と翻る それが自然の真情だったのかと 轍にぬかるんで 夏の午後 身動きが取れなくなった//白い幽霊が 下北に出て 蒼い白鳥が 係累を払いながら 露に噎せ入って 水底に沈められたのは 何の象徴だったのか//水路を流れる 淡い鴇色の風景 結末は未だ知らない 春も未だ来ない 体育館から人が出て 五島の方へ旅立つ ぞろぞろと 黒子のあった辺りを結ぶ 嵌められた絵のような 水晶の球ばかり 一瞬のざわめき//(掲載未了)

追加分だけ見ても、粗い。推敲が足りない。一応シュール詩だが、2つの連の終わり“水底に沈められたのは 何の象徴だったのか“”一瞬のざわめき“が甘い。唐突。そこを何とかしたい。そういった箇所を埋めるのが詩作・推敲の中でも大きなウェートを占める。切れ味!

5 From “Introduction to Quantum Computation and Informatios”(Hoi-Kwong Lo et.al.;World Scientific)の“Quantum Computaion with Nuclear Magnetic Resonance”(I.L.Chuang)より、p.316
“2.3 Spin manipulations /Spin are manipulated by applying a much smaller radio-frequency field,B1,in the x-y plane to excite the spins at their resonat frequencies ωi.Using the rotating wave appoximation,we find that in the rotating frame the spin evolves under an effective field B=B1cos(φ)x+B1sin(φ)y(where φ is the RF phase).Near resonance,even a small B1 can cause large spin rotations,and by varying φ and magnitude of B1,the rotation angle and axis can be controlled.Furthermore,by applying RF fields at different frequencies,different spins can be selectively exited.Mathematically,this effect from a resonant perturbation is well known,and a derivation is selected here for completeness.Consider the Hamiltonian H=hω/2σz+hδcosωtσx where σi are the usual Puli matrices.

量子コンピュータの代表的な教科書からの第5回。“コンピューティングにハミルトンの四元数を使う”に関連し。

6 “白手袋編みて満天の星白牡丹”
自作俳句。破調の上少し古い。

7 “1939:The principle of solidarity,also articulated in terms of ”friendship“ or ”social charity“,is a direct demand of human and Christian brotherhood.”
 (from “Catechism of the Catholic Church”)
 
8 “1939: These attitudes and “structures of sin” are only conquered -presupposing the help of divine grace-by a diametrically opposed attitude;a commitment to the good of one‘s heighbor with the readiness,in the gospel sense,to “lose oneself” for the sake of the other instead of exploiting him,and to “serve him” instead of oppressing him for one’s own advantage.
(from ”The Companion of the Catechism of the Catholic Chruch“)
 
9 聖ミカエル・聖ガブリエル・聖ラファエル大天使祝日福音朗読。ヨハネによる第1章から。

“ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」イエスは答えて言われた。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」”
-(人となられたみことばの生涯は、その受肉から昇天まで、天使たちの礼拝と奉仕に囲まれています。)

†主のお恵みが。
†主に讃美と感謝。

2014年9月29日
                       乗倉寿明記す

日記

2014-09-25 19:07:27 | Weblog

00 記事”ニ・ュ。ハ」ア」ー。ソ」イ」ケ。ヒ”が参照2位に入っている。別にdadaではない。種明かしすると、NTT OCNさんの”Blog Cafe”からの変換が上手くいかなかったのだ。NTT OCNさん後継ブログは成功したので、どうしてもという方はそちらを見て欲しい。
0 詩の変更のみ。写真は、9/20(土)の東京、21(日)の名古屋。今週は俳句の週になってしまう。やっと50作って、うち5つを「角川俳句9月号」に送る。昨夜深夜。その他仕事の準備もあって、今週は毎日の一人での「集会祭儀」や「慈しみの祈り」の他、殆ど何もせず。やっとさっき、上郷図書館に行って予約してた本を借りてくる。ラテン・アメリカ文学数冊と光太郎・ホイットマン。「光太郎・ホイットマン比較文学」は既に世にある。「村上文学とガルシア=マルケス比較文学」はあるかな?一瞬思う。午後にかけて勉強。西脇「ヨーロッパ文学」、シーサー・シモンズ「象徴主義の文学運動」「古典再入門」(円地文子)などを読む。今週は他、 “Dubliners”(Joyce)「俳句鑑賞歳時記」(山本健吉)「非線型力学」。あと仕事関連。前回の続きだが、横浜辺り、夜行の中「現代の短歌」(高野公彦)を読んでいて、宮柊二先生の歌に甚く感動する。涙が止まらなくなる。表現は、いろいろ雑なものを削ぎ落として出てくる凛とした気品がすべてと思う。“作品のクオリティー”に“作品のアトモスファー”と答えたのはボルヘスだった。そんな中「現代の短歌」(高野公彦)を逆順に読んでいて、先生の短歌の他を圧する気品に出くわす。コスモスに席を置く僥倖を思う。今週末は本来なら広島。そこを意識して2・3日過ごそうと思う。

