杜甫ー158
江 村 江 村
清江一曲抱村流 清江(せいこう) 一曲(いっきょく) 村を抱(いだ)いて流る
長夏江村事事幽 長夏(ちょうか) 江村 事事(じじ)幽(しず)かなり
自去自来堂上燕 自(おのずか)ら去り自ら来たる 堂上(どうじょう)の燕
相親相近水中鷗 相(あい)親しみ相近づく 水中(すいちゅう)の鷗
老妻画紙為棊局 老妻は紙に画(えが)きて棊局(ききょく)を為(つく)り
稚子敲針作釣鈎 稚子(ちし)は針を敲(たた)きて釣鈎(ちょうこう)を作る
但有故人供禄米 但(た)だ故人(こじん)の禄米(ろくまい)を供する有らば
微軀此外更何求 微軀(びく) 此の外(ほか)に更に何をか求めん
⊂訳⊃
清らかな川が一筋 村をめぐって流れ
夏の日はながく 水辺の村は静かである
屋敷の燕は 思うがままに出入りし
水上の鷗は 馴れて近くへ泳いでくる
老妻は 紙に描いて碁盤をつくり
童児は 針を敲いて釣り針をつくる
食べ物を供してくれる友がいれば
微軀(つまらぬこのみ) ほかに希みはありません
⊂ものがたり⊃ やがて浣花渓に夏がやってきました。この時期、つまり杜甫49歳の上元元年(760)初春から上元二年(761)春のおわりまでの一年三か月ほどは、杜甫の生涯のなかで一番平穏な時期です。
生活は依然として貧しいのですが、浣花渓の草堂でのどかな時間を過ごしながら、「但だ故人の禄米を供する有らば 微軀 此の外に更に何をか求めん」と、友人たちの好意に感謝しながら、つつましい生活を送っていました。
杜甫ー159
有客 客有り
患気経時久 気を患(わずら)いて時を経(ふ)ること久しく
臨江卜宅新 江に臨みて宅(たく)を卜(ぼく)すること新たなり
喧卑方避俗 喧卑(けんぴ) 方(まさ)に俗を避け
疎快頗宜人 疎快(そかい) 頗(すこぶ)る人に宜(よろ)し
有客過茅宇 客有りて茅宇(ぼうう)を過ぐ
呼児正葛巾 児(じ)を呼びて葛巾(かつきん)を正さしむ
自鋤稀菜甲 自ら鋤(す)けば菜甲(さいこう)稀なり
小摘為情親 小(すこ)しく摘むは情親(じょうしん)の為なり
⊂訳⊃
ながいこと 喘息を患っていたが
こんど川のほとりに 家を構えた
騒々しい俗世間から離れた場所で
ゆったりした感じが気に入っている
そんな茅屋にも たまには客があり
子供を呼んで 頭巾のゆがみを直させる
自家製だから 不揃いの野菜だが
摘んで出すのは 気のおけない客であるからだ
⊂ものがたり⊃ 閑雅な日々ですが、ときには草堂を訪ねてくる友人もいます。「患気」は喘息(ぜんそく)のことで、杜甫の持病でした。客があれば「児を呼びて葛巾を正さしむ」ところが、杜甫らしい礼儀正しさです。敷地の一部を耕して野菜を作っていましたが、素人が作ったものだから出来は悪いですがと言いながら客に出すのでした。
杜甫ー160
恨 別 別れを恨む
洛城一別四千里 洛城(らくじょう) 一別(いちべつ) 四千里
胡騎長駆五六年 胡騎(こき) 長駆(ちょうく)す 五六年
草木変衰行剣外 草木(そうもく) 変衰(へんすい)して剣外(けんがい)に行き
兵戈阻絶老江辺 兵戈(へいか) 阻絶(そぜつ)して江辺(こうへん)に老ゆ
思家歩月清宵立 家を思い月に歩(ほ)して清宵(せいしょう)に立ち
憶弟看雲白日眠 弟を憶い雲を看(み)て白日(はくじつ)に眠る
聞道河陽近乗勝 聞道(きくなら)く 河陽(かよう) 近ごろ勝に乗ずと
司徒急為破幽燕 司徒(しと)よ 急に為(ため)に幽燕(ゆうえん)を破れ
⊂訳⊃
洛陽の城と別れて四千里
胡騎が侵入してから五六年になる
剣門外に逃れきて 草木も衰える季節となり
兵乱に道を断たれ 川の岸辺で老いている
家を想って月夜を歩き 宵闇に立ちつくし
弟を思っては雲を眺め 真昼の夢をみる
聞けば官軍は 河陽で勝利を占めたとか
司徒よ どうか急いで幽州・燕州を破ってくれ
