@PAYASO

少しだけ更新再開してます(愚痴オンリー)

どうしてわかってくれないんだろう?

2022年05月25日 | Life

聴く力って本があります。

Amazonで探してみたのですが僕が持っているのは出てきませんでした。すいません。

僕が卒論で書いた題材はピアカウンセリングについてでした。
カウンセリングって一言で言ってもたくさん種類があります。心理テストを多種使ってクライアントの状態を見てあらゆる方向から何が問題になっているのかカウンセリングをすすめていき、場合によっては家族に来てもらったり、精神科医に橋渡しをして薬を処方してもらいながら治療していく場合。逆に精神科医のサポートとして心理テストやカウンセリングをやる場合。臨床心理士の仕事って多種多様に渡っていきます。活躍する場所も方法も違うと言っていいでしょう。

問題となっている部分が本人だけにとどまらず、家族、さらには先祖まで見ていくような話もあって、家族心理学なんていうのもあります。僕も大学で勉強してそれっきりなので詳しいことは言えないし、間違ったこともあるのはご了承ください。

カウンセリングでは不登校のお子さんを連れてきたお母さんを後日呼んで、お母さんをカウンセリングするなんてケースが多くなります。

お母さんの生い立ちとか色々調べていくうちにどうしてお子さんが不登校になってきたのかが見えてきたりするから不思議ですよね。それはお母さんが悪いわけではなくて、自然とそういう流れになってしまう場合があるんです。でも、僕は思いました。そうなった場合、そのお母さんは悩んでしまうんじゃないかと。子供をそんな風にしてしまったのは自分のせいだと悩んでしまうんじゃないかって。

でも、逆に言えば、カウンセリングってそういうものだよ、お子さんが良くなるだけじゃなくてお母さんも良くなるんだよって考えればいいんじゃないのか、お母さんのせいではなくて、お母さんの悩み事を聞いてくれる人がいなかったせいじゃないかな?今はお母さんの話を聞いてくれる人もいますし、私が聞きますよ・・・

そんな風に軽いものに転換できたら問題解決はスムーズに進むんじゃないか?

でも、例えばスクールカウンセラーという人がいます。
学校に配置されるカウンセラーですね。スクールカウンセラーは問題がありそうな子に話しかける場合があるし、例えばクラスの担任からいじめにあってる子や不登校の子に話しかけてもらうように依頼される場合もあります。

スクールカウンセラーというかカウンセラーは万能ではないので全てを解決することは難しいです。

それでもカウンセラーの元に来た子やカウンセラーが接した子は解決に向かう可能性が向上します。

でも、カウンセラーってちょっと胡散臭くない?

こんな風に感じる場合もあるだろうし、カウンセラーの元に通ったのことをあれこれいじり出す子供もいるんじゃないかって不安もあるなーって僕は考えました。カウンセラーには守秘義務がありますが、カウンセリングの部屋に入っていったことが誰かにバレたりする場合もあるわけです。守秘義務があってもそういうものは防ぐことはできません。

 

どうやったらカウンセリングってもっとスムーズに上手くいくんだろう?胡散臭さや怪しさを払拭できるんだろう?

 

カウンセリングってのはどういうものか理解してもらえばいい。
なんなら生徒達同士でカウンセリングできたらいい。
友達との会話の中で自然とカウンセリングができたらいい。
なんならカウンセリングなんて意識しないで、普通の会話や遊びのなかで問題解決していけばいい!!

僕がピアカウンセリングを卒論の題材にしようと思ったのはこんな経緯です。

でも、日本では子供達のピアカウンセリングってのは盛んではないしアメリカのそれとはまた違います。
僕が読んだ文献の1つには、アメリカだったと思うけど、クラスの中の特定の生徒(数人だと思う)にカウンセリングのトレーニングをして、さらにはクラスの中で起こっている問題をチェックしていき、その渦中の生徒に声をかける、先生に報告する、カウンセラーに相談をするなどを行う感じ。
これはこれで日本では難しいなーって思いましたし、そもそもそのカウンセラーがピアサポート(この場合のピアは、peer=仲間の意味です)をしっかりとできるのか?その子のケアはどこまでできるのか?ある意味この子は学校や先生のスパイと取られないか?などなど、難しいなーって感じました。

じゃあどうする?

