車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

金石(かねいし)神社 in 愛知県西尾市上町宮前

2016年10月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

西尾市上町宮前に鎮座される「金石(かねいし)神社」、御祭神は『国常立神・伊弉再神・国狭槌神』

由緒によれば、平治元年、『後醍醐天皇』の皇子・二品親王がこの地に在りしとき、奇石を寄贈されたと云う。打つと金の音がするこの奇石は「御金石様」と呼ばれ、それが社名の謂れとされています。

この奇石を所蔵する拝殿前左右より神域を守護されるのは、明治37年奉納、六代目・酒井孫兵衛の手による岡崎型狛犬さん一対。台座には「岡嵜 石匠 酒井孫兵ヱ」と刻まれています

岡崎型と聞くだけで些か食傷気味になってしまう私たちですが、岡崎型にもこんなに個性的な仔がいる事に、改めて感動しています。

同じ向きになってしまいましたが、別角度からもう一組。滑らかな体の線、無用なゴテゴテを取り払った形は見た目にもすっきりといかにも神獣らしい風格を漂わせています。

農作物の作柄を占う「管粥神事」。もしかしたらこちらの「神楽殿」で催されるのでしょうか?。「管粥神事」は「お金石のおためし」と呼ばれており、その年に収穫した新米3合と農作物に見立て1つ1つ番号をつけた長さ10センチの青竹を釜で炊き、青竹の中に入った米粒の数で、それぞれの農作物の翌年の作柄を占います。

「日露戦没〇〇者」 〇の部分の文字がきちんと読み取れません。後で調べればきっと分かるだろうと思ってついついアップにするのを忘れてしまう。そういう時に限ってネットのどこにも資料がないのです(-"-)

参拝日:2011年9月20日

 

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ご当地マンホール in 愛知県西尾市

2016年10月20日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

西尾市(にしおし)は愛知県中央部を北から南へ流れる矢作川流域の南端に位置する町です。かつて三河の中心地として栄えた西尾城は一部が復元され、新たな歴史文化の発信地として、また往時の面影を残す町並みは「三河の小京都」と呼ばれて新たな観光拠点となっています。

市役所式内に建立されていた初代西尾市長『千葉蝶二氏』胸像。

また、日本一の抹茶生産量を誇る西尾茶の産地としても有名で、町の一角にはこんなユニークな休憩スポットも用意されています。

キャッチフレーズは「自然と文化と人々がとけあい 心豊に暮らせる町」

1889年(明治22年)、町村制の施行により幡豆郡西尾町・西野町村・平坂村 ・中畑村・奥津村・寺津村・西崎村・六郷村・豊田村・井崎村・大宝村・久麻久村・御鍬村・川崎村・吹羽良村・室場村・花明村・家武村・平原村・松坂村・豊国村・横須賀村・瀬門村・厨村・荻原村・吉田村・富田村・保定村・宮崎村・幡豆村・東幡豆村・佐久島村が発足。

1906年、幡豆郡西尾町が久麻久村、西野町村上町・下町・小間・法光寺、大宝村矢曽根・町田・寄近・徳次、奥津村住崎を編入。 

幡豆郡平坂村が西野町村田貫、中畑村、奥津村(住崎を除く)を編入。 

幡豆郡井崎、六郷、豊田、大宝村の一部(今川、川口、菱池、深池)が合併、福地村が発足。 

幡豆郡寺津村が西崎村を編入。  

幡豆郡御鍬村、川崎村、吹羽良村が合併、幡豆郡三和村が発足。

1924年 、幡豆郡平坂村が町制を施行、平坂町となる。

1929年 、幡豆郡寺津村が町制を施行、寺津町となる。

1932年 、幡豆郡室場村が花明、家武、平原を編入。

1952年 、幡豆郡西尾町が福地村の一部(小焼野)を編入。

1953年 、幡豆郡西尾町と平坂町の一部(田貫、中畑)が合併。市制を施行、西尾市が発足。

1954年、西尾市が幡豆郡平坂町、寺津町、福地村、室場村を編入。

1955年、西尾市が幡豆郡三和村、碧海郡明治村大字米津および南中根を編入。

マンホールには「結井桁」と呼ばれる市章と、「市の木:クスノキ」が描かれています。

雨水用マンホール

市章を中心に「市の花:旗」がデザインされています。

プラスチック製の枡蓋

昭和35年(1960)2月1日制定の市章は「旧西尾城主大給松平氏の道中目印として使用していたものと伝えられ、整然とした市街と市民の団結を象徴しています。」公式HPより

