王維ー5
洛陽女児行 洛陽女児行
洛陽女児対門居 洛陽の女児 対門(まむかい)に居る
纔可顔容十五余 纔可(ようや)く顔容(かんばせ) 十五に余る
良人玉勒乗驄馬 良人(おっと)の乗(のる)は 玉の勒の葦毛馬
侍女金盤膾鯉魚 侍女は膾(なます)す 金盤に鯉(り)の魚
画閣朱楼尽相望 画閣と朱楼 尽(み)な相望み
紅桃緑柳垂軒向 紅桃 緑柳 軒(のき)に垂れ向かう
羅帷送上七香車 羅帷(らい)より送り上ぐ 七香車
宝扇迎帰九華帳 宝扇(ほうせん)は帰りを迎う 九華帳
狂夫富貴在青春 狂夫(きょうふ)は富貴にして 青春在り
意気驕奢劇季倫 意気は驕奢にして 季倫(きりん)より劇(はげ)し
自憐碧玉親教舞 自ら憐む碧玉に 親しく舞を教え
不惜珊瑚持与人 惜しまず珊瑚を 持ちて人に与う
春窓曙滅九微火 春窓(しゅんそう)の曙に滅す九微(きゅうび)の火
九微片片飛花璅 九微は飛ばす片片(へんぺん)の花璅(かさ)
戯罷曾無理曲時 戯罷(ぎや)んで 曾て曲を理(なら)うの時無し
粧成秖是薫香坐 粧(しょう)成りて 秖(ただ)是れ香を薫じて坐す
城中相識尽繁華 城中の相識(そうしき)は尽(み)な繁華
日夜経過趙李家 日夜に経過す趙李(ちょうり)の家
誰憐越女顔如玉 誰か憐れまん 越女の顔(かんばせ)玉の如く
貧賎江頭自浣紗 貧賎にして 江頭に自ら紗(しゃ)を浣(あら)うを
⊂訳⊃
洛陽の美女が 真向かいの家にあり
見れば年の頃 十五をすこし越えたほど
夫の乗る馬は 玉のくつわに葦毛の馬
侍女の運ぶは 金盤に鯉のお刺身
壁画の殿堂に 朱塗りの楼閣が並び立ち
紅の桃や柳は 軒端に垂れて向かい合う
薄絹の帷から送り出す 七香の車
宝扇を開いて出迎える 九華の帳(とばり)
元気な夫は金持ちで 若さがあり
贅沢を好む気風は 晋の石崇にまさる
愛する妻に みずから舞いを教え
珊瑚を得て 惜しむことなく妻に与える
曙の春の光が窓に射し 九微の火は消えようとし
青い火花が 片ぺんとして明滅する
戯れは終わり 曲を習うの時はなく
化粧を直して ひたすらに香を薫じて坐している
宮中の顔見知りは 華やかな人たちばかり
昼も夜も 貴夫人の家から家を訪ねて歩く
川辺で働く洗濯女 西施の顔は玉のようだが
貧しげな越の女を 誰が憐れと思うだろうか
⊂ものがたり⊃ 開元四年(716)の春、十八歳になった王維は突然春の風雨(あらし)に襲われます。「洛陽女児行」(らくようじょじこう)という歌行(かこう)は擬古的で王維らしからぬ作品ですが、やはり「時年十八」の題注を付して残しているのです。王維の個人的な思いが深かったからだと思われ、七言二十句の長詩です。詩題に「洛陽」といっているのは地を換えて風雅に詠っているわけで、長安のことです。
長安の街が大小の坊に分かれていたことはご存じと思いますが、各坊は坊牆で囲まれ、坊内から大道に出入りするには東西か南北の坊門からしかできませんでした。坊内の家は坊を十字に区切る十字街、もしくは南北に区切る横街か、街区をさらに小区分する曲(路地)に面して門を開いていました。大寺院の場合、正門を大道に向けて開くことを許されている場合もありますが、通用門は普通の家と同様に坊内の街曲に向けて開いていました。
