みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

冬籠りと冬眠

2017年12月21日 | 俳句日記

朝から良く晴れた。
さぁ、鳥さん達と楽しい朝食の時間だ。
真鴨くんのシャイニング・グリーンには
ますます磨きがかかってきた。

カモメちゃん達は、よほど腹を空かせて
いたのだろう、狂喜乱舞しなから飛んで
来た。

バンもホシハジロもカモ達も全員集合。

お行儀良く「頂きます」を待っている。

食事開始とともに争奪戦が始まった。

それを見ながら、私もお弁当を開く。
今日は、卵焼きと牛肉の味噌煮生姜添え
、忘れてならないのが食の五元色。

赤の梅干、白いご飯、卵が黄色、黒の胡
麻塩、そして大葉の緑。
健康運を上げる為には、毎食これらの色
を採り入れることだそうです。
残念ながら弁当の画像は撮り忘れた。

この頃になって気が付いたが、亀や鯉が
参加してくれない。
冬眠したのでしょうね。
物の本によると「冬眠」と「冬籠り」は
違うらしい。

爬虫類やリスなどの小型哺乳類が冬の間
食事も摂らず眠りにつくのが「冬眠」、
熊などが時々最低の採食をしながら仮眠
するのが「冬籠り」なのだそうだ。

鯉は、水温が11度以下になると冬眠状態
になるというが、発電所などの排水口の
付近に棲むものは、年中起きて泳ぎまわ
っているとのこと。

私なんぞは、冬眠すれば身も心も健康に
なるのではないでしようかね⁈
運動と内臓機能の保持さえ担保出来れば
冬眠療法は普及すると思うのだが。

〈世知辛い 世の救いたれ 冬籠り〉放浪子
季語・冬籠り(冬)

12月21日〔木〕晴れ 時々 曇り
冬場はさすがに早朝ランナーが減る。
走った後のケアが難しいからだろう。
運動の後の筋肉の冷えは専門家の指導に
従わないと心臓にくるということだ。
夕食後の軽いランニングを勧める医者が
増えているらしい。
特に冬場は軽く汗をかいたあとに温めの
風呂に入って筋肉をほぐせば、寝付きも
良くなることだろう。
どなた様も、ご無理をなさらぬよう。


寒薔薇(かんさうび)

2017年12月20日 | 俳句日記

今朝の新聞で北海道沖の巨大地震が懸念
されていることを知った。
5年前に東北の被災地を回った時のこと
を思い出す。

4月も半ばであったが、まだ至る処に雪
が残っていた。
発災時の夜は零下であったと報道されて
いた。東北は4月でもまだまだ寒い。

何度となく放映された南三陸町のリアル
タイムの映像が撮影された現場を訪れた時、着の身着のままの一夜が思われて、
見下ろす町に手を合わせた。

以前にもお知らせしたと思うが、福島県
のいわき市から岩手県の宮古市まで視察
に回ったあの一週間は、涙の流れない日
は無かった。

また、北国での予測である。
時期を問わないのが天災なだけに、くれ
ぐれも備えを怠ることのないように祈る
ばかりである。

そんな日に、団地の片隅に咲く冬の薔薇
を見つけた。
「さうび」は薔薇の古語である。
「そうび」と発音する。

寒中に咲く深紅の薔薇は、凛として清し
い、だから季語となった。
北国の人びとのように。

〈定めにも 凛として立つ 寒薔薇〉放浪子
季語・寒薔薇(冬) 、冬薔薇とも。

12月20日〔水〕晴れ 時々 曇り
93歳の母が言った。
「天災が来りゃ、また人が死なにゃぁな
らんとに、なんでワザワザ戦争やらせん
といかんとかねぇ⁈
永う生きとるのもご迷惑なことばってん
早う死ぬ目に会う人は可哀想ばい」
はッ!御母堂様おっしゃる通りです。