アントニオーニの映画「情事」をなかなか進められない。島の小屋のところ。リチーの指摘に納得。リチーの「映画のどこをどう読むか」の該当箇所を読む。
引用は変わらない。

“正反対性(両極性)を使って自分の言いたいことをあらわすこのアントニオーニの方法は、幾何学的である。両極端を持つ線があって、われわれはその両端を見るよう求められる。後へ行くほどこの映画は幾何学的な要素でいっぱいになる。背景の一部に見られるバロック風の幾何学的なものとか、青写真や建築用の図面の使用といった見てすぐわかる表現だけではなく、テーマを明確にし、例証し、文学的にあらわすための幾何学的な構図がたくさん使われている。”(p.87)

1 家にあるCDによるクラッシック紹介は2枚。前回踏襲。
「バッハ:ゴルトベルク変奏曲」(ピノック(チェンバロ);アリヒーフ)
「バッハ:パッサカリアとフーガハ短調他」(ヴァルヒャ(チェンバロ);FIC)

2 アルスの主任司祭聖ヴィアンネの本「聖ヴィアンネの精神」(モンナン神父)からは、変更なし。

“信仰と愛徳によって、御言葉がわれわれの中に住まい給うとき、われわれの霊に注ぎ給う神的光に照らされた知性の徳がある。”
“「心の眼を清めて、真の光に向かって飛翔するには、世のわずらいを軽んじ、身体を抑制し、痛悔の心を抱き、涙を注がねばならない・・・神の賛嘆すべき本質とその無垢なる心理とを黙想し、純なる意向をもって熱心に祈り、神に於いて喜び、天国を熱烈に望まなければならぬ」”
(p.13~14)

4 半年程前に「現代詩手帖」に投稿したけど採られることのなかった詩の紹介。6回目、確か。段々と書き足していきます。一定のレベルに達しない詩ではありますが・・・。

“「昼」 白い小さな指先から 零れ落ちる サラサラした細かい砂 アポロニウスの円筒形 破損した硝子 //振り子細工のように 時を刻んで来た その機械はもう鳴らない //何千もの部品からなる 精密なゼンマイ装置 淀みのない時を刻み 傷みの欠けた歴史を繰り返す 空間の歪み そして 抜けるように広い青空//補正しようにも 補正しようのない 鋭い悔恨 戦禍にも その村は焼け落ちず・・・ 空間が そして 後に時間が後退して 仄かな祈りが・・・//空に白雲が立ち籠め 木々の緑 その影は 日差しを遮り 小さなバルコニーには 混沌が形成されていた 空港に出て 半島を半時計周りに巡って また読み止しの本に戻った// 「ステファニーが フランスに旅をして お菓子屋になる為に パリで勉強する やがて 大人のする恋をした そして 振られ・・・」//お座なりに投げ出された鞄から 星が銀河のように溢れ出て 空間を限りない光で満たした//次第に遠のいて行く テールランプ 棒状に浮かぶ雲たち 庇には もう東の月が出ている 周到に準備された 文月のような それでもう 終末に近いことが分かる//しなければならなかったことを 後悔して 記憶に残る糸を 辿ってみる 階段を駆け上る//そして 過ぎ去った時間の中 人間は人魚であった 住み慣れた街を捨て 逸れた恋人が タクシーで テールランプを追うように 記憶の微かなうねりを そのままに捉える//人間は嘗て海にあった 朝焼けは意外と簡単で 独り下宿の六畳間で 立ち尽くしていたが 調べなき夕暮れに 東風が出てきた 珈琲を飲み 貿易風についいて 若干議論する//「必然」と染められた旗が 風に運ばれ「憮然」と翻る それが自然の真情だったのかと 轍にぬかるんで 夏の午後 身動きが取れなくなった//白い幽霊が 下北に出て 蒼い白鳥が 係累を払いながら 露に噎せ入って 水底に沈められたのは 何の象徴だったのか//水路を流れる 淡い鴇色の風景 結末は未だ知らない 春も未だ来ない 体育館から人が出て 五島の方へ旅立つ ぞろぞろと 黒子のあった辺りを結ぶ 嵌められた絵のような 水晶の球ばかり 一瞬のざわめき//(掲載未了)

追加分だけ見ても、粗い。推敲が足りない。一応シュール詩だが、2つの連の終わり“水底に沈められたのは 何の象徴だったのか“”一瞬のざわめき“が甘い。唐突。そこを何とかしたい。そういった箇所を埋めるのが詩作・推敲の中でも大きなウェートを占める。切れ味!

