発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

人生迷い道っ その3 やんちゃ者たちはどこへ行く

2016年04月08日 | 日記
◆JUST AS PLANNED
 人生は計画通りには行かない。
 「計画通り」といえば、漫画「DEATH NOTE」の第7巻、夜神月のこわい顔を思い出す(見たことない人、知らない人は「計画通り」で画像検索してね。同じ絵が山ほど出て来るから)が、英語版コミックでは「JUST AS PLANNED」と訳してある。計画を立てて遂行するにしても「新世界の神になる」などと、ろくでもない計画だと、残りの5巻でぶざまな破滅に到ることになるわけだが。
 偶然の事故だとか、運不運だとかは差し引いて考えるとして。
 政界進出しようとしているのに、身辺を慎まない(その道を閉ざしたあげく、仕事を大幅に減らしただろう)とか、オリンピック強化選手なのに、違法賭博場に出入りする(試合に出れなくなるどころか、会社を解雇されるかもしれない)とか、なぜ、行きたいと思っている方向とは全然違う方向に行こうとするのか。計画以前の問題に思える。
 最近のこの2件については、不運よりも、あからさまな当人の選択の誤りが招いたものだと思う。しかも、ガラポン抽選のような、どの目が出るかわからない選択ではなく、そりゃバレたら100%ダメだろという道を選んでいるのだ。
 人間って不思議ね。
 他人から見るととてもわかりやすい間違った道が、当人からは見えなかったらしいというのが不思議であるが、「傍目八目」という言葉もある。痩せたいと思ってるのに食べちゃってる(ギクッ)とかいうのは、その初歩の初歩である。もって他山の石とすべし。
 飲酒運転や薬物に手を出すのは、きっとその人は死にたかったのだ、自分は死にたくはないことをきちんと自覚してなかったのだ、と以前書いたが、なぜ人は行きたくない場所にわざわざ自分を連れて行こうとすることがあるのか、これからも考えて行きたいと思う。

◆「やんちゃだった」ですと?
 ちなみに、今回違法カジノに出入りしていたバドミントン選手2人について「バドミントン関係者は『昔から2人はやんちゃだった』と話した」(日刊スポーツ)と書いてあったが、私はここ数年あちこちで見聞きする、この「やんちゃ」という言葉の使われ方が好きではないというか嫌いだ。
 さきの引用のように
「昔はやんちゃだった」
 という文脈で使用されることが多いが、その「やんちゃ」だった当人の過去当時の実年齢は、幼稚園や小学校のことではなく、近頃は、中学、高校、下手すると20代前半までのことを指すことが多いのである。そしてそのやんちゃぶりも、シャレにならない、つまり非行・犯罪がらみのときに、この表現がしばしば使われる。周囲の人々に迷惑をかける甘えん坊の不良のならず者っぷりを、許容するかのような表現ではないのか。罪を憎んで人を憎まずというが、他人の迷惑になる罪さえ軽くなる語感である。この2人の「やんちゃ」ぶりがどのようなものかわからないが、要するに、強かったからしょうしょうのことは許されたってことなのかな。「昔から2人はやんちゃだった」ということは今も引き続きということで、その結果が今回のこと、ということであれば、事態は深刻である。


 
コメント
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