白居易ー145
西湖晩帰回望 西湖より晩に帰り孤山寺
孤山寺贈諸客 を回望して諸客に贈る
柳湖松島蓮花寺 柳湖(りゅうこ) 松島(しょうとう) 蓮花(れんか)の寺
晩動帰橈出道場 晩(くれ)に帰橈(きじょう)を動かして道場を出ず
盧橘子低山雨重 盧橘(ろきつ) 子(み)は低(た)れて山雨(さんう)重く
棕櫚葉戦水風涼 棕櫚(しゅろ) 葉は戦(そよ)いで水風(すいふう)涼し
煙波澹蕩揺空碧 煙波(えんぱ) 澹蕩(たんとう)して空碧(くうへき)を揺らし
楼殿参差倚夕陽 楼殿 参差(しんし)として夕陽(せきよう)に倚(よ)る
到岸請君回首望 岸に到りて君に請う 首(こうべ)を回(めぐ)らして望むを
蓬莱宮在海中央 蓬莱宮(ほうらいきゅう)は海の中央に在り
⊂訳⊃
西湖に柳 小島に松 蓮の花咲く寺があり
日暮れに櫂を動かして 道場をあとにする
山に枇杷の実 雨に濡れて重たげに垂れ
棕櫚の葉陰を 風は涼しげに吹いてゆく
靄は静かに流れ 水の碧さをゆらめかせ
あまたの堂塔は 夕陽に映えて重なり合う
岸辺に着いたら どうか振り向いて眺めてほしい
海のただなかに 蓬莱宮をみるであろう
⊂ものがたり⊃ 西湖の北岸近くに高さ38mの孤山という小島がありました。その島に永福寺という南朝陳の時代に建てられた寺があって、「孤山寺」(こざんじ)とも言われていました。
詩の前半で白居易は島にいて、日暮れに舟で帰途に着きます。「盧橘」は金柑もしくは枇杷のことで、黄色の実が雨に濡れて重そうに垂れています。だから季節は仲夏五月のころでしょう。白居易が杭州で夏を過ごすのは長慶三年だけです。
孤山は現在、白堤で陸地とつながっており、この堤は白居易が築造したという伝えがあります。堤は治水のために作られたもので、県城から行き来するには舟で湖上をゆくのが便利であったようです。
後半で白居易は舟で湖上に出ています。丁度夕暮れ時で、湖上から西北の方、孤山をふりかえると「楼殿」(ろうでん)は日没の逆光を受けて黒く重なり合ってみえます。その向こうには茜色に彩られた夕空があり、まるで海のただなかに蓬莱宮があるのをみるようだと詠い、客人たちに贈りました。
白居易ー146
酔封詩筒寄微之 酔うて詩筒を封じ 微之に寄す
一生休戚与窮通 一生の休戚(きゅうせき)と窮通(きゅうつう)と
処処相随事事同 処処(しょしょ)相随いて 事事(じじ)同じ
未死又隣滄海郡 未だ死せずして又た滄海郡(そうかいぐん)に隣(となり)し
無児倶作白頭翁 児(じ)無くして倶(とも)に白頭の翁(おう)と作(な)る
展眉只仰三杯後 眉を展(の)べ 只だ仰ぐ三杯の後(のち)
代面唯憑五字中 面(めん)に代え 唯だ憑(たの)む五字の中(うち)
為向両州郵吏道 為に両州の郵吏(ゆうり)に向かいて道(い)う
莫辞来去逓詩筒 来去(らいきょ)して詩筒を逓(てい)するを辞する莫(なか)れ
⊂訳⊃
人生の喜びや悲しみ 幸せと不幸
場所は違っても 事は互いに同じであった
まだ死にもせず 海辺の郡に隣り合って住み
息子もいなくて 共に白髪の翁となる
愁いを払うため 三杯の酒を飲んでから
面会の代わりに 五言の詩で慰め合う
だから言っておく 両州を結ぶ郵便の吏よ
詩筒の送り届けを 嫌わないでほしいのだ
⊂ものがたり⊃ 杭州地方は長慶二年の秋に旱魃に見舞われましたが、三年夏にも旱害が発生しました。白居易は刺史の務めとして雨乞いの祈りをしましたが、そうした伝統の行事が解決にはつながらないことも自覚していました。そこで孤山と湖岸を堰堤で結んで、灌漑用の水を確保する計画を考えました。