5 From “Introduction to Quantum Computation and Informatios”(Hoi-Kwong Lo et.al.;World Scientific)の“Quantum Computaion with Nuclear Magnetic Resonance”(I.L.Chuang)より、p.316
“2.3 Spin manipulations /Spin are manipulated by applying a much smaller radio-frequency field,B1,in the x-y plane to excite the spins at their resonat frequencies ωi.Using the rotating wave appoximation,we find that in the rotating frame the spin evolves under an effective field B=B1cos(φ)x+B1sin(φ)y(where φ is the RF phase).Near resonance,even a small B1 can cause large spin rotations,and by varying φ and magnitude of B1,the rotation angle and axis can be controlled.Furthermore,by applying RF fields at different frequencies,different spins can be selectively exited.Mathematically,this effect from a resonant perturbation is well known,and a derivation is selected here for completeness.Consider the Hamiltonian H=hω/2σz+hδcosωtσx where σi are the usual Puli matrices.

量子コンピュータの代表的な教科書からの第4回。“コンピューティングにハミルトンの四元数を使う”に関連し。

6 “葉桜にすずろ響けり蝉の声”
自作俳句。少し古い。

7 “1939:The principle of solidarity,also articulated in terms of ”friendship“ or ”social charity“,is a direct demand of human and Christian brotherhood.”
 (from “Catechism of the Catholic Church”)
 
8 “1939:On the contrary,it is a firm and persevering determination to commit oneself to the common good;that is to say to the good of all and of each individual,because we all really responsible for all.This determination is based on the solid conviction that what is hidering full development is that desire for profit and that thirst for power already mentioned.”
(from ”The Companion of the Catechism of the Catholic Chruch“)
 
9 年間第25木曜福音朗読。ルカによる第7章から。

“(そのとき、)領主ヘロデは、これらの出来事をすべて聞いて戸惑った。というのは、イエスについて、「ヨハネが死者の中から生き返ったのだ」と言う人もいれば、「エリヤが現れたのだ」と言う人もいて、更に、「だれか昔の預言者が生き返ったのだ」と言う人もいたからである。しかし、ヘロデは言った。「ヨハネなら、わたしが首をはねた。いったい、何者だろう。耳に入ってくるこんなうわさの主は。」そして、イエスに会ってみたいと思った。”
(-権力者、金持ち、自分の力や富に執着するものはイエスの神秘に近づくことができない。)

†主のお恵みが。
†主に讃美と感謝。

2014年9月25日
                       乗倉寿明記す

日記

2014-09-22 01:55:16 | Weblog
0 多忙なので、数学変更のみ。写真は、9/20(土)の東京、21(日)の名古屋。火から来月の評論に向け、詩を読み始める。評論すべき詩と「高村光太郎」などに関して。木は教会に祈りに行く。主の現存を肌で感じる。水に弟と詩の交渉でミサをサボったのを詫びていたとき。先週の土日に実は、スタバ・ミスド・モスで本を読みながら、ヨハネ=パウロ2世パパ様のラテン語のロザリオをずっと聞いていた。金にかけては、ここ2~3日推敲していた短歌を脱稿。コスモス・コスモス名古屋・コスモス松本・かばん・赤石の各短歌会に送る。その間も、庄司神父様の「主の慈しみのチャプレット」をヘッドホンで聞く。土日は、東京・名古屋に行く。二都物語。母校同窓会と愛知コスモス。「都の西北」にうるうる来る。他のメンバーの優秀な短歌にたじろぐ。開き時間新宿マックと栄サンシャイン・バスのラウンジなどで読書。 “Dubliners”(Joyce)「俳句鑑賞歳時記」(山本健吉)「現代の短歌」(高野公彦)「万葉集(上)」「高村光太郎」(伊藤信吉)「現代政治理論」(キムリッカ)「人文地理学」(ウエッブ、ブルック)「多変数函数論」(西野利雄)「多変数複素解析」(大沢健夫)を読む。ずっとでないが、その間ロザリオ。東京-名古屋間の消灯6時間は眠れず、パパ様のロザリオ。日のミサは布池。9:30に。

アントニオーニの映画「情事」をなかなか進められない。島の小屋のところ。リチーの指摘に納得。リチーの「映画のどこをどう読むか」の該当箇所を読む。
引用は変わらない。

“正反対性(両極性)を使って自分の言いたいことをあらわすこのアントニオーニの方法は、幾何学的である。両極端を持つ線があって、われわれはその両端を見るよう求められる。後へ行くほどこの映画は幾何学的な要素でいっぱいになる。背景の一部に見られるバロック風の幾何学的なものとか、青写真や建築用の図面の使用といった見てすぐわかる表現だけではなく、テーマを明確にし、例証し、文学的にあらわすための幾何学的な構図がたくさん使われている。”(p.87)

