独立広場は きれいだけど 熱いし 駐車場はないし カフェもない
ゆっくり この風景を眺めながら お茶しようと思っても 安い屋台もない
日陰もない
長居したいけど しずらい独立広場。
独立広場から 北に向かて 歩いていきます
さりげなく立っておるビルですが なかなか 美しい。
よい感じですが 裏寂れているようです。
お向かいのビルは 修復中のようです。
壁だけになっています。
どうなるのでしょう・・・壁の刻印は 1900年前後です。
マレーシアは 地震もないし 台風もないし 強風もないので こんな簡単な補強で 立っています。
こちらも なかなか 古くて 壁のレリーフが美しいです。
おそらく 歴史ある建物ですが よく わかりません。
自慢しないマレーシアが ここにも いました。
こちらは 議会と裁判所。 もとは マレーシア統治監督事務所とでもいうか・・・イギリスがマレーシアを統治する事務所。
1910年。
コロニアル建築です。
実は 搭がついていて それは 黒いイスラム風の屋根があります。
窓の形が すてきです。
ところで 何度も登場する 建築家 AB Hubback
KL駅 KL鉄道公社 マスジットジャメ カルコサ・ネガラ ロイヤルセランゴール倶楽部
Ipoh駅 旧市庁舎 市立劇場 事務所 など これ以外にも多くの設計をしています。
この方が A.B.Hubbackさん(アーサーさん)
実は兄弟で 有名で Hubback兄弟は セオドアさん ビショップさんとみな マレーシアで活躍したようです。
お父さんもエンジニアで マレー半島の開発に尽力したようです。
Hubbackさんと ともに A.C.Normanさんという建築家が います。
スルタンアブドゥルサマドビル セントメアリー教会 図書館など たくさん設計しています
この2人は 一緒に働いていました。
英国が 東インド会社で 植民地政策を推し進める中
この2人は インドから マレーシアにわたってきました。
KLのこの建物は ムーア様式 つまり 北インドの様式を多く取り入れていますが
それも この影響でしょう
ムーア建築 チューダー様式 ゴシック様式 洗練された設計をしました。
本国イギリスから 海峡植民地に向けて 大英帝国の威厳を示す建築を成功させるために
派遣された人たちです。
建物をたてるほかに 鉄道をひき マレーシアの天然資源を開発しました。
植民地支配。
すごい力です