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熱帯ゆるゆる日記

マレーシアでの期間限定生活日記。
2008年駐在開始、そして2011年 本帰国しました。

イポー 洞窟寺  ペラ・トン ~霹靂洞~

2011年08月19日 17時39分27秒 | おでかけ・クアラルンプール

イポー市内から」車で北に6km 標高122mの石灰岩の山 Gunung tasekにある洞窟寺。

イポー周辺では 最大の寺です。

中国の僧が 1926年に建立したもので、12.8mの金の仏陀座像があります。

お顔は 東大寺の大仏様に似ているような気がしました。

とても すがすがしい趣の仏さまでした。

私は マレーシアの仏像の中では 一番好きな造形でした。

そのほかにも観音様や千手観音など 多くの仏像がありました。

日本と違って みな 極彩色。

ちょうど お盆でしたので 我が家もお燈明をお供えして みんなで お祈りました。

寺の中では 占い師かいあたり 茶店があったり 信仰厚いお寺でした。

お寺の前には 池が作ってあり 観音様が祀られていました。

このお寺の奥の階段を上って行くと 屋外に通じていて 展望台に 昇ることができます。

暑い熱帯 山登りは 避けたかったのですが 元気がありまっている少年たちは さっさと昇って行ってしまい

親として 放置するわけにもいかず のろのろ ついていきました。

途中 いくつも展望台があり  

ずっと 階段が整備されて 足元は よかったですが なにしろ 急な石灰岩の山です

たいへんでした。

昇ると眼下にイポーの街が。

ペラ・トンのほかにも 洞窟のお寺 サン・ポ・トン ケ・ロッ・トンなどがありますが

サン・ポ・トン到着時 スコールがきたので 参拝は見合わせました。

KLのバトゥケイブは ヒンズーですが ここは 仏教。

ずいぶん 雰囲気が違います。

洞窟の中は とても 涼しく快適でした。

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イポー駅  ~Ipoh イポー~

2011年08月18日 17時58分59秒 | おでかけ・クアラルンプール

 

先日 イポーに 行ってきました。

マレーシアに住んでいる人は みな イポーを知っていますが 日本のかたでご存知の方は

少ないかもしれません。

イポーといえば イポーチキン イポー・ホワイト珈琲  マレー鉄道の駅 と

マレーシア在住者なら よく耳にする街です。

イポー (Ipoh) は、ペラ州の州都で、マレーシアで3番目に大きい都市です。人口50万人。

クアラルンプールから南北高速道路を経て約 200 キロメートル北にあり、車で4時間ほどかかります。

 

イポーというのは 木の名まえで オランアスリ(原住民)が樹液を毒矢に使った木です。

イポーの街には キンタ川が流れ 川が旧市街と新市街を分けています。

このキンタ川流域の渓谷で 錫が産出され、イギリス植民地時代に繁栄した街です。

1970年代に錫価格暴落によって 錫の鉱山が閉鎖されるまで イポーは 栄えた街でした。

1920年代 イポーは 錫で 大繁栄した街で 中国人の大富豪がたくさん住んでいました。

街の旧市街は そんな時代を彷彿とさせる建物が並んでいて、おいしい中華料理が楽しめます。

 

写真は イポー駅。

錫を運ぶためにできた マレー鉄道の駅です。

イポーの旧市街の中心的存在であり、マレー鉄道一美しいと言われるムーア式とゴシック様式のコロニアル建築の白亜の駅舎です。

 

設計は クアラルンプール独立広場の名建築設計者 ABハボックです。

 

 

マレー鉄道の駅は ホームとホームが構内の跨線橋で結ばれているのですが

私は この跨線橋が 好きです。

日本の田舎のJR線の駅にも かならずといっていいほど  跨線橋が あります。

跨線橋からみる線路の風景が 好きなのです。

息子が幼いころ、おもちゃの電車プ〇レールに跨線橋を見つけたときは、迷わず 購入しました。

切符も買っていないのに ホームに入り 跨線橋を見たら 新しいものに作りかえられていました。

がっかり・・・・屋根のデザインも がっかり。

近代的おしゃれなデザイン・・・・・だ。 

   でも 振り返ると すてき。旅情かきたてる建築です。

ちなみに2階は マジェスティックホテル 駅ホテルになっています。

 