1 家にあるCDによるクラッシック紹介は2枚。前回踏襲。
「バッハ:ゴルトベルク変奏曲」(ピノック(チェンバロ);アリヒーフ)
「バッハ:パッサカリアとフーガハ短調他」(ヴァルヒャ(チェンバロ);FIC)

2 アルスの主任司祭聖ヴィアンネの本「聖ヴィアンネの精神」(モンナン神父)からは、変更なし。

“信仰と愛徳によって、御言葉がわれわれの中に住まい給うとき、われわれの霊に注ぎ給う神的光に照らされた知性の徳がある。”
“「心の眼を清めて、真の光に向かって飛翔するには、世のわずらいを軽んじ、身体を抑制し、痛悔の心を抱き、涙を注がねばならない・・・神の賛嘆すべき本質とその無垢なる心理とを黙想し、純なる意向をもって熱心に祈り、神に於いて喜び、天国を熱烈に望まなければならぬ」”
(p.13~14)

4 半年程前に「現代詩手帖」に投稿したけど採られることのなかった詩の紹介。5回目。段々と書き足していきます。一定のレベルに達しない詩ではありますが・・・。

“「昼」 白い小さな指先から 零れ落ちる サラサラした細かい砂 アポロニウスの円筒形 破損した硝子 //振り子細工のように 時を刻んで来た その機械はもう鳴らない //何千もの部品からなる 精密なゼンマイ装置 淀みのない時を刻み 傷みの欠けた歴史を繰り返す 空間の歪み そして 抜けるように広い青空//補正しようにも 補正しようのない 鋭い悔恨 戦禍にも その村は焼け落ちず・・・ 空間が そして 後に時間が後退して 仄かな祈りが・・・//空に白雲が立ち籠め 木々の緑 その影は 日差しを遮り 小さなバルコニーには 混沌が形成されていた 空港に出て 半島を半時計周りに巡って また読み止しの本に戻った// 「ステファニーが フランスに旅をして お菓子屋になる為に パリで勉強する やがて 大人のする恋をした そして 振られ・・・」//お座なりに投げ出された鞄から 星が銀河のように溢れ出て 空間を限りない光で満たした//次第に遠のいて行く テールランプ 棒状に浮かぶ雲たち 庇には もう東の月が出ている 周到に準備された 文月のような それでもう 終末に近いことが分かる//しなければならなかったことを 後悔して 記憶に残る糸を 辿ってみる 階段を駆け上る//そして 過ぎ去った時間の中 人間は人魚であった 住み慣れた街を捨て 逸れた恋人が タクシーで テールランプを追うように 記憶の微かなうねりを そのままに捉える//人間は嘗て海にあった 朝焼けは意外と簡単で 独り下宿の六畳間で 立ち尽くしていたが 調べなき夕暮れに 東風が出てきた 珈琲を飲み 貿易風についいて 若干議論する//「必然」と染められた旗が 風に運ばれ「憮然」と翻る それが自然の真情だったのかと 轍にぬかるんで 夏の午後 身動きが取れなくなった//”(掲載未了)

先週は詩の本ばかり読んでいたが、今、学会で気分がそちらに行っているので。格差・労働問題も押さえておかなければいけないし・・・。と、場面展開が早い、というより乱雑。街・下宿・道。更に致命的なのは、熟してない。推敲不足を露呈している。別段、暗く重厚などというものではない。元々、明るく軽やかに歌えないのだ。自分の欠点。そこを突き詰めていけばとの思いもあるが。あと何と言っても黙示録。いい詩・歌を書けたとき、必ず黙示録を読み込んでいる。いい作品を書くための(自分の中の)必須条件。

5 From “Introduction to Quantum Computation and Informatios”(Hoi-Kwong Lo et.al.;World Scientific)の“Quantum Computaion with Nuclear Magnetic Resonance”(I.L.Chuang)より、p.316
“2.3 Spin manipulations /Spin are manipulated by applying a much smaller radio-frequency field,B1,in the x-y plane to excite the spins at their resonat frequencies ωi.Using the rotating wave appoximation,we find that in the rotating frame the spin evolves under an effective field B=B1cos(φ)x+B1sin(φ)y(where φ is the RF phase).Near resonance,even a small B1 can cause large spin rotations,and by varying φ and magnitude of B1,the rotation angle and axis can be controlled.Furthermore,by applying RF fields at different frequencies,different spins can be selectively exited.Mathematically,this effect from a resonant perturbation is well known,and a derivation is selected here for completeness.Consider the Hamiltonian H=hω/2σz+hδcosωtσx where σi are the usual Puli matrices.

