1 31~11/2。長野県茅野市で小津監督の記念映画祭が開かれている。茅野は想い出の地だ。入社夏のサマーキャンプは、マリーローランサン美術館隣の蓼科湖だった。チューブが毎日流れていた。次の年もそうだった。サザン全盛期。高速通勤だった。乗り合わせ。ある朝、この勢いで六本木まで高速を飛ばそう、と提案された。サザン全曲をダビングしたので…。先日、そのサービスエリア(原村)脇の修道会(ベネディクト会)に行った。カトリックに多少興味の有る方は、いらっしゃたらいいと思う。六本木のフランシスコ・チャペルセンターも。今年は、フランシスコ会創立800年記念だそうである。昨今の情勢を見ていると、フランシスコの精神が必要とされている気がする。「シスタームーン・ブラザーサン」(としか覚えてない。変?)まだ見ていない。
2 話題戻って小津。「タクシードライバー」のP.シュレーダーから「1.日常的なもの。-すべての様相は日常的なものの厳格な抑制のもとに置かれ、…、スタイルそのものとなり、…、平凡な現実が超越される救いへの前兆なのである。2.乖離-予想外の、密度の高い人間らしさによって伝えられ、…、人間と自然が断絶的に触れ合うことの出来る、あわれみと認識の深い基盤、超越者の存在。それから、静止状態へ。3.静止状態-文化における宗教芸術の特色、…、感情を包み込むことが出来るが、それより重要な何かを表現する。…、感情移入を審美的な理解に、経験を表現に、感情を形式に転化する。」(フィルムアート社「聖なる映画」より。転記を感謝します。)東京に出て初めて見た映画が「タクシードラ-バー」だった。池袋だった。映画館を出た後の夜の都会の風景が焼き付いている。
3 ドサクサに紛れて「ザドライバー」(だったけ?)。出すと。イザベルアジャーニ。都会での8年間は彼女の面影だった。日常・乖離・静止。フラッシュバックのように都会の風景が浮かぶ。駅の雑踏。下宿の孤独。学食の賑わい。授業風景。待ち合わせ。試験が終った寂しいキャンパス。雨の中。夕方。地階の図書室で数学書を読んでいた。中庭からの階段を緩やかに降りて来る学生。同じ教室の女性だった。都会の思い出。イザベルに似た数学教授がいたらその時の彼女だろう。
4 会社。アフター5で蓼科に行った。ほんの15分だった。湖畔のホテルの最上階にプールがあった。9時頃迄そこで泳いだ。近くに雲古荘があったとは知らなかった。
5 松本に行ってもプールで泳いだ。南松本の市民プール。週末。一角にスキューバの教室があった。また、映画というと繩手通りの印象が強い。古いカフェ。女鳥羽川(だったけ?)。週末に名作を安く上映していた。パルコがあって、映画・演劇の本が揃っていた。松本も監督が多いと聞く。崔監督も?
6 松本に移ったのはNECのcompatiで話題になった頃。すぐにキックオフがあった。半数から2/3へ。周辺機器の比率である。新聞に、日本で最初にパソコンを扱った秋葉の店が倒産、とあった。ITに区切りが来ているのだろうか?入社と同時にほぼ始まったパソコンの時代を生きて来た。そして今、クラウド。その先にあるのは何だろう?乖離?静止?それとも日常?パソコンオタク。一方で、豊穣な文化がそこで育まれ胎動しているのだろうか?文化が陰影を持つ。文化が深遠を持つ。軽いと言われたIT文化発の新しい創造は始まっている?イザベルの美しさは文化を背景としていた。入社頃、新人類よ呼ばれた。今の若者の親の世代。IT文化1世代かけて、イザベルの美しさを持った女性はどの位になったのだろう?パウルクレーだか。「女性の美しさがその国の文化の豊穣さの尺度」。原節子は確かに美しかった。ただその文化は今は無い。
7 松本の想い出。パソコンKBを手掛けた。PC/Ⅱの頃。部長は1週間の前半LA、後半日本。confidentialな英語のテクニカルマニュアルを隅々まで読んで、確認をPodで行った。仕様のみ分っている。手元にhardはない。firm wareの設計である。しかも3つのcompati。PC・AT/XT・PCⅡ。どれを繋いでも動作を矛盾無く行わなければならない。モニター・OS・ハンドラー。タネンバウムの基礎はすべてあった。OSⅡはレノボが力を結集しただけあって優れたOSだった。ソフト設計の厳しさを経験した。仕様fix。概念設計~詳細設計、coding・debug。reviewは毎週末。特許も月1だった。部長・課長ともに、とにかくパワフルだった。土曜夕方帰宅時にパソコンに向かっている。月曜早朝もそう。ずっとそうだったのか?と疑われた。しかも、「本当に集中すれば、2・3時間でクタクタになるよね」。そういう仕事だった。仮眠室も用意されていた。
