7月13日(旧暦6月10日 干支=丙申 九星=四緑 六曜=先負)
おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。
今日も、というよりも、昨晩より続く暑い朝となっています。
とはいっても、これを書いている時間は、なぜか長袖を着ているわけですので、余計に暑く感じます。
目が覚めて、少し外へ出ると、あかつきの空から照らされる田んぼの稲が、だいぶ伸びていました。
これからますます背伸びして、刈り取られる時期まで無事におがってほしいと思います。
払暁の田んぼ
今日の日付を見て、今日は何の日か調べることから、何をブログに書こうかと考えます。
今日の記念日には、興味を惹かれるものもなく、仕方なく誕生日に誰かいないか探してみました。
すると、すごい人物の誕生日となっていました。
今年、2016年という年数は、イエス・キリストの生誕を基準とした年数(実際には4年ぐらいずれています)となっています。
そもそも、西暦という暦は、太陽の運動を基にした「太陽暦」の一つに当たり、現在用いられている「グレゴリ暦」が、世界基準の日付となっているわけです。
グレゴリ暦制定の前には、「ユリウス暦」という暦が用いられていました。
ユリウス暦は1年を365.25日として、4年に一度のうるう日を設けるものですが、これも年月を経るにしたがって、わずかずつずれて、16世紀末には10日ほどずれてしまうようになりました。
このずれを解消する目的で、1582年にローマ教皇グレゴリウス13世が、1年を365.2425日とした「グレゴリ暦」を制定し、これが今日の西暦として用いられています。
ユリウス暦を定めたのは、古代ローマの英雄、ガイウス・ユリウス・カエサル。
英語名では、ジュリアス・シーザーの名で知られています。
今日は、このカエサルの誕生日となっているそうです。
私は高校時代、世界史が大好きでしたので、古代ローマ時代の辺りはワクワクしながら勉強していました。
「全ての道はローマに通ず」という言葉があります。
これはローマ街道を指す言葉ですが、古代ローマは、共和政という政治形態から、やがて帝政という体制へと変わり、時代を経て、その後のヨーロッパの元となりました。
ざっくり言えば、共和政は権力を集中させず、元老院・政務官・民会というグループを柱に据えた体制であり、帝政は皇帝に強い権力を持たせる政治体制といえます。
なぜこうなったのかは、ローマの領土拡大が大きな要因とされます。
最初はイタリア半島の一部であった古代ローマが、数々の戦争を経て、最盛期には地中海諸国、北アフリカ、現在のスペイン・フランス・イギリス・ギリシャ・エジプト・トルコ・中東諸国など、多大な領土と多くの民族を抱える国になりました。
小さいエリアでは話し合いでよいものだったのが、時代と国民の構成の変化に、意思決定のスピードがついていけなくなったことで、大きな権力者による支配が妥当となったとされます。
ローマの飛躍のきっかけは、ポエニ戦争でローマがカルタゴを打ち破り、地中海を制したことに始まります。
その後、ローマ内部の権力闘争の時代を経て、将軍カエサルがガリア戦争でフランス・スイス・ベルギーにあたるガリア地方を領土(属州)とし、ローマは一大強国となりました。
このときのカエサルの日記は、『ガリア戦記』として、ベストセラーの一つとなりました。
カエサルは戦争の英雄となり、共和政でありながら一つ頭の抜けた存在となります。
カエサルはその後、元老院の支持する政敵のポンペイウスを破って、名実ともにローマのナンバーワンの存在となります。
このとき、任地であった属州のガリアから、ポンペイウスのいるローマに帰還する際、カエサル軍がローマとの境に流れるルビコン川を渡った時に発した、「賽は投げられた」は、後世に残る名言となりました。
後に、カエサルはエジプトの内戦に介入し、クレオパトラをエジプトの王座に就かせる後ろ盾となりました。
このときのクレオパトラとカエサルの関係は、のちの戯曲や創作などでも描かれますが、ここでは省略します。
クレオパトラのいるエジプトに滞在していたカエサルは、トルコで苦戦していたローマ軍の救援に駆けつけ、わずか半日で勝利に導きました。
このとき、ローマの同僚マテウスに送った報告は、「来た、見た、勝った」という名言でした。
数々の実績と、政敵の排除を行っていくうちに、カエサルは終身独裁官という地位につきます。
これが、のちの帝政につながる道筋を付けることとなります。
しかし、カエサルは皇帝の座に手が届くわずかなところで、共和政を維持しようとする元老院らの策謀によって暗殺されます。
古くからの友人、自分の信頼する部下の手によって、彼の命は絶たれることとなりました。
このとき発した、「ブルータス、お前もか」は、彼の最期の名言となりました。
彼の遺志と業績は、のちに政敵アントニウスとクレオパトラを打ち破ったオクタビアヌスへと受け継がれ、オクタビアヌスはローマ初代皇帝アウグストゥスとなりました。
オクタビアヌスは、カエサルの姪の子であり、大叔父カエサルの成し得なかった座に就くことになりました。
カエサルの数々の戦績は、ローマの安定をもたらすこととなり、「パックス・ロマーナ(ローマによる平和)」への道筋を付けました。
ユリウス暦も、彼の業績の一部です。
ユリウス暦は、現在でも正教会(ロシアやギリシャなど)で用いられ、当時としては精度の高い太陽暦でもありました。
正直、この時代の話をしだすと、何行あっても足りなくなり、読む人にとっては苦痛となると思います。
ですので、この辺で終わりたいと思います。
おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。