ところで イポーには関係ありませんが

写真の加工を変えてみました。

どうでしょう。  とんまな私も 少しは 成長したでしょうか。

私が 成長したのではなくて ソフトが成長したのですが。

 

 

 

ここまで たくさんの夏休みをこぞうたちと過してきましたが

こんなに だらけた夏休みは 初めてです。

 

 

 

それは ひとえに私・母の怠惰な根性ゆえの結果です。

 

 

子というものは だいたいにおいて 「計画性」「未来予知」など 持ち合わせていません。

すべては 指導・啓発にゆだねられるものです。

 

 

怒らず やさしく 自然に 子が能動的に取り組めるように 指導・啓発してこそ

平和で 豊かな夏休みが 実現します。

 

 

放置すれば 熱い日中 子は その瞬間の楽しみに没頭します。
      たとえば アイスクリームを食べる とか

 

 

この夏休み 私は ちょっと悩み事がありまして さすがに中身は幼いが がたいは大きい

息子たちの 指導・啓発に 専心することを怠りました。

 

 

 

今日は ブキッビンタンにオープンしたての山〇火にラーメンを食べに行くということで お茶を濁してしまいました。
濁し過ぎて 胃が痛くなったのは ばちというものでしょう。。。。。
あの世の祖母は いつも 「そんなこしてたら ばちがあたるで」と 申しておりました。

 

 

あしたから 気持ちを入れ替え、がんばり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・たいです。

 

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クアラカンサー ~街の風景~

2011年08月17日 20時40分38秒 | おでかけ・クアラルンプール

住みたい街の風景は 人それぞれ ちがいます。

私は 大都会大阪の郊外の街に 生まれ育ちました。

年十年も前の都会に近い街は 田舎でもなく、 でも  田畑が残り、河が流れていました。

高層のマンションはなく 空がビルで 削り取られることもありませんでした。

私が 住んでいるクアラルンプールは 近代的大都会で、 地震がない国ゆえ 高層ビルが林立しています。

我が家も 日本では 珍しいほどの高層コンドミニアムです。

高層ビルのない街。  私は とても 心地よい街でした。

クアラカンサーは クアラ河に沿ったのどかな街。

カンサーは 銀 という意味です。

イポーやタイピンの街が 錫鉱脈で大発展していく中 クアラカンサーは取り残され

静かなまま 現在まで きました。

錫が産出されなかったために クアラカンサーは マレー文化が残る おだやかな街として残ったのです。

 

ここは 静かな学園都市で マレーシアの名門校マレーカレッジがあり そのほかにも学校があります。

この町は マレーシア全土から優秀な子が集まる街でもあるのです。

 

 

2006年には 日本の天皇皇后両陛下が ここを訪れました。

その署名が 王宮博物館に残っています。

 

王宮博物館の入り口

 

 

この噴水の形は 壺の形です。

この街のあるペラ州の独特の陶器を噴水にデザインしています。

この壺に水を入れると 冷たくなるそうです。

焼き物が盛んな街でもあります。

こちらは もとは仮の王宮だったところで 博物館。 Istana Kenangan
 1926年に建てられたペラ様式の木造2階建で 
一本も釘を使っていないそうです。

 このほかに スルタンがお住まいの王宮がありますが 時間切れで 行けませんでした。

王様が住む街  優雅な雰囲気でした。

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ウブディア モスク ~Masjid Ubudiah~ クアラカンサー