そこで聴く力なんです。

カウンセリングの真髄はそこにあると思います。
どんなに巧みに心理テストができても、心理テストのバッテリーが組めても、クライアントの心から出てくる話を、言葉をしっかりと共感しながら理解して聴くことができるカウンセラーには及ばないように思います。

 

子供達の聴く力を養う!!

 

これこそが僕が目指した人類平和のためのカウンセリングでした(言い過ぎw)。

通信制大学での卒論ではそこまで深い入りすることはできずでしたが、僕が思う最高のカウンセリグは聴く力を持つ人を育成することだと今でも思っています。もちろん全員が全員にそれを達成することは叶いません。それぞれのパーソナリティもあるし得意不得意もありますから。
でも、相手の話をしっかりと「聴く」ことができる人が多くなればなるほど、世の中の悩みも減るし、ストレスもより多く発散されていくと思うんですよね。

 

裏にどんな背景があろうとも、その人にとっては見えているもの、耳に入るものが全てなんです。

そして抱える悩み、抱える不満、抱える猜疑心、抱えるストレス、それらもその人にとっては事実なんです。

話を聴くってことは、

「それは違うよ、事実はこうだよ」

これをやっちゃダメだと思います。
それで破綻してしまうってことはないですが、話を聴いて欲しい人はそれを求めていないのです。
間違ったこと言ってたとして、それはいずれ事実と向かい合っていかなければならないのですが、まずは話を聴くことが大事なんです。話を聴いて受け入れる、これが大事なんです。

よく疲れてるからと旦那さんが奥さんの話を聴いてくれないなんてのがあります。

例えば奥さんがお隣の奥さんの自慢話にうんざりしました。それを、ねえねえ聴いて聴いてと旦那さんに持ちかけます。旦那さんはそんなくだらない話・・・となるし、話を聴いているうちにお隣さんが悪くないとなっていきます。そして旦那さんは、

「疲れてるのにそんなくだらない話するなよ。それにそれは自慢でもなんでもないんじゃない、普通の話だよ」

なんてことを言ってしまうんですよね。
でも、奥さんからしたら、その話は旦那さんがいない間ずっと頭から離れなくてモヤモヤした大事です。それをくだらないとされるのは憤りを感じますよね。確かに隣の奥さんの話は真っ当な話かもしれないけど、あんたのせいでますますモヤモヤした!!くっそー!!!ってなるわけです。だけど、

「それは大変だったね!もっと詳しく教えてよ」

の一言で全然違うんじゃないかなーって思います。
話を聴いてもらってスッキリした奥さんは、もしかしたら翌日、

「お隣さんの話、私の勘違いかも。冷静になってそうおもったよ。昨日は聴いてくれてありがとうね!」

なんて感じで自分で解決できるかもしれません。

 

聴く事って簡単な事です。

 

カウンセラーは別として、

 

「あなたにそういう込み入った話を持ちかけてる人は、あなたを信頼しているから話をしているんだ!」

 

これが頭にあるだけで全然簡単な事なんじゃないでしょうか。
さらに続ければ、あなたに信頼を寄せてるその人はあなたにとって大事な人なんじゃないでしょうか?そうじゃなくても、あなたに対して信頼を寄せて友人関係・恋愛関係(片思いも含む)・夫婦関係・家族関係がある人なんじゃないでしょうか。

その人はいつも間違ったことを言ってますか?その人は嘘ばかりつく変な人ですか?その人のことは信頼できませんか?

そうだったら話を聴くのは難しいです。
その人もあなたに話を持ちかけることはないでしょう。

 

もう20年近く前の知識で話してるのであやふやになってますw

 

2日前くらいに書いたブログですが、心理カウンセラーの先生が自死をしたってことについてでした。
この先生は誰かに話を聴いてもらっていたのだろうか?そんな風に思うと書きました。溜まりに溜まって、ソウルジェムが濁りに濁ってどうしようもなくて飛び降りたんじゃないかなと。

ただ聴いてもらうだけでいいんですよ。

否定をしないでください、他の事実を無闇に突きつけないでください。
あなたの話し相手は、あなたに愚痴や相談を持ちかけてる人は、そういうのもわかった上で、もしかしたら自分の言ってることはもうどうにもならない、無意味だ、余計だってわかってる上で話を持ちかけて、話を聴いてほしいんじゃないでしょうか。このご時世、疲れてる人もたくさんいるし、昼間外で働いてる人は夜はさっさと寝たいのもわかります。でも、あなたが10分話をしっかりと聴いてくれるだけで人生が変わる人っているんですよ。

自殺についても少しだけ勉強しました。

自殺したいという人から連絡が来た場合どうするか?