防火水そう

消火栓

「西三河南部水道企業団」事業章入り消火栓

「西三河南部水道企業団」事業章入り量水器

西尾市の特産品“西尾の抹茶”をイメージして誕生した、西尾市観光協会マスコットキャラクター『まーちゃ』。顔は抹茶茶碗、尻尾は茶杓で、頭には茶筅。 抹茶でまったり『まーちゃ』でまったり!と西尾のPRに励んでいます。ちなみに郵便ポストも抹茶色。緑じゃないです!抹茶色なんです(笑)

お茶の街「西尾」のPRに余念のない自販機が勢揃い(笑)

撮影日:2011年9月22日&2018年3月22日

2011年9月、2018年3月の車泊旅では見事に台風の直撃に遭遇し「道の駅:にしお岡ノ山」様にて二度とも一日を過ごさせて頂きました。幸いお店は開いていた為食事に困るようなことも無く、休憩室で台風状況を見ながらゆっくりと寛ぐことも出来ました。こうして車で旅をする私たちにとって、このような道の駅は本当に有難く大切な場所です。改めて・・その節は本当に有難うございました。

 

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成石(なりいし)神社 in 愛知県半田市宮本町

2016年10月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

半田市宮本町に鎮座される「成石(なりいし)神社」。御祭神は『天穂日命』『少彦名命・大己命貴命・誉田別尊・素盞雄命・日本武尊』を配祀します。

由緒碑より「本神社は最初勧請年月に本願人等不詳なるも永禄十年(1567)丁卯八月本願人当村氏子中再建と古記録にあり、国内神名帳には従二位成石天神と記録された古社である。明治初年社格制定の際、無格社に列せられ旧称のまま八幡社として尊敬せられましたが、明治十年十一月二十二日据置公許、主祭神、天穂日命は郷社成石神社として本市狐塚天神森に鎮座の処、明治四十二年四月七日許可を得て同年五月十六日無格社・八幡社に合祀の上、成石神社と改称し、今日に至っている。」

拝殿

拝殿前左右より神域を守護されるのは昭和二年四月建立の岡崎型狛犬さん一対。吽形さんは仔狛を、阿形さんは毬に手を置いています。

吽形さんの足の下で仰向けになって遊ぶ仔狛さん

拝殿中央に一対の龍の彫刻

アップで

拝殿彫刻「花鳥」

さざれ石

境内社「天満社」、御祭神は『菅原道真公』

天神様の神使い:撫で牛

境内社「山之神社」、御祭神は『大山祗命』。左右に「春日社」「熊野社」。

半田市指定有形民俗文化財「西成石地区祭礼」の碑

手水舎

参拝日:2011年9月25日

 

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八幡神社 in 愛知県半田市神代町

2016年10月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

半田市神代町に鎮座される「八幡神社」。御祭神は『誉田別命』

由緒碑に「神社の創建は明らかではないが棟札によれば文禄二年(2593)に神社一宇再建となっている。従って創建されたのはそれ以前と思われる。文政五年(1820)奉造立八幡宮とされている~後略~」

脚力に難ありの私ですが、朝一の参拝と言う事でこの長い石段も無事クリア(^▽^)

朝の日差しの中で見る境内は、清浄に満ちて吸い込む空気さえ新鮮。ああ、むろん昼下がりの境内も夕闇に包まれる境内も柔らかく温かい気に満ちています。

拝殿に至る石段の上、左右より神域を守護されるのは非常に恰幅の良い岡崎型狛犬さん一対。吽形さんの四肢が非常にスマートなのがうらや・・もとえ、気になりますが・・岡崎型狛犬さんとしてはかなり個性的な風貌です。

さらに本殿お側近くより神域を守護されるのは、常滑焼の狛犬さん一対。数ある神社の中からこちらへ参拝させて頂いた一番の理由・・と言ったら御祭神に叱られるかもしれませんね(^^;)