2011年08月16日 18時16分56秒 | おでかけ・クアラルンプール

クアラカンサー

クアラルンプールから 北に230km 半島北西部 スルタンの住むペラ州の街です。

ペラ州の州都は イポーですが ペラ州のスルタンは クアラ カンサーに住んでいます。

Kuala Kangsar クアラは河、 カンサー河の街です。

王様のいる街 河の流れる街 クアラカンサーには 高層ビルがなく

ゆったりとした マレー系住民の多い きれいな街でした。

有名なレジデンシャル・スクール(全寮制の学校、公立でマレー系の優秀な子のみ通える)があり 学校の多い町だそうです。

とてものどかで 美しい街で、私は ここで 深呼吸して 気持ちが広がるのを感じました。

大都会クアラルンプールにはない マレーシアのゆったりとした街。

大きな川は 日本の河を彷彿とさせます。

これが マレーシアで一番 美しいと言われる ウブディア モスク。

1919年完成。

ここの大理石は とても濃い色で目を引きましたが イタリア製だそうです。

王宮に近く 小高い丘の上にあります。

マレーシアのモスクは いろいろ行きましたが ここの美しさは まるで

イスラムの古代のお城に迷いこんだかのような優美さ。

規模が 小さいのも また 心にやさしいです。

 

アラビアンナイトの絵本に出会ったみたい

上の左上の写真は 墓所。  他の写真は モスク周囲

 

金色のドームが 丸い。  

熱帯の太陽に 輝いています

さて 内部です。

もとは スルタンのためのモスクでしたが 今は 一般に開放されています。

それだけに 小さいながらも 装飾は 上品で 美しいです。

とくに 回廊の大理石の色のコントラスト

それに 礼拝堂の天井の透かし彫りは 今までにない 美しさです。

シャンデリアは ガラス

絨毯は 円形で 更紗もよう

左下の写真は 女性用の礼拝スペース。

まるでレースのスカートをひろげたような天井です。

KLの大きなモスクもよいですが このウブディア モスクは 規模も建築も きれいでした

 

 

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小糠雨降る独立広場

2011年08月15日 21時26分10秒 | おでかけ・クアラルンプール

チャイナタウンをぬけて

いつもの交差点を 渡り

裁判所の小路を 歩きました。

独立記念日をまえに 国旗が たくさんありました。

独立記念日がある8月は 街中に 国旗が飾られます。

 

赤と白 ブルー  それに星と月の黄色   とてもきれいです

マレーシアには 珍しく しとしとと小糠雨が 降り続く昼下がり

熱帯の陽射しがないので 歩きやすいですが どことなく いつものマレーシアではないような

 

それでも やっぱり この周辺の建物は 好きです

この中に入ってみたいのですが だれか 招待してくれないでしょうか。

私が どこかの国の大富豪の側室とかだったら 中で お茶が飲めるかもしれません。

でも 私は ふつうの男の子のおかあさん。

このところ マレーシアは 乾季に似合わず 大雨が続きます。

今日は 朝から気温が低くく まるで 軽井沢か キャメロンハイランド。

風も きもちよかったです。

午後3時ごろからは ジェットコースターのような 激しいスコールでした。

大雨が多いので また 日本に雨雲が行かないか 憂いて空を見ています。

今日は 8月15日

終戦記念日でした。

震災のあった今年、 復興の言葉が 響きます

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ラマダンのショッピングモール

2011年08月14日 07時52分51秒 | おでかけ・クアラルンプール

 

ラマダン中のショッピングモールは ラマダン明けのハリラヤのお祝いに向けて お店がでます

こどもたちが 工作して 飾りを作っています

日本の年末のお正月商戦のような感じです

熱帯ムード

ストゥーパの飾り

ハリラヤの食べ物が 出ています。

 

 

 イスラムのインテリアです

 

