寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
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(第3024話) おばあちゃんと私

2020年09月22日 | 行動

 “「おはようございます」とあいさつを交わす。まずは親鸞の立像を拝する。木々を渡る風は心地よい。近所の九十五歳のおぱあちゃんと私。ラジオの声に励まされ、二人だけの体操を始める。私は十年来、ラジオ体操を楽しんでいる。体操をすることで、足腰がスムーズに動くことが何よりと思っている。十分のラジオ体操の間、顔を見合ったり、笑ったりしている。
 最高気温は三八度と報道されるが、朝は、ヒマラヤスギ、ケヤキ、桜、とりどりの木々の間を渡る風がすがすがしい。今日の大切な一日の始まりである。この地に嫁いで五十五年、おばあちゃんや多くの人々に学び、今日がある。おばあちゃんは腕を広げ、そよ風をいっぱい吸い込んだ。「気持ちがいい風だなも」と笑う。私もまねをして深呼吸した。体の中を風が通り過ぎてゆく。コロナ禍の今、ただ自分たちの身を守ることに徹している。おばあちゃんもそうだ。
 終戦から七十五年を迎え、おばあちゃんも思いが去来しているに違いない。年代の差はあるが、私も思いがある。朝の日が少しずつ昇る。「また明日なも」と言って、おぱあちゃんは手押し車を押して家へ向かった。”(8月30日付け中日新聞)

 愛知県蟹江町の主婦・二村さん(77)の投稿文です。老婦人2人が、毎朝会ってラジオ体操をする。場所は「親鸞の立像を拝する。木々を渡る風は心地よい。」とあるから寺院であろうか。こんな人もあるのか、全く見上げたものである。タイトルに「おばあちゃんと私」とあるので、何歳のことかと思えば、私は77歳、おばあちゃんは95歳とある。私が40、50なら分かるが、77歳はもう十分におばあちゃんである。自分はいつまで経っても若いのである。95歳と比べれば確かに若い。これはユーモアであろうか。ユーモアのある人は若い。
 人前をはばからず、やりたいことをする、できることをする、こういうことができる人はいいと思う。とにかく活発にする、特に高齢者はこれが必要だ。人前を気にして消極的なるのは避けたいものだ。そして「コロナ禍の今、ただ自分たちの身を守ることに徹している」と言う言葉に、ボクはハッとした。ボクはコロナ禍で何もできないと言って悔やむばかりではなかったか。ボクももう後期高齢者だ。今の時期、身を守ることに徹しているだけで十分ではないか。ボクはほぼ毎日6時半、家の中で妻とラジオ体操をする。そして、朝食等を終えた7時過ぎ、1人で3000歩ばかりの散歩に出る。お墓、お寺、神社等にお参りをして帰る。いい生活ではないか。でもなあ~・・・。


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