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漢詩を楽しもう

tiandaoの自由訳漢詩

ティェンタオの自由訳漢詩 杜甫163ー167

2010年04月12日 | Weblog
 杜甫ー163
   春夜喜雨           春夜 雨を喜ぶ

  好雨知時節     好雨(こうう)   時節(じせつ)を知り
  当春乃発生     春に当たって乃(すなわ)ち発生す
  随風潜入夜     風に随(したが)って潜(ひそ)かに夜に入り
  潤物細無声     物を潤(うるお)して細(こま)やかにして声無し
  野径雲倶黒     野径(やけい)  雲と倶(とも)に黒く
  江船火独明     江船(こうせん) 火 独り明らかなり
  暁看紅湿処     暁(あかつき)に紅(くれない)の湿れる処を看(み)れば
  花重錦官城     花は錦官城(きんかんじょう)に重からん

  ⊂訳⊃
          よい雨は   降るべき時節をわきまえており
          春になれば  時期をたがえずに降ってくる
          風のまにまに     そっと闇夜にまぎれこみ
          細やかに音もなく   万物の渇きをいやす
          野原の小径は    黒雲におおわれて暗く
          川舟の漁火だけが  闇夜に赤く燃えている
          明け方の光の中で  紅の濡れたあたりを見れば
          花は重たく  錦官城に垂れているだろう


 ⊂ものがたり⊃ 杜甫は「吾が道」如何にあるべきかについて、いろいろと動揺することもあったようです。そんな悩みを吹き払うように詩作にはげみます。そんなとき、杜甫の詩人の魂は鋭く耳を澄まし、自然の計り知れない営みに目を凝らすのでした。
 詩は万物に恵みをもたらす春の雨が、時間の経過を追って細かく描かれます。はじめの四句は家の窓から夜の雨を眺めているのでしょう。頷聯の「風に随って潜かに夜に入り 物を潤して細やかにして声無し」の二句には、杜甫の「幽興」の思想が盛り込まれていると見ていいでしょう。
 後半四句のうち頚聯では、杜甫は外出して川岸から夜景を見ています。漁火(いさりび)の紅い火が印象的に描かれています。尾聯の二句では、「暁に紅の湿れる処を看れば 花は錦官城に重からん」と翌朝の雨後の城内を想像していますが、どこか底知れない不安が忍び寄っているのを感じます。

 杜甫ー164
   茅屋為秋風所破歌       茅屋 秋風の破る所と為るの歌

  八月秋高風怒号    八月  秋高くして風は怒号(どごう)し
  巻我屋上三重茅    我が屋上の三重(さんちょう)の茅(かや)を巻く
  茅飛度江灑江郊    茅は飛んで江を度(わた)り  江郊(こうこう)に灑(そそ)ぎ
  高者掛罥長林梢    高き者は長林(ちょうりん)の梢に掛罥(かいけん)し
  下者飄転沈塘坳    下(ひく)き者は飄転(ひょうてん)して塘坳(とうおう)に沈む
  南村群童欺我老無力 南村(なんそん)の群童 我が老いて力無きを欺(あなど)り
  忍能対面為盗賊    忍んで能(よ)く対面して盗賊を為(な)し
  公然抱茅入竹去    公然  茅を抱(いだ)きて竹に入りて去る
  脣焦口燥呼不得    脣は焦(こ)げ  口は燥(かわ)き  呼べども得ず
  帰来倚杖自嘆息    帰り来たり  杖に倚(よ)って自(おのずか)ら嘆息す
  俄頃風定雲墨色    俄頃(がけい)    風定まって雲は墨色(ぼくしょく)
  秋天漠漠向昏黒    秋天(しゅうてん) 漠漠として昏黒(こんこく)に向かう
  布衾多年冷似鉄    布衾(ふきん)   多年  冷やかなること鉄に似たり
  驕児悪臥踏裏裂    驕児(きょうじ)   悪臥(あくが)して裏を踏んで裂く
  牀頭屋漏無乾処    牀頭(しょうとう)  屋(おく)漏りて乾処(かんしょ)無く
  雨脚如麻未断絶    雨脚(うきゃく)   麻の如くにして未だ断絶せず
  自経喪乱少睡眠    喪乱(そうらん)を経(へ)て自(よ)り睡眠少なく
  長夜沾湿何由徹    長夜(ちょうや)  沾湿(てんしつ) 何に由ってか徹せん
  安得広廈千万間    安(いずく)にか広廈(こうか)の千万間(せんばんげん)なるを得て
  大庇天下寒士倶歓顔 大いに天下の寒士を庇(おお)いて  倶に顔(かんばせ)を歓ばしめ
  風雨不動安如山    風雨(ふうう)にも動かず  安らかなること山の如くなるを
  嗚呼何時眼前突兀見此屋 嗚呼(ああ) 何れの時か眼前に突兀(とつこつ)として此の屋(おく)を見ば
  吾廬独破受凍死亦足 吾が廬(ろ)は独り破れて凍(とう)を受け  死すとも亦た足れり

