ヒマ人クラブ

NO MUSIC NO LIFE! ジャズ、ロック、フォークが好きです。気ままにやっていきます。

私の音楽遍歴 第14回(オーディオ編その6)

2009-10-18 | 音楽遍歴

前回、ヤマハA-2000を試聴したと記載したが、’83年発売の製品なので、この時に試聴することはできない。

では、いつ試聴したのか。

当時、職場の先輩がJBL L112を、サンスイ D-907かAU-X11で鳴らしていた。

L112は、JBLのコンシューマー・スピーカーで、白いウーハーが目を惹く人気のスピーカーであった。

このスピーカーを話題のA-2000で鳴らしたら、どんな「音」になるだろうか、

そう考えたのではなかったか。

言葉では表しにくいが、音場が広がり奥行きを感じる「音」であった。

この時に、JBLとA級アンプへの憧憬が生まれた。

四方山話:今、ゴルフの日本オープンが終わった。3人によるプレーオフ2ホール目に決着がついた。残念ながら遼君は優勝できなかったが、今後を期待させるプレーであった。

 

 

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私の音楽遍歴 第13回(オーディオ編その5)

2009-10-15 | 音楽遍歴

アンプはお店の薦めで、

サンスイ AU-D707F

とした。

他に試聴させてもらったのは

ヤマハ A-2000

音の広がりをこのアンプに感じた。

A級アンプや管球式アンプへの憧憬を持たせてくれました。

D707Fは、今も現役でスピーカーを鳴らしています。

レコード・プレーヤーは、

デンオン DP-55L

オート・リフトアップ機構付なのでLが型番に付いている。

これに、オーディオ・テクニカのMM型カートリッジをお店の人は付けてくれた。

しばらくして、カートリッジはMC型 デンオン DL-103に付け替えた。

プレーヤーとカートリッジのこの国産の組み合わせは、ジャズ喫茶で外国製品の組合せ以外では、信頼の組合せであったと思っています。

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私の音楽遍歴 第12回(オーディオ編その4)

2009-10-14 | 音楽遍歴

社会人となって初めての冬のボーナスを全額投じた。

やっと、自分のオーディオを組む時がきた。

しかし、何を基準に選択して良いのやらわからない。

JBLやら、マッキントッシュなどは手は出ない。

とりあえず、スピーカーはダイアトーンかトリオでと考えていた。

ダイアトーンは、下宿の先輩が愛用していた。DS-32Bは好評を得ていたピーカーである。

トリオはLS-1000は新製品であったが、1本10万円を越す価格であった。

ヤマハのNS-1000とともに高嶺の花であった。

パイオニア S-933も気になる新製品であった。32センチのウーハー、当時は珍しいリボン型トゥーターを搭載。価格は10万円超。

コンポーネントを組むには、それぞれ単品の機器のつり合いも重要なポイント。

機器の性能は価格に表れている。

よって、予算の範囲内に収める必要がある。

ウーハーの口径にこだわっていた。

よって、低価格で32センチのウーハー、信頼のあるもの。

結果、ダイアトーン DS-37B とした。

口径へのこだわりは、JBLやアルテックへの憧憬であった。

これは、ジャズをいい音で聴きたいという思いであった。

 

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私の音楽遍歴 第11回(オーディオ編その3)

2009-10-13 | 音楽遍歴

小遣いの少ない高校生にとってラジオの音楽番組は貴重な音源である。

中学時代は、ソニーTHE 11Dにカセットデッキを繋いでエア・チェックしていたのであるが、FM放送のステレオ放送を聴いてしまった耳は、より良い音Hi-Fiを追求したくなった。