「洛陽の女児 対門(まむかい)に居る」というのは、曲をへだてて寺院の通用門と向かい合っている門があり、その門内に美女がいるのを知ったのです。第二句で「顔容(かんばせ) 十五に余る」と言っています。これは若い女性の年齢をいうときの常套句で、王維より年上であった可能性が高いことが後の詩でわかります。王維は色白の美少年であったと言われていますので、女性のほうから遊びに来ないかと誘ったのでしょう。あとの八句は家の内部の様子や夫婦の生活の様子で、夫婦は豪奢な生活を営み、仲睦まじかったようです。夫婦といっても女性は小婦(おめかけ)であったと思われます。田舎出の純情な学生王維は、「対門の家」の夫婦から歓迎されたようです。
この詩に大胆な解釈をほどこして、王維の青春を明らかにしたのは小林太市郎氏(神戸大学文学部教授・昭和38年没)で、漢詩大系『王維』(集英社)にその遺稿が載せられています。王維の青春時代については、美少年で詩を作り琵琶に巧み、貴人にもてはやされたといったことを書いた本は多いのですが、そこに至った経緯について論じたのは、小林太市郎氏がはじめてではないでしょうか。
後半十句のはじめ二句は前半のつづきで、「対門の家」の夫婦仲のよいことが書かれています。ところが次の四句は韻字も「璅」と「坐」で換韻されています。意味的には後半のはじめ二句は後半の七句八句につながるもので、その中間の四句「春窓」から「薫香坐」までは異質な挿入句だというのです。この部分は「対門の家」の女性と王維との間に肉体関係があったことの表現であると、小林太市郎氏は解釈しています。
女性は王維に琵琶の曲を教えてあげようとでも言って誘ったのかも知れません。とすれば、女性はとんでもない曲を奏でてみせたことになります。思いもかけないことになってしまいましたが、王維は田舎から出てきた貧しい学生(がくしょう)に過ぎません。相手は趙飛燕(漢の成帝の皇后)や李夫人(漢の武帝の夫人)のような貴夫人の家に日ごと招かれ、華やかな生活をしています。王維はここで自分と夫婦の身分の差を強く意識して、越の西施(せいし)がいかに美人であろうとも、貧賎の身分で小川で紗を洗っているような状態では「誰か憐れまん」と、自分を西施と比較して悲観しています。
王維ー7
雑詩五首 其一 雑詩 五首 其の一
朝因折楊柳 朝に楊柳(ようりゅう)を折りしに因(よ)って
相見洛城隅 相見(あいまみ)えたり洛城の隅(ほとり)
楚国無如妾 楚国(そこく)も妾(しょう)に如(し)くは無く
秦家自有夫 秦家(しんか)に自ら夫(ふ)有り
対人伝玉腕 人に対して玉腕(ぎょくわん)を伝え
映竹解羅襦 竹を映して羅襦(らじゅ)を解きぬ
人見東方騎 人は東方の騎(き)を見て
皆言夫婿殊 皆言う 夫婿(ふせい)殊(しゅ)なりと
持謝金吾子 持謝(じしゃ)す 金吾(きんご)の子(こ)
煩君提玉壷 君を煩(わずらわ)す 玉壷(ぎょくこ)を提(さ)げよ
⊂訳⊃
あの朝 楊柳を折りに出たので
あなたと 洛陽の隅でお会いしました
楚国にも わたしに及ぶ美人はおりません
だから私は 秦家の夫を持つ身でございます
向き合って あなたに腕をからみつけ
青竹の色を映して 下着を脱ぎました
人々は東方の騎馬を見て 口々に
ご主人がとりわけ立派と申します
やめときましょう 金吾の坊や
あなたの方から 玉壷をかかげにいらっしゃい
