気になる写真!

このブログはその時々の好奇心で、気になった被写体を切り取り、・・・チョットだけ考えてみようと

神田明神

2012-01-13 | 日記・エッセイ・コラム

神田明神は、神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内・・・108町の総氏神。

仕事始めの1/4は、元旦にも増して地元の企業・商店が大勢参拝に来られる。

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大鳥居の外側、道路に長い行列、・・・秋葉原(昌平橋)側に坂を下って折り返し、大鳥居前迄続いている。

元旦よりも長い行列が出来ていた。

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有名な神社は参拝客が集中し、参拝は一方通行の規制となる。

ここはこの表参道に並ばされる。

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正面の門は、総檜造りの髄神門、関東大震災で焼失、1976年再建された。

境内に入ると、案内する声が聞こえる・・・列を乱さず順序良く

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1/4 もうすぐ正午

門を入ってすぐ左に、大黒天

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大黒天の右横に奥に、恵比寿様

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少し上から見てみよう

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上の写真の右が・・・髄神門、右手前が大黒天、そして手前に進む行列の左に恵比寿様

正月、混雑の時期が過ぎれば、

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大黒さまも

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恵比寿さまも

明神さまには欠かせないので出現されますよ。

神田明神は、730年平安時代に現在の大手町 将門首塚の周辺に創建されたとされています。

退廃しきった貴族政治に真っ向から切り込んだ反骨の士、平将門、天慶の乱の主役、体制側からは逆賊として日陰者扱いをされてきたが、1000年以上の昔から強きをくじく江戸っ子気質の原点として伝承されている。

政治革新を図ったものの半ばで憤死、都大路にさらされた将門の首塚は、三日後白光を放って東方に飛び去り、武蔵国豊島郡芝崎村、この地に落ちた。

大地は鳴動し、太陽は光を失い暗夜となり、恐怖した村人が塚を築いて埋葬したのが首塚の由来といわれる。

江戸の総鎮守の神田明神は、徳川家康の世になると、江戸城・城下町の再開発で1616年高台の現在地に移転した。この地は江戸城の表鬼門にあたる。

そこで神田明神は、一の宮:大黒さま、二の宮:恵比寿さま、三の宮:将門さま の祭神を祀っています。

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