そんな秋八月、同州刺史の元稹が越州(浙江省紹興市)刺史・浙東観察使になって転勤してくるという報せが飛び込んできました。元稹は長江を下って十月に着任しましたが、その途中、杭州に立ち寄ります。二人は三晩を共に過ごし、おおいに政事や文学について語り合ったことでしょう。
西湖の一部を仕切る工事は井戸水への影響を懸念する反対意見もあったのですが、白居易は元稹の到着を待つあいだに、農耕のためには必要な工事であることを主張して反対者を説得していました。そんなことも元稹との話題になったと思います。
元稹は越州へ発って行きましたが、越州州治のある山陰県は銭塘江をはさんで東南に30km弱しか離れていません。しかし、州刺史はみだりに州外に出てはならない定めでしたので、以後二人は、作品を郵便で送り合い、詩文の交換をします。
白居易ー147
春題湖上 春 湖上に題す
湖上春来似画図 湖上(こじょう)春来たりて 画図(がと)に似たり
乱峰囲繞水平鋪 乱峰(らんぽう)囲繞(いじょう)して 水平らかに鋪(し)く
松排山面千重翠 松は山面を排して 千重(せんちょう)の翠(みどり)
月点波心一顆珠 月は波心に点じて 一顆(いっか)の珠(たま)
碧毬線頭抽早稲 碧毬(へきたん)の線頭(せんとう)は 早稲(そうとう)を抽(ぬ)き
青羅裙帯展新蒲 青羅(せいら)の裙帯(くんたい)は 新蒲(しんぽ)を展(の)ぶ
未能抛得杭州去 未だ杭州を抛(なげう)ち得て去る能(あた)わず
一半勾留是此湖 一半勾留(こうりゅう)するは 是(こ)れ此の湖(みずうみ)
⊂訳⊃
西湖に春がやって来て 絵のように美しい
重なる峰に囲まれて 湖水は平らかである
松は山腹に並び立ち 幾重もの緑色
月は湖に影を落とし 一粒の真珠のようだ
絨毯の毛先かと思う緑は 早稲の穂先
羅の帯かと見える青色は 蒲の新芽だ
杭州を投げ捨てて 立ち去ることができないのは
半ばは この湖があるからだ
⊂ものがたり⊃ 住民を使う土木工事は農閑期の冬に行うのが通常ですので、堰堤の工事は長慶三年の冬には始められたでしょう。白居易はやがて杭州で二度目の春を迎えます。春に刺史の任期が来るのは分かっていましたので、任期中に工事を終わらせようと思っていたはずです。任期は絶対ですが、白居易は春の西湖の美しさに魅せられて、去りがたい思いを抱いています。
白居易ー148
銭塘湖春行 銭塘湖 春行
孤山寺北賈亭西 孤山寺(こざんじ)の北 賈亭(かてい)の西
水面初平雲脚低 水面初めて平らかにして雲脚(うんきゃく)低(た)る
幾処早鶯争暖樹 幾処(いくしょ)の早鶯(そうおう)か 暖樹(だんじゅ)を争い
誰家新燕啄春泥 誰が家の新燕(しんえん)か 春泥(しゅんでい)を啄(ついば)む
乱花漸欲迷人眼 乱花(らんか) 漸く人眼(じんがん)を迷わさんと欲し
浅草纔能没馬蹄 浅草(せんそう) 纔(わず)かに能(よ)く馬蹄を没す
最愛湖東行不足 最も湖東(ことう)を愛し 行けども足らず
緑楊陰裡白沙堤 緑楊陰裡(りょくよういんり) 白沙堤(はくさてい)
⊂訳⊃
孤山寺の北 賈公亭の西
湖面はようやく穏やかになり 雲が垂れこめる
鶯が 樹々の日だまりで初音を競い
どの家の燕だろうか 春の泥をついばんでゆく
花は乱れて 人の目を迷わすほどに咲きはじめ
草の新芽は 馬蹄を隠すほどに伸びてきた
湖の東が好きになり どこまで行っても飽きることがない
なかでも楊柳(やなぎ) 緑の木陰と白沙の堤
