杜甫ー195
白帝城最高楼 白帝城の最高楼
城尖径仄旌旆愁 城尖(とが)り径(みち)仄(かたむ)いて旌旆(せいはい)愁う
独立縹緲之飛楼 独り立つ 縹緲(ひょうびょう)たる飛楼(ひろう)
峡坼雲霾龍虎臥 峡(きょう)坼(さ)け雲(くも)霾(つちふ)りて龍虎臥(ふ)し
江清日抱黿鼉遊 江(こう)清く日(ひ)抱(いだ)いて黿鼉(げんだ)遊ぶ
扶桑西枝対断石 扶桑(ふそう)の西枝(せいし) 断石(だんせき)に対し
弱水東影随長流 弱水(じゃくすい)の東影(とうえい) 長流に随う
杖藜嘆世者誰子 藜(あかざ)を杖(つえつ)いて 世を嘆ずる者は誰の子ぞ
泣血迸空回白頭 泣血 空(くう)に迸(ほとば)しらせて白頭を回らす
⊂訳⊃
城は険しく径は急で 旌旗は愁いに沈み
広々とかすむ高楼に ひとりで立つ
山は裂け 雲は土煙のように垂れ下がって龍虎が臥し
流れは清く 陽は射して大亀や鰐が泳いでいる
断崖に向き合う枝は 扶桑の西枝であろうか
長江にながれる影は 弱水の東影であろうか
藜の杖をついて時世を嘆く者 それは誰か
血の涙を虚空に放ち 白髪頭を回らせている
⊂ものがたり⊃ 夔州(きしゅう)には蜀漢の劉備玄徳が最後に居城とした白帝城があります。杜甫は風痺もいくらかよくなったのか、有名なこの史跡を訪ねました。白帝城は夔州の瀼東(じょうとう)にあり、瀼水(じょうすい)を渡って小丘の急坂を登って行かなければなりません。
杖をついて登ると、眼下に夔門の流れが渦巻き、正面には瞿塘峡の断崖が聳え立っています。首聯に「旌旆愁う」とありますが、劉備の旗が立っているわけではなく、楼閣がひとつ山頂に建っているだけです。
中四句は白帝城から見おろす瞿塘峡の景で、壮大かつ神秘的に詠われています。この幻想的な神秘的な詠い方は、やがて夔州期の杜詩の一特徴になっていくものです。尾聯では、杖をついて白帝城の最高楼まで登ってきましたが、ここでも杜甫は国家の現状を慨歎してやまないのです。
杜甫ー196
返 照 返 照
楚王宮北正黄昏 楚王宮北(そおうきゅうほく) 正(まさ)に黄昏(こうこん)
白帝城西過雨痕 白帝城西(はくていじょうせい) 過雨(かう)の痕(あと)
返照入江翻石壁 返照(へんしょう)は江に入って石壁(せきへき)に翻り
帰雲擁樹失山村 帰雲(きうん)は樹(き)を擁(よう)して山村を失う
衰年病肺惟高枕 衰年(すいねん) 肺を病んで惟(た)だ枕を高くし
絶塞愁時早閉門 絶塞(ぜつさい) 時を愁えて早く門を閉ず
不可久留豺虎乱 久しく豺虎(さいこ)の乱に留まる可からず
南方実有未招魂 南方 実(まこと)に招かれざる魂(こん)有り
⊂訳⊃
楚王宮の北側は ちょうど黄昏
白帝城の西側は しぐれの雨に濡れている
入り日は川の面に射し込んで 切り立つ巌に跳ねかえり
渓雲は樹々の辺りに絡みつき 山間の村も見えなくなった
老残の身に喘息をかかえ 為すところなく床に臥し
辺境の村でも乱世を恐れ はやばやと門扉を閉める
虎狼のような兵乱の地に どうして留まっていられよう
屈原の魂はいまだ帰らず 南の土地をさまよっている