量子コンピュータの代表的な教科書からの第4回。“コンピューティングにハミルトンの四元数を使う”に関連し。

6 “葉桜に似たるかなや小春の日和”
自作俳句。少し古い。

7 “1939:The principle of solidarity,also articulated in terms of ”friendship“ or ”social charity“,is a direct demand of human and Christian brotherhood.”
 (from “Catechism of the Catholic Church”)
 
8 “1939:On the contrary,it is a firm and persevering determination to commit oneself to the common good;that is to say to the good of all and of each individual,because we all really responsible for all.This determination is based on the solid conviction that what is hidering full development is that desire for profit and that thirst for power already mentioned.”
(from ”The Companion of the Catechism of the Catholic Chruch“)
 
9 年間第25月曜福音朗読。ルカによる第7章から。

“「隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない。だから、どう聞くべきかに注意しなさい。持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる。」
(-どう聞くべきかに注意しよう。良い土地に受け入れられるよう、実を結ぶように聞こう)

†主のお恵みが。
†主に讃美と感謝。

2014年9月22日
                       乗倉寿明記す

日記

2014-09-15 01:28:54 | Weblog
0 多忙なので、カテキズムの変更のみ。写真は、9/13(土)の長野。
土日のスケジュールは、
9/13(土)
10:00-16:00 県労連の会合
18:00-19:00 カトリック長野教会でミサ
19:00-5:00 宿などで勉強
9/14(日)
10:00-12:00 カトリック松本教会でミサ
13:00-16:00 コスモス松本歌会
21:00 帰宅
善光寺も松本城も行かず、切り詰めて、宿代も電車賃も食事代もそれぞれ約3000円。ミサ献金など4000円。閉めて2日で1万5千円近くは、家計に痛い!母に我侭言って行かせて貰っているのだから。今後締めなければ!!一方歌会。皆さん本当にいい歌を歌われていて、新人のわたしなどただただ皆の足を引っ張るのみ。急いで猛勉強し追いついていかなければと。常日頃思うのだが中々・・・。読んだ本は仕事関連が主。他は余りなくて、“Dubliners”(Joyce)「クルーグマン教授の経済学入門」「経済原論」(宇沢弘蔵)「フンボルト自然の諸相」「現代名詩の鑑賞」(村野四郎)「俳句鑑賞歳時記」(山本健吉)「現代の短歌」(高野公彦)「もうひとつの函数論入門」(谷口雅彦)「大学への数学入試数学基礎演習」くらい。「函数論」が面白い。ゲーデルは地下鉄の電車の中で数学を考えると冴えたとか。ファインマンは飲食店。バス・電車、移動体の中やマックが理想的な勉強場所かと。2日間そこどっぷりという気も。

アントニオーニの映画「情事」をなかなか進められない。島の小屋のところ。リチーの指摘に納得。リチーの「映画のどこをどう読むか」の該当箇所を読む。
引用は変わらない。

“正反対性(両極性)を使って自分の言いたいことをあらわすこのアントニオーニの方法は、幾何学的である。両極端を持つ線があって、われわれはその両端を見るよう求められる。後へ行くほどこの映画は幾何学的な要素でいっぱいになる。背景の一部に見られるバロック風の幾何学的なものとか、青写真や建築用の図面の使用といった見てすぐわかる表現だけではなく、テーマを明確にし、例証し、文学的にあらわすための幾何学的な構図がたくさん使われている。”(p.87)

1 家にあるCDによるクラッシック紹介は2枚。前回踏襲。
「バッハ:ゴルトベルク変奏曲」(ピノック(チェンバロ);アリヒーフ)
「バッハ:パッサカリアとフーガハ短調他」(ヴァルヒャ(チェンバロ);FIC)

2 アルスの主任司祭聖ヴィアンネの本「聖ヴィアンネの精神」(モンナン神父)からは、変更なし。

“信仰と愛徳によって、御言葉がわれわれの中に住まい給うとき、われわれの霊に注ぎ給う神的光に照らされた知性の徳がある。”
“「心の眼を清めて、真の光に向かって飛翔するには、世のわずらいを軽んじ、身体を抑制し、痛悔の心を抱き、涙を注がねばならない・・・神の賛嘆すべき本質とその無垢なる心理とを黙想し、純なる意向をもって熱心に祈り、神に於いて喜び、天国を熱烈に望まなければならぬ」”
(p.13~14)