⊂ものがたり⊃ 「雑詩」とは何となく題をつけにくいような、もしくは題をつけるまでもない詩といった意味合いですが、五首のうち、はじめの二首は「洛陽女児行」との関係が明瞭なので、ここで取り上げます。まず「洛城の隅」というのは長安の一隅のことで、地を移す手法です。架空の物語というポーズをとるのでしょう。全体は女性の作品のかたちを取っており、これも当時流行していた閨怨詩(けいえんし)の手法です。この場合は閨怨ではなく、事実を隠すために嘘っぽく装ったものと考えられます。
朝、楊柳を折りに出たらあなたと会いましたとなっていますが、これも本当だったかどうか、女性が柳の枝を折るのは旅に出る者の旅の安全を祈るためで、逆に言えば、夫が旅に出てしばらく留守をするのでひとり身ですよ、と誘惑の合図を送っているのかもしれないのです。女性は自分の美貌に自信を持っており、だから私には当然夫がいますと打ち明けています。
三聯目(第五句と六句)は女性が白い腕をからめつけてきて、「羅襦」(薄絹の下着)を脱いだという場面です。庭の竹の青色が白い肌に反映していたというのですから、情事は昼間のことで相手はもちろん王維です。四聯目(第七句と八句)は文脈としては二聯目(第三句と四句)につづく部分で、女性の夫自慢です。女性は夫に不満だからあなたと情を通じているのではないのですよと強調しているのでしょう。
最後の五聯目は女性自身の言葉になっています。王維がまた呼んでほしいとでも言ったのでしょうか。それに対して女性は「持謝す 金吾の子」と軽くいなして、あなたの方から玉壷を掲げにいらっしゃいと答えています。「玉壷」というのは女陰の隠語にほかなりません。
王維ー8
雑詩五首 其二 雑詩 五首 其の二
双燕初命子 双(つが)いの燕 初めて子を命(う)み
五桃新作花 五つの桃 新たに花作(さ)く
王昌是東舎 王昌は是(こ)れ東舎(とうしゃ)
宋玉次西家 宋玉の次(やど)るは西家(せいか)
小小能織綺 小小は能(よ)く綺(はた)を織り
時時出浣紗 時時(じじ)出でて紗(しゃ)を浣(あら)う
親労使君問 親労(しんろう)す 使君(しくん)の問(おとず)れ
南陌駐香車 香車(こうしゃ)を南陌(なんぱく)に駐(とど)めよ
⊂訳⊃
つがいの燕が はじめて子を生み
五本の桃の木に 新しい花が咲く
色男の王昌は 東の家
詩人の宋玉は 西隣りに住んでいる
小小は上手に機を織り
しばしば川に出て洗濯をする
使君よ わざわざお訪ねくださってご苦労ですが
車を停めて 南の小路でお待ちください
⊂ものがたり⊃ この詩も「洛陽女児行」と関係があるとみられます。まず、燕の巣づくりと桃の花によって春の訪れが描かれます。その家の東には「王昌」(おうしょう)が住んでおり、西隣りは「宋玉」(そうぎょく)の家です。二人とも好色の美男子として詩歌に名高い人物で、色事師に囲まれて危険この上もない環境が故事を借りて描かれます。「小小」(しょうしょう)は女性の家の小間使いの愛称とみられますが、錢塘(浙江省杭州市)の名妓とうたわれた蘇小小を連想させ、美少女であったに違いありません。小小は機(はた)を上手に織り、門前の小川に出て洗濯もする働き者です。
尾聯の二句は小小の言葉で、「使君」は州刺史(州の長官)の尊称です。「御苦労さん。わざわざお訪ねくださいましたが、車を南の小路に止めてしばらくお待ちください」と、小小は使君の入門を止めます。中には先客がいますので、待機を命ぜられたのです。女性の浮気の相手は王維だけではなかったのでしょうが、このとき女性といっしょに家の中にいたのは、王維ではなかったでしょうか。そんな感じのする詩です。
洛陽女児行 洛陽女児行