晴れ着の売り場です

家族で トータルコーディネイトします。

親族で 色を統一したり とてもおしゃれです。

街角の屋台風に

ちょっと モロッコの市場に迷い込んだよう???言い過ぎ。

マレーシアらしい季節です

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ここをくぐると・・・・・ 

2011年08月12日 23時08分20秒 | おでかけ・クアラルンプール

この扉の向こうは

どんな 世界なのでしょうか。

このトンネルをくぐると あちらの世界は 異次元でしょうか。

ここをくぐると 迷路が。

迷路の向こうは パラダイスでしょうか。 

それとも 魔術師が待っているでしょうか。

福島原発 放射能  いったい 日本は どうするのでしょう。

避難している何万人もの人たち。

ここを抜けると そこは 放射能のない日本なのでしょうか。

そんなことは ありません。

放射能は すぐには なくなりません。

私は 今 ちょっと 悩み事を抱えていますが

それは 幸せな部類だと 思います。

多くの命が召され   

死の危険にさらされ 

それに比べれば ささいなことかもしれません。

それでも 私は 目の前の 人の言葉や 浮世の事情に 悩んでいるのです。

情けないようですが それでも やっぱり ひとりひとり 誰かを幸せにしたいと 生きることには

違いないことだと 思うのです。

みな 今よりも よい世界  幸せを願っています。

この震災と原発事故   
世界中から「日本は すばらしい」と 評価される道を 
たとえ それが いばらの道であっても

日本は 進んで欲しいと思います

 

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ラマダン・バザール ~インド人街~

2011年08月12日 22時35分45秒 | おでかけ・クアラルンプール

ラマダン(断食)の間だけに 出現する ラマダン バザール

日没後のブカ・プアサ(Buka Puasa =1日の断食があける事)後に
食べる食事を 売る屋台マーケットのことです。

午後になると お店が開き始めます。

多くの人でにぎわう ラマダン バザール。

あちこちで 見かけます。

さて 日本からお友達が 来たので 「濃いけど 行く?」ということで
インド人街に 行きました。

インド人街は 週末は 屋台バザールが 出るのですが 平日は 静かなもの。
ところが ラマダン バザールが たくさん ひしめいていました。

↑ ハリラヤのお祝いの蒸し米 ストゥーパの形の飾り

食べ物屋さんは もちろんのこと、 ハリラヤ用の晴れ着のお店や飾りもののお店が
わんさか 軒をつらねています。

↑ きらきら 好きですね。 お嬢様も きらきらがお好き。

お友達家族は お友達+小学生少女+妖艶な友母の3人。

もっと ゆっくり インド人街を回ると おもしろいのですが 時間がなくて 駆け足になりました。
楽しんでもらえたかどうか・・・・

ざくろ・・・こんな大量のザクロ 初めて見ました。

 

ラマダン中なので いつも混み合う屋台は がらがら

この裸電球の灯り   いいわ  とても。  

雨だったので 灯りが 滲んでいます   いいわ  とても。  絵になるわ。

夜からは 売れるのでしょうね

サトウキビジュースも たくさん 作り貯めするようです

道路にまで 店が出て 無法地帯。 車も通る。

夕暮れにむけて 店開きでしょう。

まだ 人はまばらですが 日が暮れたら にぎわうと思います。 

おそらく ぎゅうぎゅうづめくらい。

ラマダン中は 国中が 「いつもとちがう」 特別な空気に包まれます。

これを なんと 表現すれば いいのでしょう。

断食のイスラムの国 いかがですか? 

 

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国立博物館 ~久しぶり~

2011年08月11日 20時11分29秒 | おでかけ・クアラルンプール

久しぶりに 国立博物館に行ってきました。

 

          

8月31日の独立記念日にむけて 国旗が はためいています。

もう 何度も ここに 来ているので さらっと 見学しました。

 

石器時代から現在まで 順を追って 展示があります。

これは 昔のペナン島の港

イギリスのみなとみたいです。

 