4 半年程前に「現代詩手帖」に投稿したけど採られることのなかった詩の紹介。5回目。段々と書き足していきます。一定のレベルに達しない詩ではありますが・・・。

“「昼」 白い小さな指先から 零れ落ちる サラサラした細かい砂 アポロニウスの円筒形 破損した硝子 //振り子細工のように 時を刻んで来た その機械はもう鳴らない //何千もの部品からなる 精密なゼンマイ装置 淀みのない時を刻み 傷みの欠けた歴史を繰り返す 空間の歪み そして 抜けるように広い青空//補正しようにも 補正しようのない 鋭い悔恨 戦禍にも その村は焼け落ちず・・・ 空間が そして 後に時間が後退して 仄かな祈りが・・・//空に白雲が立ち籠め 木々の緑 その影は 日差しを遮り 小さなバルコニーには 混沌が形成されていた 空港に出て 半島を半時計周りに巡って また読み止しの本に戻った// 「ステファニーが フランスに旅をして お菓子屋になる為に パリで勉強する やがて 大人のする恋をした そして 振られ・・・」//お座なりに投げ出された鞄から 星が銀河のように溢れ出て 空間を限りない光で満たした//次第に遠のいて行く テールランプ 棒状に浮かぶ雲たち 庇には もう東の月が出ている 周到に準備された 文月のような それでもう 終末に近いことが分かる//しなければならなかったことを 後悔して 記憶に残る糸を 辿ってみる 階段を駆け上る//そして 過ぎ去った時間の中 人間は人魚であった 住み慣れた街を捨て 逸れた恋人が タクシーで テールランプを追うように 記憶の微かなうねりを そのままに捉える//人間は嘗て海にあった 朝焼けは意外と簡単で 独り下宿の六畳間で 立ち尽くしていたが 調べなき夕暮れに 東風が出てきた 珈琲を飲み 貿易風についいて 若干議論する//「必然」と染められた旗が 風に運ばれ「憮然」と翻る それが自然の真情だったのかと 轍にぬかるんで 夏の午後 身動きが取れなくなった//”(掲載未了)

先週は詩の本ばかり読んでいたが、今、学会で気分がそちらに行っているので。格差・労働問題も押さえておかなければいけないし・・・。と、場面展開が早い、というより乱雑。街・下宿・道。更に致命的なのは、熟してない。推敲不足を露呈している。別段、暗く重厚などというものではない。元々、明るく軽やかに歌えないのだ。自分の欠点。そこを突き詰めていけばとの思いもあるが。あと何と言っても黙示録。いい詩・歌を書けたとき、必ず黙示録を読み込んでいる。いい作品を書くための(自分の中の)必須条件。

5 From “Introduction to Quantum Computation and Informatios”(Hoi-Kwong Lo et.al.;World Scientific)の“Quantum Computaion with Nuclear Magnetic Resonance”(I.L.Chuang)より、p.315 
“2 Physics of Nuclear Magnetic Resonance 2.2 Thermal equilibrium state”から
 The thermal equilibrium state of the system is described by the diagonal density matrix ρ=e^(-βH)/tr{e^(-βH)},where β=1/kBT.Since kBT at the room temperature is usually much larger than hB0(by about 10^5),this state is well appoximated by ρ≒1-H/2^N.For N=1 this gives
ρ≒
  1-hω/2kBT [1 0 /0 -1] (2×2matrix)
and for N=2(and ωA=4ωB)
ρ≒
1-hω/4kBT[5 0 0 0/0 3 0 0/0 0 -3 0/0 0 0 -5] (4×4行列)
This state may be interpreted as being a mixture of the four pure state |0 0>,|0 1>,|1 0>,|1 1>(we shall use 0 to represent the spin-down state↓,and similary for 1 and spin-up↑.Of course,since the ensemble contains some 10^23 molecules,the microscopic system is probably actually composed quite differently;the same density matrix can be decomposed in an infinite number of ways into mixtures of pure states,but as von Neumann originally pointed out(see,for example,Sakurai),as long as only ensemble averages are measured there is no way to tell distinguish among them.It is also important to note that the part of ρ proportional to the identity is unobservable in NMR experiments;only differences in populations of different staes are ever measured.Mathematically,this is reflected by the fact that only traceless observables,such as the transeverse magnetizations,are experimentally accessible quantities.“

量子コンピュータの代表的な教科書からの第3回。
15年位前の“コンピューティングにハミルトンの四元数を使う”に関し。

6 “紫陽花にストロー挿して雪解水”
自作俳句。少し古い。

7 “1939:The principle of solidarity,also articulated in terms of ”friendship“ or ”social charity“,is a direct demand of human and Christian brotherhood.”
 (from “Catechism of the Catholic Church”)
 
8 “1939:On the contrary,it is a firm and persevering determination to commit oneself to the common good;that is to say to the good of all and of each individual,because we all really responsible for all.This determination is based on the solid conviction that what is hidering full development is that desire for profit and that thirst for power already mentioned.”
(from ”The Companion of the Catechism of the Catholic Chruch“)
 
9 年間第24月曜福音朗読。ルカによる第7章から。

“イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われた。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」使いに行った人たちが家に帰ってみると、その部下は元気になっていた。”
-(しかし、あなたの方から私たちのもとに来てくださいました。そして、いやしてくださいました。ああ、この恵み。)