洛陽女児対門居 洛陽の女児 対門(まむかい)に居る
纔可顔容十五余 纔可(ようや)く顔容(かんばせ) 十五に余る
良人玉勒乗驄馬 良人(おっと)の乗(のる)は 玉の勒の葦毛馬
侍女金盤膾鯉魚 侍女は膾(なます)す 金盤に鯉(り)の魚
画閣朱楼尽相望 画閣と朱楼 尽(み)な相望み
紅桃緑柳垂軒向 紅桃 緑柳 軒(のき)に垂れ向かう
羅帷送上七香車 羅帷(らい)より送り上ぐ 七香車
宝扇迎帰九華帳 宝扇(ほうせん)は帰りを迎う 九華帳
狂夫富貴在青春 狂夫(きょうふ)は富貴にして 青春在り
意気驕奢劇季倫 意気は驕奢にして 季倫(きりん)より劇(はげ)し
自憐碧玉親教舞 自ら憐む碧玉に 親しく舞を教え
不惜珊瑚持与人 惜しまず珊瑚を 持ちて人に与う
春窓曙滅九微火 春窓(しゅんそう)の曙に滅す九微(きゅうび)の火
九微片片飛花璅 九微は飛ばす片片(へんぺん)の花璅(かさ)
戯罷曾無理曲時 戯罷(ぎや)んで 曾て曲を理(なら)うの時無し
粧成秖是薫香坐 粧(しょう)成りて 秖(ただ)是れ香を薫じて坐す
城中相識尽繁華 城中の相識(そうしき)は尽(み)な繁華
日夜経過趙李家 日夜に経過す趙李(ちょうり)の家
誰憐越女顔如玉 誰か憐れまん 越女の顔(かんばせ)玉の如く
貧賎江頭自浣紗 貧賎にして 江頭に自ら紗(しゃ)を浣(あら)うを
⊂訳⊃
洛陽の美女が 真向かいの家にあり
見れば年の頃 十五をすこし越えたほど
夫の乗る馬は 玉のくつわに葦毛の馬
侍女の運ぶは 金盤に鯉のお刺身
壁画の殿堂に 朱塗りの楼閣が並び立ち
紅の桃や柳は 軒端に垂れて向かい合う
薄絹の帷から送り出す 七香の車
宝扇を開いて出迎える 九華の帳(とばり)
元気な夫は金持ちで 若さがあり
贅沢を好む気風は 晋の石崇にまさる
愛する妻に みずから舞いを教え
珊瑚を得て 惜しむことなく妻に与える
曙の春の光が窓に射し 九微の火は消えようとし
青い火花が 片ぺんとして明滅する
戯れは終わり 曲を習うの時はなく
化粧を直して ひたすらに香を薫じて坐している
宮中の顔見知りは 華やかな人たちばかり
昼も夜も 貴夫人の家から家を訪ねて歩く
川辺で働く洗濯女 西施の顔は玉のようだが
貧しげな越の女を 誰が憐れと思うだろうか
⊂ものがたり⊃ 開元四年(716)の春、十八歳になった王維は突然春の風雨(あらし)に襲われます。「洛陽女児行」(らくようじょじこう)という歌行(かこう)は擬古的で王維らしからぬ作品ですが、やはり「時年十八」の題注を付して残しているのです。王維の個人的な思いが深かったからだと思われ、七言二十句の長詩です。詩題に「洛陽」といっているのは地を換えて風雅に詠っているわけで、長安のことです。
長安の街が大小の坊に分かれていたことはご存じと思いますが、各坊は坊牆で囲まれ、坊内から大道に出入りするには東西か南北の坊門からしかできませんでした。坊内の家は坊を十字に区切る十字街、もしくは南北に区切る横街か、街区をさらに小区分する曲(路地)に面して門を開いていました。大寺院の場合、正門を大道に向けて開くことを許されている場合もありますが、通用門は普通の家と同様に坊内の街曲に向けて開いていました。
