熱帯ゆるゆる日記

マレーシアでの期間限定生活日記。
2008年駐在開始、そして2011年 本帰国しました。

朝日

2011年02月17日 22時19分38秒 | 朝日・朝焼け

朝日

乾季に入り 暑い毎日  朝焼けがきれいです

 

太陽が昇る日の出の位置が 少しずつ 写真で言うと左にずれて

ビルの陰に入り 見えなくなりました

 

 

赤道に近いKLですが それでも 少しずつ季節が動いています

 

 

 

  

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なぜサイゴンはプチ・フランスか?

2011年02月17日 09時34分19秒 | ベトナム・サイゴン旅行

ホーチミン(サイゴン)は ぷち・フランスと ガイドブックに書いてありました。

フランスに統治されていたころのフランス風の建築物があるからです。

確かに このように 陽射しはともかく 建物は フランスのようです。

 

↑聖マリア教会(サイゴン大教会) 19世紀末 カトリックの教会 ネオ ゴシック建築 

教会の後ろ姿   パリのノートルダム寺院を思い出しました

 

     

↑中央郵便局    フランスのようですが ホーチミンさんが。

  

 

↑郵便局のタイル フランス輸入

 

                                     ↑人民委員庁舎  日本で言う市役所?

   夜は ライトアップ

 

 

 

↑ フランス大使館の門

  

       

↑ 市民劇場

    

さて それはいいとして ホーチミンは ベトナム戦争で「サイゴン陥落」「ホーチミン開放」の街です。

ぷち・フランスは 爆撃されなかったのでしょうか。

あの凄惨な戦争で陥落した街。

 

 

 

確かに このちかくのホテル マジェスチックやからベルには ロケット弾が撃ち込まれましたが

サイゴンは 戦火に焼かれませんでした。

 

 

 

 

長い長いベトナム戦争は アメリカが南ベトナムを見放したあと 急速に終焉を迎えます。

北から南進する北ベトナム軍。

周囲の村は アメリカの枯葉剤や北の砲弾で 壊滅的に破壊されました。

サイゴンに迫る北ベトナム政府は 秋・9月ごろ サイゴン陥落と 考えていました。

ところが  北・ハノイの軍部・政府の予想を裏切り 4月30日 南ベトナム政府は 完全降伏宣言をしました。

サイゴンは 戦火にまみれることなく 陥落したのです。

もとは 同じ民族、 陥落しても サイゴンは活気あるメコンの恵みの商人の街で、 入城した解放軍と 打ち解けたと言われます。

アメリカ ソ連 中国 インドシナの国々・・・・ すべてに 疲れ果てた末の あっけない開放でした。

 

 

↑ サイゴンの公園   これは 旧ソ連の戦車  これを オットは こどものころ プラモデルで作ったそうで・・・・我が家の男3人感動

 

 

サイゴン陥落は ちょうど 思春期の私には 大きなニュースでした。

沢田教一さんの写真 近藤紘一さんの報道    アメリカのベトナム戦争映画   心を揺さぶる歴史でした。

後に 沢田さんの写真展を 見に行ったこともありました。

 

 

私は いろんな思いで フランス風のホーチミンにたたずむのでした。

 

 

 

 

10年程前に 東南アジアに駐在する友人が ベトナム旅行の写真を見せてくれました。

大きなロータリーを おびただしいバイクが 走る写真でした。

それと同じ風景が目の前に広がる フランス風のロータリー(マレーシアのラウンドアバウトみたい)

経済成長に乗りきれなかったベトナムは 10年前と同じく 庶民は家族4人でバイクに乗っています。

  

これから ベトナムは バイクから車に乗り換えることができるでしょうか。

経済・インフラの成長を やっと 手にしようとしているベトナム。

ベトナムの人たちの すべての幸せへの開放を 心から祈っています。

 

 

 

 

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