固く食いしばった口元、人の目には見えぬ何かを見つめる真っ直ぐな眼差し。

ほんの僅かに首をかしげ、思慮深げに吽形さんを見つめる阿形さん。本当に美しい一対です。

「靖国神社遥拝所」。御英霊の御霊に、そして御亭主殿の祖父の御霊に私たちの祈りが届きますように・・

記念碑・・刻まれた文字は読み取れませんでした。

社務所

板山地区の二つの神社の春の例大祭に奉納される県指定・無形民俗文化財「板山獅子舞」「獅子芝居は、主役の者だけが獅子頭を着けて、歌舞伎を演じる民俗芸能である。役柄はヒロインが多いため、女獅子または嫁獅子と呼ばれることもある。明治から昭和初期には多くの名優を輩出したほど盛んな芸能の一つであった。黒い股引に黒紋付の着物を着て、獅子頭の上下の顎を連結する棒を口で咥え、獅子舞だけでなく囃子方の科白に合わせ、芝居を演じたのである。」文化財ナビ愛知より

参拝日:2011年9月24日

 

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堀田(ほりた)稲荷神社 in 愛知県武豊町川脇

2016年10月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

武豊町川脇に鎮座される「堀田(ほりた)稲荷神社」。御祭神は『倉稻魂命』

一の鳥居前より神域を守護されるのは、宝珠を片足の下に置く神狐さん、巻物を咥える神狐さんの一対。大正三年十月の建立です。

首に掛けられた太い注連縄、少ない稲荷神社参拝の経験から言えばかなり珍しいのですが、何か謂れが有るのでしょうか?

由 緒「天文5年(1536)創建と伝えられ、延享3年(1746)の棟札には稲荷明神、嘉永3年(1850)には堀田稲荷大明神と書かれており、江戸時代中頃以降から現字名川脇の旧称堀田を用いたものと思われる。もともと稲荷は農耕の神ですが、江戸時代には商売繁盛、渡海安全、豊漁の守護神としても信仰され、対岸の三河や遠く美濃からも多くの参拝者があったと言う。」

拝殿蛙股彫刻。鍵を咥える白狐

境内社「堀田天神社」

堀田天神社の神使い・撫で牛

「県指定有形民俗文化財:堀田天神社の算額」

「江戸時代初めに伝わった算盤を含む中国数学を土台として、約200年の短い間に日本の数学である和算は急速に広がった。江戸時代後半の和算は、その広がりと内容の高さにおいて、世界の数学史上でも特異な存在となっていた。和算の愛好者たちは、神仏に問題の解決を感謝し、近くの社寺に勉強の成果を書いた算額(絵馬)を奉納した。多くの人が、社寺に奉納した算額を見て学習したことも、和算の普及につながったという。
堀田稲荷神社の算額は、文化7(1810)年に布土(ふっと)村(現美浜町)の稲生新助が奉納している。佐藤正興が寛文6(1666)年に書いた「算法根源記」に掲載された3題を解いて、全文ほとんどを解読している。」文化財ナビ愛知より

堀田天神社内の奉納絵馬

社殿西側に祀られる「奥の院拝所」

(右)境内社「多賀社」、(左)境内社「山神社」

手水舎

参拝日:2011年9月25日

 

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武雄(たけお)神社 in 愛知県武豊町  

2016年10月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

武豊町上ケに鎮座される「武雄(たけお)神社」。御祭神は中扉に『須佐之男命』、左扉に『大己貴命・少彦名命』、右扉に武内宿禰の末裔とされる『弥五郎殿命』。

由緒「創建は不詳、奈良時代かそれ以前の創建とされる。古来朝廷より従三位の神階を授けられ国司所祭の礼を享ける神社で、武雄天神と称し、長尾七社(祠峯社、山の神社、白山社、天神社、八幡社、若宮社、 神宮社)と称する広大な境外摂社を有した大社である。承久の変後は岩田遠江守朝弘がこの地に館を構え、長尾城を構築した際に、この社を城内並びに領内鎮護の社としたと云う。その後も武門の神として代々の武将・藩主・領主より篤く崇敬を受けていた。~後略~」(武雄神社概要書より)

「長尾城は鎌倉時代から戦国時代(永禄四年)まで岩田氏六万石の居城でした。氏神であった国司所祭の従三位武雄天神を城内鎮護の社として累世崇敬されたのが現武雄神社です。御創始は奈良時代かそれ以前で「月詠之森」と称されて月の名所でした。」武豊町教育委員会