今日も、というよりも、昨晩より続く暑い朝となっています。
とはいっても、これを書いている時間は、なぜか長袖を着ているわけですので、余計に暑く感じます。
目が覚めて、少し外へ出ると、あかつきの空から照らされる田んぼの稲が、だいぶ伸びていました。
これからますます背伸びして、刈り取られる時期まで無事におがってほしいと思います。
払暁の田んぼ
今日の日付を見て、今日は何の日か調べることから、何をブログに書こうかと考えます。
今日の記念日には、興味を惹かれるものもなく、仕方なく誕生日に誰かいないか探してみました。
すると、すごい人物の誕生日となっていました。
今年、2016年という年数は、イエス・キリストの生誕を基準とした年数(実際には4年ぐらいずれています)となっています。
そもそも、西暦という暦は、太陽の運動を基にした「太陽暦」の一つに当たり、現在用いられている「グレゴリ暦」が、世界基準の日付となっているわけです。
グレゴリ暦制定の前には、「ユリウス暦」という暦が用いられていました。
ユリウス暦は1年を365.25日として、4年に一度のうるう日を設けるものですが、これも年月を経るにしたがって、わずかずつずれて、16世紀末には10日ほどずれてしまうようになりました。
このずれを解消する目的で、1582年にローマ教皇グレゴリウス13世が、1年を365.2425日とした「グレゴリ暦」を制定し、これが今日の西暦として用いられています。
ユリウス暦を定めたのは、古代ローマの英雄、ガイウス・ユリウス・カエサル。
英語名では、ジュリアス・シーザーの名で知られています。
今日は、このカエサルの誕生日となっているそうです。
私は高校時代、世界史が大好きでしたので、古代ローマ時代の辺りはワクワクしながら勉強していました。
「全ての道はローマに通ず」という言葉があります。
これはローマ街道を指す言葉ですが、古代ローマは、共和政という政治形態から、やがて帝政という体制へと変わり、時代を経て、その後のヨーロッパの元となりました。
ざっくり言えば、共和政は権力を集中させず、元老院・政務官・民会というグループを柱に据えた体制であり、帝政は皇帝に強い権力を持たせる政治体制といえます。
なぜこうなったのかは、ローマの領土拡大が大きな要因とされます。
最初はイタリア半島の一部であった古代ローマが、数々の戦争を経て、最盛期には地中海諸国、北アフリカ、現在のスペイン・フランス・イギリス・ギリシャ・エジプト・トルコ・中東諸国など、多大な領土と多くの民族を抱える国になりました。
小さいエリアでは話し合いでよいものだったのが、時代と国民の構成の変化に、意思決定のスピードがついていけなくなったことで、大きな権力者による支配が妥当となったとされます。
ローマの飛躍のきっかけは、ポエニ戦争でローマがカルタゴを打ち破り、地中海を制したことに始まります。
その後、ローマ内部の権力闘争の時代を経て、将軍カエサルがガリア戦争でフランス・スイス・ベルギーにあたるガリア地方を領土(属州)とし、ローマは一大強国となりました。
このときのカエサルの日記は、『ガリア戦記』として、ベストセラーの一つとなりました。
カエサルは戦争の英雄となり、共和政でありながら一つ頭の抜けた存在となります。
カエサルはその後、元老院の支持する政敵のポンペイウスを破って、名実ともにローマのナンバーワンの存在となります。
このとき、任地であった属州のガリアから、ポンペイウスのいるローマに帰還する際、カエサル軍がローマとの境に流れるルビコン川を渡った時に発した、「賽は投げられた」は、後世に残る名言となりました。
後に、カエサルはエジプトの内戦に介入し、クレオパトラをエジプトの王座に就かせる後ろ盾となりました。
このときのクレオパトラとカエサルの関係は、のちの戯曲や創作などでも描かれますが、ここでは省略します。
クレオパトラのいるエジプトに滞在していたカエサルは、トルコで苦戦していたローマ軍の救援に駆けつけ、わずか半日で勝利に導きました。
このとき、ローマの同僚マテウスに送った報告は、「来た、見た、勝った」という名言でした。
数々の実績と、政敵の排除を行っていくうちに、カエサルは終身独裁官という地位につきます。
これが、のちの帝政につながる道筋を付けることとなります。
しかし、カエサルは皇帝の座に手が届くわずかなところで、共和政を維持しようとする元老院らの策謀によって暗殺されます。
古くからの友人、自分の信頼する部下の手によって、彼の命は絶たれることとなりました。
このとき発した、「ブルータス、お前もか」は、彼の最期の名言となりました。
彼の遺志と業績は、のちに政敵アントニウスとクレオパトラを打ち破ったオクタビアヌスへと受け継がれ、オクタビアヌスはローマ初代皇帝アウグストゥスとなりました。
オクタビアヌスは、カエサルの姪の子であり、大叔父カエサルの成し得なかった座に就くことになりました。
カエサルの数々の戦績は、ローマの安定をもたらすこととなり、「パックス・ロマーナ(ローマによる平和)」への道筋を付けました。
ユリウス暦も、彼の業績の一部です。
ユリウス暦は、現在でも正教会(ロシアやギリシャなど)で用いられ、当時としては精度の高い太陽暦でもありました。
正直、この時代の話をしだすと、何行あっても足りなくなり、読む人にとっては苦痛となると思います。
ですので、この辺で終わりたいと思います。
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mail kchiba@poem.ocn.ne.jp
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