みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

蕪村忌(春星忌)

2017年12月25日 | 俳句日記

江戸の三大俳人と言えば、年代を追うと
松尾芭蕉、与謝蕪村、小林一茶と言う事
になるが、武将で言えば、信長、秀吉、
家康のようにそれぞれの個性が面白い。

ちょうど今の時期の寒さを詠った句に差
異が表れて味わい深い。
季語は「寒さ」である。

[俳聖・芭蕉]

《塩鯛の 歯ぐきも寒し 魚の店》

弟子の杉風が魚問屋であったので、その
店の前で発句したのかもしれない。

[俳尊・蕪村]

《易水に ねぶか流るる 寒さかな》

中国の歌枕に使われる川の名「易水」を
詠い込んだ処に余裕がある。
また、池大雅と並び称されるほどの画人
でもあった人だけに、発句そのものに絵
柄が彷彿とされるのである。

[俳峰・一茶]

《次の間の 灯で膳につく 寒さかな》

以前「一茶忌」と「薬喰い」の題で書い
たように、一茶は世の辛酸を嘗め尽くし
て独自の排風を峰とした人である。
暖をとるにも事欠いたのであろう。

其々が、其々の境涯の中で、其々に俳道
を究められていく入り口が見えて来るよ
うで何とも床しい。

今日は、俳尊蕪村の命日である。
この方は二十歳の頃蕉風の俳諧を学ぶべ
く、わざわざ上方から江戸に出て巴人に
弟子入りして夜半亭の名跡まで継いだ。

傍ら、画業も極め一門をも成した。
江戸後期の南画の大家、田能村竹田が彼
を「洒落の人物」と評したと言う。
洒落とは洗練された戯遊の極みである。

今日で言えば、単なる風流人ではなく、
真の芸術家ということになろう。
漱石先生の筆法を借りれば、別乾坤を建
立した達人のことである。

《雪月花 ついに三丗の ちぎりかな》
義経と弁慶の主従の関係を、蕪村はこう
詠んだ。(画号・春星)
風流の極みまでも共有し、運命まで共に
したのはこの世だけの縁では無い。

宿世のえにし有ればこそと言いたかった
のであろう。
春星筆のこの画は、顔の表情といい、構
図といい、まさに別乾坤である。

この人無ければ、蕉風俳諧は衰退してい
ただろうと言われるのも頷ける。
天才は、天才を知り、また新たな天才を
生み出すのである。

〈こよなきは 洒落の教え 春星忌〉放浪子
季語・春星忌(冬)

12月25日〔月〕曇り のち 晴れ
安倍首相、教育無償化を急ぎましょう。
金太郎飴みたいな学習塾秀才ばかりじゃ
日本が早晩滅びますぜ。