⊂ものがたり⊃ このとしの四月、朔方節度使李光弼(りこうひつ)が史思明軍を河陽(河南省孟県)で破りました。河陽は杜甫の生地鞏県(きょうけん)に近く、黄河を渡った対岸にあります。秋になって、その報せが杜甫の耳に届いたのでしょう。
官軍勝利の報せは、杜甫に望郷の想いをつのらせます。「司徒」というのは李光弼の名誉的な称号をいい、将軍よ、はやく幽州、燕州(共に北京地方)まで攻め込んで賊を亡ぼしてくれと、戦乱の終結を祈るのです。
杜甫ー161
客 至 客至る
舎南舎北皆春水 舎南(しゃなん) 舎北(しゃほく) 皆 春水(しゅんすい)
但見群鷗日日来 但(た)だ見る 群鷗(ぐんおう)の日日(にちにち)来たるを
花径不曾縁客掃 花径(かけい) 曾(かつ)て客に縁(よ)って掃(はら)わず
蓬門今始為君開 蓬門(ほうもん) 今 始めて君が為に開く
盤飱市遠無兼味 盤飱(ばんそん) 市 遠くして兼味(けんみ)無く
樽酒家貧只旧醅 樽酒(そんしゅ) 家 貧にして只だ旧醅(きゅうばい)あり
肯与隣翁相対飲 肯(あえ)て隣翁(りんおう)と相(あい)対して飲まんや
隔籬呼取尽余杯 籬(まがき)を隔てて呼び取りて 余杯(よはい)を尽さしめん
⊂訳⊃
草堂の南も北も 豊かな春の水
目に入るものは 日ごとにやってくる鷗たち
花散る小径も 客が来るからといっても掃除せず
粗末な蓬門も あなたのために初めて開く
大皿の料理は 市場が遠いのでありきたりの品
家が貧しくて 樽には古い酒があるだけです
隣家の老人と いっしょに飲んでみませんか
垣根越しに呼び寄せて 残りの酒を平らげてもらう
⊂ものがたり⊃ 杜甫は兵乱の終結を祈りながら、成都での一年を終えました。上元二年(761)に杜甫は五十歳になります。掲げた詩は春の作ですから、草堂二年目の春でしょう。
このとき訪れた客は、崔明府(県令)であったようです。依然として貧しさに変わりはありませんが、杜甫は詩中で隠者めいた生活を強調しています。それは皿の料理が粗末であることや、酒樽の中身が古い酒であることの言いわけでもあるでしょう。尾聯の二句で「隣翁」を呼びましょうと言っているのは、陶淵明の生活を踏まえるもので、最近は陶淵明のように隣り近所の老人とも仲よく飲んでいますと、笑って客に告げているのです。
杜甫ー162
江 亭 江 亭
坦腹江亭暖 坦腹(たんぷく)す 江亭(こうてい)の暖かなるに
長吟野望時 長吟(ちょうぎん) 野望(やぼう)の時
水流心不競 水流れて心は競(きそ)わず
雲在意倶遅 雲在りて意(い)は倶(とも)に遅し
寂寂春将晩 寂寂(せきせき)として 春 将(まさ)に晩(く)れんとし
欣欣物自私 欣欣(きんきん)として 物 自(みずか)ら私(わたくし)す
故林帰未得 故林(こりん) 帰ること未(いま)だ得ず
排悶強裁詩 悶(もだ)えを排して強(し)いて詩を裁(さい)す
⊂訳⊃
川辺の東屋の 暖かいところに寝そべって
詩を吟じつつ 野原を眺めている時間
水は流れてゆくが 気にするのはやめにしよう
空の雲のように ゆったりした心境でよい
春は今まさに 静かに暮れようとし
生き物たちは みずからの生をいきている
いまだ故里に 帰れないでいるので
悩みを吹き払うように 無理に詩作にはげむのだ
⊂ものがたり⊃ 草堂に客が来ることは滅多にないので、多くは暇な時間です。そんなとき杜甫は、川辺に設けた小さな亭で寝そべって過ごします。
頷聯の「水流れて心は競わず」というのは、『論語』の有名な「川上(せんじょう)の嘆」(逝く者は斯の如きか。昼夜を舎かず)を踏まえるもので、川の水は流れてゆくが、孔子のようにそれを見て悩むのはやめにしようと言っています。
雲は隠者の生活の象徴で、そんなゆったりした生活がよいと、自然の生物がそれぞれの生き方を楽しんでいるのを羨ましがっています。杜甫の心はいろいろに揺れ動いているようです。「故林 帰ること未だ得ず」と言っているのは、都で官職につきたい気持ちを暗に言っているのであり、そんな気持ちを吹き払うように無理に詩作に励んでいるというのです。
江 村 江 村