「洛陽の女児 対門(まむかい)に居る」というのは、曲をへだてて寺院の通用門と向かい合っている門があり、その門内に美女がいるのを知ったのです。第二句で「顔容(かんばせ) 十五に余る」と言っています。これは若い女性の年齢をいうときの常套句で、王維より年上であった可能性が高いことが後の詩でわかります。王維は色白の美少年であったと言われていますので、女性のほうから遊びに来ないかと誘ったのでしょう。あとの八句は家の内部の様子や夫婦の生活の様子で、夫婦は豪奢な生活を営み、仲睦まじかったようです。夫婦といっても女性は小婦(おめかけ)であったと思われます。田舎出の純情な学生王維は、「対門の家」の夫婦から歓迎されたようです。
この詩に大胆な解釈をほどこして、王維の青春を明らかにしたのは小林太市郎氏(神戸大学文学部教授・昭和38年没)で、漢詩大系『王維』(集英社)にその遺稿が載せられています。王維の青春時代については、美少年で詩を作り琵琶に巧み、貴人にもてはやされたといったことを書いた本は多いのですが、そこに至った経緯について論じたのは、小林太市郎氏がはじめてではないでしょうか。
後半十句のはじめ二句は前半のつづきで、「対門の家」の夫婦仲のよいことが書かれています。ところが次の四句は韻字も「璅」と「坐」で換韻されています。意味的には後半のはじめ二句は後半の七句八句につながるもので、その中間の四句「春窓」から「薫香坐」までは異質な挿入句だというのです。この部分は「対門の家」の女性と王維との間に肉体関係があったことの表現であると、小林太市郎氏は解釈しています。
女性は王維に琵琶の曲を教えてあげようとでも言って誘ったのかも知れません。とすれば、女性はとんでもない曲を奏でてみせたことになります。思いもかけないことになってしまいましたが、王維は田舎から出てきた貧しい学生(がくしょう)に過ぎません。相手は趙飛燕(漢の成帝の皇后)や李夫人(漢の武帝の夫人)のような貴夫人の家に日ごと招かれ、華やかな生活をしています。王維はここで自分と夫婦の身分の差を強く意識して、越の西施(せいし)がいかに美人であろうとも、貧賎の身分で小川で紗を洗っているような状態では「誰か憐れまん」と、自分を西施と比較して悲観しています。
王維ー7
雑詩五首 其一 雑詩 五首 其の一
朝因折楊柳 朝に楊柳(ようりゅう)を折りしに因(よ)って
相見洛城隅 相見(あいまみ)えたり洛城の隅(ほとり)
楚国無如妾 楚国(そこく)も妾(しょう)に如(し)くは無く
秦家自有夫 秦家(しんか)に自ら夫(ふ)有り
対人伝玉腕 人に対して玉腕(ぎょくわん)を伝え
映竹解羅襦 竹を映して羅襦(らじゅ)を解きぬ
人見東方騎 人は東方の騎(き)を見て
皆言夫婿殊 皆言う 夫婿(ふせい)殊(しゅ)なりと
持謝金吾子 持謝(じしゃ)す 金吾(きんご)の子(こ)
煩君提玉壷 君を煩(わずらわ)す 玉壷(ぎょくこ)を提(さ)げよ
⊂訳⊃
あの朝 楊柳を折りに出たので
あなたと 洛陽の隅でお会いしました
楚国にも わたしに及ぶ美人はおりません
だから私は 秦家の夫を持つ身でございます
向き合って あなたに腕をからみつけ
青竹の色を映して 下着を脱ぎました
人々は東方の騎馬を見て 口々に
ご主人がとりわけ立派と申します
やめときましょう 金吾の坊や
あなたの方から 玉壷をかかげにいらっしゃい
⊂ものがたり⊃ 「雑詩」とは何となく題をつけにくいような、もしくは題をつけるまでもない詩といった意味合いですが、五首のうち、はじめの二首は「洛陽女児行」との関係が明瞭なので、ここで取り上げます。まず「洛城の隅」というのは長安の一隅のことで、地を移す手法です。架空の物語というポーズをとるのでしょう。全体は女性の作品のかたちを取っており、これも当時流行していた閨怨詩(けいえんし)の手法です。この場合は閨怨ではなく、事実を隠すために嘘っぽく装ったものと考えられます。
