7月15日(旧暦6月12日 干支=戊戌 九星=二黒 六曜=大安)
おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。
正直、昨日のブログは手抜きでした。
黒船来航や廃藩置県などの記念日にあたっていましたので、書き始めると何時間時間を取られるかわからず、つい見て見ぬふりをしてしまいました。
ブログに続いて、フェイスブックをするようになって、ようやく両者の使い分けに慣れてきました。
フェイスブックは仕事や街中、イベント参加などをしている際、その瞬間に感じたことをシェアしたり、あるいは流れる情報を拾い上げるといった使い方をしています。
ブログは、感じたことや思っていること、興味のあることを深く掘り下げたり、自身の知識を広げるため(ほとんど忘れますが)に書いています。
見ていただく方に不調法しないよう、しっかりとした文章を作りたいと思います。
さて、私は今月誕生日を迎えました。
私は1978年(昭和53年)生まれですので、38歳になりました。
もうすでに40を間近にして、不惑どころか、あらゆる誘惑に負け続けるという体たらくであり、本当にこれでいいのか、と思っています。
私の同学年や近い年齢の方々も、同様に年を取っているわけですが、気持ちとしては10代あたりから変わっていないと思いながら、あちこち痛いだの、健康診断がどうだの、という会話をするようになっています。
10代のころといえば、まもなく来る夏休みの時期や、何をして遊んだかを思い出します。
外へ行けば川に行ったり、橋の照明にやってくるカブトムシを捕まえたり、野球をしたり。
友達の家で漫画を読んだり、プラモを作ったり、プロレス技を掛け合ったり。
でも、我々の世代といえば、何といってもブラウン管の前に集まり、紅白の機械より発せられる音と映像の世界に夢中になり、昼夜を忘れて遊んでいました。
任天堂のゲーム機、ファミリーコンピューター、略してファミコンです。
今日は、1983年にファミコンが発売された日として、「ファミコンの日」という記念日になっています。
ファミコン本体とともに、交換用ソフトの「ドンキーコング」「ドンキーコングJR」「ポパイ」が発売され、価格は本体が14,800円、ソフトは各4,500円でした。
ドンキーコングは当時、アーケードゲームとしてゲームセンターで人気を博しており、ファミコン版は減らされた面があったものの、それが家庭でできるということは、大きなセールスポイントでありました。
初期の本体のコントローラーは、ABボタンが四角いゴム製であり、後に丸いプラスチック製のものへと変更されました。
ドンキーコングの主人公は、ひげをはやし、赤い帽子とオーバーオール姿の「マリオ」でした。
この2年後、1985年9月13日に発売された「スーパーマリオブラザーズ」は、日本だけでなく世界で爆発的なヒット作となり、ファミコン本体の普及も進みました。
このソフトは、世界で4000万本以上を売り上げ、ギネスでも最も多く売られたゲームとして認定されました。
ファミコンの大ヒットした要因には、高い性能を持ちながら価格を抑えたこと、そして何といっても魅力的な多くのゲームソフトがそろっていたことが挙げられます。
「スターフォース」「ゼビウス」などのアーケード作品、ロールプレイングゲームの「ドラゴンクエスト」「ファイナルファンタジー」シリーズ、「F1」「テニス」「ファミスタ」などのスポーツゲームと、まさに何でもありといったラインナップでした。
アブラゼミやヒグラシなどが鳴く中、友達や親戚などで集まって、大騒ぎしながらコントローラーにしがみつく光景は、日本各地でも、あるいは世界じゅうであったと思います。
ソニーのプレイステーション4や、マイクロソフトのXBOXONEなど、実物のようなリアルな画像と音楽でゲームが楽しめるようになった現代からすれば、当時のファミコンは見劣りするかもしれません。
しかし、やはり私たちの世代にとっては、ファミコンは特別な存在です。
「ゲームは1日1時間」で途中で泣く泣くやめさせられたり、学校で攻略情報を交換し合ったり、ソフトを貸し借りしたり、喜怒哀楽がそこら中にありました。
今でもゲームは好きですが、なかなか腰を落ち着かせてゲームをすることはなくなりました。
それでも、テレビなどでファミコンやゲームの特集などがあると、胸が高鳴ります。
ちなみに、私が初めて買ってもらったゲームソフトは、「ボンバーマン」でした。
初めてファミコンが家にやってきた日や、ゲームを自分の力でクリアできたときの喜び、「たけしの挑戦状」などの理不尽な難しさに絶望したときなど、30年も昔のことなのにはっきりと思い出せます。
将来、私が高齢者になったとしても、ゲームはやるでしょう。
その時にやっているのは、リアルな新しいゲームなのか、あるいはファミコンなのか。
おそらく、その両方だと思います。
おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。
正直、昨日のブログは手抜きでした。
