本日、午後1時から令和元年度の卒業証書授与式(第116回卒・高校72回卒)が本校小体育館で行われました。何度かアナウンスさせていただいているように、「卒業生と教職員のみ」の出席で「時間を短縮」して行いました。結果的には、入退場の時間を除いて、約40分で式は無事に終了しました。私の学校長式辞は5分の約束でしたので、お粗末なものでしたが、在校生送辞、卒業生答辞は大変立派で聴きごたえがありました。内容的には、送辞では、先輩への感謝とエールが、答辞では、在校生とお世話になった人たちへの感謝とこれからの抱負が述べられました。「AIに負けるな!」ですね。個人的には、様々な行事や講演会の際に、ノー原稿で大変立派で素晴らしいあいさつやコメントをしてきた前生徒会長の大工原君が、緊張しているのかな?という姿を初めて見たような気がして、大変新鮮な感じでした。とはいえ、それは最初だけで、中盤から後半はさすがという答辞でした。
卒業記念品は、渡り廊下と生徒玄関の掲示板です。磁石対応可の掲示板で、本日の祝電をさっそく掲示させていただきました。
来賓、保護者の皆様が出席できなかったことから、高見澤俊雄岳南会会長、土屋和久PTA会長、卒業生保護者代表の太田潤様からメッセージ(祝辞)をいただき、印刷して次第と一つにして配布させていただきました。なお、参考にもなりませんが、私の拙い式辞は以下の通りです。
式場の写真は、昨日、準備が終わった後の様子ですので、本日は演台横に松の盆栽が、校旗の横に生花が置かれました。式場は、職員が準備をしたのですが、詳細は式辞に述べさせていただきました。また、退場時は職員が大量のクラッカーで賑やかに門出をお祝いしました。
卒業式の後、30分程度の最後のLHR。そして、外に出て、ロータリー付近での写真撮影をして、名残を惜しみながら保護者の迎えの車で帰路につきました。サーと人がいなくなってしまい、本当にさみしさを感じました。
改めまして、卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。また、保護者の皆様には、学校の教育活動にご理解とご協力をいただき、誠にありがとうございました。この場を借りて、御礼申し上げます。
◆学校長式辞(令和2年3月3日)
ただいま、卒業証書を授与いたしました201名の卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。
今年は、例年になく雪の少ない暖かい冬となりました。本来であれば、この春めいてきた暖かな陽射しの中、卒業生の皆さんを、保護者の皆様や在校生、本校に縁(ゆかり)のある皆様、そして教職員で、温かくも賑やかに新たな門出をお祝いする予定でした。それが、このような極めて変則的な卒業証書授与式の開催を余儀なくされたことは、誠に残念でなりません。
それは、皆さんが、勉学はもちろん、クラブ活動、生徒会活動などに、本当に地道にそして真面目に取り組み、成果を出してきた姿を、皆さんに関わる多くの人々が、間近で見てきたからに他ありません。本年度は、渡り廊下の改修工事のため、校舎内の移動やトイレなど、様々な面で不便を強いられる中での学校生活となりました。渡り廊下は昨日2日から使用が可能になりました。皆さん一度は渡ってみたでしょうか。また、昨年の猛暑をきっかけとして、高等学校でも空調設備の設置が始まりました。皆さんはエアコンが設置された快適な環境の教室で学ぶ機会を得ないまま本校を巣立つことになるわけです。様々なタイミングや偶然の産物とはいえ、「なぜ」という思いの皆さんも多いことでしょう。
ところで、本日のこの式場ですが、昨日の午前、生徒のお手伝いなしに、教職員だけでシートを敷き、イスを並べ、紅白幕を張り、ステージ回りも準備しました。私たちにとっても、あまり経験のない教職員のみによる会場設営でした。「きついなぁ」と言いながらも、本日の光景を思い浮かべながら、また、皆さんへの感謝とお祝いの気持ちを込めて、少し楽しみながら作業を行ったのです。イスの配置のゆったり感と「おもてなし」の心はファーストクラス並みかと思うのですが、皆さん気に入っていただけたでしょうか。
さて、皆さんの卒業にあたり、私が尊敬する刑法学者団藤重光氏の「この一筋につながる」という考えをご紹介したいと思います。「この一筋につながる」というのは、団藤先生の講演・随想集の書名でもありますが、もとは松尾芭蕉の『笈の小文』などに出てくる言葉です。先生は、大学で教鞭をとられた後、最高裁判所判事を9年間お務めになります。そして、最高裁判所では、人権派の裁判官として少数意見となることを恐れず、明確にご自身の考えを常に表明されました。また、退官後は死刑廃止論を主張されたことでも知られています。現在でも、先生の代表的著書である『死刑廃止論』を読まずには死刑制度の是非を論ずることはできないとも言われています。
先生の考えの根本には、人間性と主体性に注目し、これらを法秩序の根幹に据えていることにあります。そのような考えを先生は苦悩に満ちた未完成こそ人間の姿であるが、未完成は苦悩だけではなく楽しみでもあると言われます。ものごとは一本の道を真っすぐに進んでいくのではなく、色んなものが一つにつながっていくのだ、と考え、「この一筋につながる」という言葉を愛されていたといいます。人間が生きていくうえで、向かうところは一つだが、たどるべき道は一つではない。だからこそ毎日が楽しい未完成である。つまり、失敗や挫折することなく人生を歩む人はいないのです。皆さんには、途中で挫折をしたり悩んだりしながらも、生涯をかけて取り組むべき道は、これであるという道を見つけ、自分なりの一筋につながった道を歩んでいってほしいと思います。
令和となって初めての卒業生である皆さんは、第116回生として、伝統ある野沢北高等学校の歴史にその名を刻むことになりました。
卒業生の皆様のこれからのご活躍を期待するとともに、さらなるご多幸を祈念申し上げ、式辞といたします。
令和2年3月3日
長野県野沢北高等学校長 北澤 潔