朝、楊柳を折りに出たらあなたと会いましたとなっていますが、これも本当だったかどうか、女性が柳の枝を折るのは旅に出る者の旅の安全を祈るためで、逆に言えば、夫が旅に出てしばらく留守をするのでひとり身ですよ、と誘惑の合図を送っているのかもしれないのです。女性は自分の美貌に自信を持っており、だから私には当然夫がいますと打ち明けています。
三聯目(第五句と六句)は女性が白い腕をからめつけてきて、「羅襦」(薄絹の下着)を脱いだという場面です。庭の竹の青色が白い肌に反映していたというのですから、情事は昼間のことで相手はもちろん王維です。四聯目(第七句と八句)は文脈としては二聯目(第三句と四句)につづく部分で、女性の夫自慢です。女性は夫に不満だからあなたと情を通じているのではないのですよと強調しているのでしょう。
最後の五聯目は女性自身の言葉になっています。王維がまた呼んでほしいとでも言ったのでしょうか。それに対して女性は「持謝す 金吾の子」と軽くいなして、あなたの方から玉壷を掲げにいらっしゃいと答えています。「玉壷」というのは女陰の隠語にほかなりません。
王維ー8
雑詩五首 其二 雑詩 五首 其の二
双燕初命子 双(つが)いの燕 初めて子を命(う)み
五桃新作花 五つの桃 新たに花作(さ)く
王昌是東舎 王昌は是(こ)れ東舎(とうしゃ)
宋玉次西家 宋玉の次(やど)るは西家(せいか)
小小能織綺 小小は能(よ)く綺(はた)を織り
時時出浣紗 時時(じじ)出でて紗(しゃ)を浣(あら)う
親労使君問 親労(しんろう)す 使君(しくん)の問(おとず)れ
南陌駐香車 香車(こうしゃ)を南陌(なんぱく)に駐(とど)めよ
⊂訳⊃
つがいの燕が はじめて子を生み
五本の桃の木に 新しい花が咲く
色男の王昌は 東の家
詩人の宋玉は 西隣りに住んでいる
小小は上手に機を織り
しばしば川に出て洗濯をする
使君よ わざわざお訪ねくださってご苦労ですが
車を停めて 南の小路でお待ちください
⊂ものがたり⊃ この詩も「洛陽女児行」と関係があるとみられます。まず、燕の巣づくりと桃の花によって春の訪れが描かれます。その家の東には「王昌」(おうしょう)が住んでおり、西隣りは「宋玉」(そうぎょく)の家です。二人とも好色の美男子として詩歌に名高い人物で、色事師に囲まれて危険この上もない環境が故事を借りて描かれます。「小小」(しょうしょう)は女性の家の小間使いの愛称とみられますが、錢塘(浙江省杭州市)の名妓とうたわれた蘇小小を連想させ、美少女であったに違いありません。小小は機(はた)を上手に織り、門前の小川に出て洗濯もする働き者です。
尾聯の二句は小小の言葉で、「使君」は州刺史(州の長官)の尊称です。「御苦労さん。わざわざお訪ねくださいましたが、車を南の小路に止めてしばらくお待ちください」と、小小は使君の入門を止めます。中には先客がいますので、待機を命ぜられたのです。女性の浮気の相手は王維だけではなかったのでしょうが、このとき女性といっしょに家の中にいたのは、王維ではなかったでしょうか。そんな感じのする詩です。
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