雑感録

「風車、風の吹くまで昼寝かな」

天神の一画の薄汚い路地にある小料理屋の前に、「廣田弘毅先生生誕地之碑」というのがぽつねんと立っている。
電柱の脇にあるし、あたりの壁は落書きだらけだし、ただそこを通っただけではまったく存在に気づかないような地味な石碑だ。
広田弘毅といっても学の浅い僕には大戦前後の動乱期に首相になった人かなくらいしか印象になかったのだけど、気になって調べてみたら、文官としては唯一戦犯として処刑された人で、しかも裁判においては、語れば自分を擁護して結果他人に罪を着せることになるとして、黙して語らなかった人なんだとか。
「自ら計らわず」を信条にしていたとも書いてある。
「自ら計らわず」。
なんだかカッコよさげなんだけど、どういう意味だがいまいちピンと来ないので、とりあえず広田の生涯を描いた城山三郎の『落日燃ゆ』という本を読んでみた。


生誕地之碑と、広田弘毅が小学生の頃に書いたという水鏡天満宮の鳥居の文字。

生誕地之碑があるところは、もとは生家の石屋があったところらしい。
石屋を継ぐつもりだったできのいい倅が周囲のススメで東大に行って、一国士として外交官を目指し、先輩に恵まれて学生時代から手腕を発揮。
外交官時代は「自ら計らわず」として与えられた任務を誠実にこなすが、戦争に向かう混乱の中、外相、首相に祭り上げられ、結局陸軍の暴走を抑えきれず、抑えきれなかった戦争責任を問われた。
おおかたそんなところだと思う。
で、肝心の「自ら計らわず」。
任地だったりポジションだったりを自分の希望通りになるように自分から手を回すことはしない、といった意味のようだったんだけど、端っからそれが広田の信条であるという前提で書かれてるような感じで、何かのときにそう言ったとかそう思ったとか、あるいは誰からかそういう風に言われたというようなことは一切出てこない。
なんだか拍子抜けな上に、生の言葉じゃないのでイマイチ重みが感じられない。
それよりよっぽど気に入ったのは、オランダ赴任の際に冗談半分に詠んだという
「風車、風の吹くまで昼寝かな」
の一句。
たいていの男の子は偉くならなきゃいかん、大物にならなきゃいかんみたいに言われてもしくは思ってて、それで自ら計らって成り上れたら、今度は名を残さなきゃいかんだの、大事を成し遂げなきゃいかんだの、そこまで成り上がれなかったとしても生きた証がほしいなんてつまらんことをぬかしがちなもの。
本当に大物なら、たぶんそんなことは気にしない。
風が吹けば力を発揮するが、風が吹かなければ、昼寝のまま一生を終えても可なり。
本人が詠んだ意図とはずいぶん違うかもしれないが、潔さもここまで徹底できればたいしたもんだなあと感心した次第。

もどるつづく


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