杜牧ー63
山行 山行
遠上寒山石径斜 遠く寒山(かんざん)に上れば 石径(せきけい)斜めなり
白雲生処有人家 白雲(はくうん)生ずる処 人家(じんか)有り
停車坐愛楓林晩 車を停(とど)めて坐(そぞ)ろに愛す 楓林(ふうりん)の晩(くれ)
霜葉紅於二月花 霜葉(そうよう)は 二月の花よりも紅(くれない)なり
⊂訳⊃
はるか寒山に登ると 石畳の径が斜めにつづく
白雲の湧いている辺に 人家があった
車を停めて 楓林の暮れゆくさまに見とれていると
霜葉は二月の花よりも 紅だった
⊂ものがたり⊃ 「山行」(さんこう)は有名な詩ですが、制昨年不明です。「白雲生ずる処 人家有り」は隠者の存在を示唆するもので、この時期の作品にふさわしいと思います。「楓」は江南のいたるところに自生していますが、日本の「かえで」とは違う落葉高木です。春の盛りの二月に花を咲かせますが、二月に咲く花よりも秋の紅葉のほうが美しいと、杜牧はくれないの林にみとれています。
杜牧ー64
送李群玉赴挙 李群玉の 挙に赴くを送る
故人別来面如雪 故人(こじん) 別来(べつらい) 面(おも)は雪の如し
一榻払雲秋影中 一榻(いっとう) 雲を払う 秋影(しゅうえい)の中(うち)
玉白花紅三百首 玉白(ぎょくはく)花紅(かこう) 三百首
五陵誰唱与春風 五陵(ごりょう) 誰か唱いて 春風(しゅんぷう)に与(む)かう
⊂訳⊃
一別来君と会えば 雪のような清らかさ
秋の郷試に合格し めでたく一榻の待遇をえた
玉白花紅 詩経のような見事な詩
春風のなか 都でだれが唱うのか
⊂ものがたり⊃ 杜牧の詩名を慕って、遠くから訪ねてくる若い詩人もいました。詩題の「李群玉」(りぐんぎょく)は澧州(れいしゅう:湖南省澧陽県)の出身といいますから、秋の郷挙に合格し、春に都で行われる貢挙の本試験を受けるために上京する途中、杜牧を訪ねてきたのでしょう。
李群玉はこのとき二十歳代の末で、杜牧より七歳ほど若かったようです。「別来」と言っているのは、杜牧が最初に宣州に勤務したときに交流があり、再来したものと思われます。「三百首」は『詩経』の詩数で、『詩経』のような見事な詩が「五陵」(都)で理解されればいいのだがと、才能のある若い詩人を励ましています。
杜牧ー65
念昔遊 其一 昔遊を念う 其の一
十載飄然縄検外 十載(じっさい) 飄然(ひょうぜん)たり 縄検(じょうけん)の外(そと)
前自献自為酬 前(そんぜん) 自ら献(けん)じ 自ら酬(しゅう)を為(な)す
秋山春雨閑吟処 秋山(しゅうざん) 春雨(しゅんう) 閑吟(かんぎん)の処(ところ)
倚遍江南寺寺楼 倚(よ)りて遍(あまね)し 江南 寺寺(じじ)の楼(ろう)
⊂訳⊃
気ままに過ごした十年間 自由の日々が懐かしい
酒壷を引き寄せ ひとりで飲んだこともある
秋の山よ 春雨よ 暇にまかせて詩を吟じ
江南の寺 高楼を 訪ねつくして果てもない
⊂ものがたり⊃ 冒頭の「十載」は一回目の江南勤務のことで、杜牧は気ままに過ごした若い日々を懐かしみながら、暇にまかせて各地の寺をめぐり歩きます。「秋山 春雨 閑吟の処」と、どの寺も秋の風情は深く、詩興のつきることはありません。
杜牧ー66
寄題宣州開元寺 宣州の開元寺に寄題す
松寺曾同一鶴棲 松寺(しょうじ) 曾(かつ)て一鶴(いっかく)と同(とも)に棲む