この写真 おそらく独立広場あたりではないかと思うのですが 

現在の高層ビルに囲まれた風景とは違います。

現在のテキスタイル美術館が 鉄道会社と駅だったとマレーシアのガイドブック(英語版)にありました。

今は 線路が見えないので 間違いかとおもったのですが この写真だと 現テキスタイル美術館のビルの横に

線路と列車が見えます。

橋も立派な作りです。

クアラルンプールの時間の流れに 想いを馳せる写真です。

これは 第二次世界大戦で 日本軍が マレー半島を進軍したときの 自転車。

何度もみても 「根性」に 驚きます。

これで タイから シンガポールまで 熱帯のジャングルを抜けて行ったのかと思うと 信じられない事実です。

そりゃ イギリス人は 驚いただろうと思います。

               

ベンチに座って ここで 和むのが 好きです。

涼しいし 窓の光がきれいです。

この中に カフェでもあれば さらによいのですが ・・・・・

国立博物館のなかには マレーシア ガメランの演奏が流れていました。

ミュージアムショップで ガメランのCDを 買おうと思いましたが

「ガメランは ない」とのこと・・・・ 残念です。   いったい どこに 売っているのでしょう・・・・

夏休み 博物館 ゆるゆる見学。

このあと バングサービレッジで ケーキ食べて 帰りました。

ところで 日本は お盆休みに入るのではないでしょうか?

すっかり お盆休みから 遠ざかってしまい忘れていました。

日本の友達が やたら 旅行に行くというので やっと 気が付きました。

日本人学校の始業式は22日。

やっと 夏休み あと10日になりました。

ほんとうに もてあます夏休み。

明日は インター校に転校した 息子のお友達が 遠い町から 遊びに来てくれます。

私は その街が いったいどこにあるのか わかりませんので ありがたいことです。

泊まって欲しいけど 私は 送迎できないので・・・・ 強く誘えない・・・・

あと10日。

日本にいたら いろいろ小旅行や 博物館めぐりや ワークショップや 芝居見学をするのですが

マレーシアでは ・・・・ 

学校が休みだと おけいこも休止だし ほっんとうに 

        「あとは かなしみを もてあます異邦人♪」(久保田早紀さん) です。

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ラマダンビュッフェのため・・・

2011年08月09日 18時21分54秒 | おでかけ・クアラルンプール

イスラム美術館に ランチに行った親子3人。

しかし さすが イスラム美術館のレストラン ラマダン中は 閉めていました。

断食中なのだから レストランも休み。

そうか~~~。

 

美術館の庭の木に紫の花が 咲いていました。

ジャガランダかと思ったけれど 葉っぱの形が違います。

イスラム美術館のレストランは 昼は閉まっていますが ラマダンビュッフェは 開催中です。

RM88 食べ放題。

イスラム国では 今 ラマダン(断食)が始まっています。
ラマダンは、イスラム暦の第9の月に行われる断食のことで、この期間、
イスラム教徒の方々は日の出から日没まで、一切の飲食が禁止されています。

 イスラム暦は西暦より11日ほど短いので毎年断食月の日程が変わります

断食中のことをマレー語で「プアサ(Puasa)」と言います。

そして、日没に その日の断食明けを知らせるコーランの一節(アザーン)がなると

「断食明け(buka puasa)」になり、飲食を取ることができます。

そして このラマダンの時期だけに見られるのが ラマダン・ビュッフェ

これは、ホテルやレストランが提供する日没後のディナービュッフェです。

レストランによって値段は様々ですが、リーズナブルな料金で いつもより豪華だったり、特別なメニューのビュッフェが楽しめます。

最近マレーシアではホテルや高級レストランのラマダンビュッフェが人気です。

マレーシアのムスリムは その日の断食明け時刻より前にレストランへ行き、「断食明け(buka puasa)」の前に注文を済ませ
好きなお料理をお皿によそい、アザーンが鳴ると同時に  お祈りをし夕食をとります。

料理を目の前に並べて じっと食べずに待っていて アザーンと同時に いっせいに食べ始めるのが
なんとも 素敵な光景です。

暑い熱帯で 飲食しないなんて 本当に辛いだろうと思います。

このレストランも ラマダンビュッフェの大きなポスターが貼ってあり 準備していました。

 

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