寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
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(第2861話) 死を恐れずに

2019年10月28日 | 人生

  “中秋の名月の九月十三日夜、長野県飯田市のがん患者渡辺さゆりさんが亡くなった。享年四十九。余命が長くないことを知りながら、地元の市立病院でがん患者カフェを立ち上げ、通院先の愛知県がんセンター(名古屋市千種区)では得意の英語を生かして外国人患者会の設立に尽力。「私の仕事は種をまくこと」と、いつも笑っていた。「ステージ4患者座談会」にも出ていただき「死について考えることは、どう生きるかを考えること。恐れて避けてしまってはいけない」と語っていた。夫にみとられての安らかな最期だったそうだ。
 その二週間後、座談会で渡辺さんと同席した同僚の都築修編集委員(享年五十九)の訃報が届いた。昨年、突然の余命告知を受けながら「逃げず、恐れず、取り乱さず」を信条にして、体調が悪化するまで仕事を続けていた。「ふだん通りが一番」という姿勢は、ずっと変わらず「家族で死生観を語るいい機会」とさえ言っていた。  死を恐れなかった二人へ、惜別の思いとともに深い感慨を覚える。人生の質とは長さだけじゃなく、真剣に生き切れるかどうかだと。”(10月6日付け中日新聞)

 「世談」という記事欄から編集委員・安藤さんの文です。死についての話題は究極の話題とも言えよう。誰もが死を免れることはできない。その時に直面して、やっと本当のことが分かる。死について、そのかけらもないときの考えは全く当てにならないだろう。「いつ死んでもいい」と言っていた人が、望みが生まれればその時まで生きたいと思い、死に直面したときには悲嘆にくれる。
 渡辺さんの活動はがんになってからのようである。40歳代半ばである。悲嘆に暮れ、死と向き合うのを避けたくなるものだろうが、それを面と向かわれた。更に残された命を、同じような境遇の人のために尽くされた。見事な生き様と言えよう。人間、寿命の長短ではない。短くても見事に生ききる人、長い命を無用に過ごす人、何がとは言い切れないが、でも与えられた命は有用に生ききりたいものである。そうでなければもったいない。
 渡辺さんの座談会に同席された、安藤さんと同僚の都築さんも59歳で亡くなられたと言われる。突然の余命告知である。明日も知れぬのが命と、よくわきまえて毎日を過ごしたいと思う。


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