⊂ものがたり⊃ この詩の前半では、客堂から見える雨後の日暮れの景が雄大かつ繊細に詠われています。「楚王宮」は巫山の麓に戦国楚の離宮があったという言い伝えにもとづいており、その北側のあたりは黄昏の色に染まっています。白帝城のある丘の西の斜面は客堂から見える近景で、「過雨」(通り雨)に濡れています。それらを彩る「返照」と「帰雲」。雲は当時、山の岩穴から生まれ出ると信じられており、岩穴に帰るために樹にからみついているのです。
後半は一転して、現状への嘆きですが、「病肺」は肺病ではなく喘息のことで、杜甫の持病でした。自分は病気のためにただ寝ているだけだと自嘲しながら、自分を屈原になぞらえて、憂国の心は休むときがないと嘆きます。
杜甫ー197
夜 夜
露下天高秋気清 露(つゆ)下り天高くして秋気(しゅうき)清し
空山独夜旅魂驚 空山(くうざん) 独夜(どくや) 旅魂(りょこん)驚く
疎灯自照孤帆宿 疎灯(そとう) 自ら照らして孤帆(こはん)宿(しゅく)し
新月猶懸双杵鳴 新月(しんげつ) 猶(な)お懸りて双杵(そうしょ)鳴る
南菊再逢人臥病 南菊(なんぎく)に再び逢いて人は病に臥(ふ)し
北書不至雁無情 北書(ほくしょ)は至らず 雁(かり)は情(じょう)無し
歩簷倚杖看牛斗 簷(のき)に歩し 杖に倚(よ)りて牛斗(ぎゅうと)を看れば
銀漢遥応接鳳城 銀漢は遥かに応(まさ)に鳳城(ほうじょう)に接するなるべし
⊂訳⊃
晴れ渡る空 露が降りて秋の気は澄み
淋しい山に ひとり目覚めて旅心を新たにする
淡い灯火が 一艘のもやい舟を照らし
空には新月 杵(きぬた)の音が鳴りわたる
南国の菊を見るのも 二度目だが疾に臥す身
都から便りはなくて 雁だけが無情に飛んでくる
軒端を歩み杖に縋り 牽牛・南斗の星を仰げば
銀河は遥かに延びて 宮城に接しているだろう
⊂ものがたり⊃ 杜甫は夔州を一時的な寄留地と考えていましたが、夏になって柏茂琳(はくもりん)が夔州刺史として赴任してきました。そのため事情は一変します。柏茂琳は前任地が邛県(きょうけん:四川省邛峡県)の牙将(がしょう)で、節度使の配下でした。つまり厳武の部下であったため、杜甫とも交流のある間柄でした。
柏茂琳は杜甫のために瀼西(じょうせい)の地に西閣という住居を与え、夔州でゆっくり療養につとめるように勧めました。西閣は長江に臨み、朱檻をめぐらしたかなりの住居でした。やがて秋が深まってくるに従って、杜甫の心に詩情が湧き起こってきました。夔州での多作の時期のはじまりです。
「夜」の詩では、秋の夜、杜甫はひとけのない場所で、ひとり旅愁を噛みしめています。「南菊に再び逢いて」と言っているのは、成都を出てから雲安と夔州で二度の秋を迎えたことを言うのです。「北書は至らず」と言っているのは、朝廷からの召喚状のことで、杜甫が都への帰任を望んでいたことを示しています。
結句の「銀漢は遥かに応に鳳城に接するなるべし」というのは、銀河が北へ延びて宮城まで届いていることを言うのであって、それに引きかえ自分は朝廷との連絡もとだえていると訴えるのです。柏茂琳に見せるための詩かもしれません。
杜甫ー198
吹 笛 吹 笛
吹笛秋山風月清 笛を吹く 秋山(しゅうざん) 風月(ふうげつ)の清きに
誰家巧作断腸声 誰家(たれ)か巧みに作(な)す 断腸の声