知多半島の神社では久々に目にする「蕃塀」

拝所

拝殿

広い境内

二の鳥居の後方、参道左手に祀られる境内社

境内社のご神域を守護されるのは、昭和六年未壹月:小島製陶所制作による焼きの狛犬さん一対。狛犬さんと言うよりも獅子と言った方がしっくりしますね。斜め後ろに目を配る狛犬さんの姿が、まるで互いにそっぽを向いているようで・・・

真横に並べてみましたが「何か?」(笑)

境内入口より神域を守護されるのは、平成22年11月3日建立の、岡崎現代型狛犬さん一対。機械彫りの狛犬さんは・・何故か出来の良し悪しには関係なく温かみを感じません。多分に・・私の思い入れの所為だと思います。

手水舎

参拝日:2011年9月25日

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 愛知県武豊町

2016年10月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

知多郡武豊町(たけとよちょう)は知多半島の中央部に位置し、三河湾北西部の衣浦湾に面した町です。町名は長尾村の氏神「武雄神社」と大足村の氏神「豊石神社」から、頭文字を一字ずつ取って付けられました。町域には重要港湾である衣浦港の一部(武豊港)が含まれており、火力発電所などの工業地帯が広がっています。

1889年(明治22年)、町村制の施行に伴い、知多郡武豊村・富貴村が発足。

1891年、武豊村が町制を施行(第一次)知多郡武豊町が発足。

1954年、武豊町と富貴村が新設合併、(第二次)武豊町が発足。今に至ります。

マンホールには町章を中心に「町の木:クスノキ」、「町の花:サザンカ」が描かれています。

「知多半島で一番早く咲く」として有名な、武豊町の桜がデザインされたマンホール。

昭和49年10月5日制定の町章は「武豊(タケトヨ)の「タ」と「ケ」の合成で、力強い横線は町の発展を、上下の曲線は調和を表現し、全体は羽ばたく鳥のイメージによって、明るい将来を象徴しています。」公式HPより

武豊町には浦島太郎伝説が伝わっており、現在も地名や神社にその名残を見ることができます。側溝蓋には「浦島太郎伝説の町」のイメージキャラクター『ゆめたろう』デザインされています。

亀の背に乗った『ゆめたろう』

香川県三豊市詫間の浦島伝説、京都府伊根町の浦嶋神社、長野県上松村の寝覚の床等々。昔々・・で始まるお伽噺は、全国各地に似た話が伝わっており、とても興味深いものです。いつかお伽噺の舞台を訪ねて旅をする・・・何ていうのも面白いかと、またぞろ不穏な事を(笑)

撮影日:2011年9月25日

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追記:マンホールカードを頂きました。

2020年12月17日、第13弾として全国50自治体で50種類(累計557自治体717種類)の マンホールカードの配布が開始されました。

「武豊町」のマンホールカードは、「まちの駅『味の蔵たけとよ』」でいただけます。

2020年に設置開始されたマンホールには「町の花:サザンカ」と「みそたろう」がデザインされています。

裏面には上記マンホールと、「みそたろう」の写真とデザインの由来が書かれています。

「武豊町のキャラクター「みそたろう」をぐるりと彩るように町の花「サザンカ」が描かれたマンホール蓋です。 みそたろうは醸造のまちである武豊町をPRするため平成31年4月1日に誕生しました。 顔は特産品である「豆みそ」のみそ樽で、頭にはサザンカをさし、腰にはたまり(しょううゆ)を携えています。 また、町内には浦島太郎が竜宮城を偲んで建てたとされる「竜宮神社」や亀に背負われたことに由来する「負亀(おぶかめの松)」などもあり、浦島太郎伝説が残る町であることから、みそたろうも浦島太郎に扮したデザインとなっています。 みそたろうに、ぜひ会いに来てください!」

 

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ご当地マンホール in 旧稲武町(豊田市)

2016年10月14日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

旧東加茂郡稲武町(いなぶちょう)は愛知県の北東端、美濃三河丘陵に属し長野県と岐阜県との県境に位置した町です。三州街道:武節宿の宿場町を中心として栄え、矢作川とその支流沿いに集落が点在しています。途中で見かけた「武節(ぶせつ)城址・登り口」。生憎の荒天ですが車内から一枚。