清江一曲抱村流 清江(せいこう) 一曲(いっきょく) 村を抱(いだ)いて流る
長夏江村事事幽 長夏(ちょうか) 江村 事事(じじ)幽(しず)かなり
自去自来堂上燕 自(おのずか)ら去り自ら来たる 堂上(どうじょう)の燕
相親相近水中鷗 相(あい)親しみ相近づく 水中(すいちゅう)の鷗
老妻画紙為棊局 老妻は紙に画(えが)きて棊局(ききょく)を為(つく)り
稚子敲針作釣鈎 稚子(ちし)は針を敲(たた)きて釣鈎(ちょうこう)を作る
但有故人供禄米 但(た)だ故人(こじん)の禄米(ろくまい)を供する有らば
微軀此外更何求 微軀(びく) 此の外(ほか)に更に何をか求めん
⊂訳⊃
清らかな川が一筋 村をめぐって流れ
夏の日はながく 水辺の村は静かである
屋敷の燕は 思うがままに出入りし
水上の鷗は 馴れて近くへ泳いでくる
老妻は 紙に描いて碁盤をつくり
童児は 針を敲いて釣り針をつくる
食べ物を供してくれる友がいれば
微軀(つまらぬこのみ) ほかに希みはありません
⊂ものがたり⊃ やがて浣花渓に夏がやってきました。この時期、つまり杜甫49歳の上元元年(760)初春から上元二年(761)春のおわりまでの一年三か月ほどは、杜甫の生涯のなかで一番平穏な時期です。
生活は依然として貧しいのですが、浣花渓の草堂でのどかな時間を過ごしながら、「但だ故人の禄米を供する有らば 微軀 此の外に更に何をか求めん」と、友人たちの好意に感謝しながら、つつましい生活を送っていました。
杜甫ー159
有客 客有り
患気経時久 気を患(わずら)いて時を経(ふ)ること久しく
臨江卜宅新 江に臨みて宅(たく)を卜(ぼく)すること新たなり
喧卑方避俗 喧卑(けんぴ) 方(まさ)に俗を避け
疎快頗宜人 疎快(そかい) 頗(すこぶ)る人に宜(よろ)し
有客過茅宇 客有りて茅宇(ぼうう)を過ぐ
呼児正葛巾 児(じ)を呼びて葛巾(かつきん)を正さしむ
自鋤稀菜甲 自ら鋤(す)けば菜甲(さいこう)稀なり
小摘為情親 小(すこ)しく摘むは情親(じょうしん)の為なり
⊂訳⊃
ながいこと 喘息を患っていたが
こんど川のほとりに 家を構えた
騒々しい俗世間から離れた場所で
ゆったりした感じが気に入っている
そんな茅屋にも たまには客があり
子供を呼んで 頭巾のゆがみを直させる
自家製だから 不揃いの野菜だが
摘んで出すのは 気のおけない客であるからだ
⊂ものがたり⊃ 閑雅な日々ですが、ときには草堂を訪ねてくる友人もいます。「患気」は喘息(ぜんそく)のことで、杜甫の持病でした。客があれば「児を呼びて葛巾を正さしむ」ところが、杜甫らしい礼儀正しさです。敷地の一部を耕して野菜を作っていましたが、素人が作ったものだから出来は悪いですがと言いながら客に出すのでした。
杜甫ー160
恨 別 別れを恨む
洛城一別四千里 洛城(らくじょう) 一別(いちべつ) 四千里
胡騎長駆五六年 胡騎(こき) 長駆(ちょうく)す 五六年
草木変衰行剣外 草木(そうもく) 変衰(へんすい)して剣外(けんがい)に行き
兵戈阻絶老江辺 兵戈(へいか) 阻絶(そぜつ)して江辺(こうへん)に老ゆ
思家歩月清宵立 家を思い月に歩(ほ)して清宵(せいしょう)に立ち
憶弟看雲白日眠 弟を憶い雲を看(み)て白日(はくじつ)に眠る
聞道河陽近乗勝 聞道(きくなら)く 河陽(かよう) 近ごろ勝に乗ずと
司徒急為破幽燕 司徒(しと)よ 急に為(ため)に幽燕(ゆうえん)を破れ
⊂訳⊃
洛陽の城と別れて四千里
胡騎が侵入してから五六年になる
剣門外に逃れきて 草木も衰える季節となり
兵乱に道を断たれ 川の岸辺で老いている
家を想って月夜を歩き 宵闇に立ちつくし
弟を思っては雲を眺め 真昼の夢をみる
聞けば官軍は 河陽で勝利を占めたとか
司徒よ どうか急いで幽州・燕州を破ってくれ
⊂ものがたり⊃ このとしの四月、朔方節度使李光弼(りこうひつ)が史思明軍を河陽(河南省孟県)で破りました。河陽は杜甫の生地鞏県(きょうけん)に近く、黄河を渡った対岸にあります。秋になって、その報せが杜甫の耳に届いたのでしょう。