風飄律呂相和切 風は律呂(りつりょ)を飄(ひるがえ)して相い和すること切に
月傍関山幾処明 月は関山(かんざん)に傍(そ)うて幾処(いくしょ)か明らかなる
胡騎中宵堪北走 胡騎(こき) 中宵(ちゅうしょう) 北走するに堪えたり
武陵一曲想南征 武陵の一曲 南征(なんせい)を想う
故園楊柳今遥落 故園の楊柳 今 遥落(ようらく)す
何得愁中卻尽生 何ぞ愁中(しゅうちゅう)に卻(かえ)って尽く生ずるを得し
⊂訳⊃
秋山に笛は流れ 風月は澄んで清らか
誰が吹くのか 巧みに鳴らす断腸の曲
風は韻律と和して みごとに吹きわたり
月は関山にかかり 峰々を明るく照らす
真夜中の一曲には 胡騎を走らす力があり
武陵の新曲には 南征を傷む調べがある
故郷の庭の柳も いまごろは枯葉の季節
それを想えば なぜか愁いが湧いてきた
⊂ものがたり⊃ 秋の夜、どこからか笛の音が流れてきました。風の吹く月の明るい夜です。その笛の音に杜甫は感動し、さまざまな憶いにふけります。
「胡騎北走」は晋の将軍劉琨(りゅうこん)が晋陽(山西省太原市)で優勢な胡兵に包囲されたとき、月夜に楼上で胡笛を吹かせたところ、胡軍は望郷の思いに駆られて引き上げていったという故事です。また「武陵一曲」は後漢の名将馬援(ばえん)が南征して武陵(湖南省常徳市)に駐屯していたとき、「武渓深」という新曲を作らせて兵士の労苦を慰めたという故事です。
杜甫は笛の音によって時局の困難に思いを馳せ、それはまた、戦乱によって帰ることのできない故郷の秋の風物への想いへとつながっていくのです。
白帝城最高楼 白帝城の最高楼
城尖径仄旌旆愁 城尖(とが)り径(みち)仄(かたむ)いて旌旆(せいはい)愁う
独立縹緲之飛楼 独り立つ 縹緲(ひょうびょう)たる飛楼(ひろう)
峡坼雲霾龍虎臥 峡(きょう)坼(さ)け雲(くも)霾(つちふ)りて龍虎臥(ふ)し
江清日抱黿鼉遊 江(こう)清く日(ひ)抱(いだ)いて黿鼉(げんだ)遊ぶ
扶桑西枝対断石 扶桑(ふそう)の西枝(せいし) 断石(だんせき)に対し
弱水東影随長流 弱水(じゃくすい)の東影(とうえい) 長流に随う
杖藜嘆世者誰子 藜(あかざ)を杖(つえつ)いて 世を嘆ずる者は誰の子ぞ
泣血迸空回白頭 泣血 空(くう)に迸(ほとば)しらせて白頭を回らす
⊂訳⊃
城は険しく径は急で 旌旗は愁いに沈み
広々とかすむ高楼に ひとりで立つ
山は裂け 雲は土煙のように垂れ下がって龍虎が臥し
流れは清く 陽は射して大亀や鰐が泳いでいる
断崖に向き合う枝は 扶桑の西枝であろうか
長江にながれる影は 弱水の東影であろうか
藜の杖をついて時世を嘆く者 それは誰か
血の涙を虚空に放ち 白髪頭を回らせている
⊂ものがたり⊃ 夔州(きしゅう)には蜀漢の劉備玄徳が最後に居城とした白帝城があります。杜甫は風痺もいくらかよくなったのか、有名なこの史跡を訪ねました。白帝城は夔州の瀼東(じょうとう)にあり、瀼水(じょうすい)を渡って小丘の急坂を登って行かなければなりません。
杖をついて登ると、眼下に夔門の流れが渦巻き、正面には瞿塘峡の断崖が聳え立っています。首聯に「旌旆愁う」とありますが、劉備の旗が立っているわけではなく、楼閣がひとつ山頂に建っているだけです。