黒船来航や廃藩置県などの記念日にあたっていましたので、書き始めると何時間時間を取られるかわからず、つい見て見ぬふりをしてしまいました。
ブログに続いて、フェイスブックをするようになって、ようやく両者の使い分けに慣れてきました。
フェイスブックは仕事や街中、イベント参加などをしている際、その瞬間に感じたことをシェアしたり、あるいは流れる情報を拾い上げるといった使い方をしています。
ブログは、感じたことや思っていること、興味のあることを深く掘り下げたり、自身の知識を広げるため(ほとんど忘れますが)に書いています。
見ていただく方に不調法しないよう、しっかりとした文章を作りたいと思います。
さて、私は今月誕生日を迎えました。
私は1978年(昭和53年)生まれですので、38歳になりました。
もうすでに40を間近にして、不惑どころか、あらゆる誘惑に負け続けるという体たらくであり、本当にこれでいいのか、と思っています。
私の同学年や近い年齢の方々も、同様に年を取っているわけですが、気持ちとしては10代あたりから変わっていないと思いながら、あちこち痛いだの、健康診断がどうだの、という会話をするようになっています。
10代のころといえば、まもなく来る夏休みの時期や、何をして遊んだかを思い出します。
外へ行けば川に行ったり、橋の照明にやってくるカブトムシを捕まえたり、野球をしたり。
友達の家で漫画を読んだり、プラモを作ったり、プロレス技を掛け合ったり。
でも、我々の世代といえば、何といってもブラウン管の前に集まり、紅白の機械より発せられる音と映像の世界に夢中になり、昼夜を忘れて遊んでいました。
任天堂のゲーム機、ファミリーコンピューター、略してファミコンです。
今日は、1983年にファミコンが発売された日として、「ファミコンの日」という記念日になっています。
ファミコン本体とともに、交換用ソフトの「ドンキーコング」「ドンキーコングJR」「ポパイ」が発売され、価格は本体が14,800円、ソフトは各4,500円でした。
ドンキーコングは当時、アーケードゲームとしてゲームセンターで人気を博しており、ファミコン版は減らされた面があったものの、それが家庭でできるということは、大きなセールスポイントでありました。
初期の本体のコントローラーは、ABボタンが四角いゴム製であり、後に丸いプラスチック製のものへと変更されました。
ドンキーコングの主人公は、ひげをはやし、赤い帽子とオーバーオール姿の「マリオ」でした。
この2年後、1985年9月13日に発売された「スーパーマリオブラザーズ」は、日本だけでなく世界で爆発的なヒット作となり、ファミコン本体の普及も進みました。
このソフトは、世界で4000万本以上を売り上げ、ギネスでも最も多く売られたゲームとして認定されました。
ファミコンの大ヒットした要因には、高い性能を持ちながら価格を抑えたこと、そして何といっても魅力的な多くのゲームソフトがそろっていたことが挙げられます。
「スターフォース」「ゼビウス」などのアーケード作品、ロールプレイングゲームの「ドラゴンクエスト」「ファイナルファンタジー」シリーズ、「F1」「テニス」「ファミスタ」などのスポーツゲームと、まさに何でもありといったラインナップでした。
アブラゼミやヒグラシなどが鳴く中、友達や親戚などで集まって、大騒ぎしながらコントローラーにしがみつく光景は、日本各地でも、あるいは世界じゅうであったと思います。
ソニーのプレイステーション4や、マイクロソフトのXBOXONEなど、実物のようなリアルな画像と音楽でゲームが楽しめるようになった現代からすれば、当時のファミコンは見劣りするかもしれません。
しかし、やはり私たちの世代にとっては、ファミコンは特別な存在です。
「ゲームは1日1時間」で途中で泣く泣くやめさせられたり、学校で攻略情報を交換し合ったり、ソフトを貸し借りしたり、喜怒哀楽がそこら中にありました。
今でもゲームは好きですが、なかなか腰を落ち着かせてゲームをすることはなくなりました。
それでも、テレビなどでファミコンやゲームの特集などがあると、胸が高鳴ります。
ちなみに、私が初めて買ってもらったゲームソフトは、「ボンバーマン」でした。
初めてファミコンが家にやってきた日や、ゲームを自分の力でクリアできたときの喜び、「たけしの挑戦状」などの理不尽な難しさに絶望したときなど、30年も昔のことなのにはっきりと思い出せます。
将来、私が高齢者になったとしても、ゲームはやるでしょう。
その時にやっているのは、リアルな新しいゲームなのか、あるいはファミコンなのか。
おそらく、その両方だと思います。
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有限会社 千葉建築
〒019-0701 秋田県横手市増田町増田字伊勢堂南6-4
電話 0182-45-2325 FAX 0182-45-2304
携帯 080-1837-5342
mail kchiba@poem.ocn.ne.jp
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