†主のお恵みが。
†主に讃美と感謝。

2014年9月15日
                       乗倉寿明記す

日記

2014-09-08 14:56:08 | Weblog
0 多忙なので、順番の詩の変更のみ。写真は、9/7(日)の高蔵寺など。物理学会に行ってくる。その時のもの。発表はなし。聴講のみ。しかも一日。岐阜神領までのささやかな日帰りの旅行。中部大で開かれた学会の初日は、「確率過程」と「非平衡定常系」、「ポスト「京」」を聴講する。「大きな実りを胸に」といいたいが、聞きたかった内容は二日目以降。ただ、この日聞いた内容も興味深かった。「演じていて面白い?それだけが(成長を)分けるもの。」大河ドラマの某ディレクターからの演技指導で何度も指摘されたこと。今、学会などに参加する度思い出す。参加していてワクワクする。けれど、楽しかった理想郷からは遠く離れてしまった。人生終活の時に思うにしては悲しい現実。せめて、“Dubliners”読みながら、“molecule”“atom”探す楽しみくらいが関の山。だから、わたしの若い時と同じ夢や演技の夢抱き続け、日々研鑽を重ねる人達の為に祈っていきたい。それが自分の出来る精一杯のこと!チコノフとチェーホフ脇にして。

アントニオーニの映画「情事」をなかなか進められない。島の小屋のところ。リチーの指摘に納得。リチーの「映画のどこをどう読むか」の該当箇所を読む。
引用は変わらない。

“正反対性(両極性)を使って自分の言いたいことをあらわすこのアントニオーニの方法は、幾何学的である。両極端を持つ線があって、われわれはその両端を見るよう求められる。後へ行くほどこの映画は幾何学的な要素でいっぱいになる。背景の一部に見られるバロック風の幾何学的なものとか、青写真や建築用の図面の使用といった見てすぐわかる表現だけではなく、テーマを明確にし、例証し、文学的にあらわすための幾何学的な構図がたくさん使われている。”(p.87)

1 家にあるCDによるクラッシック紹介は2枚。前回踏襲。
「バッハ:ゴルトベルク変奏曲」(ピノック(チェンバロ);アリヒーフ)
「バッハ:パッサカリアとフーガハ短調他」(ヴァルヒャ(チェンバロ);FIC)

2 土曜の晩は松川へ。集会祭儀だった。帰宅が10時半。準備などで徹夜していまう。ここまで読んだ本。
「力学系」(丹羽敏雄)“Atable and Random Motions in Dynamical Systems”(Moser)「あざみの衣」(西脇順三郎)「図説化学」「市場の力と日本の労働経済」(櫻井宏二郎)「現代名詩選(上・中)」(伊藤信吉)「現代詩人論」(大岡信)“Dubliners”(Joyce)など。評論執筆に関する本は略す。

アルスの主任司祭聖ヴィアンネの本「聖ヴィアンネの精神」(モンナン神父)からは、変更なし。

“信仰と愛徳によって、御言葉がわれわれの中に住まい給うとき、われわれの霊に注ぎ給う神的光に照らされた知性の徳がある。”
“「心の眼を清めて、真の光に向かって飛翔するには、世のわずらいを軽んじ、身体を抑制し、痛悔の心を抱き、涙を注がねばならない・・・神の賛嘆すべき本質とその無垢なる心理とを黙想し、純なる意向をもって熱心に祈り、神に於いて喜び、天国を熱烈に望まなければならぬ」”
(p.13~14)

4 半年程前に「現代詩手帖」に投稿したけど採られることのなかった詩の紹介。4回目。段々と書き足していきます。一定のレベルに達しない詩ではありますが・・・。

“「昼」 白い小さな指先から 零れ落ちる サラサラした細かい砂 アポロニウスの円筒形 破損した硝子 //振り子細工のように 時を刻んで来た その機械はもう鳴らない //何千もの部品からなる 精密なゼンマイ装置 淀みのない時を刻み 傷みの欠けた歴史を繰り返す 空間の歪み そして 抜けるように広い青空//補正しようにも 補正しようのない 鋭い悔恨 戦禍にも その村は焼け落ちず・・・ 空間が そして 後に時間が後退して 仄かな祈りが・・・//空に白雲が立ち籠め 木々の緑 その影は 日差しを遮り 小さなバルコニーには 混沌が形成されていた 空港に出て 半島を半時計周りに巡って また読み止しの本に戻った// 「ステファニーが フランスに旅をして お菓子屋になる為に パリで勉強する やがて 大人のする恋をした そして 振られ・・・」//お座なりに投げ出された鞄から 星が銀河のように溢れ出て 空間を限りない光で満たした//次第に遠のいて行く テールランプ 棒状に浮かぶ雲たち 庇には もう東の月が出ている 周到に準備された 文月のような それでもう 終末に近いことが分かる//しなければならなかったことを 後悔して 記憶に残る糸を 辿ってみる 階段を駆け上る//そして 過ぎ去った時間の中 人間は人魚であった 住み慣れた街を捨て 逸れた恋人が タクシーで テールランプを追うように 記憶の微かなうねりを そのままに捉える//人間は嘗て海にあった 朝焼けは意外と簡単で 独り下宿の六畳間で 立ち尽くしていたが 調べなき夕暮れに 東風が出てきた 珈琲を飲み 貿易風についいて 若干議論する//「必然」と染められた旗が 風に運ばれ「憮然」と翻る それが自然の真情だったのかと 轍にぬかるんで 夏の午後 身動きが取れなくなった//”(掲載未了)