中四句は白帝城から見おろす瞿塘峡の景で、壮大かつ神秘的に詠われています。この幻想的な神秘的な詠い方は、やがて夔州期の杜詩の一特徴になっていくものです。尾聯では、杖をついて白帝城の最高楼まで登ってきましたが、ここでも杜甫は国家の現状を慨歎してやまないのです。
杜甫ー196
返 照 返 照
楚王宮北正黄昏 楚王宮北(そおうきゅうほく) 正(まさ)に黄昏(こうこん)
白帝城西過雨痕 白帝城西(はくていじょうせい) 過雨(かう)の痕(あと)
返照入江翻石壁 返照(へんしょう)は江に入って石壁(せきへき)に翻り
帰雲擁樹失山村 帰雲(きうん)は樹(き)を擁(よう)して山村を失う
衰年病肺惟高枕 衰年(すいねん) 肺を病んで惟(た)だ枕を高くし
絶塞愁時早閉門 絶塞(ぜつさい) 時を愁えて早く門を閉ず
不可久留豺虎乱 久しく豺虎(さいこ)の乱に留まる可からず
南方実有未招魂 南方 実(まこと)に招かれざる魂(こん)有り
⊂訳⊃
楚王宮の北側は ちょうど黄昏
白帝城の西側は しぐれの雨に濡れている
入り日は川の面に射し込んで 切り立つ巌に跳ねかえり
渓雲は樹々の辺りに絡みつき 山間の村も見えなくなった
老残の身に喘息をかかえ 為すところなく床に臥し
辺境の村でも乱世を恐れ はやばやと門扉を閉める
虎狼のような兵乱の地に どうして留まっていられよう
屈原の魂はいまだ帰らず 南の土地をさまよっている
⊂ものがたり⊃ この詩の前半では、客堂から見える雨後の日暮れの景が雄大かつ繊細に詠われています。「楚王宮」は巫山の麓に戦国楚の離宮があったという言い伝えにもとづいており、その北側のあたりは黄昏の色に染まっています。白帝城のある丘の西の斜面は客堂から見える近景で、「過雨」(通り雨)に濡れています。それらを彩る「返照」と「帰雲」。雲は当時、山の岩穴から生まれ出ると信じられており、岩穴に帰るために樹にからみついているのです。
後半は一転して、現状への嘆きですが、「病肺」は肺病ではなく喘息のことで、杜甫の持病でした。自分は病気のためにただ寝ているだけだと自嘲しながら、自分を屈原になぞらえて、憂国の心は休むときがないと嘆きます。
杜甫ー197
夜 夜
露下天高秋気清 露(つゆ)下り天高くして秋気(しゅうき)清し
空山独夜旅魂驚 空山(くうざん) 独夜(どくや) 旅魂(りょこん)驚く
疎灯自照孤帆宿 疎灯(そとう) 自ら照らして孤帆(こはん)宿(しゅく)し
新月猶懸双杵鳴 新月(しんげつ) 猶(な)お懸りて双杵(そうしょ)鳴る
南菊再逢人臥病 南菊(なんぎく)に再び逢いて人は病に臥(ふ)し
北書不至雁無情 北書(ほくしょ)は至らず 雁(かり)は情(じょう)無し
歩簷倚杖看牛斗 簷(のき)に歩し 杖に倚(よ)りて牛斗(ぎゅうと)を看れば
銀漢遥応接鳳城 銀漢は遥かに応(まさ)に鳳城(ほうじょう)に接するなるべし
⊂訳⊃
晴れ渡る空 露が降りて秋の気は澄み
淋しい山に ひとり目覚めて旅心を新たにする
淡い灯火が 一艘のもやい舟を照らし
空には新月 杵(きぬた)の音が鳴りわたる
南国の菊を見るのも 二度目だが疾に臥す身
都から便りはなくて 雁だけが無情に飛んでくる
軒端を歩み杖に縋り 牽牛・南斗の星を仰げば
