李白ー114
尋高鳳石門山中 高鳳石門山中の
元丹丘 元丹丘を尋ぬ
尋幽無前期 幽(ゆう)を尋ねて前期(ぜんき)無く
乗興不覚遠 興(きょう)に乗じて遠きを覚(おぼ)えず
蒼崖渺難渉 蒼崖(そうがい) 渺(びょう)として渉(わた)り難く
白日忽欲晩 白日(はくじつ) 忽ち晩(く)れんと欲す
未窮三四山 未だ三四山(さんしざん)を窮(きわ)めず
已歴千万転 已(すで)に歴(へ)たり 千万転(せんまんてん)
寂寂聞猿愁 寂寂(せきせき)として 猿の愁うるを聞き
行行見雲収 行行(こうこう) 雲の収まるを見る
高松来好月 高松(こうしょう) 好月(こうげつ)来たり
空谷宜清秋 空谷(くうこく) 清秋(せいしゅう)に宜(よろ)し
渓深古雪在 渓(たに)深くして古雪(こせつ)在り
石断寒泉流 石断(た)たれて寒泉(かんせん)流る
峰巒秀中天 峰巒(ほうらん) 中天(ちゅうてん)に秀(ひい)で
登眺不可尽 登眺(とうちょう) 尽(つ)くす可からず
丹丘遥相呼 丹丘(たんきゅう) 遥かに相(あい)呼び
顧我忽而哂 我を顧みて 忽(こつ)として哂(わら)う
遂造窮谷間 遂に窮谷(きゅうこく)の間(かん)に造(いた)り
始知静者 始めて静者(せいじゃ)の(かん)なるを知る
留歓達永夜 留歓(りゅうかん) 永夜(えいや)に達し
清暁方言還 清暁(せいぎょう) 方(まさ)に言(ここ)に還(いた)る
⊂訳⊃
奥山に友を尋ねて 約束もせず
遠いのもかまわず 趣くままにやってきた
苔むす崖が 遥かにつづいて歩きにくく
輝く太陽は はや暮れようとする
幾山を 越えたわけでもないのに
曲がりくねって登ってきたような気がする
寂しい気持ちで 悲しげな猿の声を聞き
雲が次第に 消えてゆくのを眺める
松の木の上に 綺麗な月が昇り
人けのない谷は 清らかな秋にふさわし
谷は深くて 古い雪が残り
岩の裂け目から 泉が湧いている
峰は高く空にそびえ
登って眺めたいが登れそうにない
元丹丘が 遥か向こうから声をかけ
私を見て にっこり笑う
そのまま谷の奥にゆきついて
はじめて隠者の静かな生活を知る
その日は談笑して 永い夜を過ごし
明け方になってやっと 詩を書いている
⊂ものがたり⊃ 李白は四十九歳のころ、四人目の女性と結婚しています。ただし、正妻としては二人目です。この妻は梁園の宗氏の女(むすめ)で、則天武后の従姉の子孫にあたり、宗楚客(そうそかく)という人が三度も宰相をつとめているほどの名門の女です。しかし、宗楚客は唐龍の政変のときに李隆基(のちの玄宗皇帝)によって誅殺されていますので、玄宗朝では没落していました。
李白はこの妻を宋州の妻の実家に置いたまま旅をしていますので、東魯の二子だけでなく、妻の宗氏にも不義理を重ねていたのでした。廬山に登ったあと麓の尋陽(江西省九江市)にしばらく滞在し、やがて李白は北へ帰ることにしました。その途中、宋州の妻にも会い、冬には東魯の子供たちとも再会しました。
天宝十載(751)の春と夏は東魯の家にいて、娘を結婚させたと思います。娘の平陽はすでに十九歳になっていますので、当時としては早い結婚ではありません。秋になると、李白は多分、宋州の妻のもとに立ち寄ってから、葉州(河南省平頂山市葉県)の石門山(別名、西唐山)に友人の元丹丘を訪ねます。元丹丘は道士ですので、嵩山の山居から石門山に移っていたのでしょう。
はじめの六句は導入部で、事前の約束もせずに突然みしらぬ土地を尋ねていったので、山路に難渋するようすが描かれています。この詩は元丹丘の住む石門山中への道のようすが、道行(みちゆき)のように描かれていて、映画のカットを見るようです。映画が風景のカットで主人公の心理描写をする。昔の名画では、このような奥ゆかしい場面を見ることができたのですが、いまはどぎつい言葉が氾濫するだけです。
