気になる写真!

このブログはその時々の好奇心で、気になった被写体を切り取り、・・・チョットだけ考えてみようと

ドォーモあれこれ、そして最後の晩餐

2019-02-07 | 旅行記

ドォーモ広場に戻って来て・・・自由時間となリ、やれやれ

以前再訪した時のガレリアからのドォーモ(動画から切り出し)の画像です

普通に広場に出てきても、・・・左を見上げると何度見てもドォーモの存在感はあります。

今回は、隣のデパート最上階でコーヒーでも、そして散策と思っていたら、

ガイドさんから集合時刻が・・・11時だったか?記憶にないくらい時間が少なかった、

そしてドォーモは入場券が・・・と聞こえたようだが・・・裏のチケット売り場に行く人を募っているようだった。

エーッ! 内部に入るのに有料になったの? 観光客用のコースでもできたのでしょうか

確か、最初に来たときは屋上への階段が修理中で断念、屋上に登っても何もないですよと言われた記憶が・・・、

・・・再訪した時は、屋上も目的だったのでエレベータで登ったが12€くらいだったか、階段は半分の6€位くらいと思った。

今般はあまり画像が無いので、・・・昔の画像を探していたが・・・何故が断片しか見つからない

当時HP にアップしていたが・・・残念!知人の会社のHPを独断で立ち上げ、話題創りに数年間ここにUPしていた。

そして、削除、・・・個人のブログに切り替えた・・・多少SDカードに動画が残っているので、静止画に切り出し中。

このドォーモは、基本情報として工事着工1386年からほぼ完成まで約500年、(完成時期は19世紀半ば/ブリタニカ)

ミラノを征服したナポレオンから、早く完成させろと催促され一番重要な正面ファサードが決定していなかった

当時人気のバロック調にせず当初のゴシックで決定し、取り合えず完成形にまとめたようです。(日本大百科全書によれば、1805~1809年完成説)

・・・その後も尖塔やステンドグラスなど細部の手直しと続き・・・東京オリンピックの頃までにやっと最終完成のようです。

一番身近な聖堂の扉・・・時間があればジックリ眺めたい美術品です。

扉にも数々の物語が描かれています。

中央の大扉、聖母マリアの生涯

結構立体感もある20世紀初頭の作品です。

よく見ると光っている部分があちこちに見られます。

 キリストの足やマリアの指先・・・信者が愛おしく擦って・・・いつしか光りだすと伝説が生まれここも観光スポットです。

大聖堂のサイズ:長さ158m、幅93m、ラテン十字形として当初のゴシック様式でファサードもまとめられた。

バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂、スペイン・セビリアのカテドラルに次いで世界3位の大きさ

同時に4万人にミサを授けることが可能とガイドブックにあります。

整然と並ぶ柱と高い天井、中央に身廊が幅広く取られ、

正面中央部の内陣に大祭壇があり・・・後陣のステンドグラスからの光が差し込む

中央の緑の地球儀のような物が、ティブリオと呼ばれるもののようです、丸天井です。

ここの祭壇の真上に地球儀のような物が、・・・この場所でイメージすると周囲を4本の柱で支えられた上部には・・・丸天井となります。

このように中央祭壇の上部は、特別な空間として考えられ、丸天井で表現する時代様式です・・・

ダ・ビンチが活躍したミラノ時代、多分半分くらいこの教会は出来上がっていたでしょう。

教会で識字率が低い信者にキリスト教の教えを説くには

絵画によるイメージ戦略が一番と、彫刻よりも絵画・・・その名残か、多くの絵画が掲示されています。

立派なパイプオルガンこれは手前の2台、15~16世紀の物、後方に20世紀の2台があるようです

そしてこのような空間にも、素晴らしい絵画があります。

 絵画は明るい日中、採光が無いと・・・弱点だったロマネスク様式からゴシック建築となりステンドグラスが主流に

東からの朝日が入る神聖なる後陣に、14世紀に着工され、19世紀に仕上げられたステンドグラス

左奥が旧約聖書、隣りが黙示録

そして、右奥が新約聖書がテーマと言われる。

物語は、下の段から上へと続く

人気の高い、新約聖書のアップですが動画の切り出しで解像度が低いが雰囲気だけでも・・・。

採光の関係でしょうか、右側(南に面している)のステンドグラスは初期(15~16世紀)に施工されたものが多い。

ステンドグラスは、このドォーモで全部で55枚とあります。

巨大なこの1面も1枚と計算するのでしょう。

完成までに年月と建設資金が必要になるのがわかりますが、世代に引き継がれて、関係者はこれが人生だったのでしょう。

・・・関係者の礼拝堂でしょうか、コントラストの強いステンドグラスが目立ちます。

まだまだ多くのステンドグラスが見られます。

彫刻もあるのですが

聖バルトトメオ、右側廊を進むと一番奥に・・・1562年に制作されていたのでダ・ビンチも見ているでしょう。

異様な筋肉と肩に掛けた・・・殉教者です、(興味のある方は調べて下さい。)