銀河は遥かに延びて 宮城に接しているだろう
⊂ものがたり⊃ 杜甫は夔州を一時的な寄留地と考えていましたが、夏になって柏茂琳(はくもりん)が夔州刺史として赴任してきました。そのため事情は一変します。柏茂琳は前任地が邛県(きょうけん:四川省邛峡県)の牙将(がしょう)で、節度使の配下でした。つまり厳武の部下であったため、杜甫とも交流のある間柄でした。
柏茂琳は杜甫のために瀼西(じょうせい)の地に西閣という住居を与え、夔州でゆっくり療養につとめるように勧めました。西閣は長江に臨み、朱檻をめぐらしたかなりの住居でした。やがて秋が深まってくるに従って、杜甫の心に詩情が湧き起こってきました。夔州での多作の時期のはじまりです。
「夜」の詩では、秋の夜、杜甫はひとけのない場所で、ひとり旅愁を噛みしめています。「南菊に再び逢いて」と言っているのは、成都を出てから雲安と夔州で二度の秋を迎えたことを言うのです。「北書は至らず」と言っているのは、朝廷からの召喚状のことで、杜甫が都への帰任を望んでいたことを示しています。
結句の「銀漢は遥かに応に鳳城に接するなるべし」というのは、銀河が北へ延びて宮城まで届いていることを言うのであって、それに引きかえ自分は朝廷との連絡もとだえていると訴えるのです。柏茂琳に見せるための詩かもしれません。
杜甫ー198
吹 笛 吹 笛
吹笛秋山風月清 笛を吹く 秋山(しゅうざん) 風月(ふうげつ)の清きに
誰家巧作断腸声 誰家(たれ)か巧みに作(な)す 断腸の声
風飄律呂相和切 風は律呂(りつりょ)を飄(ひるがえ)して相い和すること切に
月傍関山幾処明 月は関山(かんざん)に傍(そ)うて幾処(いくしょ)か明らかなる
胡騎中宵堪北走 胡騎(こき) 中宵(ちゅうしょう) 北走するに堪えたり
武陵一曲想南征 武陵の一曲 南征(なんせい)を想う
故園楊柳今遥落 故園の楊柳 今 遥落(ようらく)す
何得愁中卻尽生 何ぞ愁中(しゅうちゅう)に卻(かえ)って尽く生ずるを得し
⊂訳⊃
秋山に笛は流れ 風月は澄んで清らか
誰が吹くのか 巧みに鳴らす断腸の曲
風は韻律と和して みごとに吹きわたり
月は関山にかかり 峰々を明るく照らす
真夜中の一曲には 胡騎を走らす力があり
武陵の新曲には 南征を傷む調べがある
故郷の庭の柳も いまごろは枯葉の季節
それを想えば なぜか愁いが湧いてきた
⊂ものがたり⊃ 秋の夜、どこからか笛の音が流れてきました。風の吹く月の明るい夜です。その笛の音に杜甫は感動し、さまざまな憶いにふけります。
「胡騎北走」は晋の将軍劉琨(りゅうこん)が晋陽(山西省太原市)で優勢な胡兵に包囲されたとき、月夜に楼上で胡笛を吹かせたところ、胡軍は望郷の思いに駆られて引き上げていったという故事です。また「武陵一曲」は後漢の名将馬援(ばえん)が南征して武陵(湖南省常徳市)に駐屯していたとき、「武渓深」という新曲を作らせて兵士の労苦を慰めたという故事です。
杜甫は笛の音によって時局の困難に思いを馳せ、それはまた、戦乱によって帰ることのできない故郷の秋の風物への想いへとつながっていくのです。
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