ちびめぐ日記

母(43)とムスメたち(11と8)の成長記録。

REBECCAと15歳の夏の思い出。

2015年07月29日 | 親として思ったこと
REBECCAがこの夏、20年ぶりの再結成LIVEをする。チケット入手!行きます!REBECCA全盛期は小・中学生だったので、神奈川の田舎に住んでいた私には当時LIVEに行くなんてことは考えることもできず、ひたすらLPやレンタルCDを録音したカセットテープ(古い!でもそんな時代だった)を聴いていただけだったけど、今YouTubeで当時のLIVE映像とか見ると、NOKKOのパワフルさは圧巻。2週間後が楽しみ。
REBECCAは私にとっては自分の人格を形成する上でけっこうな比重を占めているだろう時期の象徴。聴くと色々な記憶が蘇る。
一番鮮やかに思い出すのは、15歳の夏休み。中学2年から3年にかけての一番の親友は、学年でもすごく目立つ「ワル」だった。だけど、すごく気が合って、四六時中一緒にいた。中3の夏休みの終わりの終わりに、二人で平塚の海に行った。私の白いラジカセを片手に、バスを乗り継いで行った、ほとんどひと気のない砂浜で何時間もひたすらREBECCAを聴いて過ごしたあの時間。砂がラジカセに入り込んじゃって、壊れちゃったラジカセ。何を話したか、ぜんぜん覚えてないけど、『真夏の雨』がすごく心に沁みた。彼女はワルだったけど、私のことは決して悪いことに誘わなかった。私が興味を持って悪いことに近づこうとしても「それはおまえがやることじゃない」って絶対に近づけなかった。本当に仲が良かった。
だけど、2学期が始まってから彼女の様子がだいぶ変わってしまって。もともとワルかったけど拍車がかかって行き、派手な不純異性交遊に家出、学校のトイレでシンナー吸うほどの中毒になって吐く息が臭くて言ってることの意味がわからなくって、どんどん遠ざかっていってしまった。中学卒業後、高校は進学したけど中退して水商売に就いて、二十歳になるかならないかで妊娠して結婚して出産して離婚して再婚して…という話を地元の友人から伝え聞いている。
今思えば、あの頃私は彼女から「親に反抗する」ということを相応しい時期に教えてもらっていたように思う。いわゆる「いい子ちゃん」で育っていた私、嫌なことでも結局親の言う通りにこなしていた。だけど、こちらが求めることは親からは返ってこず、わだかまりを抱えていた。彼女と仲良くすることは、周囲の大人たち(親・先生)の目からとても危険に見えていたはずで、当然母はいい顔をしなかったし、「もう付き合うな」とも言われた。ワルい言葉遣いもいっぱい身につけちゃったし、一見するとワルそうなこと(煙草吸ってるみたいに見える写真を撮って遊んだりしていたけど、実際は煙草じゃなくてチョークでした〜、みたいな)もしてたからね。だけど、本当に彼女は私を絶対に本物のワルい世界には足を踏み入れさせていなかったから、親に対して燃え盛るような怒りを感じていたね、「本当のことは何も知らない、知ろうとしないくせに!」と。母親に向かって度々「うるせえ!ふざけんな!何も悪いことしてないのに、勝手に決めつけんな!」とどなって食ってかかる…なんていう絵に描いたような反抗の仕方は、彼女に出会っていなければすることができなかっただろうな。当時の母にとっては衝撃的な出来事だったろうと思うけど、あのささやかな反抗ができていなかったら、私は母から自立することができず、大人になれなかったのではないかと思うわけです。
中3のときの担任の先生と二十歳を過ぎて呑みに行ったときに「お前は母親からの過度の期待に潰されそうになって、その重圧から逃れるために自分より弱い者(中2のときの担任の先生)をいじめて晴らそうとしていた」と言われてビックリしましたよ。母親に反抗できなかったので、代わりに担任に反抗していた、と。そのときの自分にそんなはっきりした意思があってやっていたわけもないんだけど、改めて指摘されるとまさにその通り、で。中3のときの担任は反抗不可能なほどのパワーの先生だったので、そういう担任を充てがわれたのですね、と。そして、本来反抗すべき相手、母親に食ってかかることで、私の反抗期は無事に昇華されたわけですな。