⊂ものがたり⊃ 堰堤の工事が完成に近づいた正月の二十二日に、都では穆宗が三十歳の若さで病死しました。二十六日には皇太子李湛が即位して敬宗となりますが、十七歳になったばかりの少年でした。
大喪が発せられますが、白居易は任期中に堰堤を完成させるために仕上げを急ぎ、二月には完成したと思います。堤上には楊柳(ようりゅう)を植えて、あたりの景観と調和するように配慮しました。新堤は白沙堤と名づけられ、白居易は孤山寺の北、賈公亭(かこうてい)の西のあたりを飽きずに歩きまわるのでした。
白居易ー149
西湖留別 西湖留別
征途行色慘風煙 征途(せいと)の行色(こうしょく) 風煙(ふうえん)慘たり
祖帳離声咽管絃 祖帳(そちょう)の離声(りせい) 管絃咽(むせ)ぶ
翠黛不須留五馬 翠黛(すいたい)は須(もち)いざれ 五馬(ごば)を留むるを
皇恩只許住三年 皇恩(こうおん)は只だ許す 三年を住するを
緑藤陰下鋪歌席 緑藤陰下(りょくとういんか) 歌席を鋪(し)き
紅藕花中泊妓船 紅藕花中(こうぐうかちゅう) 妓船を泊(はく)す
処処迴頭尽堪恋 処処(しょしょ) 頭(こうべ)を迴らせば尽く恋うるに堪えたり
就中難別是湖辺 就中(なかんずく) 別れ難きは是れ湖辺
⊂訳⊃
旅立ちの風景は 漂う靄もいたましく
別れの宴の歌声 管絃はもの悲しく咽び泣く
緑の山よ 刺史の車を引き止めるのはやめたがよい
天子が下されたのは 三年間の任期だけ
思えば 藤の木蔭で宴会を催し
蓮の花咲く湖で 妓女たちと船で遊んだ
見わたせば いずこも恋しい場所ばかり
なかでも別れがたいのは 西湖のほとりの美しさ
⊂ものがたり⊃ 三月に杭州刺史の任期が来て、白居易は太子左庶子(正四品上)分司東都に任ぜられ、洛陽勤務を命じられます。太子左庶子は東宮官で、もともと閑職であるうえ、分司東都は長安と同じ職を洛陽にも併置するもので、さらに閑職です。ただし、品階は中級の州の刺史と同じですので左遷ではありません。
詩人刺史との別れを惜しんで、杭州では連日のように送別の宴が催されました。白居易は留別の詩(送られる者が送る者に贈る詩)を書き、「就中 別れ難きは是れ湖辺」と詠いました。
白居易ー150
別州民 州民に別る
耆老遮帰路 耆老(きろう)は帰路を遮(さえぎ)り
壺漿満別筵 壺漿(こしょう)は別筵(べつえん)に満つ
甘棠無一樹 甘棠(かんとう) 一樹(いちじゅ)だも無く
那得泪潸然 那(いか)んぞ泪(なみだ)潸然(さんぜん)たるを得ん
税重多貧戸 税重く 貧戸(ひんこ)多く
農飢足旱田 農飢え 旱田(かんでん)足(おお)し
唯留一湖水 唯(た)だ一湖水を留(とど)め
与汝救荒年 汝(なんじ)に与えて荒年(こうねん)を救わん
⊂訳⊃
長老たちは 別れを惜しみ
別れの宴は 酒でにぎわった
善政らしい事も していないのに
どうして彼らは 涙を流すのか
税金は重くて 貧しい家が多い
農民は飢えに苦しみ旱魃に悩む
そこで堤を築き 水を貯え
不作の備えにしてやった
⊂ものがたり⊃ 白居易は農民からも慕われており、「耆老」(農民の長老)たちが送別の宴を催してくれました。詩中の「遮帰路」は清廉な役人が去るのを惜しむ言葉です。「甘棠」はカタナシという木のことで、周の召公がその木の下で休憩した故事から善政の象徴とされていました。白居易は善政らしいこともせず、ただ堰堤を築いてやっただけなのに、どうしてこんなに感謝されるのかと、農民の苦しみに心を寄せています。
西湖晩帰回望 西湖より晩に帰り孤山寺
