@PAYASO

少しだけ更新再開してます(愚痴オンリー)

時の忘れ物。

2021年06月05日 | Life

昨日に引き続き体調が悪いです。
体調が悪いってなるとコロナの疑いを少なからず持たれてしまうのがどうにも、どうにも・・・
ま、100%そうじゃないのですが。98%かな、100ってのはないので。すぐに治るでしょう。

先日から久しぶりに「シュタインズゲート0」を見てる。

ゼロはオカリンがずっと元気がなくて鳳凰院さんもずーっと登場しないので少し苦手なんです。いや、大好きなんだけど、元気のないオカリンの印象が強くてw

ゼロの中で好きな話があります。

第12話「相互再帰のマザーグース」の回。

この回では記憶喪失のカガリの記憶が戻るきっかけの回になる。
カガリは10歳の時に未来(2036年)からタイムリープして現代に来ている。しかしすぐに一緒にタイムリープした鈴羽とはぐれてしまい、行方不明になってしまう。10何年後にオカリン達と行方不明の状態で出会う(鈴羽とは再開)。その間、とある施設に軟禁されていた。

カガリについてはざっとこんな感じ。

この回の冒頭では、未来(2032年くらい?)でまゆりがカガリに、

「探し物1つ、星の笑う声♪」

っていう歌詞の歌を教えるシーンから始まる。
この曲はシュタインズゲートゼロの挿入歌で「星の奏でる歌」という曲。まゆり役の花澤香菜さんと、カガリ役の潘めぐみさんが歌ってる曲。
未来ではまゆりがカガリを養子に迎え母親になっているのだけど、まゆりはカガリにこの曲を、

「とても大事な歌、この歌があったからママとカガリちゃんが出会えた。だからねカガリちゃんにも覚えてほしい。いつかカガリちゃんが大事な人と出会った時のために」

と伝えて教えている。この時のカガリは6歳。

現代で記憶喪失になっているカガリは、まゆりが鼻歌で歌ったこの歌を聞いたタイミングで何かを思い出し倒れる。

この歌がカガリの記憶のトリガーになっていると踏んだオカリン達はこの歌のルーツを辿る・・・

 

と、この話が面白いのですよ。この歌の出所をフローチャートにするとこんな感じ。


まゆり(現代)は鈴羽に聞いたと。

鈴羽は未来でゆき(鈴羽の母親)から聞いたと。でも鈴羽はかがりの前で歌った事はない。

ゆき(現代)はお菓子教室の他の生徒さんから聞いたと。

お菓子教室の生徒さんは実はオカリンの母親。

オカリンの母は中学の頃のオカリンがお風呂で歌ってるのを聞いて覚えた


未来や現代を行き来しながら、結局はオカリンがルーツだってことがわかる。
でも、肝心のオカリンはどこで誰から聞いたのか覚えていない。ルーツはここで途絶えてしまう。

なんかよくあるようで不思議な話です。
例えば現代で小学生くらいの子の前で「赤いスイートピー」を歌って、いい曲だね〜って言われても歌った本人が何の曲か知らなくてもすぐに松田聖子さんが80年代に歌ってた曲だよってルーツに辿り着く。
でも、この「星の奏でる歌」は作中では、

誰が作ったのか?
誰が歌っていたのか?
誰の曲なのか?
いつの時代の曲なのか?

これらが1つもわからないのである。
オカリンは誰に聞いたのか?・・・

と、シュタゲゼロを見た方ならわかると思う。ここがこの物語の面白いとこ。

この12話のエピローグで中学時代のオカリンがとある施設から脱走したカガリに出会うシーンで締めくくられている。
駅のホームで「星の奏でる歌」を呆然と歌うカガリにオカリンは、

「いい曲ですね」

と声をかける。多分、この時にオカリンは「星の奏でる歌」を覚えてお風呂で歌っていたのだろう。

 

はい、これで「星の奏でる歌」のルーツが判明する。

「星の奏でる歌」のルーツは現代にタイムスリップして数年後のカガリだったのだ〜!

 



いや、カガリは6歳の時にマユリから教えてもらってるはず。そしてまゆりは現代において鈴羽が歌ってるのを聞いて覚えたはず。で、鈴羽は・・・

 

「星の奏でる歌」はいったいどこから来たんだろう?