木の葉しぐれ

2017年12月19日 | 俳句日記

不安定な空模様の一日であった。
朝のうちは雲が垂れ込めて、さては雨か
と訝ったが、昼前から日差しが戻り始め
青空が広がった。

いつも通る団地の坂道を登っている時に
一陣の木枯らしが吹くや否や、美しく色
付いて目を楽しませてくれていた楓の葉
が、耐えきれずハラハラと散った。

後に澄み切った空の青が透けて見えた。
師走も半ばともなると冬木立が目立つよ
うになる。
今年も既に余すところニ週間を切った。

〈忽ちの 木の葉時雨や 空透ける〉放浪子
季語・木の葉時雨(冬)

12月19日〔火〕馬鹿天気
今日のように不安定な天気を、昔の人は
馬鹿天気と言ったりする。
こんな日は体温調節に気をつけなければ
ならない。
完全武装で出掛けたので、日差しの中を
歩く時には薄っすらと汗をかいた。
夕刻からは、急激に冷えて来た。
ご用心を。

年忘れ

2017年12月18日 | 俳句日記
知るべ四人と仕事の打ち合わせを兼ねて
年忘れと称して一杯やった。
皆、私より社会的地位の高い人ばかりで
ある。

流石に話は義憤公憤、社会性を帯びる。
談論風発、楽しい時を過ごした。
脳科学的に言うと、怒りの感情は頭脳を
活性化させるらしい。

ところが、私的感情はかえって思考原野
の範囲を狭くして、頭を悪くするという
ことのようだ。
偉くなる人は、恒に義憤公憤に燃えて頭
頭を使っている人達なのだと分かった。

いざ支払いの段に到り、超大手銀行に勤
る弟が全てを引き受け、事を済ませた。
蕉翁に次句がある。

《人に家を 買わせて我は 年忘れ》芭蕉

忸怩たる思いを持ちながらも、御自分の
世界を誇る蕉翁の気概が見て取れる。
こんな境地に達してみたいものだ。
今の私に詠める句というと、

〈世の憂さも 酒の妻なり 年忘れ〉放浪子
季語・年忘れ(冬)

12月18日〔月〕曇り
今年に入ってから三度目の訃報である。
関西にいた時の先輩が亡くなった。
元気の良い愛国者であった。
九州の男は、何故か難波よりも河内の
男と気が合う。
彼は八尾が里だった。
私が筑豊の出身だからかも知れないが⁈
豪快な日本人が、また一人逝った。


轍鮒の急

2017年12月17日 | 俳句日記

去る六日にトランプ大統領が突然出した
エルサレムをイスラエルの首都とする、
と言う声明には肝を潰した。
遂に、宗教戦争の時代に突入か?

21世紀が宗教戦争の時代と言われてから
随分と久しくなった。
東西冷戦が終わって、直ぐにあれこれと
紙面を賑わした論調である。

確かに、国家間の覇権主義の時代から、
思想の対立の時代を経て、次に来るもの
はと言うと、宗教の対立だと言う主張は
社会進化論的にはそう思えもする。

しかし、それは丸っ切りのまやかしで、
戦争は、地政学的にいえば人類が負った
生存競争の根底にある争いなのである。
進化するとすれば政治手法の進化だ。

ところが未だに覇権主義は息づき、教条
主義的一党独裁の国家は存在し、宗教で
すら、ある一点に於いて妥協の余地を許
さない。

一神教が世界人類に残した原罪が消滅し
ない限り、力が正義であり続ける。
ヒューマニズムも平和主義も、その前に
は一時的妥協の産物でしか無い。

東洋語源物語に「轍鮒の急」という言葉
がある、テップのキュウと読む。
ワダチの水溜りに住んでいるフナが、い
ずれ水が干上がるのも知らず、呑気に泳
いでいる事に対する警鐘の言葉だ。

米国が中東の火種に手を出し始めれば、
極東は手薄になる。
日本は「轍鮒の急」状態になる。
隣りの覇権主義国家は益々迫り来る。

〈安らかな 夢から覚めず 凍り鮒〉放浪子 季語・凍り鮒(冬)

12月17日〔日〕曇り
産経新聞の一面を眼にして、書かねばと
思ってしまった。
隣国は次々と轍の水を汲みあげている。
我々の周りの水はいつまで持つの首相。
国民は、皆呑気に泳いでいますけど。