2 話題戻って小津。「タクシードライバー」のP.シュレーダーから「1.日常的なもの。-すべての様相は日常的なものの厳格な抑制のもとに置かれ、…、スタイルそのものとなり、…、平凡な現実が超越される救いへの前兆なのである。2.乖離-予想外の、密度の高い人間らしさによって伝えられ、…、人間と自然が断絶的に触れ合うことの出来る、あわれみと認識の深い基盤、超越者の存在。それから、静止状態へ。3.静止状態-文化における宗教芸術の特色、…、感情を包み込むことが出来るが、それより重要な何かを表現する。…、感情移入を審美的な理解に、経験を表現に、感情を形式に転化する。」(フィルムアート社「聖なる映画」より。転記を感謝します。)東京に出て初めて見た映画が「タクシードラ-バー」だった。池袋だった。映画館を出た後の夜の都会の風景が焼き付いている。
3 ドサクサに紛れて「ザドライバー」(だったけ?)。出すと。イザベルアジャーニ。都会での8年間は彼女の面影だった。日常・乖離・静止。フラッシュバックのように都会の風景が浮かぶ。駅の雑踏。下宿の孤独。学食の賑わい。授業風景。待ち合わせ。試験が終った寂しいキャンパス。雨の中。夕方。地階の図書室で数学書を読んでいた。中庭からの階段を緩やかに降りて来る学生。同じ教室の女性だった。都会の思い出。イザベルに似た数学教授がいたらその時の彼女だろう。
4 会社。アフター5で蓼科に行った。ほんの15分だった。湖畔のホテルの最上階にプールがあった。9時頃迄そこで泳いだ。近くに雲古荘があったとは知らなかった。
5 松本に行ってもプールで泳いだ。南松本の市民プール。週末。一角にスキューバの教室があった。また、映画というと繩手通りの印象が強い。古いカフェ。女鳥羽川(だったけ?)。週末に名作を安く上映していた。パルコがあって、映画・演劇の本が揃っていた。松本も監督が多いと聞く。崔監督も?
6 松本に移ったのはNECのcompatiで話題になった頃。すぐにキックオフがあった。半数から2/3へ。周辺機器の比率である。新聞に、日本で最初にパソコンを扱った秋葉の店が倒産、とあった。ITに区切りが来ているのだろうか?入社と同時にほぼ始まったパソコンの時代を生きて来た。そして今、クラウド。その先にあるのは何だろう?乖離?静止?それとも日常?パソコンオタク。一方で、豊穣な文化がそこで育まれ胎動しているのだろうか?文化が陰影を持つ。文化が深遠を持つ。軽いと言われたIT文化発の新しい創造は始まっている?イザベルの美しさは文化を背景としていた。入社頃、新人類よ呼ばれた。今の若者の親の世代。IT文化1世代かけて、イザベルの美しさを持った女性はどの位になったのだろう?パウルクレーだか。「女性の美しさがその国の文化の豊穣さの尺度」。原節子は確かに美しかった。ただその文化は今は無い。
7 松本の想い出。パソコンKBを手掛けた。PC/Ⅱの頃。部長は1週間の前半LA、後半日本。confidentialな英語のテクニカルマニュアルを隅々まで読んで、確認をPodで行った。仕様のみ分っている。手元にhardはない。firm wareの設計である。しかも3つのcompati。PC・AT/XT・PCⅡ。どれを繋いでも動作を矛盾無く行わなければならない。モニター・OS・ハンドラー。タネンバウムの基礎はすべてあった。OSⅡはレノボが力を結集しただけあって優れたOSだった。ソフト設計の厳しさを経験した。仕様fix。概念設計~詳細設計、coding・debug。reviewは毎週末。特許も月1だった。部長・課長ともに、とにかくパワフルだった。土曜夕方帰宅時にパソコンに向かっている。月曜早朝もそう。ずっとそうだったのか?と疑われた。しかも、「本当に集中すれば、2・3時間でクタクタになるよね」。そういう仕事だった。仮眠室も用意されていた。