最後の八句は四句ずつ前後にわかれますが、李白が天に突き出た峰を見上げて感慨にふけっていたとき、遠くから元丹丘の声がして、李白をみて「忽として哂う」(ふっと笑顔をみせる)、このところはとても印象的な場面です。その夜は元丹丘の山居で夜明けまで語り明かし、いまここで詩を書いているというのでしょう。最後の「還」は韻字にもなっていますし、詩では必ずしも「かえる」の意味ではありません。この場合は「いたる」という意味に使われていると解しました。
李白ー117
登邯鄲洪波台 邯鄲の洪波台に登り
置酒観発兵 置酒して兵を発するを観る
我把両赤羽 我 両赤羽(りょうせきう)を把(と)り
来遊燕趙間 燕趙(えんちょう)の間(かん)に来遊す
天狼正可射 天狼(てんろう) 正(まさ)に射る可く
感激無時閑 感激して時として閑(かん)なる無し
観兵洪波台 兵を洪波台(こうはだい)に観(み)て
倚剣望玉関 剣に倚(よ)りて玉関(ぎょくかん)を望む
請纓不繋越 纓(えい)を請(こ)うて越(えつ)を繋(つな)がず
且向燕然山 且(しばら)く燕然山(えんぜんざん)に向かう
風引龍虎旗 風は龍虎の旗を引き
歌鐘昔追攀 歌鐘(かしょう)は昔を追攀(ついはん)す
撃筑落高月 筑(ちく)を撃(う)って高月(こうげつ)落ち
投壺破愁顔 壺(こ)に投じて愁顔(しゅうがん)を破る
遥知百戦勝 遥かに知る 百戦して勝ち
定掃鬼方還 鬼方(きほう)を定掃(ていそう)して還(かえ)らん
⊂訳⊃
二本の赤羽根の矢を持って
私は燕趙の間を旅している
いまは蕃族を討つべきとき
胸は高鳴り 心は片時もやすまらない
洪波台で兵の行進を見るや
剣にもたれて玉門関を望み見る
終軍は纓を請うて南越王を従えたが
いまは北のかた燕然山に向かうとき
風は龍虎の旗をなびかせ
鳴る鐘の音(ね)に 昔のことを想い出す
月の沈むときまで筑を鳴らして遊び
投壺の勝負を競って どよめき笑う
わが軍は きっと百戦連勝し
蕃族を平らげて凱旋するであろう
⊂ものがたり⊃ 李白は石門山の元丹丘の山居にしばらく滞在していましたが、そのころ范陽(北京)の節度使安禄山は平盧(遼寧省朝陽市)のほか河東(山西省太原市)の節度使もかね、三節度使を兼務してたいへんな勢いでした。李白は安禄山の本拠地幽州(北京地方)を訪ねることを思い立ち、秋の末に石門山を発って北へ旅し、冬は相州(河南省安陽市)で過ごします。
翌天宝十一載(752)は広平郡(河北省南部地域)の各地に寄り道しながら、ゆっくりした旅をつづけ、邯鄲(河北省邯鄲市)の近くの洪波台で軍の行進を見て感激します。詩中の「玉関」は玉門関のことで、唐の西の関門ですので、邯鄲の近くの洪波台から見えるはずはありません。国境の関門という意味で用いたもので、外敵のいる地を望み見たことを勇ましく表現したものでしょう。
李白は二本の赤羽根の矢を持って旅をしていますので、軍に参加するつもりです。漢の終軍(しゅうぐん)が纓(冠を着けるための永い紐)を請うて南越王を縛り上げてくると言って出掛けた故事を想い出しますが、いまは北の燕然山(胡族の拠る象徴的な山)を討つべきときであると興奮しています。
李白は宿営している兵にまじって筑を鳴らし、投壺(壺に矢を投げ入れる遊び)の賭け事をして笑い興じます。「遥かに知る 百戦して勝ち 鬼方を定掃して還らん」と戦勝を祝賀して結びとしているのは、安禄山軍に採用してもらいたいと思っているからでしょう。李白は事前準備も充分に幽州に乗り込むのです。
尋高鳳石門山中 高鳳石門山中の
元丹丘 元丹丘を尋ぬ