孤山寺贈諸客 を回望して諸客に贈る
柳湖松島蓮花寺 柳湖(りゅうこ) 松島(しょうとう) 蓮花(れんか)の寺
晩動帰橈出道場 晩(くれ)に帰橈(きじょう)を動かして道場を出ず
盧橘子低山雨重 盧橘(ろきつ) 子(み)は低(た)れて山雨(さんう)重く
棕櫚葉戦水風涼 棕櫚(しゅろ) 葉は戦(そよ)いで水風(すいふう)涼し
煙波澹蕩揺空碧 煙波(えんぱ) 澹蕩(たんとう)して空碧(くうへき)を揺らし
楼殿参差倚夕陽 楼殿 参差(しんし)として夕陽(せきよう)に倚(よ)る
到岸請君回首望 岸に到りて君に請う 首(こうべ)を回(めぐ)らして望むを
蓬莱宮在海中央 蓬莱宮(ほうらいきゅう)は海の中央に在り
⊂訳⊃
西湖に柳 小島に松 蓮の花咲く寺があり
日暮れに櫂を動かして 道場をあとにする
山に枇杷の実 雨に濡れて重たげに垂れ
棕櫚の葉陰を 風は涼しげに吹いてゆく
靄は静かに流れ 水の碧さをゆらめかせ
あまたの堂塔は 夕陽に映えて重なり合う
岸辺に着いたら どうか振り向いて眺めてほしい
海のただなかに 蓬莱宮をみるであろう
⊂ものがたり⊃ 西湖の北岸近くに高さ38mの孤山という小島がありました。その島に永福寺という南朝陳の時代に建てられた寺があって、「孤山寺」(こざんじ)とも言われていました。
詩の前半で白居易は島にいて、日暮れに舟で帰途に着きます。「盧橘」は金柑もしくは枇杷のことで、黄色の実が雨に濡れて重そうに垂れています。だから季節は仲夏五月のころでしょう。白居易が杭州で夏を過ごすのは長慶三年だけです。
孤山は現在、白堤で陸地とつながっており、この堤は白居易が築造したという伝えがあります。堤は治水のために作られたもので、県城から行き来するには舟で湖上をゆくのが便利であったようです。
後半で白居易は舟で湖上に出ています。丁度夕暮れ時で、湖上から西北の方、孤山をふりかえると「楼殿」(ろうでん)は日没の逆光を受けて黒く重なり合ってみえます。その向こうには茜色に彩られた夕空があり、まるで海のただなかに蓬莱宮があるのをみるようだと詠い、客人たちに贈りました。
白居易ー146
酔封詩筒寄微之 酔うて詩筒を封じ 微之に寄す
一生休戚与窮通 一生の休戚(きゅうせき)と窮通(きゅうつう)と
処処相随事事同 処処(しょしょ)相随いて 事事(じじ)同じ
未死又隣滄海郡 未だ死せずして又た滄海郡(そうかいぐん)に隣(となり)し
無児倶作白頭翁 児(じ)無くして倶(とも)に白頭の翁(おう)と作(な)る
展眉只仰三杯後 眉を展(の)べ 只だ仰ぐ三杯の後(のち)
代面唯憑五字中 面(めん)に代え 唯だ憑(たの)む五字の中(うち)
為向両州郵吏道 為に両州の郵吏(ゆうり)に向かいて道(い)う
莫辞来去逓詩筒 来去(らいきょ)して詩筒を逓(てい)するを辞する莫(なか)れ
⊂訳⊃
人生の喜びや悲しみ 幸せと不幸
場所は違っても 事は互いに同じであった
まだ死にもせず 海辺の郡に隣り合って住み
息子もいなくて 共に白髪の翁となる
愁いを払うため 三杯の酒を飲んでから
面会の代わりに 五言の詩で慰め合う
だから言っておく 両州を結ぶ郵便の吏よ
詩筒の送り届けを 嫌わないでほしいのだ
⊂ものがたり⊃ 杭州地方は長慶二年の秋に旱魃に見舞われましたが、三年夏にも旱害が発生しました。白居易は刺史の務めとして雨乞いの祈りをしましたが、そうした伝統の行事が解決にはつながらないことも自覚していました。そこで孤山と湖岸を堰堤で結んで、灌漑用の水を確保する計画を考えました。