先週は詩の本ばかり読んでいたが、今、学会で気分がそちらに行っているので。格差・労働問題も押さえておかなければいけないし・・・。と、場面展開が早い、というより乱雑。街・下宿・道。更に致命的なのは、熟してない。推敲不足を露呈している。別段、暗く重厚などというものではない。元々、明るく軽やかに歌えないのだ。自分の欠点。そこを突き詰めていけばとの思いもあるが。あと何と言っても黙示録。いい詩・歌を書けたとき、必ず黙示録を読み込んでいる。いい作品を書くための(自分の中の)必須条件だ。

5 From “Introduction to Quantum Computation and Informatios”(Hoi-Kwong Lo et.al.;World Scientific)の“Quantum Computaion with Nuclear Magnetic Resonance”(I.L.Chuang)より、p.315 
“2 Physics of Nuclear Magnetic Resonance 2.2 Thermal equilibrium state”から
 The thermal equilibrium state of the system is described by the diagonal density matrix ρ=e^(-βH)/tr{e^(-βH)},where β=1/kBT.Since kBT at the room temperature is usually much larger than hB0(by about 10^5),this state is well appoximated by ρ≒1-H/2^N.For N=1 this gives
ρ≒
  1-hω/2kBT [1 0 /0 -1] (2×2matrix)
and for N=2(and ωA=4ωB)
ρ≒
1-hω/4kBT[5 0 0 0/0 3 0 0/0 0 -3 0/0 0 0 -5] (4×4行列)
This state may be interpreted as being a mixture of the four pure state |0 0>,|0 1>,|1 0>,|1 1>(we shall use 0 to represent the spin-down state↓,and similary for 1 and spin-up↑.Of course,since the ensemble contains some 10^23 molecules,the microscopic system is probably actually composed quite differently;the same density matrix can be decomposed in an infinite number of ways into mixtures of pure states,but as von Neumann originally pointed out(see,for example,Sakurai),as long as only ensemble averages are measured there is no way to tell distinguish among them.It is also important to note that the part of ρ proportional to the identity is unobservable in NMR experiments;only differences in populations of different staes are ever measured.Mathematically,this is reflected by the fact that only traceless observables,such as the transeverse magnetizations,are experimentally accessible quantities.“

量子コンピュータの代表的な教科書からの第3回。
15年位前の“コンピューティングにハミルトンの四元数を使う”に関し。

6 “いかずちが鳴ってぼうたん散り乱る”
自作俳句。少し古い作。

7 “1939:The principle of solidarity,also articulated in terms of ”friendship“ or ”social charity“,is a direct demand of human and Christian brotherhood.”
 (from “Catechism of the Catholic Church”)
 
8 “1939:It is above all a question of interdependence,sensed as a system determining relationships in the contemporary world,in its economic,cultural,political and religious elements,and accepted as a moral category.When interdependence becomes recognized in this way,the correlative response as a moral and social attitude,as a ”virtue“,is solidarity.This then is not a feeling of vague compassion or shallow distress at the misfortunes of so many people,both near and far.

(from ”The Companion of the Catechism of the Catholic Chruch“)
 
9 年間第23月曜福音朗読。ルカによる第6章から。

“イエスは彼らの考えを見抜いて、手の萎えた人に、「立って、真ん中に立ちなさい」と言われた。その人は身を起こして立った。そこで、イエスは言われた。「あなたたちに尋ねたい。安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか。」そして、彼ら一同を見回して、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。言われたようにすると、手は元どおりになった。ところが、彼らは怒り狂って、イエスを何とかしようと話し合った。”
-(信仰者は憎悪の論理、戦争の論理に愛の論理、和解の論理で立ち向かわなければならない。真の安息日が確立されるために。)

†主のお恵みが。
†主に讃美と感謝。

2014年9月8日
                       乗倉寿明記す