寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
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(第3157話) 幻の同窓会

2021年06月18日 | 行動

 “「喜寿の年の同窓会を最後とします」。遠い故郷の中学校時代の級友から連絡があったのは、何年前だったろう。楽しみにしながら待ちに待った昨年秋は、コロナ禍で同窓会どころではなく、中止となった。
 山あいの小さな学校で同級生は七十八人だったと記憶している。卒業後は進学、就職とぱらぱらになり、以来年賀状のやりとりが続いているのは十二人。他の人たちはどうしているのだろう。同窓会が中止となり、同級生への思いは募るばかり。小中学校と九年間、なじんだ名前が浮かんでくる。
 思いついて「あ行」から順に名前を書き出してみることにした。意外とすらすら出てきて、すぐに五十人近くになった。あとは散歩の途中や食事の支度をしている時などに、ふっと思い出したりして、何とか六十三人になった。だが名前を思い出しても顔の浮かんでこない人が何人もいる。何回か出席した同窓会でも、そのたびに誰か分からない人が何人かいたのを思い出す。名簿も卒業アルバムもなく、あと十五人、果たして思い出すことができるだろうか。コロナ収束の兆しもなく、この先同級生たちに会う機会がないと思うと、寂しい限りである。それにしても、コロナが憎い。”(5月26日付け中日新聞)

 岐阜県海津市の先山さん(女・78)の投稿文です。コロナ禍はいろいろなものを破壊しているが、この同窓会も代表的なものだろう。多くの人が集まって話し、食べることが一番抑制されているので、ほとんどの同窓会は開かれていないだろう。先山さんは最後の同窓会が延期され、先の見通しはない。このまま終わってしまうのだろうか。その中で、先山さんは名前の書き出しを始められた。いろいろなことを思いつくものである。悔しさの表れであろうか。
 ボクも昨年、今年と小学校、中学校の同窓会を中止した。本来なら、中学校の同窓会はこの6月13日に開いているところである。ただボクは、ボクの状況が許される限り、開けるときが来たらいつでも開こうと思っている。そしていつが最後とも考えていない。今のところ集まる人がある限り、開くつもりである。しかし、いつまでもあると思うな、親と金である。そして自分の健康と命である。このコロナ禍で十分知ったであろう。しかし、ある命は、生かされている命は生かさねばいけない。そのことを特に思うこの頃である。


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