いや〜、めちゃ大変でした。今は、先日の宍戸さんに教えてもらって、南福島駅近くの、国道に近い所にある福島県青少年会館に泊まることにしてそこにいる。
足の豆が歩く距離が伸びるのと正比例して巨大化していった。何度も何度も休憩をしてその度に水を出したが、すぐにたまってしまう。
きょうは、東京から267kmちてんまであるいた。福島駅辺りまで行きたかったが、矢吹から約60kmはあるいた。
ギターの重さは、測ってないが4〜5kg、体重がそれだけ増えると長距離を歩く足にかかる負担は想像を超えて居た。しんどかった。
とにかく足を癒したかったので宿に泊まることにした。
はたして、どれだけ、足の豆と痛みが少なくなるかで明日の歩きも変化してくる。どうか、痛みが消えますように。
それもそうだが、ライヴを作って行かなくちゃ旅が中断してしまうので、コースから外れるが、宮城県大崎市川度に住む、高橋佳弘さんにでんわした。月末に何とかしてくれと訴えると、時間がないから
3箇所ぐらいしか出来ないけどいいかという返事、後10日しか無いのに3箇所も作ってくれれば御の字だ。ほっとした。
彼は鳴子温泉郷で酒屋さんをやっていて、はっきり言って
こんな田舎にくすぶって一生を終えるのかと投げやりになっていた頃、僕が奥の細道をあるいていった。当時鳴子町には誰も知り合いはいなかったので、通り過ぎるだけと思っていたのだが、宮城県に入ったとたん、地元紙の新聞社がやって来て取材してくれ結構大きな記事に成った。それを見た鳴子町の公民館の人が佳弘さんを中心に立ち上げたばかりの青年団に、こんな人が来るから、青年団で取り組んで見たらといわれ、歌も聞いたことの無い高橋忠史コンサートをとりくんでくれた。お客さんを100人以上も集めてくれて大成功、初めて聞いた僕の歌に感じる所があったらしく、その夜遅くまで語っているうちに明日一緒に歩かせてください。ぼくはいつも、来るもの拒まず去るもの追わずだからすぐにOK。
美しい鳴子渓谷を越え、峠を越えて山形県の最上町へ文化財に成っている古民家の中にやっぱり100人ぐらい集まって素敵なコンサートに成ったのだが、打ち上げでの主役は僕ではなく、隣町でありながら県が違うのでほとんど交流のなかった最上町と鳴子町、着いた時には、僕が芭蕉で佳弘さんが空、途中で空はいなくなるが、この辺りは二人であるいていたので、最上町の人は、芭蕉と空がやって来たと大喜びで、特に隣町の佳弘さんを歓迎した。交流のなかった両町がそれから青年を中心にして交流が始まり、結婚するものも出てきた。ずっとくすぶっていた佳弘さんは田舎にいたってやれる事はあるんだと、地域お越しに積極的に関わり、鳴子温泉郷に来るお客さんに、鳴子の地酒を飲ませたいと言って千年の歴史で身体にはいい水だが、飲み水としては劣る、そんな水で酒作りなど出来る訳が無いと誰もがおもっていた。でも、佳弘さんはちがった。酒にあう水を探し続け、酒米を作ってくれる農家を探し、町中の人達にバカにされても見つけ出しついにつくりあげてしまった。雪渡り、友粋、と言う名をつけて販売されている。
僕は何もしていない、ただその町に唄いに行って助けてもらっただけの存在なのに、忠史との出会いが無かったら今の僕はないと、そのあとずぅーっと、無理難題を振りかけながら、助けてー助けてーと言う僕を何があっても助け続けてくれる。素敵ななかまだ。