官軍勝利の報せは、杜甫に望郷の想いをつのらせます。「司徒」というのは李光弼の名誉的な称号をいい、将軍よ、はやく幽州、燕州(共に北京地方)まで攻め込んで賊を亡ぼしてくれと、戦乱の終結を祈るのです。
杜甫ー161
客 至 客至る
舎南舎北皆春水 舎南(しゃなん) 舎北(しゃほく) 皆 春水(しゅんすい)
但見群鷗日日来 但(た)だ見る 群鷗(ぐんおう)の日日(にちにち)来たるを
花径不曾縁客掃 花径(かけい) 曾(かつ)て客に縁(よ)って掃(はら)わず
蓬門今始為君開 蓬門(ほうもん) 今 始めて君が為に開く
盤飱市遠無兼味 盤飱(ばんそん) 市 遠くして兼味(けんみ)無く
樽酒家貧只旧醅 樽酒(そんしゅ) 家 貧にして只だ旧醅(きゅうばい)あり
肯与隣翁相対飲 肯(あえ)て隣翁(りんおう)と相(あい)対して飲まんや
隔籬呼取尽余杯 籬(まがき)を隔てて呼び取りて 余杯(よはい)を尽さしめん
⊂訳⊃
草堂の南も北も 豊かな春の水
目に入るものは 日ごとにやってくる鷗たち
花散る小径も 客が来るからといっても掃除せず
粗末な蓬門も あなたのために初めて開く
大皿の料理は 市場が遠いのでありきたりの品
家が貧しくて 樽には古い酒があるだけです
隣家の老人と いっしょに飲んでみませんか
垣根越しに呼び寄せて 残りの酒を平らげてもらう
⊂ものがたり⊃ 杜甫は兵乱の終結を祈りながら、成都での一年を終えました。上元二年(761)に杜甫は五十歳になります。掲げた詩は春の作ですから、草堂二年目の春でしょう。
このとき訪れた客は、崔明府(県令)であったようです。依然として貧しさに変わりはありませんが、杜甫は詩中で隠者めいた生活を強調しています。それは皿の料理が粗末であることや、酒樽の中身が古い酒であることの言いわけでもあるでしょう。尾聯の二句で「隣翁」を呼びましょうと言っているのは、陶淵明の生活を踏まえるもので、最近は陶淵明のように隣り近所の老人とも仲よく飲んでいますと、笑って客に告げているのです。
杜甫ー162
江 亭 江 亭
坦腹江亭暖 坦腹(たんぷく)す 江亭(こうてい)の暖かなるに
長吟野望時 長吟(ちょうぎん) 野望(やぼう)の時
水流心不競 水流れて心は競(きそ)わず
雲在意倶遅 雲在りて意(い)は倶(とも)に遅し
寂寂春将晩 寂寂(せきせき)として 春 将(まさ)に晩(く)れんとし
欣欣物自私 欣欣(きんきん)として 物 自(みずか)ら私(わたくし)す
故林帰未得 故林(こりん) 帰ること未(いま)だ得ず
排悶強裁詩 悶(もだ)えを排して強(し)いて詩を裁(さい)す
⊂訳⊃
川辺の東屋の 暖かいところに寝そべって
詩を吟じつつ 野原を眺めている時間
水は流れてゆくが 気にするのはやめにしよう
空の雲のように ゆったりした心境でよい
春は今まさに 静かに暮れようとし
生き物たちは みずからの生をいきている
いまだ故里に 帰れないでいるので
悩みを吹き払うように 無理に詩作にはげむのだ
⊂ものがたり⊃ 草堂に客が来ることは滅多にないので、多くは暇な時間です。そんなとき杜甫は、川辺に設けた小さな亭で寝そべって過ごします。
頷聯の「水流れて心は競わず」というのは、『論語』の有名な「川上(せんじょう)の嘆」(逝く者は斯の如きか。昼夜を舎かず)を踏まえるもので、川の水は流れてゆくが、孔子のようにそれを見て悩むのはやめにしようと言っています。
雲は隠者の生活の象徴で、そんなゆったりした生活がよいと、自然の生物がそれぞれの生き方を楽しんでいるのを羨ましがっています。杜甫の心はいろいろに揺れ動いているようです。「故林 帰ること未だ得ず」と言っているのは、都で官職につきたい気持ちを暗に言っているのであり、そんな気持ちを吹き払うように無理に詩作に励んでいるというのです。
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