夜深台殿月高低 夜深(よふ)けて 台殿(だいでん) 月に高低(こうてい)す
何人為倚東楼柱 何人(なんびと)か為に倚(よ)らん 東楼(とうろう)の柱
正是千山雪漲渓 正(まさ)に是(こ)れ 千山 雪 渓(けい)に漲(みなぎ)る
⊂訳⊃
松林 緑の寺で 鶴と暮らしたこともある
夜更けて月は 仏閣の甍を照らし出す
東楼の柱の陰に もたれているのは何者か
山には雪が降りしきり 眼下の谷を埋めつくす
⊂ものがたり⊃ 杜牧は冬の夜更けに開元寺を訪れたこともありました。詩題に「寄題」とありますので、詩は後に送って寺院の壁に書きつけてもらったものです。それにしても「為に倚らん 東楼の柱」の人物は誰でしょうか。隠者とも思われますが、何者かと杜牧は自分自身に問いかけ、みずからを励ましているようにも見えます。千山に雪は降り、眼下の谷川は雪に埋めつくされています。この叙景には、杜牧の悲痛な想いが込められているように思います。
杜牧ー67
宣州送裴坦判官往舒州 宣州にて裴坦判官の舒州に往くを送る
時牧欲赴官帰京 時に牧 官に赴き京に帰らんと欲す
日暖泥融雪半銷 日暖かく泥融けて 雪半ば銷(き)え
行人芳草馬声驕 行人(こうじん) 芳草(ほうそう) 馬声(ばせい)驕(おご)る
九華山路雲遮寺 九華(きゅうか)の山路 雲 寺を遮(おお)い
清弋江村柳払橋 清弋(せいよく)の江村 柳 橋を払(はら)う
君意如鴻高的的 君が意は鴻(おおとり)の如く 高く的的(てきてき)たり
我心懸旆正揺揺 我が心は旆(はた)を懸(か)くるがごとく 正に揺揺(ようよう)たり
同来不得同帰去 同(とも)に来たりて 同に帰り去るを得ず
故国逢春一寂寥 故国にて春に逢(あ)うとも 一(いつ)に寂寥(せきりょう)たらん
⊂訳⊃
陽ざしを受け 凍土はゆるみ雪も半ばは消えている
春草は萌えて 旅人の馬はいななく
九華山の路に 寺は雲に覆われ
清弋江の辺り 橋に柳は垂れている
君のこころは 鴻のように高く飛び
わたしの心は 旗のようにゆれ動く
共に赴任して来たが いっしょに帰れない
長安の春に逢っても 寂しい思いがするだろう
⊂ものがたり⊃ その年の冬も深まったころ、杜牧は左補闕・史館修撰に任命されます。左補闕(従七品上)は門下省に属し、皇帝を諷諌し、大臣を糾察する役目です。杜牧の父親もこの職に就いたことがあります。ただし、杜牧は史館修撰を兼務しています。史館は中書省集賢殿書院に属し、国史の編纂に当たるのが役目です。修撰はその属官ですが、弘文館と同様、史館には固有の品階がありません。だから杜牧の本務は史館修撰の方で、左補闕は寄禄官であったかもしれません。
杜牧が帰京の命令を受けたころ、同僚の裴坦(はいたん)は舒州(安徽省潜山県)に出張することになっていました。明けて正月、裴坦の出発に際して送別の宴が開かれ、杜牧は裴坦に詩を贈りました。杜牧も都に帰ることが決まっており、裴坦が出張先から帰るのを待つことなく都へ発つ予定でしたので、留別の詩でもあります。
舒州(じょしゅう)への道は、清弋江(せいよくこう)を西へ渡って、南陵(なんりょう)から九華山の麓を通ります。九華山の寺は杜牧も訪ねたことがあり、よく知っている道です。杜牧は「同に来たりて 同に帰り去るを得ず」と裴坦も都への転任を期待していただろうと思い、友の心情を気遣っています。
山行 山行
