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ガンバレ、ニッポン

なんか、不安定なニッポンですね。

時間厳守」は非常識!? 中国人の理解しがたい職業倫

2015-10-13 13:17:26 | 政治、経済
中国人が

理解しなくても世界は理解しているのでは?

フランスは遅刻した人を見たことがありません。

自分の仕事が終わると手伝わないで

さっさと帰ってしまいますが。




ソースから


日系企業は厳しすぎる?

「爆買い」に代表されるように、反日意識とは関係なく、中国人の日本商品への評価が高いことはよく知られている。では、その商品を作っている日本企業のイメージはどうかといえば、必ずしも高くないようだ。

 中国人の大学生は、アメリカ系の企業には「自由」というイメージを持つ一方で、日系企業に対しては「肩苦しく、規則で縛り、礼儀を過度に重んじる」という印象が強いという。彼らは日系企業では「厳しい掟」を学ばされるというのだ。

 その厳しい掟とは何か。

 長年、中国で生活、取材をしてきたノンフィクション作家の青樹明子氏は、新著『中国人の頭の中』で、その「掟」の実態を紹介している。

「え? これが厳しい掟??」

 その内容を聞けば、日本人は誰もが驚きを感じるはずだ。

 何と中国人が「日系企業の厳しい掟」として第一に挙げているのは「時間厳守」というルールなのだ……(以下、『中国人の頭の中』より抜粋して引用)。

 *

■歩くのは嫌

 中国人は言う。

「日系企業では、遅刻に対して異常に厳しい。10分の遅れでも、日本人上司は不機嫌になる。不思議だ。彼らは遅刻した時間を細かく計上し、ボーナスなどの考課に反映させてくる。この厳しさは、中国の実情にそぐわないのではないか」

 日本人は悩む。

 上海の広告会社に勤務する日本人女性A子さんは、週に1度、通訳兼秘書の女性スタッフ王さんとともに、会議のためクライアントの会社を訪れていた。受付前で待ち合わせをし、2人揃ったところで担当者に取り次いでもらう。これは日本の会社と同じである。違うのは、A子さんの秘書の王さんが、いつも必ず遅刻することだった。

 何故いつも遅れるのだろう。

「朝って、タクシーが捕まらないんですよね」

 朝タクシーが捕まらないのは上海の常識である。

「地下鉄で来ればいいじゃない」

 王さんは「えーっ?」と声をあげる。

「家から駅まで遠いんですよ。10分は歩くし」

 ……。

 遅刻するかもしれなくても、彼女はいつもタクシーに乗る。経費申請ができる限り、絶対にタクシーで来る。

 秘書の遅刻で会議を遅らせることはできない。仕方がない、A子さんは先に1人で会議室に向かうことになる。

■遅刻はしかたない?

「通訳が遅れます、とクライアントに平謝りするんですが、クライアントの中国人スタッフは実に鷹揚なんです。タクシーは捕まらないんだよね、とか言って」

 中国人同士であれば、「しようがないよねー」ですんでしまい、遅刻で人間関係に波風が立つことはあまりない。

 問題となるのは日本人vs中国人の場合だ。

 A子さんは、子供の頃から「時間厳守」を叩き込まれているためか、どうしても遅刻することができない。渋滞を怖れて、彼女はタクシーには絶対に乗らない。どんなに遠くても、必ず地下鉄の駅まで歩く。雨にもマケズ、風にもマケズ、夏の暑さ、冬の寒さにも耐え、15分だろうが、20分だろうが、ひたすら歩いて、時間通りに到着する。

 彼女にとって、時間厳守は仕事の原点なのである。

 それでも……、

「郷に入っては郷に従え。遅刻してもうるさく言わないことが、社内人間関係を円滑にしていくことなのでしょうか」。

 A子さんは割り切れない思いを抱えながら、今日もひたすら歩いて地下鉄に乗る。

 *

 それぞれの国ならではの慣習や文化があるのは当然だろう。が、この「時間厳守」に代表される生真面目さが日本商品のクオリティを支えているのではないだろうか。同書では、他にも日本人が「当たり前」と思っていて、中国人が「厳しい」と思っている掟を挙げているが、それはまた別の機会にご紹介しよう。


元植民地が日本びいきなワケ 「あの頃はモラルがあった……」

2015-10-13 11:37:50 | 政治、経済
白人支配のアジアを

救ったのは日本です。

日本は植民地にはしませんでした。

日本政府はもっと国民に教えるべきです。

それと

反日日本人をどうにかしないといけないのでは?



