薩摩芋郎 STORY

100の議論より100円の寄付。
人生は100の苦しみ1回の喜び。
SHOCHU IS MY LIFE

タニーヤン・ネパール放浪ダイアリーズ14<恐怖のタクシー>

2005-10-04 | Weblog
4月3日、快晴(Butココロはどしゃ降り)
ポカラからオンボロ機に搭乗し再び悶絶しそうになりながらもなんとかカトマンドゥの
トリブヴァン国際空港に到着、タクシーに乗りほっとする。しかし、偶然乗り合わせた
タクシーが最悪だった。英語どころかMAPすら理解できないド素人ドライバーだった。
しかも躯つきも目つきも顔もおっかない。しかたなく中心街の写真を見せ行き先を
「TUNDIKHEL(トゥンディケル)」と言ったつもりが
「To DHULIKHEL(トゥディリケル)」ディリケル(遥か彼方の田舎町)へ!
(夜BARで酒を呑み落ち着いた時ふと思ったのだが、メイビーそう勘違いしたらしい)
タクシーは走り出したが見慣れぬ風景(もともと見慣れぬが)が延々と続く
「おーサービスで近道してくれとんかい。ありがたや」と呑気に田舎の田んぼや牛など
日本の昭和初期みたいな景色をポケーッと眺めていた。しかし、30分経ち40分経ち
着く気配は全く感じられず、しまいにゃ州境の様な場所を通過、しだいに焦って来た。
手と額から脂汗、股間はパチンコ玉クラスに縮みあがり(これぞ「ぱチンコ」・・・)
脳裏に国に残した家族が浮かぶ。
「このまま『ネパール解放の虎』に拉致され殺されるんかいな」(そんな組織ない)
人間こーいうシチュエーションの時はネガティブになるもんである。僕は開き直り
「おい!この道ちゃうやろ!俺を誰と思っとんじゃ!ボケ!」
と意味不明の日本語で声を荒げるが
「俺意味わかんないもんねー、ネパール人やもんねー」みたいな表情で首を傾げる。
そりゃそうだ・・しばらく経ち今度は優しく
「この道でいいのかにゃ~ドライバーさん」と英語で質問するがさっぱり埒あかない。
そんなこんなで2時間程経ち、どう見ても日本人訪問第一号みたいな鄙びた田舎で
交通整理してた白バイの警官を見つけ素早くタクシーを止め、警官に駆け寄り
すがるような涙目で
「お願いします。敬虔なブッディストの僕をカトマンドゥの街のど真ん中まで
 連れてってください!」
と、えせブッディストに成り済まし英語で懸命に懇願するときょとんとした顔で
「カトマンドゥのTUNDIKHELは2時間ほどUターンしたとこでーす。一本道ですよ。」
と優しく教えてくれすぐさまタクシードライバーに近づき説明してくれた。ちゅーか
「おんどれ!どこに連れて来ちょるんじゃ!」(想像)とネパール語で怒鳴っとった。
気まずい雰囲気がタクシーを包む。二人とも押し黙ったまま引き返す。パリダカ並の
テク走行で約1時間30分程で無事ホテルに着いた時は既に日暮れ時でごわした。
すったもんだでドライバーと交渉し僕も悪いのでドライバーに破格の50ドルを渡し
降車、しょんぼりしてホテルのドアを開けたのであった。

つづく
*カトマンドゥのテンプル

最新の画像もっと見る