・今やっていることを全てやめてください
・相手の言葉に耳を傾けてください
・相手を否定しないでください
・精一杯時間を稼いでください

自殺は極端な話ではあります。
でも、ほんの少し相手の話を聴くことができるだけで、命を救うことさえできるんです。

僕の兄貴は最低です。

僕が話をしても上の空だったり、他の話にすり替えたりします。そして反応が全くありません。あると聞きました。

 

「なんでいつも返事してくれないの?」

 

兄貴は、

 

「興味のない話に返事する必要あるか?」

 

と答えました。
あー、もうこの人には聴いてもらうってこては期待しないと思いました。
でも、僕は兄貴のしょうもない話もしっかり聴くようにしてます。

 

身近な人を助ける誰でもできて最強のカウンセリングが「聴く事」なんです、そして人間に必要なスキルは「聴く力」なんです。

 

いつでも話を聴くよって声をかけられるのは私も嬉しいです。

でも性格がらなかなか話しかけられないです。でも、そんな僕が思い切って話をする時もあります。あらゆるものを失う覚悟で話をする時もあります。
僕みたいな人が世の中にたくさんいると思います。身近な人がそういう人だったら、軽い世間話からでもいいので「話しかけて」見てください、そして聴いてください。もしかしたらあなたへの不満と文句かもしれませんwでも、聴いてみてください。より良い人間関係がその後待っている可能性が高いです。

 

ちょっと今日は色々あってブログたくさん更新しました。
僕がダメになった時に声をかけてくれた人には心底感謝しています。これは偽りのない思いです。ありがとうございました。


悪人であってもその人の立場で考えることは大事だとおもう。

2022年05月25日 | Life

仕事が手につかず、なんとなーくNHKを見てたらニュース速報が流れました。
アメリカでまたしても銃乱射事件です。子供が犠牲者に含まれる15人くらいの方が亡くなられたようです。

こんなことが続くのだからアメリカはさっさと銃を規制すべき!!

って思います。なんで規制できないのかっていうと、1つは経済の話。ホームセンターにすら銃が売っているアメリカです。銃に関わる産業、経済圏ってのが物凄く大きいものになってるわけですね。1つの産業が亡くなるとどれだけ多くの人が失業するのかってだけでも考えると恐ろしい事態です。
倫理的な話だけでは何ともできないところに来てしまってるんでしょうね。もう1つは自衛的な意味合いも強いんじゃないかって想像します。誰かが銃を持っているのならば、自分も持たないと安全ではない・・・ってやつですよね。これ、もっと大きな視点で見ると核兵器によって牽制しあってる国と同じ構造ですよね。銃を規制して、豊臣秀吉の刀狩のように全て放棄してもらっても、これだけ蔓延していたら自分の身を守るために1つ2つ隠し持つってのが人間だと思います。自分が隠し持つことを決断したり考えた時に、他の人も同じことをしている、考えていると思うわけです。銃社会から抜け出すことはかなり難しいんですよね。

じゃ、どうしてこういう乱射事件が起こるかって話ですね

少し前に日本で話題になった「無敵の人」の理論なのかなーって思います。
自分が何をしても、自分がいなくなっても、自分の大事な人迷惑をかけることがない、自分が死んでも悲しむ人はいない・・・だから何をやってもいい。

恐怖ですよね。

自分が限界に達したときに、一人死んでも悔しいだけ、この社会への怒り、自分を裏切った人達への怒り、自分を相手にしなかった人達への怒り・・・1つ大事にしてやろう、自分の死が単なる死にしないようにしよう、道連れにしてやろう・・・本当に怖い考え方です。自分が孤独あでるってこともその人の寂しさだし感情の1つ。道連れにされる人にだって同じような孤独を抱えてる人がいるかもしれない、それでも頑張ろうとしてる人がいるかもしれない、あなたに対して将来優しくしてくれる人がいるかもしれない。それぞれに人生があって、そのそれぞれに連なる人生があるのに無しにしようとする行為。