遠上寒山石径斜 遠く寒山(かんざん)に上れば 石径(せきけい)斜めなり
白雲生処有人家 白雲(はくうん)生ずる処 人家(じんか)有り
停車坐愛楓林晩 車を停(とど)めて坐(そぞ)ろに愛す 楓林(ふうりん)の晩(くれ)
霜葉紅於二月花 霜葉(そうよう)は 二月の花よりも紅(くれない)なり
⊂訳⊃
はるか寒山に登ると 石畳の径が斜めにつづく
白雲の湧いている辺に 人家があった
車を停めて 楓林の暮れゆくさまに見とれていると
霜葉は二月の花よりも 紅だった
⊂ものがたり⊃ 「山行」(さんこう)は有名な詩ですが、制昨年不明です。「白雲生ずる処 人家有り」は隠者の存在を示唆するもので、この時期の作品にふさわしいと思います。「楓」は江南のいたるところに自生していますが、日本の「かえで」とは違う落葉高木です。春の盛りの二月に花を咲かせますが、二月に咲く花よりも秋の紅葉のほうが美しいと、杜牧はくれないの林にみとれています。
杜牧ー64
送李群玉赴挙 李群玉の 挙に赴くを送る
故人別来面如雪 故人(こじん) 別来(べつらい) 面(おも)は雪の如し
一榻払雲秋影中 一榻(いっとう) 雲を払う 秋影(しゅうえい)の中(うち)
玉白花紅三百首 玉白(ぎょくはく)花紅(かこう) 三百首
五陵誰唱与春風 五陵(ごりょう) 誰か唱いて 春風(しゅんぷう)に与(む)かう
⊂訳⊃
一別来君と会えば 雪のような清らかさ
秋の郷試に合格し めでたく一榻の待遇をえた
玉白花紅 詩経のような見事な詩
春風のなか 都でだれが唱うのか
⊂ものがたり⊃ 杜牧の詩名を慕って、遠くから訪ねてくる若い詩人もいました。詩題の「李群玉」(りぐんぎょく)は澧州(れいしゅう:湖南省澧陽県)の出身といいますから、秋の郷挙に合格し、春に都で行われる貢挙の本試験を受けるために上京する途中、杜牧を訪ねてきたのでしょう。
李群玉はこのとき二十歳代の末で、杜牧より七歳ほど若かったようです。「別来」と言っているのは、杜牧が最初に宣州に勤務したときに交流があり、再来したものと思われます。「三百首」は『詩経』の詩数で、『詩経』のような見事な詩が「五陵」(都)で理解されればいいのだがと、才能のある若い詩人を励ましています。
杜牧ー65
念昔遊 其一 昔遊を念う 其の一
十載飄然縄検外 十載(じっさい) 飄然(ひょうぜん)たり 縄検(じょうけん)の外(そと)
前自献自為酬 前(そんぜん) 自ら献(けん)じ 自ら酬(しゅう)を為(な)す
秋山春雨閑吟処 秋山(しゅうざん) 春雨(しゅんう) 閑吟(かんぎん)の処(ところ)
倚遍江南寺寺楼 倚(よ)りて遍(あまね)し 江南 寺寺(じじ)の楼(ろう)
⊂訳⊃
気ままに過ごした十年間 自由の日々が懐かしい
酒壷を引き寄せ ひとりで飲んだこともある
秋の山よ 春雨よ 暇にまかせて詩を吟じ
江南の寺 高楼を 訪ねつくして果てもない
⊂ものがたり⊃ 冒頭の「十載」は一回目の江南勤務のことで、杜牧は気ままに過ごした若い日々を懐かしみながら、暇にまかせて各地の寺をめぐり歩きます。「秋山 春雨 閑吟の処」と、どの寺も秋の風情は深く、詩興のつきることはありません。
杜牧ー66
寄題宣州開元寺 宣州の開元寺に寄題す
松寺曾同一鶴棲 松寺(しょうじ) 曾(かつ)て一鶴(いっかく)と同(とも)に棲む
夜深台殿月高低 夜深(よふ)けて 台殿(だいでん) 月に高低(こうてい)す