尋幽無前期 幽(ゆう)を尋ねて前期(ぜんき)無く
乗興不覚遠 興(きょう)に乗じて遠きを覚(おぼ)えず
蒼崖渺難渉 蒼崖(そうがい) 渺(びょう)として渉(わた)り難く
白日忽欲晩 白日(はくじつ) 忽ち晩(く)れんと欲す
未窮三四山 未だ三四山(さんしざん)を窮(きわ)めず
已歴千万転 已(すで)に歴(へ)たり 千万転(せんまんてん)
寂寂聞猿愁 寂寂(せきせき)として 猿の愁うるを聞き
行行見雲収 行行(こうこう) 雲の収まるを見る
高松来好月 高松(こうしょう) 好月(こうげつ)来たり
空谷宜清秋 空谷(くうこく) 清秋(せいしゅう)に宜(よろ)し
渓深古雪在 渓(たに)深くして古雪(こせつ)在り
石断寒泉流 石断(た)たれて寒泉(かんせん)流る
峰巒秀中天 峰巒(ほうらん) 中天(ちゅうてん)に秀(ひい)で
登眺不可尽 登眺(とうちょう) 尽(つ)くす可からず
丹丘遥相呼 丹丘(たんきゅう) 遥かに相(あい)呼び
顧我忽而哂 我を顧みて 忽(こつ)として哂(わら)う
遂造窮谷間 遂に窮谷(きゅうこく)の間(かん)に造(いた)り
始知静者 始めて静者(せいじゃ)の(かん)なるを知る
留歓達永夜 留歓(りゅうかん) 永夜(えいや)に達し
清暁方言還 清暁(せいぎょう) 方(まさ)に言(ここ)に還(いた)る
⊂訳⊃
奥山に友を尋ねて 約束もせず
遠いのもかまわず 趣くままにやってきた
苔むす崖が 遥かにつづいて歩きにくく
輝く太陽は はや暮れようとする
幾山を 越えたわけでもないのに
曲がりくねって登ってきたような気がする
寂しい気持ちで 悲しげな猿の声を聞き
雲が次第に 消えてゆくのを眺める
松の木の上に 綺麗な月が昇り
人けのない谷は 清らかな秋にふさわし
谷は深くて 古い雪が残り
岩の裂け目から 泉が湧いている
峰は高く空にそびえ
登って眺めたいが登れそうにない
元丹丘が 遥か向こうから声をかけ
私を見て にっこり笑う
そのまま谷の奥にゆきついて
はじめて隠者の静かな生活を知る
その日は談笑して 永い夜を過ごし
明け方になってやっと 詩を書いている
⊂ものがたり⊃ 李白は四十九歳のころ、四人目の女性と結婚しています。ただし、正妻としては二人目です。この妻は梁園の宗氏の女(むすめ)で、則天武后の従姉の子孫にあたり、宗楚客(そうそかく)という人が三度も宰相をつとめているほどの名門の女です。しかし、宗楚客は唐龍の政変のときに李隆基(のちの玄宗皇帝)によって誅殺されていますので、玄宗朝では没落していました。
李白はこの妻を宋州の妻の実家に置いたまま旅をしていますので、東魯の二子だけでなく、妻の宗氏にも不義理を重ねていたのでした。廬山に登ったあと麓の尋陽(江西省九江市)にしばらく滞在し、やがて李白は北へ帰ることにしました。その途中、宋州の妻にも会い、冬には東魯の子供たちとも再会しました。
天宝十載(751)の春と夏は東魯の家にいて、娘を結婚させたと思います。娘の平陽はすでに十九歳になっていますので、当時としては早い結婚ではありません。秋になると、李白は多分、宋州の妻のもとに立ち寄ってから、葉州(河南省平頂山市葉県)の石門山(別名、西唐山)に友人の元丹丘を訪ねます。元丹丘は道士ですので、嵩山の山居から石門山に移っていたのでしょう。
はじめの六句は導入部で、事前の約束もせずに突然みしらぬ土地を尋ねていったので、山路に難渋するようすが描かれています。この詩は元丹丘の住む石門山中への道のようすが、道行(みちゆき)のように描かれていて、映画のカットを見るようです。映画が風景のカットで主人公の心理描写をする。昔の名画では、このような奥ゆかしい場面を見ることができたのですが、いまはどぎつい言葉が氾濫するだけです。