そんな秋八月、同州刺史の元稹が越州(浙江省紹興市)刺史・浙東観察使になって転勤してくるという報せが飛び込んできました。元稹は長江を下って十月に着任しましたが、その途中、杭州に立ち寄ります。二人は三晩を共に過ごし、おおいに政事や文学について語り合ったことでしょう。
西湖の一部を仕切る工事は井戸水への影響を懸念する反対意見もあったのですが、白居易は元稹の到着を待つあいだに、農耕のためには必要な工事であることを主張して反対者を説得していました。そんなことも元稹との話題になったと思います。
元稹は越州へ発って行きましたが、越州州治のある山陰県は銭塘江をはさんで東南に30km弱しか離れていません。しかし、州刺史はみだりに州外に出てはならない定めでしたので、以後二人は、作品を郵便で送り合い、詩文の交換をします。
白居易ー147
春題湖上 春 湖上に題す
湖上春来似画図 湖上(こじょう)春来たりて 画図(がと)に似たり
乱峰囲繞水平鋪 乱峰(らんぽう)囲繞(いじょう)して 水平らかに鋪(し)く
松排山面千重翠 松は山面を排して 千重(せんちょう)の翠(みどり)
月点波心一顆珠 月は波心に点じて 一顆(いっか)の珠(たま)
碧毬線頭抽早稲 碧毬(へきたん)の線頭(せんとう)は 早稲(そうとう)を抽(ぬ)き
青羅裙帯展新蒲 青羅(せいら)の裙帯(くんたい)は 新蒲(しんぽ)を展(の)ぶ
未能抛得杭州去 未だ杭州を抛(なげう)ち得て去る能(あた)わず
一半勾留是此湖 一半勾留(こうりゅう)するは 是(こ)れ此の湖(みずうみ)
⊂訳⊃
西湖に春がやって来て 絵のように美しい
重なる峰に囲まれて 湖水は平らかである
松は山腹に並び立ち 幾重もの緑色
月は湖に影を落とし 一粒の真珠のようだ
絨毯の毛先かと思う緑は 早稲の穂先
羅の帯かと見える青色は 蒲の新芽だ
杭州を投げ捨てて 立ち去ることができないのは
半ばは この湖があるからだ
⊂ものがたり⊃ 住民を使う土木工事は農閑期の冬に行うのが通常ですので、堰堤の工事は長慶三年の冬には始められたでしょう。白居易はやがて杭州で二度目の春を迎えます。春に刺史の任期が来るのは分かっていましたので、任期中に工事を終わらせようと思っていたはずです。任期は絶対ですが、白居易は春の西湖の美しさに魅せられて、去りがたい思いを抱いています。
白居易ー148
銭塘湖春行 銭塘湖 春行
孤山寺北賈亭西 孤山寺(こざんじ)の北 賈亭(かてい)の西
水面初平雲脚低 水面初めて平らかにして雲脚(うんきゃく)低(た)る
幾処早鶯争暖樹 幾処(いくしょ)の早鶯(そうおう)か 暖樹(だんじゅ)を争い
誰家新燕啄春泥 誰が家の新燕(しんえん)か 春泥(しゅんでい)を啄(ついば)む
乱花漸欲迷人眼 乱花(らんか) 漸く人眼(じんがん)を迷わさんと欲し
浅草纔能没馬蹄 浅草(せんそう) 纔(わず)かに能(よ)く馬蹄を没す
最愛湖東行不足 最も湖東(ことう)を愛し 行けども足らず
緑楊陰裡白沙堤 緑楊陰裡(りょくよういんり) 白沙堤(はくさてい)
⊂訳⊃
孤山寺の北 賈公亭の西
湖面はようやく穏やかになり 雲が垂れこめる
鶯が 樹々の日だまりで初音を競い
どの家の燕だろうか 春の泥をついばんでゆく
花は乱れて 人の目を迷わすほどに咲きはじめ
草の新芽は 馬蹄を隠すほどに伸びてきた
湖の東が好きになり どこまで行っても飽きることがない
なかでも楊柳(やなぎ) 緑の木陰と白沙の堤