 

ちょっと昨日から長年の問題について深く考えて話をすることがあって、僕の心もかなり揺らめいてます。

僕はこの10年くらいで数人の人に嫌な事をしました。その人の大好きなものを奪うような、その人が居たいと思ってるところから離れさせるような。
あと、真実を話してる人達に対して、それは間違ってるふざけんなと言い続けたこともあります。僕は僕でこれが真実だと思っていたのですが、真実ではなかったです。僕が嘘をついてました。

僕はこの2つは一生忘れずに抱えていかなければならないと思ってます。

正義ってなんだろ?

幸せってなんだろう?

生きるってなんだろう?

そういう風にずっと考えてきました。
でもそれって絶対的なものと相対的なものが存在して、相対的なものを見てるときは自分が所属するコミュニティの中でうまくいくと思います。でも絶対的なものを見た時に嫉妬になったり、敵対したりするんだと思います。その絶対的なものが自らの中で自然と出来上がっていったものなら、それにプライドを持つべきって思いますが、他人に作られたものだったり、嘘や虚像から作り上げられたものならさっさと捨て去るべきです。

世の中が難しくなり生きる事が大変になりました。

 

ホワイト化されてる社会の中で真面目に生きてきた人が損をするのかもしれませんしね。
でも、テロのような行為は許してはいけないし、一人一人、それぞれに人生があり、思いがあり、生きる理由があることを忘れたら、それは人間ではなくなるのです。

僕は嫌なことがあっても、例えば、家族、愛してる人、親友の悪い話でも公平に聞いていきたいと思います。
その事で嫌な思いを抱える人が存在してしまうのが嫌なので。ただ、僕が嫌いな人からは話を一切聞かないと思いますが。

人が人として対等に関係をもっていくってことももしかしたら難しいのかもしれません。

片方は人生の成功者で、片方は生きるのもギリギリでとか友人同士でも起こり得ることですよね。
それでも対等に話しあって笑いあうのが人間だと思うし、友人だと思います。少しでも立場の違いを持ちだしたら、それは対等ではないのです。対等ではないということは、信頼関係を築くのは難しいことです。片方が嘘をつかずに相手を信じているのに、片方は嘘をついたり内緒のことが多かったらそれは、友人、恋人、夫婦、家族、兄弟であっても関係を続けるのは難しいですよね。
僕はトラブルにとことん疲れ果てたので、親父が他界してから兄貴達とトラブルが起こらないように従順に反論もしないで過ごしています。親戚のおばさんにも愚痴を聞いてもらいつつ時々顔をだしてトラブらないようにしています。このやり方はよくないです。どんどん孤独になっていきます。

親父は僕のことを好きではありませんでした。
出来の良い兄貴達と比べて何をやってもダメダメで、トラブルばかり起こしてた僕は鬱陶しかったでしょう。そんな親父はある時にお酒で体を壊し、痴呆が進む過程で僕の事だけわからなくなりました。親戚の誰々っておもっていたようです。僕は親父が好きでしたけどね。
いつも親身になってくれた母を失って、親父はそんな感じで、いよいよ本当に孤独になりました。僕の話をしっかりと聞いてくれる人は近くには誰もいなくなりました。僕の状況を心配して毎日電話をかけてくれる人くらいかも。

 

生き方を間違いました。
全て自分が悪いっておもいます。でも、僕は社会に復讐しようとは思いません。僕に嫌な思いをさせた人に復讐するつもりもありません。
でも、嫌な思いをするのももう嫌なので、これから新たに誰かと関わるようなことはしないで現状維持で生きていこうっておもいます。それが唯一、自分の心を守る方法だって思いました。

もう少しだけこういう愚痴につきあってくださいね。
そのうち面白い話が出来たらって思います。削除と再開を繰り返したこのブログが僕の社会との最後で唯一の接点になりそうなので大切にしていきたいと思います。