最後の八句は四句ずつ前後にわかれますが、李白が天に突き出た峰を見上げて感慨にふけっていたとき、遠くから元丹丘の声がして、李白をみて「忽として哂う」(ふっと笑顔をみせる)、このところはとても印象的な場面です。その夜は元丹丘の山居で夜明けまで語り明かし、いまここで詩を書いているというのでしょう。最後の「還」は韻字にもなっていますし、詩では必ずしも「かえる」の意味ではありません。この場合は「いたる」という意味に使われていると解しました。
李白ー117
登邯鄲洪波台 邯鄲の洪波台に登り
置酒観発兵 置酒して兵を発するを観る
我把両赤羽 我 両赤羽(りょうせきう)を把(と)り
来遊燕趙間 燕趙(えんちょう)の間(かん)に来遊す
天狼正可射 天狼(てんろう) 正(まさ)に射る可く
感激無時閑 感激して時として閑(かん)なる無し
観兵洪波台 兵を洪波台(こうはだい)に観(み)て
倚剣望玉関 剣に倚(よ)りて玉関(ぎょくかん)を望む
請纓不繋越 纓(えい)を請(こ)うて越(えつ)を繋(つな)がず
且向燕然山 且(しばら)く燕然山(えんぜんざん)に向かう
風引龍虎旗 風は龍虎の旗を引き
歌鐘昔追攀 歌鐘(かしょう)は昔を追攀(ついはん)す
撃筑落高月 筑(ちく)を撃(う)って高月(こうげつ)落ち
投壺破愁顔 壺(こ)に投じて愁顔(しゅうがん)を破る
遥知百戦勝 遥かに知る 百戦して勝ち
定掃鬼方還 鬼方(きほう)を定掃(ていそう)して還(かえ)らん
⊂訳⊃
二本の赤羽根の矢を持って
私は燕趙の間を旅している
いまは蕃族を討つべきとき
胸は高鳴り 心は片時もやすまらない
洪波台で兵の行進を見るや
剣にもたれて玉門関を望み見る
終軍は纓を請うて南越王を従えたが
いまは北のかた燕然山に向かうとき
風は龍虎の旗をなびかせ
鳴る鐘の音(ね)に 昔のことを想い出す
月の沈むときまで筑を鳴らして遊び
投壺の勝負を競って どよめき笑う
わが軍は きっと百戦連勝し
蕃族を平らげて凱旋するであろう
⊂ものがたり⊃ 李白は石門山の元丹丘の山居にしばらく滞在していましたが、そのころ范陽(北京)の節度使安禄山は平盧(遼寧省朝陽市)のほか河東(山西省太原市)の節度使もかね、三節度使を兼務してたいへんな勢いでした。李白は安禄山の本拠地幽州(北京地方)を訪ねることを思い立ち、秋の末に石門山を発って北へ旅し、冬は相州(河南省安陽市)で過ごします。
翌天宝十一載(752)は広平郡(河北省南部地域)の各地に寄り道しながら、ゆっくりした旅をつづけ、邯鄲(河北省邯鄲市)の近くの洪波台で軍の行進を見て感激します。詩中の「玉関」は玉門関のことで、唐の西の関門ですので、邯鄲の近くの洪波台から見えるはずはありません。国境の関門という意味で用いたもので、外敵のいる地を望み見たことを勇ましく表現したものでしょう。
李白は二本の赤羽根の矢を持って旅をしていますので、軍に参加するつもりです。漢の終軍(しゅうぐん)が纓(冠を着けるための永い紐)を請うて南越王を縛り上げてくると言って出掛けた故事を想い出しますが、いまは北の燕然山(胡族の拠る象徴的な山)を討つべきときであると興奮しています。
李白は宿営している兵にまじって筑を鳴らし、投壺(壺に矢を投げ入れる遊び)の賭け事をして笑い興じます。「遥かに知る 百戦して勝ち 鬼方を定掃して還らん」と戦勝を祝賀して結びとしているのは、安禄山軍に採用してもらいたいと思っているからでしょう。李白は事前準備も充分に幽州に乗り込むのです。
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