  ⊂訳⊃
          八月  秋の空は高く  風は唸りをあげ
          三重の茅の屋根を巻き上げる
          川を飛び越えて  岸辺に落ち
          高く飛んだ茅は  林の梢にかかり
          低く飛んだ茅は  転がって溜め池に沈む
          南の村の悪童は 老人の無力をあなどり
          むごいことにも  面と向かって盗みをはたらき
          堂々と茅をかかえて  竹やぶに逃げる
          大声をあげ  声をからして叫ぶが効き目はなく
          あきらめて  杖に寄りかかって溜め息をつく
          やがて風は収まり  雲は墨を流したように黒く
          秋空は次第に暮れ  夕闇がせまる
          布団は使い古して  鉄板のように冷たく
          息子らは寝相が悪く 裏地を踏み破っている
          枕元は雨漏りして  乾いたところがなく
          雨は麻糸のように  降りつづいて止みそうもない
          乱世になって 寝不足がつづいているのに
          秋の夜長を  濡れたままで明かされようか
          どうにかして    千間万間もの邸宅を手に入れ
          天下の貧乏人を収容して 歓び合いたいものだ
          風雨にも動かず  山のようにどっしりしている
          そんな家が    いつの日か眼前に聳え立つならば
          わが家は破れて 凍え死んでもしまっても満足だ


 ⊂ものがたり⊃ 上元二年(761)の春三月、大燕皇帝史思明は後嗣のもつれから息子の史朝義(しちょうぎ)に殺されました。賊の内紛は攻撃のチャンスですが、唐朝の側も問題をかかえていました。地方に対する政府の統制がゆるんでいたのです。
 この年の夏四月、梓州(ししゅう:四川省三台県)の刺史段子璋(だんししょう)が叛乱を起こし、東川節度使を追い払って独立のかまえをみせました。西川節度使・成都尹の崔光遠(さいこうえん)は武将の花敬定(かけいてい)を討伐に差し向け、花敬定は段子璋を斬って叛乱を鎮めました。しかし今度は、花敬定自身が現地で略奪を働くようになり、東川地域は大いに乱れました。
 乱は西川地域の成都に及ぶものではありませんでしたが、秋八月になって暴風雨が成都を襲いました。詩のはじめの十句は、風が杜甫の草堂の茅葺き屋根を吹き飛ばし、飛ばされた茅は村の悪童に持ち去られて茫然としているさまです。
 中八句で杜甫は、暴風雨が去った後の草堂のようすを詳しく描きます。まだ小雨が降りつづいており、小屋はいたるところ雨漏りで、枕元まで濡れています。乱世になって寝不足がつづいているのに暴風雨までが襲い、このありさまだと嘆くのです。
 この七言古詩は、七言より多い句を含んでおり、几帳面な杜甫としては珍しいことです。即興的に作り、また七言では納まりきれないものがあったのでしょう。最後の五句では、杜甫は一転して「天下寒士」に思いを致します。
 自分の不幸を他人と結びつけ、他の不幸をおもいやる。杜甫の人間味のある部分が示されている詩として、しばしば引用される部分です。

 杜甫ー167
    百憂集行             百憂集の行

  憶年十五心尚孩   憶う  年十五にして心(こころ)尚お孩(がい)に
  健如黄犢走復来   健なること黄犢(こうとく)の如く  走って復(ま)た来たる
  庭前八月梨棗熟   庭前  八月  梨棗(りそう)熟すれば
  一日上樹能千迴   一日  樹(じゅ)に上ること能(よ)く千迴(せんかい)す
  即今倐忽已五十   即今  倐忽(しゅくこつ)にして已(すで)に五十
  坐臥只多少行立   坐臥(ざが)のみ只だ多くして行立(こうりゅう)少(まれ)なり
  強将笑語供主人   強(し)いて笑語(しょうご)を将(もっ)て主人に供し
  悲見生涯百憂集   悲しみ見る  生涯に百憂(ひゃくゆう)の集まるを
  入門依旧四壁空   門に入れば  旧に依って四壁(しへき)空(むな)し
  老妻覩我顔色同   老妻の我を覩(み)る  顔色(がんしょく)同じ
  痴児未知父子礼   痴児(ちじ)は未だ父子(ふし)の礼を知らず
  叫怒索飯啼門東   叫怒(きょうど)して飯(はん)を索(もと)め  門東に啼く

  ⊂訳⊃
          思えば十五歳のころは  無邪気なものである
          黄牛のように元気で   走りまわっていた
          八月に  庭先の梨や棗(なつめ)が熟すると
          一日に  千回くらいは登ったものだ
          しかしいまは  あっというまに五十歳になり
          坐ったり寝たりの生活  立って歩くのも稀になった
          つまらぬ冗談を言って   無理に援助者に対しているが
          生涯のすべての憂いが  寄せてくるのを悲しく眺める
          門を入れば四方の壁は  がらんとして何もない
          老妻は私を顧みるが   ふたりとも冴えない顔色だ
          愚かな子供らは      親と子の礼儀をわきまえず
          腹が減ったと喚き立て   門の東で泣いている


 ⊂ものがたり⊃ 風で屋根が吹き飛ぶような災害にあい、屋根の修理だけはなんとかできたようです。そんななか秋の果物は実をつけ、杜甫はそれを見上げながら、洛陽の「おば」二姑(アルクー)の家で暮らした十五歳のころを思い出します。
 元気だった昔もあっという間に過ぎ去り、いまは五十歳になって坐ったり寝たりの生活であると、杜甫は人生の過ぎゆく時のはやさを嘆くのでした。
 杜甫は疾がちでもありました。「強いて笑語を将て主人に供し」と言っていますが、「笑語…」というのは作り笑いをし、冗談を言いながら主人のご機嫌をとることです。杜甫はそんな暮らしをしている自分がみじめで、生涯のすべてのことが悲しくなってきます。「主人」というのは成都尹の崔光遠(さいこうえん)など援助者のことでしょう。
 屋根は修理できても、家のなかは四方に壁があるだけで家具らしいものは何もありません。妻も浮かない顔をしているし、子供たちは腹をすかして泣きわめいています。「百憂集の行」(ひゃくゆうしゅうのうた)とは、そんな生活の困窮状態を詠う悲しい詩です。 

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