1889年、北設楽郡稲橋村、武節村(ぶせつむら)が発足。

1940年、稲橋村と武節村が合併し町制を施行。旧自治体名から一字ずつ取り北設楽郡稲武町となる。

2003年、所属軍が東加茂郡に変更、東加茂郡稲武町となる。

2005年、豊田市に編入されました。

マンホールには、名倉川沿いの山村風景と「町の木:スギ」、「町の花・ツツジ」がデザインされています。

昭和44年11月制定の町章は「稲武町の頭文字 「い」を円にして円満 に発展する力を表し、 中央に町の主要産業で ある林業を「すくすく と天空に向かって延び ていく一本の杉の若 木」に図案化して、町 政の円満にして、限り なく発展していく姿を 象徴している。」合併協議会資料より

豊田市稲武地区、国道153号沿いにある「道の駅・どんぐりの里いなぶ」。天然温泉「どんぐりの湯」を併設しており、新鮮な地元野菜も沢山。降りしきる雨が残念です。

道の駅:どんぐりの里いなぶのマスコットキャラクター『グリッピー』。どんぐりをモチーフとして1998年4月に誕生しました。

撮影日:2013年10月15日

 

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重伝建地区・足助の町歩き in 愛知県豊田市足助

2016年10月13日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

古来、三州街道の足助宿として栄えた足助町。ここには今も往時を偲ぶ町並みが残されており「香蘭渓谷」と共に多くの観光客を魅了しています。

中仙道の脇往還であった足助の街道は、三河湾で作られた塩を信州に運ぶ手段として活躍した「中馬」が往来したことから「中馬街道」とも、また塩を運ぶ事から「塩の道」とも呼ばれ、天保年間(1830~43)には14軒もの塩問屋が軒を連ねていたと云います。

宮町の足助八幡宮から西町へと向かう途中に、かって警察署として使用されていた「足助商工会」が見えてきました。

建物の佇まいも素敵ですが、屋根に施された瓦も趣があって、中々に興味深い形です。大屋根の先端部分は、龍の細工と尖塔で成り立ち、土台部分には「日本」の文字。

車寄せの屋根から往来を見下ろす留め蓋の獅子たちも、中々にユニークで愛嬌のある顔立ちですね。

防火を意図して漆喰で軒先まで塗り固めた塗籠造りの町家が建ち並ぶ、西町から新町の町並み。中でも新町にある「マンリン書店」は白漆喰の建物に、重厚な看板が一際目を引き、町歩きの名所的存在としても有名です。

書店の右側に続く通路は「マンリン小路」と呼ばれ、足助の町並みのなかでも、最も美しい小路として観光パンフレットなどに紹介されています。奥行きは50メートルほどですが、連なった4棟の蔵の黒い板壁と白漆喰の、なんとも美しい事。

ここを見る為だけに若い女性たちが訪れるというのも、あながち頷けそうな気がします。

ちなみに私、この小路の名称を、ずっと「マリリン書店の横のマリリン小路」だと思っていました(-"-) 「マンリン」「マリリン」・・一字違いで大違い、似て非なるものです(笑)

本町にひっそりと建つ地蔵堂。堂内には「抱き地蔵」が安置されており、文字通り抱くことが出来ます。傍らの案内には「出兵した息子が無事に帰る事を祈願して、母親がこの地蔵を抱きしめたところ、ひょいっと持ち上がった事から、抱き地蔵を抱いて願いをすると、願い事が叶うと言われます」と・・

二人かわりばんこに、まるで乳飲み子を抱くようにして何を願ったのか・・・お互いに何も言いませんが、多分・・似たような事だろうと思います。

足助の老舗和菓子店「加東家」は、昔懐かしい感じがそのまま残った和菓子屋さん。派手なショーウィンドウや、きらびやかな明りは有りませんが、お味は超一流。超が付く偏食家の私が保証します(笑)

壁の郵便マークと赤い丸ポストがさり気なく所属を主張している建物は、重伝建の足助地区にあわせた意匠の郵便局、こうした試みの一つ一つが歴史ある街並みを更に美しく見せています。