⊂ものがたり⊃ 堰堤の工事が完成に近づいた正月の二十二日に、都では穆宗が三十歳の若さで病死しました。二十六日には皇太子李湛が即位して敬宗となりますが、十七歳になったばかりの少年でした。
大喪が発せられますが、白居易は任期中に堰堤を完成させるために仕上げを急ぎ、二月には完成したと思います。堤上には楊柳(ようりゅう)を植えて、あたりの景観と調和するように配慮しました。新堤は白沙堤と名づけられ、白居易は孤山寺の北、賈公亭(かこうてい)の西のあたりを飽きずに歩きまわるのでした。
白居易ー149
西湖留別 西湖留別
征途行色慘風煙 征途(せいと)の行色(こうしょく) 風煙(ふうえん)慘たり
祖帳離声咽管絃 祖帳(そちょう)の離声(りせい) 管絃咽(むせ)ぶ
翠黛不須留五馬 翠黛(すいたい)は須(もち)いざれ 五馬(ごば)を留むるを
皇恩只許住三年 皇恩(こうおん)は只だ許す 三年を住するを
緑藤陰下鋪歌席 緑藤陰下(りょくとういんか) 歌席を鋪(し)き
紅藕花中泊妓船 紅藕花中(こうぐうかちゅう) 妓船を泊(はく)す
処処迴頭尽堪恋 処処(しょしょ) 頭(こうべ)を迴らせば尽く恋うるに堪えたり
就中難別是湖辺 就中(なかんずく) 別れ難きは是れ湖辺
⊂訳⊃
旅立ちの風景は 漂う靄もいたましく
別れの宴の歌声 管絃はもの悲しく咽び泣く
緑の山よ 刺史の車を引き止めるのはやめたがよい
天子が下されたのは 三年間の任期だけ
思えば 藤の木蔭で宴会を催し
蓮の花咲く湖で 妓女たちと船で遊んだ
見わたせば いずこも恋しい場所ばかり
なかでも別れがたいのは 西湖のほとりの美しさ
⊂ものがたり⊃ 三月に杭州刺史の任期が来て、白居易は太子左庶子(正四品上)分司東都に任ぜられ、洛陽勤務を命じられます。太子左庶子は東宮官で、もともと閑職であるうえ、分司東都は長安と同じ職を洛陽にも併置するもので、さらに閑職です。ただし、品階は中級の州の刺史と同じですので左遷ではありません。
詩人刺史との別れを惜しんで、杭州では連日のように送別の宴が催されました。白居易は留別の詩(送られる者が送る者に贈る詩)を書き、「就中 別れ難きは是れ湖辺」と詠いました。
白居易ー150
別州民 州民に別る
耆老遮帰路 耆老(きろう)は帰路を遮(さえぎ)り
壺漿満別筵 壺漿(こしょう)は別筵(べつえん)に満つ
甘棠無一樹 甘棠(かんとう) 一樹(いちじゅ)だも無く
那得泪潸然 那(いか)んぞ泪(なみだ)潸然(さんぜん)たるを得ん
税重多貧戸 税重く 貧戸(ひんこ)多く
農飢足旱田 農飢え 旱田(かんでん)足(おお)し
唯留一湖水 唯(た)だ一湖水を留(とど)め
与汝救荒年 汝(なんじ)に与えて荒年(こうねん)を救わん
⊂訳⊃
長老たちは 別れを惜しみ
別れの宴は 酒でにぎわった
善政らしい事も していないのに
どうして彼らは 涙を流すのか
税金は重くて 貧しい家が多い
農民は飢えに苦しみ旱魃に悩む
そこで堤を築き 水を貯え
不作の備えにしてやった
⊂ものがたり⊃ 白居易は農民からも慕われており、「耆老」(農民の長老)たちが送別の宴を催してくれました。詩中の「遮帰路」は清廉な役人が去るのを惜しむ言葉です。「甘棠」はカタナシという木のことで、周の召公がその木の下で休憩した故事から善政の象徴とされていました。白居易は善政らしいこともせず、ただ堰堤を築いてやっただけなのに、どうしてこんなに感謝されるのかと、農民の苦しみに心を寄せています。
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