えー、反抗期…怖っ。

現在6歳と9歳のムスメたちにも、正常な成長の過程として、相応しい時期に相応しい反抗期を迎えていただかねばならないわけですが。
怖っ。

だけど、自分のことを振り返るだに、親のまったく勝手知らないところであれこれ考えて感じて学んで、そして反抗して心理的に親から巣立っていくわけだからね…親になったからには、それも覚悟せよ、ってことだね。REBECCAを聴きながら「反抗期」について思いを馳せてしまいました〜。

映画「インサイド・ヘッド」with ムスメたち。

2015年07月25日 | 本・映画・音楽
いつも映画をムスメ達と観る時は、万が一別行動をしなくてはならなくなった場合に備えて「大人ふたりとムスメふたり」が基本なのだけど、今回は諸事情があり私ひとりでムスメ達をつれて行くことになりました。案の定、映画の途中で「おしっこに行きたい」と言い出すムスメ2号。3年前ならばここでムスメ1号をひとり館内に残してトイレに2号を連れて行こうものならばそこで「私も行く!」と1号も騒ぎ、ひと騒動になったところ…今回は1号に2号をトイレに連れて行くことを告げると「わかった」とだけ答えて映画に集中していた。1号、成長しましたっ!今後は大人ひとりでもムスメふたりを映画に連れて行ってあげられるぞ。

さてさて、「インサイド・ヘッド」。私は泣きました。ムスメたちも感動して泣いていた模様。だけど、私が一番いっぱい泣いてたな。
感情と記憶と人格の形成の過程が、非常にわかりやすく映像化されています。生まれたばかりの赤ちゃんから12歳に育つまでの主人公の女の子に、我がムスメたちのことを重ねて、こんな風に彼女たちの性格は築き上げられているのかと思うと、私は親としてたくさんの「喜び」の源を与えられているかしら、と思わずにはいられなかったです。
そして、私の感動の涙が溢れそうになったその瞬間、隣のムスメ2号に「お母さん、おしっこ」と声を掛けられたのでした。超ガッカリよ…やってくれるぜ、2号。

・ネガティブな感情であっても、それは不要な感情ではない
・感情のキャラクターを選び間違えると、相手に誤解を与える、自分が本当に伝えたいことが伝わらない
・成長する過程で、忘れらていく記憶はあるけれど、そこに付随する感情も性格形成に影響している
・一歩大人になるために、大切だった思い出を失うこともある



遠ざかっていた時間。

2015年07月22日 | 親として思ったこと
なぜ三年もの間、Blogを書いていなかったのかなぁ…と考えて思い当たることは「ムスメたちとの時間を楽しめなくなっていたから」。
私が育児Blogを書き続けていた理由のひとつに、「どんなに大変なことも、振り返れば笑える楽しい思い出になる」という思いがあり、辛かった1日であっても、夜にBlogを書くために振り返ればそれなりに笑い話にすることができていた。自分の大変だった日を“いい1日だった”としめくくれる儀式として、文章を噛みしめ吟味しながら書いていた日々。
けど。ある時から(ムスメ1号が小学校入学、ムスメ2号が幼稚園入園したあたりから)、何をどう振り返ってもBlogにあげられるような気持ちが温まる文章が書けなくなってしまったんだな。わたし。このBlogを世界に発信している限り、目に留まる人にとって「読んでよかった」と感じてもらえることを文に残したいと思って書いていたのだけど、そんな文にならない日常になってしまっていた。
「ムスメ達との葛藤の日々」、まさに毎日毎時間が闘いで、楽しい時間が激減していた(私が子育てを楽しむ、という意味での)ので、Blogが書けなくなっちゃったんだな。
今もそこから完全に抜け出せたわけではないけれど。
そこに陥ってしまっていたことに気付いたので、這い上がろうと思います。
楽しむことを忘れてしまっていたので、楽しむことを思い出したい。
そんな気持ちで。

実に3年ぶり!

2015年07月14日 | いろいろなこと
なんとなんと、このブログを3年も放置していたわけです。
その間、twitterやFacebookに流れており、mixiにいたっては何故かいつの間にやらログインすらできなくなっていました。
このブログが生きていてくれて嬉しい!懐かしい、そして忘れたくないたくさんの思い出がつまっているから。
ムスメたちは9歳と6歳になり、二人とも小学生になってしまいました。
わたしの育児生活も10年目ということで、子どもの成長に伴って、わたし自身もいろいろ成長しております(退化したところも多々あり)。
ブログの良さをなんとなく再認識し始めたところなので、ポチポチ更新して…みようかな。うふふ。