気になる写真!

このブログはその時々の好奇心で、気になった被写体を切り取り、・・・チョットだけ考えてみようと

新鮮・身が厚いアオリイカ

2023-02-02 | 旅行記

海に面した小山の上に、灯台のように周囲から見上げられる天守閣、

この城が唐津城、AM9:00から入場できます。

階段を登る以外に奥に進んでエレベータで庭園まで行けるようですが、もちろん階段コースを進みます。

石垣はそれなりに、立派な石垣ですが

これは、この先の半島・鎮西(チンゼイ)地区に築城され、9年後廃城となった所から運んで再利用した物が多いとか

城郭に特有の角を曲がって、また角、周囲を少し回りながら登ると、藤棚が見えてきました。

立派な藤棚の下を抜けると、広場に出ました。

天守閣が見えます。

ここから右の石段を登り

城内に入り、門の先に最後の石段です

石段の正面に庭園(一部工事中)があります。

先ほどの藤棚を過ぎるとここは桜の木々もあり、春の桜、初夏の藤と見ごろになります。

この石段を左に曲がり、到着した所が広い庭園となっていました。

天守閣から見える、ここの庭園は結構広い

エレベータの人が、多分この庭園の先、左の小屋あたりから歩いてこられたので結構離れています。

そして、今まで登ってきたコースの風景が

この先城内に入り、階段を上がった1階でチケットを購入のようで、ここまでは無料公開の公園です。

では、入りましょう。

入ってすぐ右側に5階建てで各フロアーの間取りが表示されています。

一応ここはB1でしょうか

入って右側にある階段を上がると

1階、券売機が見えます。その先が入口です。入口の先、左側に売店などもあります。

館内は、唐津城の歴史、城主の遍歴などをVTRで紹介するコーナーなどもあります。

豊臣秀吉の家臣、寺沢広高が関ヶ原の戦いで東軍方に付き勝利・・・12万3千石の外様大名としてこの地へ。

1602年から築城、1608年完成、徳川の監視が強く増築は許可が必要、

1637年島原・天草の乱の責任を取らされて、天草領4万石を没収され、二代目 寺沢堅高はその後、1647年自殺。

嗣子が無く寺沢家は断絶。

唐津城、その後は譜代大名5家が入れ替わり・・・明治維新まで小笠原氏の居城。

天守からの眺望です。

西側の尾根に大きな風車が並び、風力発電しているようですが、台風が怖いですね。

この尾根の向こうの尾根・・・の岬にこの後向かいます。

天守の内側に東西南北、このような眺望ですと写真が掲示されています。

東が虹の松原、宿泊したホテル、橋を渡り(左が玄界灘)・・・この写真、桜がきれいです。

そして北側も、庭園の桜が見事満開の写真です。

これから行く西側の眺望は、半島が見えます。

風車は遠くで、よく見えないです。

最後に、唐津市街のある南側です

さて、この城は天守台まで建築されましたが、天守は1627年の幕府の記録には残されていないそうです。

廃藩置県後、1871年廃城となり建造物は解体され、この地は舞鶴公園となります。

1966年高度成長期、観光施設として5層5階の唐津城を建てようということになり、

当時はこんな天守が一般的として天守も築かれます。門や櫓も再建されました。

その後この地から発掘調査などにより、名護屋城の瓦が出土したり、他に復元もあり話題の城となってきました。

名護屋城とは、秀吉が朝鮮出兵のために佐賀県の北端に築城した出兵拠点の城です。

1591年着工、突貫工事で半年後1592年完成、7年間侵攻の拠点になり秀吉の死後・廃城となりました。

江戸時代に、名護屋城の建材は、この地の唐津城に多くが利用されました。

・・・唐津城を後にして、10数キロ北上します。

途中から屋形石方向に右折し、細い道を30分くらいで到着。

広い駐車所です。

地図で、玄海国立公園 七ツ釜 マァそれなりに岬の先端に行くには・・・歩くことになります。

沖の東を見ている女神像があります。

乙姫大明神とありました。

その先の黒瀬鼻岬の遊歩道を進むと、・・・左が入江です、波の音が聞こえ

もうすぐ見晴らしの良い所にでそうです。

この下が侵食された洞窟になっているのでしょうか。

七ツ釜の上方の遊歩道を通過して、海岸線に出てきました。このような風景です。

向こうのせり出した岩場、手前の像の足先のような平らな部分に柵が見えます。

向こうが七ツ釜の展望台でしょう。

こちら側は柵もなく、十分気を付けて乗り出しましょう。

では戻って、向こう側に進む遊歩道を進むと、展望台に降りてきました。

七ツ釜を周遊する観光コース船のようです。

先ほどの岩場は、向こうの断崖の上でしたか?