オーディオ・コンポを組む知識はないから、当時流行の4チャンネルステレオを手にしたが、少しはマニアックなところも追いかけたくて、オープンリール・デッキを購入した。

うろ覚えではあったが、ネットで調べてみると

ソニー TC-6200 であったか。

しかし、音質は満足できるものの、FMの受信状態(室内アンテナ使用)やリールテープの価格の問題から、十分に活用できなかった。

その後、パナソニックのポータブル・デッキが使い勝手が良く、大学時代をともにすることになる。

このデッキは、スピーカー内蔵で、クロムテープ使用可能、録音はステレオで、ヘッドフォン端子はステレオになっていた。下宿で使用するのに重宝した。

実家には、ソニー TC-K4 を置いていた。

これは、故障するまでの長い間お世話になった。

その後、カセット・デッキは

A&D GX-Z7100

に替わったが、時代はMD(ミニ・ディスク)の時代になっていた。

 

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私の音楽遍歴 第10回(オーディオ編その2)

2009-10-12 | 音楽遍歴

高校合格のお祝いに両親からプレゼントされたのは、

当時各メーカーが技術を競っていた4チャンネルステレオである。

ステレオという言い方は、やや変に思われるかもしれないが、2チャンネルを意味するするのではなく、商品の総称を指している。

当時はまだ、システム・コンポという言葉は一般に使われていなくて、アンプやプレイヤー、スピーカーを組み合わせるオーディオ・コンポーネントか、いわゆる家具調ステレオ、または、簡易ステレオ(今のシステム・コンポのはしりか?)、スピーカー内蔵のレコード・プレイヤーが市販されていた。

小学生の時、このスピーカー内蔵のレコード・プレイヤーなら手が届く価格であったが、親に止められていた。

なぜなら、シングル・レコード1枚が小学生だった私の1か月の小遣い相当の価格であったからである。

脇道にそれてしまったが、4チャンネルの方式は大きく、ビクター系とソニー系に分かれていた。そこで、両方の方式を再生できるパイオニアを選択した。

ネットで調べてみると、そのシステムの画像があったので紹介させていただくことにする。

パイオニア FD-5型 である。

フロント・スピーカーは4ウェイ、リアは2ウェイであった。アンプ部はチューナー内蔵のレシーバー・タイプ。プレーヤーはオート・スタート、オート・リターン方式ではなかったかと記憶している。

レコード枚数の乏しい高校生は、FM放送に釘付けになっていた。

フォーク、ポップス、ロック、ジャズと色々聴いていた。

この時に聴きかじったものの多くを、その後、レコードで、CDで手に入れている。

番組名は忘れてしまったが、小室等さんの番組、片岡義男と安田南の『気まぐれ飛行船』、油井正一氏の『アスペクト・イン・ジャズ』、渡辺貞夫さんの『ナベサダとジャズ』などなど。

地元制作の柴田チコさんがDJをしていた番組は、チェイスの「オープン・アプ・ワイズ」やデイープ・パープルの「レイジー」をオープニングに使ったりしていてお気に入りの番組であった。

私の人生に大きな影響を与えた時期でした。

 

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9.19

2009-10-11 | 日本のフォーク・ロック(映像)

9月14日に60歳の誕生日を迎えた永ちゃんこと矢沢永吉

一夜限りの60歳記念ライブとして、東京ドームで1年ぶりのコンサートを行った。

BSハイヴィジョンでコンサートの模様が昨日放送されました。

地上放送では、「60歳のロックンロール 東京ドーム ドキュメント&ライブ」という1時間番組の放送もありました。

今年は、年初からNHKのSONGSに出演し、1年間休養した後の復活にかける意気込みを語っていました。

SONGS、プレミアム8、SONGS第100回、101回と盛り上げてきてのコンサート。

その前に、フジ・ロック・フェスへの出演もありました。

キャロルの解散コンサートが教育テレビで放映されて以来、「ファン」ですとは言い難いが、ヤザワには注目してきた。

『成り上がり』も読みました。

富士山近くの別荘が出来た時のインタビュー放送も、偶然ではあったが、見ました。

その別荘も、落書きされ、破壊された姿を晒した放送も、これまた偶然ですが見ました。

ヤザワの素晴らしさは、音楽に真摯に取り組んでいる姿勢。

それは、今回放送されたドキュメント映像にも表れています。

アンコール曲「長い旅」にその思いが込められていると感じるほど、演出されていました。

娘とのデュエットも淡々と歌いこなし、娘がステージから引き上げる時も淡々と送り出した。余計な一言も、紹介もなかったのが余計に親子を感じさせた。(娘さんは、ビールのCMで共演してますね。)

