伊達市保原町宮下の一画に建立されていた「三浦謹之助博士像」。保原町高成田(旧・陸奥国伊達郡高成田村) 出身で、東京帝国大学を首席で卒業後、サル・ペトリエール病院のシャルコーの元で研鑽を積み、帰国後「日本神経學会」を設立。皇太子時代に外遊した昭和天皇に随員として渡欧した際に「何か趣味をお持ちになった方がストレス回避に役立ちます」と提言、この言葉が後に昭和天皇と生物学を結ぶきっかけとなったそうです。
「江戸川乱歩疎開の地」碑。昭和20年、戦争から復員した江戸川乱歩は、既に家族が疎開していた保原に大量の蔵書と一緒にやってきました。 保原町4丁目付近に滞在し、10丁目にあった蔵で書物を管理しながら執筆活動を続けたそうです。
明宮嘉仁親王(大正天皇)の霊山行啓を記念して建立された「春㬢 留影(しゅんぎ りゅうえい)の碑」。揮毫:岩倉具視公爵
旧保原城二の丸陣屋跡に残る「大欅と黒松」。残念ながら二の丸陣屋の往時を伝えるモノは何も残されていません。
昭和46年(1971)に全線が廃線となった福島交通軌道の路面電車、「愛称:チンチン電車」。廃線を受けて福島交通株式会社より9台の路面電車が各地に寄贈され、旧保原町にも「1116号」が寄贈されました。(現存する車両は現在3台のみ)
2011年の大災害を受け、地域に活気をとの思いで立ち上げられた「路面電車1116号 修復保存プロジェクト」。修復プロジェクトには個人や企業から約1000万円の寄付が寄せられ、当時の姿に蘇りました。この世代を知る人にはきっと胸が熱くなる思い出が沢山詰まっているのでしょう。
伊達市保原町東野崎にある、伊達郡役所を再現した保原駅舎。キャッチフレーズは、「ファッションニットの町」。駅舎は「東北の駅百選」に選定されています。
阿武隈川流域は、古くから養蚕地として開け、保原町は信達平野の生糸の集散地、蚕取引の中心地として栄え、ニット製造業が地場産業の中心となりました。
福島県と宮城県とを結ぶ第三セクター阿武隈急行線の全線開通を記念し、限りなく発展する伊達の故郷保土原を優しく仰ぐ『神野忠和氏』の力作「遥の像」を建立し・・以下略
「遥(はるか)」の像
撮影日:2015年6月22日
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