みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

それぞれの大年(おほとし)

2017年12月31日 | 俳句日記

大晦日(おほみそか、おほつごもり)
大三十日(おおみそか)、大年(おおとし)
全て今日のこと。

午後九時三十分、横断歩道を渡る老婦人
に出会う。
両手に重そうな荷物を下げ、ただひたす
らに目的の地に進む姿に輝きを見た。

この日に家で本でも読んでいる人は、概
ね出世する。
仕事をしている人は仕方がないが、ジタ
バタしていると出世は出来ない。

井原西鶴はこう詠んだ。

《大晦日 定めなき世の 定めかな》
稀代の天才の諦観とも達観とも読める句
だが、無常感が溢れる。

芭蕉は、

《年暮ぬ 笠きて草鞋 履きながら》
百代の過客と共に生き、自らも旅に死ん
だ蕉翁らしい句である。
私は何故か憧れるのである。

小林一茶は、

《ともかくも あなた任せの 年の暮》
今もなを変わらぬ生活実感の句であるが
捨て鉢なところが現代風でいい。

正岡子規の場合は、

《漱石が 来て虚子が来て 大三十日》
病床にある子規の日常を詠んだ句であろ
うが、今となっては日本文学史上に残る
名作である。

その虚子の句、

《年を以って 巨人としたり 歩み去る》
得たいの知れぬ時空と真面目に対峙する
高浜虚子の姿を見るようだ。

ともかくも肩の荷を置いて、自身に立ち
還り、明日を見直す日だと教えられてい
るようで面白い。
老婦人の姿に裏打ちされる気がする。

〈大年も 一期一会の えにし哉〉放浪子
季語・大年(冬)

12月31日〔日〕朝時雨 のち晴れ
かむながらの道は和歌に表れ、仏の道は
俳句に表れる。
漢詩は漢字ばかりで肩が凝るけれど、
捨てがたい豊かな詩情がある。

日本文化の重層性を世界人類が共有すれ
ば、地球は平和な星になると思う。
世の国々よ!、今年一年有難うございた。
どうぞ佳いお年を‼️