いい親父ロッカーになりました。

今後の活躍も楽しみです。

BS2でも、コンサートの放送がありますので、お見逃しなく。

ではでは。

 

 

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Dr.レクター

2009-10-04 | 息抜き

昨日というか、今日の深夜にスカパー2で、

『ハンニバル・ライジング』と『ハンニバル』が放映された。

ブログで、『ハンニバル』に触れた直後であったので、観てしまった。

『ハンニバル・ライジング』(2007年)に対する評価は様々あるようですが、これはこれとして楽しみました。汗!!!

『ハンニバル』を観る切っ掛けは、当時お気に入りのジョディー・フォスターが本作に出演しなかったこと、取って代わったジュリアン・ムーアの妙な色気、所々で使われる風景の美しさに惹かれた訳です。

この作品は映画館で観ました。

オペラのシーンは、ゾクゾクしましたね。

 

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金とく

2009-10-04 | 日本のフォーク・ロック

NHK名古屋放送局が制作しているローカル番組である。

毎週金曜日、夜8時から放送されている、ふるさとの魅力の再発見や地域の課題を取り上げる番組である。

10月2日(金)に『これが僕らのフォークソング ~中津川・伝説のコンサートから40年~』が、愛知、岐阜、三重県向けに放送された。

そして、今日4日(日)、午前10時05分から再放送された。

40年前にフォークジャンボリーを支えた若者たちは還暦を迎えて、再び挑戦した。

自分たちが心から楽しめる歌を。

今年開催された『椛の湖フォークジャンボリー』の準備の過程を中心的なスタッフを通して紹介した。

残念ながら、当日は雨天となってしまったが、彼等はそのステージに立ち、歌った。

フィールドフォーク・グループとして活動している我夢土下座(かむとぅげざ)がスタッフの中心メンバーとなっていたが、

地元のラジオ局の深夜放送で、「さよなら△、またきて□」という曲が一時よく流れていた。だから、我夢土下座の存在は知っていた。

また、彼等も、ジャンボリーのステージから育っていったシンガーとともに、歌い続けてきたことに「熱い思い」を感じる。

追記:加川ファンのK.さん。一瞬でしたが、映ってましたよ。

 

 

 

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9月に見た映画

2009-10-02 | 息抜き

① 日本沈没 1973年

② スピード・レーサー 2008年 

③ イージー・ライダー 1969年

④ ナルニア国物語 第2章:カスピアン王子の角笛 2008年

⑤ ウォンテッド 2008年

⑥ 未知との遭遇 ファイナル・カット版 1977年

⑦ マイ・ブルーベリー・ナイツ 2007年

⑧ 羊たちの沈黙 1991年

⑨ ウッド・ストック 愛と平和と音楽の3日間 1971年(40周年記念DVD)

初めてこのブログに来られた方もいますので、少し説明をします。

このラインナップは当然、現在上映されているものではありません。

小生の「ヒミツの砦」は変形6畳間です。笑!

ここに、オーディオ・システムとAV(オーディオ&ヴィジュアル)システムを入れています。

AVシステムは、もう6年位経ってしまいましたが、80インチ・スクリーンに液晶プロジェクターで映し出しています。

アンプにチューナー付DVDを接続して、WOWWOWやスカパー2やBSハイヴィジョンなどで『映画』作品を楽しんでいるということです。

さて、映画についてですが、⑧の『羊たちの沈黙』はビデオ・レンタル全盛時代の作品で、ジョディ・フォスター出演のグラミー賞受賞作品でもあり、当時話題の作品でありました。

レンタルで初めて見たときは、これも当時流行った派手なアクション・シーンも無く全く感動もしませんでした。

それが、次作『ハンニバル』でアンソニー・ホプキンスにはまってしまったのです。『レッド・ドラゴン』を見た後、『羊たちの沈黙』を改めて観て、やっとその作品の良さがわかりました。

10年もかかったんですね。恥!

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