車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 愛媛県旧波方町&旧朝倉村(今治市)

2020年11月02日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛媛県

旧越智郡波方町(なみかたちょう)は愛媛県の最北端、高縄半島の先端に位置した町です。今治市、越智郡大西町・吉海町・関前村に隣接。かっては来島水軍の根拠地として栄え、近世以降は全国でも有数の海運の町として発展。幕末から明治初期にかけて、菊間瓦の原料となる粘土の運搬から海運業が起こり、東・西・北の三方を海に囲まれた地勢を活かし、瀬戸内海の交通の要衝として発展してきました。明治30年代前半に今治から綿ネル工場が進出し、主力産業の一つとなるも、大正時代後半にはタオル工場へと転換。タオルと海運の町としての骨格が形作られていきました。「町の木:ヤマモモ」「町の花:ツツジ」を制定。

旧キャッチフレーズは「海運と生涯スポーツの町」

明治22年(1889)、町村制の施行により、野間郡波方村(はがたむら)が発足。

1897年、郡制の施行により、野間郡が越智郡に統合される。

1960年、波方村が町制を施行、読みを変え波方町(なみかたちょう)となる。

2005年、今治市、菊間町、大西町、玉川町、朝倉村、吉海町、宮窪町、伯方町、上浦町、大三島町、関前村と合併、今治市波方町となりました。

マンホールには町章を取り囲むように、幾何学的な図柄がデザインされています。

昭和25年7月1日制定の町章は「波方を八方(はがた)で現わし、太陽と操舵により、波方町の発展を円内に図案化したもので農業、水産業、海運業を意味しています。」合併協議会資料より

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旧越智郡朝倉村(あさくらむら)は愛媛県の東予地方に位置した村です。今治市、東予市、越智郡玉川町に隣接。三方を山に囲まれ北側は開けた盆地で、今治市に接しており、町域の大半は山岳地帯。村の中央を流れる頓田川は東予市に源を発し、今治市東部を流れて瀬戸内海に注ぎ、この川を中心として、沿岸に開ける平野に集落が散在します。 「村の木:クス」「町の花:ツツジ」を制定。

旧キャッチフレーズは「水と緑と文化の里」

明治22年(1889)、町村制の施行により、越智郡上朝倉村・下朝倉村が発足。

1956年、上朝倉村、下朝倉村が合併、越智郡朝倉村が発足。

2005年、今治市、菊間町、大西町、玉川町、波方町、吉海町、宮窪町、伯方町、上浦町、大三島町、関前村と合併して今治市朝倉町となりました。

マンホールには、朝倉と書かかれた団扇を持って走る、イチゴキャラがデザインされています。

昭和45年6月1日制定の町章は「朝倉の「朝」の文字を図案化したもので(車)の部分を中心に(月)でつつみ、全体の丸は平和と団結を意味しています。」合併協議会資料より

撮影日:2011年6月11日

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