街道沿いに建つ妻入りの商家には祭り提灯が下げられ、紺と白で染められた幔幕がお祭り気分をより一層盛り上げています。毎年10月の第2土曜、日曜の二日間に渡って執り行われる足助八幡宮の秋の例大祭。大切に受け継がれた建物と、古くよりの伝統を伝える祭りの装いは殊更に似合って、しばしば私たちの足を停めさせます。

世話役の方の許可を頂いて、祭り提灯とのツー(?)ショット。

街歩きの拠点としても活躍する「足助中馬館」は、大正元年(1912)に竣工した「旧稲橋銀行足助支店」。建物の画像はありませんが、お金に縁が有りますようにと、昭和29年(1954)に増築された鉄筋コンクリート造の金庫とツーショット。

田町に鎮座される「お釜稲荷」の朱の鳥居。隣のビルが時代を感じさせて良い雰囲気です。本当は「お釜稲荷」へも参拝しようと思ったのですが、お祭りが気になって、気になって(笑)

ご亭主殿の「祭りが気になる!!」がどうやら私にも伝染したようで、元来た道を引き返すことに。

足助川にせり出すように建てられた床は、宿場当時の建築様式を伝えた佇まい。本来ならもっと時間をかけて歩く筈の「重伝建地区・足助の町歩き」、何とも潔く切り上げました。あそこもここも・・・・古い宿場につきものの碑や石仏も、何もかも中途半端感が否めませんが、祭りのざわめきには勝てません。

それでも町歩きの帰路で唯一見つけた屋根の鍾馗様を見逃さないあたり、さすが鍾馗様ハンターの御亭主殿・・と、褒めるべきなのかしら(笑)

訪問日:2013年10月13日

 

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足助八幡宮 in 愛知県豊田市足助

2016年10月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県豊田市足助町宮ノ後に鎮座される「足助八幡宮」、御祭神は『品陀和気命(応神天皇)、帯中日子命(たらしなかつひこのみこと)、息長帯比売命』

由緒「創建は天武天皇の御代、白鳳3年2月21日とされる。一般には西暦663年とされるが、足助八幡宮では673年としている。神仏分離までは神宮寺があり、現在は鐘楼のみが残される。」檜皮葺・三間社流造の御本殿は祭りの諸々の為、遠目の拝見も叶いませんでした。

寛政12年(1800)改築の大鳥居左右より神域を守護されるのは「岡崎:宝珠型狛犬」と呼ばれる一対。吽形さんは宝珠、阿形さんは角を持っています。

奉納の年代は定かではありませんが、明治の早い時期の奉納と伝えられています。ちなみに御亭主殿も私も、この狛犬さんの分類が「岡崎型」である事にびっくりしています。

いずこも祭りの関係者の方々で境内は一杯。神社参拝を目的とするなら、もっと早い時間に来なきゃ・・と、まぁ今更言っても後の祭りです(^^;) 

拝殿、向かって右手に鎮座される「足助神社」。御祭神は、南朝の忠臣『足助次郎重範公』。明治35年(1902)3月の創建。

 弓の名手としても知られる重範公は、元弘の乱の際に後醍醐天皇方に味方し、同年9月の笠置山の戦いでは天皇の元へ最初に馳せ参じた人物です。強弓を以て幕府方の大軍を相手に奮戦しましたが、笠置山の陥落後に捕縛。翌年5月、京都六条河原にて処刑されました。

境内の一画に祀られる「足神様」。南北朝時代に記された【足助八幡宮縁起】の中に「足を痛めた佐渡島の旅人を社人が手当てをしている所に八幡大神が出現。数珠にカラスの羽を添えて患部をなでると、たちまち足が治り無事に立つことが出来た・・」と記されています。

「足助」の名称から転じた「お助け草鞋」。名の通り、旅や足に関することにご利益があるそうです。何かと足に不安の多い私、ここはしっかりと「草鞋の神様」にお願いしましょう。

天に向かって健やかに伸びる「足助八幡宮のイチョウ」。根回21.1m、樹高20.8m。地上1.5mの位置で双幹となった樹形は美しく壮大で、天然記念物の指定を受けています。

明日は「足助八幡宮・秋の例祭:足助祭り」を紹介します。

参拝日:2013年10月13日

 

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