ソースから

■貨幣経済をもたらした
 前回の記事では、『日本を愛した植民地』(荒井利子・著)をもとに戦前、日本の委任統治領だったパラオの人たちが、戦後も日本に好意を持ってくれていることをお伝えした。

 なぜ彼らは今でも日本時代を懐かしむのか。同書では数多くの島民の生の声を紹介している(以下、引用は『日本を愛した植民地』より)

 たとえば1925年生まれのパラオ人、フジオさん(仮名)はこう語っている。

「日本時代が良かったっていうのは、まあ金もあったし、自由で、品物はたくさんありましたから。何でも出来たっていうのがいいところでしょうか」

 実はパラオに貨幣経済をもたらしたのも日本。島民たちは初めて手にした現金を持って、デパートやお店に買い物に行き、珍しい日本の商品を買うのが楽しみだったという。

 差別がなかったわけではない。島民は飲酒を禁じられていた。

 それでも生活の満足度は高かったようだ。

「お前は日本人だと言われ、日本人、日本人という教育を受けていました。お酒を飲めないのは差別と感じていたけど、それ以外で差別と感じるようなことはありませんでした。

 日本人の奥さんたちも、自分の子どもと同じように扱ってくれました。

 シンガポールが落ちたというと、パラオ人も日本人も一緒に提灯行列しました。今でも(自分のことを)日本人と思っているパラオ人もいます」

■アメリカ人の先入観

 ここで疑問を持つ人もいることだろう。

 日本時代が良かったとしても、戦後、解放されてアメリカの支配下に置かれてからのほうがもっと良いはずではないか、と。

 実際に、島民も、

「ドイツ時代から日本時代になって生活レベルが上がった。また新しい時代になれば、もっと良い時代になるに違いない」

 と当初は考えていたようだ。

 ところが、話はそう簡単ではなかった。

 アメリカは日本統治時代のミクロネシアを知らなかったため、島が経済的に栄えていたことなど知らなかった。戦後、アメリカ人が見たパラオの人たちは疎開先から戻ってきたばかりだったので、ボロボロの衣服をまとい、体中が汚れた姿だった。それを見たアメリカ人は、それがパラオ人の真の姿だと思い込んでしまったのだ。

 そのため、アメリカ人は勝手に「パラオ人には原始的な生活をさせておけばいい」と考えたのである。その後、誤解は解けたのだが、それでもなお島民がアメリカ時代を高く評価しない理由があるのだという。

■自由を嘆く老人たち

 それは皮肉にも彼らがもたらした「自由」の弊害だった。

 アメリカはドイツや日本とは異なり、島民に指図をせず「自由」を与えた。しかし、多くのパラオの人々にとって「自由」とは聞いたことのない言葉だったため、混乱が生じてしまう。

 日本人の父親を持つトミオさん(仮名)の話。

「戦争が終わって、アメリカが来て、だいぶ違った生活になりました。アメリカ人は日本人と違って、『おまえたち、あれやれ、これやれ』っていっさい言わないで、『おまえたち、自分でやれー、好きなようにやれー』って。

 だからそこで私たちは初めて自由って何なのかアメリカ人から学びました。その自由とは、何でもしたい放題、好き勝手にやっても良いことだと受け止められた」

 当初、「自由」を謳歌していたのだが、島民たちは「自由が間違って理解された」ことを悔いている。酋長の言うことも聞かれなくなり、秩序が壊れてしまったのだ。

 パラオ人女性の話。

「日本時代は子どもが結婚しないで生まれたら、みんなから白い眼で見られたものなのに、今は結婚しなくても平気で子どもを産む。私生児はたくさんいます。今の若い人は自由になったのだから、何をしてもいいと言って、年寄の言うことなんか聞きません」

 別のパラオ人女性の話。

「アメリカは自由すぎる。学校で乱暴しても喧嘩しても、先生は殴らない。日本の学校では先生に殴られたけど、良いことと悪いことを教えてくれた。今の子どもたちに怒ると、『今と昔は違う』と言われる。殴られたからこそ、私たちは学ぶこともできた」

 お気づきのように、彼らの語る「日本」は、現在の「日本」ではない。おそらく彼らが今の日本の実情を見たら、驚き、また悲しむのかもしれない。しかしそうした「美しい誤解」もあって、今でもパラオの人たちは日本に好意を持ってくれているのだろう。『日本を愛した植民地』は、国が国を統治するという行為について新しい視点を与えてくれる力作である。


慰安婦「共同申請を奨励」=ユネスコから意見と中国―記憶遺産

2015-10-13 07:00:26 | 政治、経済
両国が

もっと話し合いをすべきで

これが登録となれな

世界中の売春宿が登録の対象になるし

韓国は朝鮮戦争で北朝鮮の女性を慰安婦にした事実もありますからね。



ソースから


【北京時事】中国外務省の華春瑩・副報道局長は12日の記者会見で、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に中国が申請し登録が見送られた旧日本軍の「従軍慰安婦」に関する資料について、ユネスコ側から「関係国との共同申請を勧める意見があった」と述べた。
 
 従軍慰安婦に関する記録については、韓国も記憶遺産に申請する計画を進めており、2017年の登録を目指している。
 華副局長は「ユネスコの意見を真剣に考慮し検討する」と述べ、再度の申請を目指す方針を示した。
 華副局長によると、意見は「中国以外にも慰安婦問題の被害国がある。このため、ユネスコの国際諮問委員会は規定に基づき、関係国の共同申請を奨励し、17年の次回会議で審査する」との内容だという。ユネスコのどのレベルから伝えられたのかなど具体的状況は明らかでない。
 ユネスコの報道担当者は「そうした事実は把握していない」と話している。
 ユネスコは4日からアラブ首長国連邦で国際諮問委員会を開催。中国が申請した旧日本軍の「南京事件」に関する資料は記憶遺産への登録が認められた。日本政府は「中立・公平であるべき国際機関として問題であり、極めて遺憾」と表明、中国側にも抗議している。