 

現代における実現不可能なもの、永久機関、不老不死、タイムトラベル・・・
もし、タイムトラベルが実現したらどんなに頑張って調整しても、タイムパラドクスのような事は起こるんだろうな〜って思う。その1つがこういう、どこから来たのかわからないものが発生する事なんだろうな〜と。

SFって説明がつかないことが起こったり、矛盾が出てきたり・・・

それがとても怖い表現になる場合もあるけど、シュタゲみたいなロマンチックなものだと心が安らぐような感じがあってとても好きなのです。クロノトリガーの時の最果てみたいな不思議な場所とかね。

 

SFにはさっぱり触れてこないままの人生だったけど、今から触れていっても面白いかなと思うのです。


聞く力と骨の話。

2021年06月05日 | Life

今日は1日久しぶりにダウンしてました。

熱はなかったし感染症などではないです。
なんていうか、軽いオーバーワークシンドロームみたいなものかなーっていう自己判断です。

何か頑張ってたわけでもないんだけどねw

 

ま、でも、ほんの少しだけ心を解放したみたいなことがありました。

長年・・・トラウマ?まではいかないのかな、1人で抱えてたっていうわけでもないのだけど、なかなか理解してもらえないこと、僕だけが感じていたようなこと、うまく説明できないけどほんの少し共感してもらえたようなことがありました。

誰かに話したり共感してもらうことで解決したり僕の心から消えてなくなったりするようなことじゃないのだけど、ほんの少し楽になりました。でも、そういうことを表に出すってことはとても体力と精神力がいることです。数日分の体力と精神力をほんの数時間に一気に出したから燃え尽きてしまったみたいな。もちろん、開きたくない心の扉を開いたみたいな部分もあったのかもね。

 

40数年生きてきて、心から思うのは無条件に自分の話を聞いてくれる受け入れてくれる友達を作ってことなかったことへの後悔です。

友達じゃなくてもパートナーでもいいわけなんだけど、ま、それも作れなかったから同じことで。

 

世の中にはどうしても解決できないことってあると思うんだよ。
なんでもかんでも時間が解決してくれるわけじゃない。死ぬまでずっと心のかさぶたとして残り続けたり、喉に刺さって取れない魚の骨みたいにチクチク悪さをしたり。心にずーっと違和感として残ってしまうものってあるんだよね。

そういうのって誰かに聞いてもらうと少し楽になる。

楽になってもかさぶたは綺麗にならないし、骨は刺さったままかもしれない。でも、一時的にスッとしたり痛みが和らいだり。

なんていうのか否定せずに聞いてくれるのが友達だと思うし、信頼して聞いてくれるのがパートナーだと思う。

聞く力

僕が心理学で学んだことは何もなくて、唯一、こういう力があるってことだけを知りました。
でも実践できないのだけどねw

聞く力をしっかり持っていて自然に使ってる人っていうのは、優秀なベテラン心理カウンセラーの何倍もの力を持ってるんじゃないかなーって思う。時には心理学の知識も邪魔になることがあるわけで。

人間が人間として人と交わり触れ合っていくっていうのは、相手の気持ちを理解することであり、受け入れることであり、信頼できることだって思う。それらを意識せずに自然にできること。

 

僕は少々疲れてしまっています。
長く長く、喉に刺さった骨に悩まされて。存在を忘れてる時はなんてことないのに、時々、ちくちくと悪さをする。この違和感を解消する方法は何年考えても見つからなくて、付き合い方も分からなくて。でも、ほんの少しだけ必死に話して必死に伝えて、やはりほんの少しだけ骨のチクチクが和らぎました。

なんかね、嫌な事、辛い事、気持ち悪い事、怖い事。嬉しかった事、楽しかった事、面白かった事、不思議だった事、あなたが好きだって事。そういうこと全部少しでも聞いてくれそうな人がいたら話してしまうといいんだと思う。で、話を持ちかけられた人は解決しようとするのでもなく、否定するのでもなく、一緒に抱え込む必要はないからほんの少しの時間でいいから共感して、共有して、信じてあげればいいのかなって。
そうすればネガティブな事は少し軽くなるだろうし、ポジティブな明るい話はより明るく楽しくなるだろうし。

 

と、抽象的になってしまいましたが、ちょっと思うことがあったので文章で残しました。


ちなみに、喉に刺さった骨の表現は、ずいぶん昔にみた「贅沢な骨」っていう映画からの表現です。
贅沢な骨=うなぎの骨だったように思います。1度だけなんとなく見た映画だったのですが。骨=違和感。そんな話だったと思います。