ここから洞窟が5つ見えますが、観光船は洞窟の中までは入れないようです。

手前側に残り二つ洞窟があるのでしょうか。

穏やかな波、天候もマァマァ、観光には幸い恵まれました・・・遊歩道を戻りましょう。

この西隣に呼子(ヨブコ)町があります。佐賀県唐津市呼子町。

良港があり古くは捕鯨の基地、今日ではイカの活造りで有名です。

途中の名護屋大橋からの複雑な湾内が望める車窓です。

正面に見える尾根のあたりが、朝鮮出兵時の真田陣跡でしょうか。

まもなく、桃山天下市という道の駅に到着。

この裏側にある大きな駐車場へ、昼食タイム

いか という看板がありました。

イカ料理コース、今日のイカはアオリイカとのこと。

呼子町、・・・全国的に有名になったのが「イカの活造り」が誕生した町だそうです。

コウイカ、アオリイカ、ヤリイカ様々なイカが獲れるようです。

鮮度が良いので、身が厚いのに透き通っています。

皮膚の色が変わります。・・・Goproで撮影した動画の方が分りやすいですが、静止画で

旅行の動画編集は、個人情報が多く、公開には修正・編集が多々必要で、別の機会に

アオリイカは、コリコリの食感と甘みが口いっぱいに広がります。

こちらは、イカシュウマイ・・・これを2個頂くと、これだけでおなかが一杯、十分満腹。

活造りの刺身を頂いている感に、下側のイカを天ぷらにしますと引き取られて調理場へ・・・

下足を含むこのような感じに、・・・身が厚いので、熱々を頂くと・・・満腹

他にも色々・・・、呼子のイカ料理は人気があり、リピータが多いと言うことに納得。

食後、散策に

この交差点を左(北側)に、

この一帯は、名護屋城博物館の資料を使用させて頂きます。

右下から、歩道を歩いて、・・・目指すは名護屋城跡地です。

すぐにこのような標識が見えてきます。

右の土手上に駐車場がありました。

右側に城郭の一角が見えます。

420年以上経過していますから、木々も・・・鬱蒼としていない・・・手入れがされています。

大手口前井戸の案内板があり、その横に

井戸の後、案内図では、右下の駐車場の左上方です。

唐津城の築城時、この地は領内の廃城ですし、勝手知ったる城ですから、使えるものは搬出したのでした。

現在は、整地されてこのような状態です。

博物館の資料を拝借して、名護屋城のイメージと説明を

黒田長政、加藤清正、寺沢広高らが普請奉行となり、九州の諸大名を中心に動員して、突貫工事で約半年で完成

ルイス・フロイスは「あらゆる人手を欠いた荒地」と記しているようですが、全国から大名が集結します。

周囲は118カ所の陣屋、最大30万人の軍勢が集結して、城下町も人口10万人に膨れ上がります。

現在は、118カ所の陣屋の内、65カ所の遺構が残され、23カ所は国の特別史跡となっています。

黒澤明 昭和60年の映画「乱」のロケ地ともなっていたそうです。

・・・太閤記、大河ドラマ・・・藤吉郎の出世物語は人気がありますが、日本全国を統一して、・・・

晩年の朝鮮出兵、隣国に何故侵攻したのか?・・・遅れてきた侍に、働き場を探していた?

イャ 多分、権力者に昇り詰めてから目標を失い、イエズス会の情報通によれば、最大の権力者はスペイン国王。

新大陸から銀を搾取して富が流れ込むスペインは、1580年にポルトガルを併合し、領土は「太陽の沈まぬ国」となっています。

秀吉は人たらしで情報通、・・・イエズス会の真の目的は、布教を足掛かりに、他国を植民地化する企てを・・・耳にしていました。

マニラのスペイン総督は、数百人の兵隊でこの国を制圧できるとは思っていないだろう。

気がかりは、数万人と思えるほど増えあがる信者、キリシタン大名と部下が集団で行動するのが目立ってきた。

秀吉は、一向宗に劣らず熱心な信者は、敵対されると日本国の危機と1587年「伴天連追放令」を発令。

スペインはアカプルコ(メキシコ)とマニラ間に大型帆船で航路を開拓して、アジアに触手を伸ばしてきます。

フィリピンを植民地化したスペインに、秀吉は最大の外敵はスペインと判断し、マニラから挨拶に来いと恫喝し降伏勧告状を送り、

降伏せねば必ず征伐する、後悔するなと脅しています。

二度.三度と使者をやり取りし、こうするぞと反対を押し切り朝鮮に侵攻しました。

富を求めて、武力で侵略する時代に、秀吉も参加しましたが、秀吉が無くなると、スペインとは友好的に貿易を。

マニラは3000人もの日本人町が、しかし家康が亡くなると鎖国に進んでいきます。

フロイスの資料が発見される度に、若きカトリックの信者が異国の布教に人生をかける純粋さ、

その陰で武力で他国の文明を破壊しながら富を求めて植民地の拡大に邁進した教団と国家がありました。

宗教の力、マインドコントロール下の信者は強大な力です。


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