何人為倚東楼柱 何人(なんびと)か為に倚(よ)らん 東楼(とうろう)の柱
正是千山雪漲渓 正(まさ)に是(こ)れ 千山 雪 渓(けい)に漲(みなぎ)る
⊂訳⊃
松林 緑の寺で 鶴と暮らしたこともある
夜更けて月は 仏閣の甍を照らし出す
東楼の柱の陰に もたれているのは何者か
山には雪が降りしきり 眼下の谷を埋めつくす
⊂ものがたり⊃ 杜牧は冬の夜更けに開元寺を訪れたこともありました。詩題に「寄題」とありますので、詩は後に送って寺院の壁に書きつけてもらったものです。それにしても「為に倚らん 東楼の柱」の人物は誰でしょうか。隠者とも思われますが、何者かと杜牧は自分自身に問いかけ、みずからを励ましているようにも見えます。千山に雪は降り、眼下の谷川は雪に埋めつくされています。この叙景には、杜牧の悲痛な想いが込められているように思います。
杜牧ー67
宣州送裴坦判官往舒州 宣州にて裴坦判官の舒州に往くを送る
時牧欲赴官帰京 時に牧 官に赴き京に帰らんと欲す
日暖泥融雪半銷 日暖かく泥融けて 雪半ば銷(き)え
行人芳草馬声驕 行人(こうじん) 芳草(ほうそう) 馬声(ばせい)驕(おご)る
九華山路雲遮寺 九華(きゅうか)の山路 雲 寺を遮(おお)い
清弋江村柳払橋 清弋(せいよく)の江村 柳 橋を払(はら)う
君意如鴻高的的 君が意は鴻(おおとり)の如く 高く的的(てきてき)たり
我心懸旆正揺揺 我が心は旆(はた)を懸(か)くるがごとく 正に揺揺(ようよう)たり
同来不得同帰去 同(とも)に来たりて 同に帰り去るを得ず
故国逢春一寂寥 故国にて春に逢(あ)うとも 一(いつ)に寂寥(せきりょう)たらん
⊂訳⊃
陽ざしを受け 凍土はゆるみ雪も半ばは消えている
春草は萌えて 旅人の馬はいななく
九華山の路に 寺は雲に覆われ
清弋江の辺り 橋に柳は垂れている
君のこころは 鴻のように高く飛び
わたしの心は 旗のようにゆれ動く
共に赴任して来たが いっしょに帰れない
長安の春に逢っても 寂しい思いがするだろう
⊂ものがたり⊃ その年の冬も深まったころ、杜牧は左補闕・史館修撰に任命されます。左補闕(従七品上)は門下省に属し、皇帝を諷諌し、大臣を糾察する役目です。杜牧の父親もこの職に就いたことがあります。ただし、杜牧は史館修撰を兼務しています。史館は中書省集賢殿書院に属し、国史の編纂に当たるのが役目です。修撰はその属官ですが、弘文館と同様、史館には固有の品階がありません。だから杜牧の本務は史館修撰の方で、左補闕は寄禄官であったかもしれません。
杜牧が帰京の命令を受けたころ、同僚の裴坦(はいたん)は舒州(安徽省潜山県)に出張することになっていました。明けて正月、裴坦の出発に際して送別の宴が開かれ、杜牧は裴坦に詩を贈りました。杜牧も都に帰ることが決まっており、裴坦が出張先から帰るのを待つことなく都へ発つ予定でしたので、留別の詩でもあります。
舒州(じょしゅう)への道は、清弋江(せいよくこう)を西へ渡って、南陵(なんりょう)から九華山の麓を通ります。九華山の寺は杜牧も訪ねたことがあり、よく知っている道です。杜牧は「同に来たりて 同に帰り去るを得ず」と裴坦も都への転任を期待していただろうと思い、友の心情を気遣っています。
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