ステンドグラスは製作年代が幅広く、興味のある方にはたまらない教会でしょう。

では、確かドォーモの右後ろの建物にチケット売り場があり、エレベータで屋上に

エレベータは、ドォーモの外側左後に入口がある。

エレベータを降り、正面ファサードに向かい屋上の端を進み大理石の階段を登ると、・・・屋根の上に出る。

楽しそう?、

いや、はしゃいでいるのは・・・社会科見学の生徒?達かな

前方には、天高くここの象徴、黄金のマリア像、「聖母マリアの誕生に捧げる」とのドォーモ設立趣旨

そして、囲むように無数の尖塔が立ち並んでいます。全体で135本とか

黄金のマリアは、774年12月からこの位置にあるという。

この塔まで高さが109m、・・・脇目をしていると危ない

足元の屋根の上は、この様な状態・・・何と大理石、中央以外は勾配が付いている屋根だった

では、振り返りミラノ市街はもちろん、アベニン山脈、スイス国境のアルプスが見えることもあるとか

足元・・・ドォーモ広場の様子から

ミラノ市街は確かに・・・

屋上に登っても何も無い?・・・高い所には、このような眺望がありました。

・・・さて、場所が変わって、今回のドォーモ南側、少し高台からの画像です。

屋上の一部が修理中のようです。

エレベータで、職人が仕事に向かっています。

黄金のマリアは、下部が修理中のようです、ネットが張られています。

その下側も足場が組まれていたようです。

期的に修理をしていますので、観光の前に大規模修理が無いか、情報は入手したいものです。

ミラノといえば、「最後の晩餐」

こちらは、以前に修復が完了し、写真撮影禁止、私語禁止、観賞時間15分、予約制で公開しています。

参考にこちらも以前作成した物が・・・

まずは、教会の場所・・・先程の15世紀の君主の居城:スフォルツェスコ城から西に約1km、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会

そして、教会の横にこのような建物があります。

こちらが最後の晩餐の入口で、内庭から回廊を通り修復された展示室へ進みます。

AM8:30より開館、完全予約制、1回15人、定員25人までの入れ替え制

定刻に入場すると・・・・中に進み控室で待機する。この部屋には、最後の晩餐の資料が展示されていた。

セピア色の写真パネルが、無残な光景を訴えていた。

第二次大戦で、敵国のイタリア・ミラノは連合軍の爆撃を受け、この教会も大破しました。

奇跡的に晩餐図が描かれた壁は直撃弾を受けずに、事前に土嚢で保護されていたため破壊はまぬかれた。

しかし、戦争状態は続き、その後数年間風雨にさらされ続け、晩餐図の描かれていた横の(右側)壁は破壊された。

資料を探していたら、当時会社のHPにアップしたのか?A3サイズにまとめた物がでてきたので、再掲します。

上図の中央上部のように、この控室から中庭にでて、回廊を左に進み二重になっている自動ドアから

展示室室内に入ります。

最後の晩餐は、レオナルド・ダ・ヴィンチ作 1498年頃 大食堂の後方の壁一面です。

上図は、売店で購入したものですが、中央テーブルクロスから下側が不自然です。

絵具が剥がれたりカビが付着したりで劣化が進み、ダ・ビンチの死後1652年に何の絵か知られないまま・・・壊されました。

中央の下部、絵が描かれていた壁の下を壊して、・・・隣との出入口が造られた!高さ約2m・・・

ここには何が描かれていたのでしょうか?テーブルクロスの下側です。

一説では、中央のキリストの足が組んだ状態で描かれ・・・磔刑を暗示しているのでは?

絵の劣化が進み、年下のライバル、ミケランジェロも後年に修復を依頼され行っていますが・・・失敗、・・・

その後、長い年月が経過し、・・・・戦争の悲惨な状況からも必至で守った貴重な文化財です。

近年、ダ・ヴィンチ以後に原画に上塗りされた絵具を最新機器で分析し特定し、これら原画以外の成分を全て除去し、

修復不可能な部分は水彩絵具で修復する地道な修復作業が行われてきました。

21年間に渡り修復の結果、1997年完成・・・温湿度管理され、さらにエアークリーンされた環境で、保護しながら公開されています。

かつてNHKが1999年修正された画像を公開しましたが、その時の画像を前記作成した右下の部分に掲載しています。

・・・二重ドアから展示室に入った瞬間の感動は今も覚えています。

私語も禁止ですから、貴重な15分間と緊張して入室しました。

室内は映画館のように暗く、・・・入ると正面には行き止まりの壁面、左側にライトアップされた大きな絵画がこれは違う

右側に、少し遠いが確かに「最後の晩餐」がライトアップされていた。目標を見つけホッとしたのを覚えている。

最後の晩餐に近づくと、防波堤のような柵があり、さっと目を通して反対側の大きな「磔刑図」に近づきじっくり観賞する。

そして、関心のあったこの展示室の空間を測りたいと思っていたので歩測し始めた、幅と長さと・・・。

それから最後の晩餐を時間まで鑑賞し、促されて反対側の出口から退室した。

推定図がこちら

 当時、気になっていたのは・・・当初完成時は天井が星空模様に装飾されていたらしい。スゴイ!

改めて考えると、室内の壁面だからやむを得ないが、ライトアップ効果が強すぎて、感動はするも資料に触れあえた感には乏しい。

同じような感動はプロジェクターマッピングで再現できそうにも思える。

展示の在り方も、ただ見せるから・・・徐々に進化していくことでしょう。

最後の晩餐が、完成当時どのような空間に描かれていたのか、改めて調べてみたいと思っています。

 

 

 

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